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2022年1月30日日曜日

『超訳ベーコン 未来をひらく言葉 エッセンシャル版』(佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー、2021) が 2022年1月20日に「オーディオブック」になりました!

 

「Audible 完全版」です。amazonで音声が試し聴きできます。朗読者の白井翔太氏の落ち着いた低音の響き。自分が書いた文章が、生身の肉体をもった人に朗読され、音声化されるのを聴くのは、なにやら不思議で奇妙な感覚であるが、ある種の感慨があります。 

耳で聴いて理解できる日本語の文章を書くことに努めてきたわたしにとって、感慨が深いのはそのためでもあります。 


ぜひオーディオブックをお試しあれ。そして推奨していただきたく。



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2022年1月29日土曜日

映画「ハウス・オブ・グッチ」の原作『ザ・ハウス・オブ・グッチ』(サラ・ゲイ・フォーディン、実川元子訳、講談社、2004)を読んでみた

 
先日(2022年1月17日)、日本で公開されて視聴してきた映画『ハウス・オブ・グッチ』の原作を読了。さすがに一気読みというわけにはいかず、1週間かけて読み終えた。 

原作のタイトルは、『ザ・ハウス・オブ・グッチ』(サラ・ゲイ・フォーディン、実川元子訳、講談社、2004)。購入したのは、1990年代に業務としてブランドマネジメントにかかわっていた経験をもっているからだが、読まないまま年月が過ぎ去っていた。せっかくの機会なので映画を見たあとに読んでみるとにした。  

著者は米国人ジャーナリストで、グッチをはじめとするファッションブランドビジネスと経済関連の記事を書いている人だという。なるほど、単行本で400ページを超えるノンフィクションだが、ビジネス関係者にも読ませるだけの内容と面白さがある。原著のタイトルは The House of Gucci: A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed である。

ファミリービジネスによるブランドビジネスが、金融自由化の波のなか、グローバルビジネス化するなかで資本市場との関係が強くなり、資本の論理で再編されポートフォリオ化されていったのは、1990年代から2000年代にかけてのことだ。

その代表的な存在がフランスの高級ブランドグループ LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)であり、グッチもまたその流れのなかで LVMH と熾烈な競争を行うことになる。 

だが、これは原著出版の2000年に至るまでの話で、グッチ一族がグッチの所有と経営から離れて以降のことだ。あらたな経営者となったドメニコ・デ・ソーレと天才デザイナーのトム・フォードによるグッチ・ブランドの劇的な再生後の話である。2人とも映画の終わりのほうに登場する。 

  
米国で教育を受けたイタリア人弁護士の経営者と、米国人デザイナーによる、たぐいまれな経営チームが、古都フィレンツェに発するイタリアのファミリービジネスからの脱却に功を奏したわけだ。だから、単行本の帯はトム・フォードに言及しているのであろう。ちなみにこの2人は、2004年に退任している。

この事実は、ファミリー最後の経営者となったマウリツィオが、ビジョン構築能力と人を惹きつけてその気にさせるすぐれた能力をもちながらも、数字にもとづいた経営感覚を欠いており、そのための右腕となるべき「ナンバー2」を育てられなかった器量の狭さを裏書きしている。著者の分析は大いに納得させられるものがある。


この本は、そこに至るまでのフィレンツェにおけるグッチ創設から、ファミリービジネスとしての発展、そして経営主導権を握るためのファミリー内部の激しい抗争、そして創業者の孫で三代目のマウリツィオ・グッチが射殺されるまでが、全体の2/3を占めている。映画化されたのは、この部分である。 

この原作を読むと、映画版はレディ・ガガ演じるマウリツィオの妻で野心家のパトリツィアを軸にしたストーリとしてシナリオが作成され、事実関係が単純化されているだけでなく、かなり改変されていることがわかる。

原作にあって興味深いのは、グッチと日本との関係が消費者としてだけでなく、資金難に陥っていたマウリツィオに資金提供したのが、日本に亡命して実業家となったイタリア人極右活動家であったことだ。

なるほど、映画の最初に Inspired by the true story. と明記されているわけだ。日本語でいえば「実話に着想を得た」ということになろう。つまり、事実関係を押さえた原作のノンフィクションと映画は別物と考えたほうがいいということになる。 

映画を見てグッチ家のファミリービジネス破綻の道筋に関心をもった人は、原作も読んでその詳しい背景や事実を追ってみるのも意味あることだろう。映画も原作も、それぞれ興味深く面白い作品であった。

なお、品切れになっていた原作本は、今回の映画公開にあたって上下2冊でハヤカワ文庫から文庫化された。 




目 次
1. それは死から始まった
2. グッチ帝国
3. グッチ、アメリカに進出する
4. 若きグッチたちの反乱
5. 激化する家族のライバル争い
6. パオロの反撃
7. 勝者と敗者
8. マウリツィオ指揮権を握る
9. パートナー交替
10. アメリカ人たち
11. 裁かれる日
12. 二つの別れ
13. 借金の山
14. 贅沢な暮らし
15. 天国と地獄
16. グッチ再生
17. 逮捕
18. 裁判
19. 乗っ取り
20. エピローグ
訳者あとがき

著者プロフィール
フォーデン,サラ・ゲイ(Forden, Sara Gay)
ファッション・ジャーナリスト。『ウィメンズ・ウェア・デイリー』の特派記者を経て、イタリアの雑誌『ルナ』の編集長をつとめる。ミラノ在住(2004年の単行本出版当時の情報) 
Sara Gay Forden covered the Italian fashion industry from Milan for more than 15 years, chronicling the explosion of labels including Gucci, Armani, Versace, Prada and Ferragamo from family ateliers into mega brands. She is now based in Washington, D.C. with Bloomberg News, leading a team that covers lobbying and the challenges faced by big technology companies such as Amazon, Facebook and Google.(2021年版ペーパーバックの情報から) 
近年はワシントンDCに拠点を移して、ブルームバーグ・ニュースで GAFA 関連ニュースを追うチームを率いている、ようだ。



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2022年1月27日木曜日

「モーツァルト・バースデー・コンサート」にいってきた(2022年1月27日)-フリーメーソン会員であったモーツァルトをメーソンのホールで聴くという貴重な体験

(東京シンフォニアのウェブサイトよりキャプチャ)

本日(2022年1月27日)のことだが、「東京シンフォニア」のコンサートにいってきた。コロナ下であるなしにかかわらず、クラシックのコンサートに行くのはひさびさだ。東京シンフォニアのコンサートは今回がはじめてだ。  

1月27日はモーツァルトの誕生日。1756年に生まれ、1791年に35歳の短い生涯を終えた天才モーツァルト。彼が生きた18世紀後半の西欧は「啓蒙主義の世紀」であり「フリーメーソンの世紀」でもあった。

モーツァルトもまたフリーメーソンの会員であったことは、すでに「常識」いっていいだろう。 生涯の最後の7年間、モーツァルトはメーソンであった。1789年に始まった「フランス革命」に共感していた。

(右端の人物がウィーンのフリーメーソンの集会に参加している1789年のモーツァルト Wikipediaより)

そのモーツァルトの誕生日を祝うコンサートが、フリーメーソンゆかりの場所で行われるとなれば、一度は行ってみたくなるというものだ。前回(前々回?)その機会を逃していたので、今回は絶対に行くぞ、と。ほんと、1月半ばから日本でも感染拡大が始まったオミクロン変異株による「コロナ第6波」で中止にならなくてよかった。 

(コンパスにG 東京メソニックセンターの玄関 筆者撮影 以下同様)

会場は、東京は御成門の東京タワーの足もとに近い「東京メソニックセンター」の地下2階にある「ゴールデンホール」200人程度は収容できるホールは室内楽に向いている。メソニック(Masonic)とは、フリーメーソン会員を意味するメーソン(Mason)の形容詞形である。


ゴールデンホールの天井の梁には Nature(自然), Charity(慈善), Reason(理性), Faith(信念), Infinity(無限), Immortality(不死), Hope(希望) という英語が記されている。いずれも、いかにも啓蒙主義を支えたフリーメーソンらしい理念の数々である。
 

しかも、『モーツァルトとフリーメーソン』(茅田俊一、講談社現代新書、1997)によれば、1784年12月14日にウィーンでメーソン会員となったモーツァルトは、入会にあたって啓蒙主義的色彩の強い「慈善」という比較的小さなロッジを選択したという。

「慈善」とはドイツ語で Wohltätigkeit であり、英語なら Charity となる。生涯の最後まで真摯な会員であったモーツァルトは、メーソンの理念に共感していたわけである。


■フリーメーソンの理念に従っているシンフォニー

今回のコンサートで演奏された曲目は、「弦楽器のための交響楽」を3曲、「ハ短調 K.406」「変ホ長調 K.614」「ニ長調 K.593」である。

その3曲を19人編成のオーケストラで演奏。フリーメーソンにおいては、数字の 3 と 5 と7 が重要な意味をもつという。3と5と7、そして19はいずれも奇数であり素数であることにも注目したい。 

(東京メソニックセンターのゴールデンホール)

ホールの音響はきわめてよく大いに演奏を堪能。目をつぶって音楽に身を浸していると、モーツァルトがメーソンであったかどうかなど、どうでもよくなってくる。音楽そのものを楽しむのが第一義的な目的であるから、それは当然といえば当然であるが。 

とはいえ、もちろん音楽もさることながら、わたしも含めた観客にとっての関心は、フリーメーソンそのものにもあるのは言うまでもない。観客のほとんどはメーソンではないようだった。


■フリーメーソンのロッジの内部をはじめて体験

コンサートが始まる前に、コンサート会場とおなじく地下2階にある隣の「ブルーロッジホール」も見学させていただいた。

(天空のブルーがうつくしい 筆者撮影)

なにごとも百聞は一見にしかず。 写真撮影はOK。おお、なんと開放的なことよ! 

近年は積極的に情報公開するようになっているので、秘密めいたものなどないことが誰の目にも明かだ。コンサート開始前と幕間にスマホで写真撮影しまくる。一期一会である。その他の観客もみな興味津々でおなじ行動。スマホ時代ならではといえようか。 


(縁台の足もとに注目! 原石を磨いてなめらかにするのがメーソンの修養。石工としてのメーソンの象徴的表現。日本語なら「玉磨かざれば光なし」となろう)

コンサートの帰りにはお土産までいただいた。サントリーの提供で「モーツァルト チョコレートクリームのリキュール」のボトルでザルツブルク製。モーツァルトに甘いチョコレートはよく似合う。ただし、現在わたしは酒をやめているので味わえないのが残念ではあるが・・・


今夜の曲目は、甘さだけではない深みのある曲であたが。 音楽監督で指揮者のロバート・ライカー氏自身がメーソンなので実現したのであろう。メーソンの帽子を被って挨拶されていた。

(独立後の新首都に礎石を据えるメーソンのジョージ・ワシントン 壁に飾られた絵画)

世界を股にかけて活動したい人には、米国を中心にネットワークが形成されている社交団体のメーソンは、ある意味ではうってつけかもしれない。 1曲目のタクトを振った指揮者の菅野宏一郎氏もまた、ルーマニア在住の日本人でメーソンなのだそうだ。
  
モーツァルトの誕生日のメーソンホールでのコンサートは来年もやるようなので、フリーメーソンに関心のある人は一度は行ってみるといいだろう。



<参考>

1月26日(水)・27日(木) 東京メソニックセンター 午後7時開演 モーツァルトバースデーコンサート 

 【プログラム】 

【ごあいさつ】 
年始恒例、モーツァルトの誕生日1月27日を祝うモーツァルトバースデーコンサート。 カナダから2人の著名なヴァイオリニストをソリストとして招く予定で、来日の可能性をぎりぎりまで待ちましたが、海外からの入国停止はまだ継続中です。 大変残念ながら、2人のヴァイオリニストとの共演は、次回のモーツァルトバースデーコンサートまで待つことになりました。 
そこで今回はプログラムを変更して、弦楽五重奏曲を19人の東京シンフォニア用に編曲した「弦楽のための交響曲」を3曲演奏いたします。 1784年、28歳のモーツァルトはウィーンのフリーメイスンに入会し、短い人生を終えるまで精力的に活動を行いました。メイスンの会合の場では、社会的な地位とは関係なく、皇帝ヨーゼフ2世や貴族や著名な音楽家たちと、会員として対等に話をすることができたのです。 東京メソニックセンター内の美しいホールでのコンサートをお楽しみください。会場では引続き感染防止対策を実施いたします。


Mozart and Freemasonry(Wikipedia)




<関連サイト>

・・「グランド・ロッジ」について、その歴史的経緯について日本語で解説されている。情報は基本的に英語


<ブログ内関連記事>

・・「交流のあった米国の実業家が「フリーメーソン」の会員であると聞いて、自分でもその内容について調べてみたらしい。「精神の真修養法」にでてくる話だ。結論としては、フリーメーソンの説くところと儒教の教えには共通性があると言う」

・・内村鑑三は、この講演で慈善活動に力を入れる米国の実業者について語っている

・・足もとのGはガス(Gas)のG

・・「本書で取り上げられる「陰謀説」は、「田中上奏文」(・・いわゆる田中メモランダム) 、張作霖爆殺事件、第二次世界大戦、東京裁判、コミンテルン、CIA、ユダヤ、フリー メーソンといった日本近現代史の定番といった数々である。」



・・「革命の世紀である18世紀は、なによりもベーコンの世紀なのである」(エウジェニオ・ガレン)とイタリア・ルネサンス研究者が言うように、「啓蒙の世紀」でかつ「フリーメーソンの世紀」であった18世紀の西欧「啓蒙主義」は英語では Enlightenment であり、闇に光をもたらす運動を意味する。17世紀の光と視覚が重視された時代に生きたベーコン自身はメーソンではなかったが、「薔薇十字団運動」とのからみでメーソンにも多大な影響を与えているのである。人類すべてにとって役に立つ科学と技術の重視。ベーコンが繰り返し旧約聖書の「賢者ソロモン王」に言及していることも、その証左といえよう。フリーメーソンは、破壊された「ソロモンの宮殿」の再建築をミッションとしていた。

(2022年1月31日 情報追加)


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2022年1月26日水曜日

ドイツ表現主義の画家フランツ・マルクの「タイガー」(1912年)


ドイツ表現主義の画家フランツ・マルクといえばタイガー。彼の作品をたくさん所蔵しているミュンヘンの「レンバッハハウス美術館」で買い求めたマグネット3点です。この美術館にはカンディンスキーの作品も多数あります。


フランツ・マルクといっても、日本ではそれほど知名度の高い画家ではありませんが、以前このブログでフランツ・マルクの「青い馬」を紹介しました。

作品数でいえば、「青い馬」のほうが「タイガー」よりも多いのは事実です。とはいえ、インパクトの強さからいえば、原色を巧みにつかったこのタイガーは、見る人に大きな印象を与えることは間違いないでしょう。


タイガーは1912年の作品現在からちょうど110年前のものです。1914年に「世界大戦」が勃発したとき、ドイツ人のランツ・マルクは戦争に志願しますが、1916年3月4日にフランス戦線で戦死しました。

フランツ・マルクの作品を見る際にも、ヨーロッパ全体に壊滅的打撃をもたらした第一次大戦戦場における36歳での戦死という事実。時代が生み出した「ドイツ表現主義」。精神的な不安感を漂わせながらも大胆な色使いが特徴の画家。戦死しなければ大戦後の世界でも活躍したであろうに・・・

フランツ・マルクの美術展が、日本で開催されないものかな、と切に願う。




<関連サイト>

Franz Marc (wikipediaドイツ語版)
・・画像ふくめた情報が充実している

レンバッハ邸美術館(Lenbachhus) (公式サイト ドイツ語)




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2022年1月24日月曜日

「ビジネス書としての歴史書」とは自分の意志で過去にヒントを探るための本-『世界史から読み解く「コロナ後」の現代』(佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー携書、2020)


 
 昨日のことだが、ひさびさに神田神保町の三省堂本店に立ち寄ってみた。もちろん本を探すのも目的だが、自分の本の売れ行き状況を確認するのも副次的な目的でもある。 

ビジネス書のコーナーで本を探していたら、なんと1年前の2020年12月に出版した拙著『世界史から読み解く「コロナ後」の現代』(ディスカヴァー携書)が平台に積み上げられているではないか!  

『世界史から読み解く「コロナ後」の現代』は、ビジネスパーソンにこそ読んでもらいたい本。だから、しかるべき場所に展示されているのがウレシイ。 

この本にはダイレクトな答えは書いてないのでガッカリする人もいるようだが、答えなんてそう安直なものではないハズ。ショートカットはいけません。知識そのものに意味があるわけでもありません。 

自分の意志で過去にヒントを探るということにこそ意味がある。そういうマインドセットと習慣を身につけてほしいというのが、わたしの執筆意図なのです。「ビジネス書としての歴史書」とはそういうことなのです。

その意味では、『世界史から読み解く「コロナ後」の現代』は歴史ものであり、かつビジネス書でもある。そう理解した書店員さんの見識の高さがすばらしい。もちろん、出版社営業からの働きも貢献していることだろう。この場を借りて、関係者の皆様に感謝の意を表したい。
  

<ブログ内関連記事>


・・科学的認識は「未来」と「過去」に向かう。方向が真逆なだけでベクトルそのものは同等だ

・・「日高 「いま現在、こうである」ということから始まって、なんでそうなっているのかというふうにしていけば、みんな興味をもちますよ。」


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2022年1月23日日曜日

松陰神社と豪徳寺をお参りしてきた(2022年1月22日)-「安政の大獄」の犠牲者である吉田寅次郎とそれゆえに「桜田門外の変」でテロの犠牲者となった井伊直弼

(松陰神社と豪徳寺は歩いていける距離 Google map で筆者作成)

昨日(2022年1月22日)のことだが、東京西郊に出る用事があったので、ついでに途中にある世田谷区に立ち寄ることにした。目的は、松陰神社と豪徳寺を参拝すること。いずれも今回が初の参拝である。        

いずれも有名な神社であり寺院であり、行こうと思えばいつでも行けるのに、行かないままになっていた。単なる怠慢であるが、一期一会であろうから、この際にまとめて訪れることにした次第。松陰神社と豪徳寺は歩いて行ける範囲の散歩コースにあるからだ。     

松陰神社は長州藩の吉田松陰を祀った神社豪徳寺は彦根藩の大名井伊家の菩提寺。この両者は、まさに「因縁」というしかない関係にある。

松陰は「安政の大獄」で処刑(1859年)安政の大獄を指揮した彦根藩主(で大老に就いていた)井伊直弼とは不倶戴天の敵ということになる。    

その井伊直弼も、「桜田門外の変」(1860年)で水戸の脱藩浪士のテロリストたちによって殺害された。いずれも最期は首を切り落とされた

いずれも直接手を下したわけではないにせよ、殺し、殺され、因果はめぐる。ある意味では、ともに時代の犠牲者であったというべきかもしれない。

*********

  (掲載した写真はすべて筆者撮影によるもの)

三軒茶屋駅で路面電車(トラム)の東急世田谷線(・・これもはじめて乗車した)に乗り換え、3つめの松陰神社前駅で下車、松陰神社は駅から歩いてすぐの場所にある。


立派な鳥居はあるが、全体的にあまり神社らしくない神社という印象を受けるのは、神社のすぐ隣に松陰をはじめとする関係者の墓地があるためだろうか。



おなじく長州藩出身の乃木大将を神として祀った乃木神社ほど新しくないが、それでも吉田松陰は神さびるほど昔の人というわけでもない。表現は適切ではないが、なにか生々しいというか、生臭い印象を受けてしまうのだ。

  
おそらく、松陰神社は、その性格からいって、「長州の長州による長州のための神社」という印象を受けるからかもしれない。祀り祀られる関係からいったら当然ではあるが、神社そのものも、寄進された石灯籠もみな明治政府の長州藩出身者によるものばかりだ。しかも、松陰神社に隣接して長州藩出身の首相経験者である桂太郎陸軍大将の墓もある。


神社に参拝し、松陰の墓に詣ではしたものの、長州には縁もゆかりもない自分は、あまり心地よいという感じ受けなかった政治色が強すぎる印象が、生臭いという気を生み出しているのだろう。

    

境内に「テロ対策実施中」(世田谷警察署・松陰神社)という看板が立っていたが、実行者ではなかったものの、吉田松陰こそテロの指嗾者(しそうしゃ)だったのではないかと思うと、なんだかおかしな感じがしてくる。

テロという側面にフタをしたまま吉田松陰を礼賛するのはいかがなものかな、とは思う。わたし自身は、松陰は尊敬しているが、そのファナティックな側面は好きではない。 


とはいえ、境内には「松下村塾」の建物が再現されているように、吉田松陰といえば、やはり「受験生の守り神」であり、「学問の神様」としての位置づけがふさわしいのだろう。

菅原道真と同様に、吉田松陰もまた無念の死を遂げた人が神として祀られることになった点は共通している。

吉田松陰は、菅原道真のように祟り神となったわけではないが、天神様と同様に「学問の神様」としての松陰先生にあやかりたいという受験生の気持ちはよくわかる。自分も高校生で近所に住んでいたら、間違いなく合格祈願でお参りにいっただろう(・・自分の場合は、遠い昔の話であるが、亀戸天神で合格祈願したら見事合格した)。



そんな感想を抱きながら、豪徳寺に向かって歩いて行くと右手に国士舘大学の建物が目に入ってくる。意図的に松陰神社の近隣に立地しているのだろうが、はたして吉田松陰は「国士」だったのかどうか、政治的立場の違いによって解釈はわかれることであろう。 

********
 
豪徳寺への道はゆるい下り坂である。松陰神社と豪徳寺は歩いていける範囲内にあるが、立地する場所に高低差があるのは、あとからつくった松陰神社は意図して高台に立地したのかどうかまではわからない。

松陰神社の創建は1882年、豪徳寺が井伊家の菩提寺として整備されたのが1633年、その時間差250年は、かなり長いといえる。


さて、その豪徳寺だが、正式名称は大谿山(だいけいざん)豪徳寺、曹洞宗である。禅寺である。

大藩であった彦根藩主の井伊家の菩提寺だけに敷地は広く、主要な伽藍や三重塔など建築物も揃った立派なものだった。大名家の菩提寺で、これほどのものが残っているのは珍しいそうだ。


「豪徳寺といえば招き猫!」
というのが、これまた彦根とは縁もゆかりもないわたしのような一般庶民の常識だが、その肝心な招福殿は現在修復中で、寄進されて並べられている「招福猫児」(まねきねこ)の数もこころなしか少ないようであった。


これまでに招き猫の画像や映像ばかり見ていたので、落ち着いた雰囲気を醸し出している豪徳寺の印象はずいぶん違うものであった。先に松陰神社を参拝していたから、よけいに違いを感じたのかもしれない。  


寺院に併設された「彦根藩主井伊家墓地」で、13代藩主であった井伊直弼の墓にも詣でた。吉田松陰の墓に詣でて、井伊直弼の墓に詣でないわけにはいかないだろう。


幕府の大老として「開国策」を推進した強引なまでの政治姿勢や、無慈悲なまでの「安政の大獄」によって、日本史においてはすっかりヒール(悪役)を割り当てられてイメージが固定化してしまっている井伊直弼だが、藩主になるまでの長年の苦労や、茶人としての教養の深さは想起すべきであろう。茶道用語として有名な「一期一会」は、井伊直弼が強調したものらしい。

井伊直弼の墓は、歴史におけるプレゼンスの大きさに反し、あくまでも歴代藩主の一人としての位置づけがいい。落ち着いた雰囲気のその墓は、穏やかな雰囲気を醸しだしていた。

  
******

豪徳寺を参拝したあとは、小田急電鉄の豪徳寺駅を目指して歩く。この小さな旅は、東急世田谷線の「松陰神社前駅」から、小田急線の「豪徳寺駅」までの散歩となった。


そもそも松陰神社に行こうと思ったのは、寅年生まれの松陰は通称を寅次郎といい、おなじく寅年生まれのわたしより132年先輩にあたるからだ。

「人生100年時代」というフレーズがまかり通るようになっている現在、「132年」は長いように見えながら、それほど昔というわけでもないのだ。幕末維新という激変を挟んでいるから、チョンマゲ時代の人とはいえ、遠い遠い昔の人物ではない吉田松陰と因縁の深い井伊直弼もまた同様だ。     

「勝ち組」と「負け組」というイヤな表現がある。明治維新において使われるようになった表現だが、「討幕と佐幕」の結果論としての表現だ。このような対比表現は、たとえ実態がそうであったにせよ、いやしい心性の現れとしかいいようがない。

幕末維新期においては、テロの嵐が吹き荒れた。幕末維新期の原型が、明治維新以降もなんども日本史では繰り返されてきた。テロによる問題解決が終息したのは、日本では1970年代であり、そんな時代が100年も続いたのである。テロという暴力的な形で問題解決をはかるのはよろしくない

殺し、殺されるという因果の輪のなかにある二人ではあるが、死ねばノーサイドということで接するべきであろう。それが日本人としてはただしい意識のあり方である。末代の子々孫々に至るまで恨みを抱き、墓まで暴くという中国人とは違うのだ!     

そもそも自分は、長州藩にも彦根藩にも縁もゆかりない。したがって、両者に特段の思い入れもない。比較的公平な立場から見ているからこそ言えるのかもしれないが・・・。 

  


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