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2021年2月28日日曜日

書評『パステルナーク事件と戦後日本 ー「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)ー 1958年の日本の知識階層の精神風景を丹念に跡づけた好著

 

 先日のことだが、『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)という本を読んで、たいへん充実した読後感を抱いた。  1958年の「パステルナーク事件」という知られざる事件にまつわる日本の知識階層の精神風景を描いたものだ。 

パステルナークはソ連時代に生きたロシアの詩人。ロシア革命とその後に続いた内戦を舞台にしたヒューマン・ドラマの映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年)の原作者である(*現在に至るまで原作を読む機会がないのが残念だ。映画のほうはなんども繰り返し見ているのだが・・)



そのパステルナークが心血を注いで完成させたものの、当時のソ連では出版できなかった大河小説『ドクトルジバゴ』が、1957年にイタリアで出版されたことに始まるのが「パステルナーク事件」(1958年)だ。 当時すでに「ハンガリー動乱(あるいは革命)」(1956年)によって、ソ連と共産主義への支持に陰りが見え始めていた時期である。 

1958年度のノーベル文学賞が、パステルナークに授与されることが発表され詩人が受諾したにもかかわらず、わずか1週間で辞退するに至った。ソ連の体制側からの激しい誹謗中傷と圧力がかかったからである。ロシアにとどまりたかった詩人は、受賞を断念することを余儀なくされた。本書の記述を読めば、それはもう、すさまじいの一言に尽きる。これが第3章までの内容だ。 

このうような「パステルナーク事件」について、世界中の文学者たちから「表現の自由」を守れとして大きな非難が起こったのだが、日本のペンクラブではかならずしもそうではなかった。 

日本国内と日本以外では、温度差の違いと要約できるもの以上のものがあったこと、「1958年の日本の知識階層の精神風景」を綿密に描き出したのがこの著作である。 

戦前の挫折した社会主義運動という屈折した前史をもつ、この特殊ともいえる「1958年の日本の知識階層の精神風景」をあぶり出すことになったのが、日本ペンクラブの外国人会員であった米国人の日本文学研究者で『源氏物語』の英訳者である)エドワード・サイデンステッカーによる異議申し立てであり、ちょうどその頃に来日した著作家のアーサー・ケストラーであった。 

1958年は、反米ナショナリズムが燃えさかった「60年安保」の前夜であり、当時の日本ではアメリカの大衆文化が圧倒的な影響力をもちながらも、同時に反米意識がかなり強く存在した時代だ。そんな時代に、米国人からの異議申し立てに対して左翼的傾向の強い文学者たちが、どのような反応を示したかというと、現在では想像するのも難しい。 

さらにいえば、もともと熱心な共産党員であったが、その後共産党と縁を切った経験をもつケストラーにとって、日本の文学者たちの姿勢は当然容認できるようなものではなかったのである。ケストラーの『真昼の暗黒』(1940年)は、そんなソ連の体制を徹底批判して世界的ベストセラーになっている。 

冷戦時代のソ連、そして日本。獲得形質は遺伝するとしてソ連で公認されていたルイセンコ学説をめぐる興亡。せっかく著作家ケストラーとルイセンコ学説の双方を別個に取り上げながら、ケストラーの『サンバガエルの謎』(1971年)に触れなかったのは、画竜点睛を欠くというか、ちょっと残念だったような気もする。だが、こんな内容を400ページのボリュームでまとめたこの著作は、じつに充実した内容で読みごたえがあった。 


驚いたことに、著者の陶山幾朗氏は、なんと『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』の出版直前に78歳で急逝されていたらしい。「刊行への経緯」に記されている。だから。この本が文字通りの遺作となったことになる。 

それにしても、素晴らしい内容の著作を残していただいたものである。万人向けの本でないが、このテーマに関心のある人は、読んでけっして損のない本であると言っておきたい。 





目 次
序章 発端-1958年10月23日
第1章 祝福から迫害へ-1958年10月23日~11月6日
第2章 「事件」前史-1956~58年
第3章 日本語版『ドクトル・ジバゴ』狂騒曲
第4章 糾弾者エドワード・サイデンステッカー
第5章 「文士」と政治-高見順(1)
第6章 「怖れ」と「美化」と-高見順(2)
第7章 「モスクワ芸術座」という事件
第8章 《害虫》のポリティクス
第9章  “ワルプルギスの夜” の闇
第10章 『真昼の暗黒』の来日-アーサー・ケストラー(1)
第11章 「目に見えぬ文字」への道程-アーサー・ケストラー(2)
第12章 “勝利” の儀式?-第3回ソビエト作家大会(1)
第13章 クレムリン宮殿の中野重治-第3回ソビエト作家大会(2)
第14章 「事件」の終わり-かくて人びとは去り…
補遺
わが国メディアに現れた「パステルナーク事件」関連論評(1958~1967)
「パステルナーク事件」関連年表
跋 天上のことばを、地上にあって 工藤正廣
あとがき
刊行までの経緯


著者プロフィール
陶山幾朗(すやま・いくろう)
1940年生まれ。1965年早稲田大学第一文学部卒。著書に『シベリアの思想家ー内村剛介とソルジェニーツィン』(風琳堂)、『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)、『現代思潮社という閃光』(現代思潮社)、編集『内村剛介著作集』全七巻(恵雅堂出版)。 雑誌『VAV』同人。 2018年11月2日 急逝(78歳)。



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2021年2月27日土曜日

書評『老人の美しい死について』(朝倉喬司、作品社、2009)-自分の人生は自分で「始末」するという思想とその実践

 

帯にあるように、「人生の終末に、あえて自ら死を選んだ三人の老人-市川団蔵8世(歌舞伎役者・享年84歳)、木村セン(農婦・享年64歳)、岡崎次郎(マルクス学者・享年79歳)」の人生の始末の付け方を描いた作品である。同一テーマを軸にした評伝集といっていいのかもしれない。 

帯にはさらにこうある。「自らの仕事を "天職" と心得て、心に秘めた強い意志をもって生き抜かれた果ての自死。明治人の "美しき生と死" を通して、現在のあり方を問う。」。

これ以上、くだくだ書き加える必要はないだろう。 市川団蔵8世は鳴門海峡に身を投じ無名の農婦の木村センは自宅で首をくくり岡崎次郎は夫婦で旅に出てそのまま行方不明のまま現在に至っている。 


自分の人生は自分で「始末」するという思想とその実践。そして、それは美意識の問題でもある。

倫理は「真善美」の三要素で構成されるが、「美しい」ということは、日本人にとっては、もっとも重要な倫理である。「美意識」は生き方の問題でもある。美しくあるためには、キレイでなくてはならない。清浄にもつながる意識である。

取り上げられた3人には、「自死」を選んで実行した明治生まれの日本人という以外に、なんら共通点はない。 生きづらさに命を絶った青少年の「自殺」ではない志破れた果ての「自決」でもない。人生の終末にいたってのそれは「自死」というべきなのである。 

著者はまったく言及していないが、私の愛読書でもある、フランス人思想家モーリス・パンゲの『自死の日本史』という名著を想起する。パンゲ氏は「自死」をフランス語で la mort volontaire としている。「意志による死」という意味だ。  

元新左翼の活動家でノンフィクション作家の著者は、この本を書いた時点で66歳。ネットで調べたら、その翌年に67歳で亡くなっている。自宅で亡くなっているのが発見されたという。多作の人であったようだが、この本が最後の本というわけではないようだ。 

私自身については、いますぐ死ぬということはなさそうだが(・・といっても、これだけは自分でコントロールできるものではない)、どういう形で人生に「始末」をつけるかについては考えておきたいものである。それは「自死」ではなくとも、「意志」の問題であることに変わりはない。 

誰の発言が記憶に定かではないが、「よく死ぬことは、よく生きること」であるのだから。





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2021年2月26日金曜日

「二・二六事件」から85年(2021年2月26日)


二・二六事件(1936年2月26日)からもう85年。すでに歴史的事件としてのみ語られる状態になってしまった。

だが、失敗に終わったが蹶起した青年将校たちの志は、けっして忘れてはならない

1936年(昭和11年)の日本がどんな状態にあったのか、世界全体がどんな状態にあったのか、あらためてよく考えてみることだ。

2020年に始まった「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)で想起されたのは、まずは100年前の「スペイン・インフルエンザ」であり、さらにさかのぼって14世紀に地中海世界と西欧で猖獗した「ペスト」についてであった。

100年前の1920年は、1914年に始まった「世界大戦」(第1次)が終結した1919年の翌年である。スペイン・インフルエンザは戦争を終結させる要因の1つになったと言われている。感染症の拡大が戦争を終わらせたが、変異したウイルスの第2波、第3波が世界中で人命を奪うことになった。日本も例外ではなかった。
 
インフルエンザは物的損害をもたらさなかったが、その3年後の「関東大震災」で帝都が壊滅、震災からの復興が起動に乗ったものの、追い打ちをかけるように1929年に始まった「世界恐慌」が翌年1930年には「昭和恐慌」として日本経済を直撃、経済格差が拡大することになり社会不安は高まっていく。
  
1931年には大陸で「満洲事変」が勃発、中国戦線は膠着状況となり、1936年の「二二六事件」、1939年には「ノモンハン事件」と欧州で「第2次世界大戦」が勃発、1941年には日本が米英に宣戦布告して破局への道を突き進むことになる。

「二・二六事件」でクーデターが成功していたとして、それが問題解決につながったかどうかはわからない。というよりも、クーデター後の青写真を持ち合わせない計画は、さらなる混乱をもたらしたであろうことは容易に想像できる。実際は、蹶起した青年将校たちの意図に反したものとなった。

だが、青年将校たちの志は、けっして忘れてはならない問題は、方法論にある。暴力ではなく、あくまでも言論と草の根の活動で行うべきであろう。

昨年2020年は、ちょうど三島由紀夫の自決から50年の節目でもあった。『憂国』で死に後れた青年将校夫妻の自決を描いた三島由紀夫。節目の年であったが、盛り上がりはやや欠けるものであったのは「新型コロナウイルス感染症」のためかもしれない。
 
パンデミックのあとに自然災害がつづく可能性もある。そんな時代であるからこそ、過去を振り返って考える必要があるのではないか。







78年前の本日、東京は雪だった。そしてその雪はよごれていた-「二・二六事件」から78年(2014年2月26日)

二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)

4年に一度の「オリンピック・イヤー」に雪が降る-76年前のこの日クーデターは鎮圧された(2012年2月29日)

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・


■行動を促す思想

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む


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2021年2月25日木曜日

書評『「現代思潮社」という閃光』(陶山幾朗、現代思潮新社、2014)-現代思潮社という出版社が勢いのあった1960年代

 
 『「現代思潮社」という閃光』(陶山幾朗、現代思潮新社、2014)を読んだ。この本の存在を知ったのは、出版されてからだいぶ経ってからだった。もっと早くその存在を知って読んでおくべきだったと思う。  

ロープシン(=サヴィンコフ)といってもピンとこないかもしれない。だが、トロツキーやサド公爵といったら、わかる人はわかるだろう。そんなテイストの本を出版してきたのが、1957年に創業された現代思潮社という出版社である。(*単行本のカバーに、出版された本のカバーの一部が掲載されている)。 

著者は、そんな現代思潮社に大学卒業後の1965年から5年間在籍して、営業から編集まで体験した人だ。高度成長が始まりながらも、「60年安保」の残り火がまだ日本社会に残っていた頃である。この本は、そんな著者による現代思潮社がもっとも元気があった頃の回想録である。 

創業者の石井恭二氏(故人)が出版社立ち上げにあたって、中学時代以来の親友からもらったアドバイスが、「どうせ本を出すのだから、悪い本を出せ」。ここでいう「悪い本」とは、いわゆる悪書ではなく、ラディカルな本という意味だ。常識や権威への異議申し立てである。 

私自身は、そんな60年代や70年代の同時代人ではないが、古書店で比較的安く販売されている現代思潮社の本は、1980年代からいろいろ買っては読んできた世代(?)である。 

つまるところ「遅れてきた世代」ではあるが、知られざる西洋の重要作品の翻訳を収録した「古典文庫」をはじめ、大いにその恩恵を受けている。そんな企画の数々を支えていたのが、渋澤龍彦など異端の文学者たちであった。 

(カバーの裏)

この本でとくに興味深いのが、「物書く商社マン」であったロシア文学者で評論家の内村剛介氏(故人)の回想。編集者時代の著者との関係で終わらず、出版社をやめたあとにふたたび交友が復活して『内村剛介著作集』の編集をまかされるに至る息の長い交友関係。さらりと書かれているが、読ませる内容だ。 

シベリアで抑留され、ソ連の収容所に11年間も抑留されていた内村剛介の諸著作は、ロシアについて考えるためには必読書であり、ほんとうの知識人とはどういう存在かを身をもって教えてくれる存在だ。 

内村剛介氏は、日本に帰国後は総合商社の日商(のち合併して日商岩井)で、ロシア語を駆使して辣腕の商社マンとしてソ連貿易に携わっていた。大学教授に転身する前は、「物書く商社マン」として知られていたらしい。そんな話が読めたのもうれしい。 

このほか、さまざまな回想が書かれているが、著者の文章そのものに読ませるものがある。ある意味では文学的であり、内容とあわさって、なかなか味わい深い。 





目 次
Ⅰ ある訃報/ソクラテスと虻-入社前史/奇妙な季節- 「安保以後」という時間 
Ⅱ 本が「空を飛ぶ」理由/社長が〝雲隠れ〟して-「東京行動戦線」事件/吉本隆明氏とある編集者の死/寺田透氏と終わりなき校正/〝格闘技〟としての共訳-『総和と余剰』改訂版/《西神田》、本日もホコリ高し
Ⅲ 「悪い本を出せ」/〝誤訳・悪訳〟騒動-トロツキー『わが生涯』の難路/ああ、バッティング―『蒼ざめた馬』の疾走/悔恨は夜霧に濡れて-ワレ原稿ヲ紛失セリ!/「古典文庫」回想―アカデミズムと鬼火/物書く商社マン―「生き急ぐ」内村剛介氏 
Ⅳ 「大地の商人」の転身-〝その後〟の谷川雁/真昼の割腹―三島事件と川仁編集長/「便所のスリッパも買えぬ」 - 現代思潮社闘争①/会社を〝コミューン〟にする?-現代思潮社闘争② 
Ⅴ 退社以後― それぞれの死/「旅」の終りに―内村剛介氏との〝再会〟
資料【全目次】


著者プロフィール
陶山幾朗(すやま・いくろう)
1940年、愛知県生まれ。1965年、早稲田大学第一文学部卒業。同年、現代思潮社に入社。1971年退社後、読売新聞社出版局を経て、学校法人椙山女学園に勤務。著書『シベリアの思想家-内村剛介とソルジェニーツイン』、編書『内村剛介ロングインタビュー・生き急ぎ、感じせく――私の二十世紀』。また『内村剛介著作集』(恵雅堂出版)全七巻を編集。現在、雑誌『VAV』を主宰。

PS あとから知ったのだが、著者はすでに2018年11月2日にお亡くなりになっていた(享年78)ことを知った。


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・・埴谷雄高も「現代思潮社」とは縁の深い作家であった


 
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2021年2月15日月曜日

書評『中央沿線の近現代史(CPCリブレ14)』(永江雅和、クロスカルチャー出版、2020)-JR中央線を利用している人必読

 
『中央沿線の近現代史(CPCリブレ14)』(永江雅和、クロスカルチャー出版、2020)は、東京駅から高尾駅まで、言い換えれば東京都心から東京西郊をつないでいる、JR東日本の中央線の沿線を駅周辺の開発と発展を描いた近現代史である。著者は「沿線史」という表現をつかっている。

中央線は、最初から東京駅が始発だったわけではない中野駅から立川駅まで真西に向かった直線であるのに対し、中野駅から東京駅までS字カーブになっている。これは「鉄道史」で語られる内容であり、知っている人も少なくないことだろう。 

この本が「沿線史」だというのは、駅ごとの開発の歴史について語っているからだ。中央線の沿線史は、20世紀初期に始まった歴史であり、現在進行形の歴史である。 鉄道そのもののルートの変更はないが、沿線の風景は変化していく。

中央線の沿線に住んでいる人や働いている人(・・私も含めてかつてそうだった人も)は、自分にかかわりの深い駅の記述は熱心に読むことだろう。私も、子ども頃よく利用していた吉祥寺駅、大学時代に利用していた国分寺駅と国立駅、米国から帰国後の住居に近くの荻窪駅や阿佐ヶ谷駅については、ひじょうに興味深く読んだ。 

ページ数の制限があって、どうしても個々の駅とその周辺にかんする記述が少なくなってしまうのはしかたない。とはいえ、自分がよく知らない駅と、その周辺について知ることができたのは有益だった。 

この本を読んでよくわかったのは、もともと蒸気機関車として始まった私鉄が国有化され、複線化と電化(1922年)と関東大震災(1923年)が、列車運行の効率性の向上と、東京郊外への人口流入を促進したことだ。いまからちょうど100年前のことになる。その意味でも、この100年の日本史を「沿線史」として描いていることになる。

このシリーズでは、すでにおなじ著者によって『小田急沿線の近現代史』と『京王沿線の近現代史』が書かれている。本書は、平行して走るこの2つの私鉄との比較がベースにある。次はどの鉄道を取り上げるのだろうか、大いに楽しみだ。

私としては、帝国陸軍鉄道部隊の演習用として敷設され、民間に払い下げ後の高度成長期には沿線開発が進んだ、千葉県西部の新京成電鉄を取り上げてほしいと思っているのだが、そうは問屋が卸すまい。

著者は、日本経済史が専門の専修大学経済学部教授。というより、個人的な話であるが、私にとって一橋大学合気道部の後輩でもある。




  

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2021年2月12日金曜日

書評『バンコクドリーム 「Gダイアリー」編集部青春記』(室橋裕和、イーストプレス、2019)-あの頃は熱かった

 
ミャンマーで2021年2月1日にクーデターが発生してから、ふたたび目が東南アジアが向かっている私だが、そんんなか自分自身の東南アジア体験を振り返ることのできる本に読みふけった。 


1974年生まれで就職氷河期にぶつかった著者が、せっかくつかんだ文春記者というポジションを捨て、タイのバンコクで伝説の雑誌「Gダイアリー」の編集者として過ごした、異様にまで熱くて濃厚な日々の回想録回想録といっても、遠い昔の話ではない。10年から10数年間の過去である。だが、それでも遠い話と感じるのだ。 

著者が「Gダイアリー」(略してGダイ)の編集部にいた2006年から2011年は、ちょうど私自身がバンコクで暮らしていた時期と重なるものがあるので、なつかしく思い出しながら読みふけった。

現地にいなくては体感できない空気と土地勘、そして同時代感覚。こうしたものを共有しているので、固有名詞だけでなく細部にわたるまでだいたいわかるからね。わかる人には、わかる世界。よく働き、よく遊んだ日々、いろいろありました。ここには書かないけどね(笑) 

「Gダイアリー」といってピンときたら、あなたは真の「アジア通」です(笑) 私もこの雑誌を毎月楽しみにしている愛読者でした。実用的でかつ、雑多な分野に及んだ豊富なコンテンツ。バンコクを中心にした東南アジア世界。まさに「エロからテロまで」(笑) 


この2006年から2010年にかけては、ちょうどバンコクが絶頂期から混乱期へとシフトしていった時期であり、「Gダイアリー」にとっても絶頂期から曲がり角の時期にあたっていたようだ。 

クーデターから始まってスワンナプーム国際際空港閉鎖などなど、ほんとえらい目にあったものだ。私の場合は、幸か不幸か2009年の前半にはバンコクを引き払って日本に帰国していたので、赤組と黄色組が全面衝突した市街戦には巻き込まれなかったのが。 

あとから振り返ると、あんな日々だったのだなあ、と思うのである。そういう本を読むと、なつかしい思いとともに、二度と繰り返されるはずのない、すでに過ぎ去った時代のことなのだな、という気持ちにもさせられる。ある意味では墓碑銘(エピタフ)のようなものだ。 

おそらく著者にとっても、さらに次に進むための気持ちの整理という意味もあったのだろう。貴重な内容の回想録をありがとう。 


 
 
目 次
はじめに-夢と冒険の書Gダイ 
第1章 GダイのGは「ジェントルマン」のG!? 
第2章 僕のドリームはバンコクにある、はず 
第3章 Gダイはエロ本か旅雑誌か 
第4章 タイの政変に翻弄される 
第5章 Gダイに集う奇人たち 
第6章 Gダイ絶頂! アジアの伝説となる 
第7章 バンコクのいちばん長い日 
第8章 さらばGダイ、さらばバンコク 
あとがき-Gダイアリーは死なず 
タイとGダイアリーの歴史 
Gダイアリー 特集とおもな連載

著者プロフィール
室橋裕和(むろはし・ひろかず)
1974年生まれ。「週刊文春」記者を経てタイ・バンコクに移住。タイ発アジア情報誌「Gダイアリー」、「アジアの雑誌」デスクを務め、タイを中心にアジア諸国を取材して10年間を過ごす。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。


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