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2021年1月31日日曜日

映画『マイノリティ・リポート』(2002年、米国)-「網膜情報」による近未来の「監視社会」のリアリティ


昨年2020年12月のことだが、映画『マイノリティ・リポート』(2002年、米国)を視聴。スピルバーグ監督と主演トム・クルーズのコラボ作品。146分が短く感じられる。この映画は、まだ見てなかったのだ。  

舞台設定は、2054年のワシントンDC。犯罪予防局が犯罪実行前に容疑者を逮捕するシステムのおかげで犯罪がゼロとなったユートピア状態。

犯罪予知を行うのは電極をつけられた、予知能力をもった3人の生身の人間。だが、これは2021年現在なら  AI に置き換えるべき設定だろう。 




網膜情報ですべてがコントロールされた世界。これは、もう間近に迫っている未来世界といっていいだろう。

だが、それはほんとうにユートピアなのか、それともディストピアか? 

すでに中国ではこのような監視社会化が進行していることは周知のとおり。中国以外もみな、じつは日本も含めてこの手の監視社会を志向しているようだ。

良い悪いは別にして、おそらく人間は慣れていくのだろうが・・・ 

いろいろ考えさせられる近未来ものSF映画である。


 


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2021年1月30日土曜日

書評『動物と機械から離れて-AIが変える世界と人間の未来』(菅付雅信、新潮社、2019)-久々に面白い本を読んだ気分になった。だが残念なことに最終章は・・・

 
久々に面白い本を読んだ気分になった。『動物と機械から離れて-AIが変える世界と人間の未来』(菅付雅信、新潮社、2019)という本だ。読んだのは比較的余裕ができた昨年2020年12月のことである。 

内容をかいつまんでいえば、国内外の人工知能(AI)開発の最前線の研究者たちにインタビューして回る旅。『WIRED日本版』の連載を1冊にまとめたものだ。この著者の前作『物欲なき世界』(平凡社、2015)が面白かったので期待して読んだが、今回も知的な期待に十分応えてくれる面白さだった。 


AI研究には「人間」とは何かという、そもそも論の問いが密接不可分

タイトルにある「動物と機械」というのは、その中間に位置するのが「人間」だという考えに基づいたものだ。AIの進化によって人間は「動物化」していくのか、それとも「機械化」していくのか

ある意味で哲学的な問いだが、これはAI研究には「人間」とは何かという、そもそも論の問いが密接不可分であることの反映である。第1章のタイトルが「AIとは何かを考えるとは、人間とは何かを考えること」であることに象徴的に表現されている。 

「自律性」とは? 「知能」とは? 「意識」とは? 「感情」とは?・・・こういった本質的な問いを避けて通れないのがAI開発の研究であり、あるいはAI研究をつうじて、こういった問いに迫ろうとしているのである。 


■AI研究者を訪ね歩いた旅の結論は・・

AI研究の世界的な中心は米国と中国であり、著者もまた米国西海岸のシリコンバレーと中国広東省の深圳を訪れて、さまざまな研究者や思想家たちと問答を行っている。

興味深いのは、米中の影に隠れて知られざるロシアの研究状況について1章を割いていることだ。ふだんあまり意識することがないだけに貴重な内容となっている。モスクワ郊外の研究開発都市スコルコヴォ’Skolkovo Innovation Center)である。ロシアの場合は、研究開発における政治との距離感がポイントだ。 

旅の成果である結論、第11章の「シンギュラリティは来ないが、ケインズの予言は当たる」に記されており、その結論は、常識的に考えて、まあそうだろうなというものとなっている。

ここでいう「ケインズの予言」とは、1930年の時点でなされた「100年以内に経済的な問題は解決する」という予言のことだ。2020年にパンデミックが発生したが、ペースが墜ちたとしても、ある程度までその通りとなるだろう。

シンギュラリティ(特異点)とは、2045年にはAIの能力が人間の知能を上回るという発明家カールワイルによる予測だ。著者とともに、第1章から第10章まで読んでいけば、「シンギュラリティは来ない」という結論になるだろう。これはある意味では「常識」的な見解といえよう。 

この本が興味深いのは、結論そのものよりも、さまざまな専門家の発言をじかに引用して掲載していることだ。立場によって真逆の発言もあって、AIをめぐる議論がまだまだ百家争鳴状態であることがよくわかる。その発言の1つ1つが知的な刺激を与えてくれるのだ。 


■だが残念なことに最終章は・・・

ところが、たいへん残念なことに最終章となる第12章「未来の幸福、未来の市民」では、これまでの議論とうって変わって、とたんに陳腐でつまらないものとなってしまう。「20世紀型発想のユートピア論」でしかないのである。帯に推薦文を寄せている水野和夫氏とおなじ発想だ。「朱に交われば赤くなる」ということだろう、おなじような傾向をもつお仲間たちが集まるのだろう。

シンギュラリティが来るか来ないかということは別にして、ユートピアを語るならいっそのこと、カーツワイルの『ポスト・ヒューマン』で展開された「シンギュラリティ」(特異点)のほうがはるかに面白い。オリジナルな思想だからだろう。だから、「20世紀のリベラル派」が大好きな「市民社会論」など、いまこの時点で持ち出す感性の鈍さが私には理解できないのだ。処方箋としてはまったくもって失格である。 

まあ、そういう残念な終わり方をする本であるが、第11章まではひじょうに面白い内容になっているので、繰り返しになるが、読む価値は大いにある本だといっていいだろう。 





目 次
まえがき
第1章 AIとは何かを考えることは、人間とは何かを考えること
第2章 「自律性」という広大な未知を探索する
第3章 世界最大のテック都市、深圳はAIに未来を託す
第4章 「わたし」よりも「わたし」を知っている機械
第5章 社会の複雑さに人間が追いつかず、AIが追いつこうとする
第6章 ロシアのシリコンヴァレーが示すAI競争という新たな冷戦
第7章 「意識とは何か」を考える意識
第8章 シリコンヴァレーの未来信者たちとその反動
第9章 仕事の代替は古くて新しい問題である
第10章 人間は素晴らしく、だらしなく動物である
第11章 シンギュラリティは来ないが、ケインズの予言は当たる
第12章 未来の幸福、未来の市民
あとがき
参考文献一覧

著者プロフィール
菅付雅信(すがつけ・まさのぶ)
編集者/株式会社グーテンベルクオーケストラ代表取締役。1964年宮崎県生まれ。『月刊カドカワ』『カット』『エスクァイア日本版』編集部を経て独立。『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』の編集長を務め、出版物の編集から内外クライアントのプランニングやコンサルティングを手がける。アートブック出版社ユナイテッドヴァガボンズの代表も務める。下北沢B&Bで「編集スパルタ塾」を主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2021年1月29日金曜日

書評『思想家ドラッカーを読む ー リベラルと保守のあいだで』(仲正昌樹、NTT出版、2018)ー ドラッカーをその出発点であった「保守主義」の「政治思想家」として捉える

 
 経営学者ドラッカーの名前を一度も聞いたことがないビジネスパーソンは、まずいないだろう。聞いたことがなくても「目標管理」(MBO:Management by Objective)の人といえばドラッカーのことであり、知らず知らずのうちにドラッカーのマネジメントを実践しているはずだ。 

ピーター・ドラッカーが2005年に亡くなってすでに15年たつが、いまだに日本では「経営学者」として名が通っている。本人は「社会生態学者」と名乗っていた。どうやらドラッカー自身の自己認識と他者認識にズレがあったようだ。 

経営学の範囲を超えた著作活動を行っていたことを考えれば、「社会生態学者」のほうがふさわしいのではないかと私も思っていたが、その理由はこうだ。 

1990年から足かけ3年(正味2年間)にわたって米国にMBA留学していたが、MBAの授業ではドラッカーの「ド」の字も聞いたことがなかったからだ。どうやら、1990年時点で経営学においてはドラッカーはすでに時の人ではなかったことに気づいたのである。 

この認識はドラッカーを「神」として敬ってきた日本ではまったく通用しなかったが、ドラッカー死後の2010年代に入ってから、ようやく日本でも意識されるようになってきた。 

米国帰りの気鋭の経営学者・入山章栄氏の『世界の経営学者はいま何を考えているのか-知られざるビジネスの知のフロンティア』(英治出版、2012年)が出版されてからだ。すくなくとも、米国を中心とした経営学の世界では、ドラッカーはメインストリームではないのだ、と。 


■ドラッカーをその出発点であった「保守主義思想家」として捉える

では、ドラッカーをどう評価していくべきか。その1つは、ドラッカーを思想家として見ることであろう。しかも、経営思想家が誕生する前提である政治思想家としてのドラッカーである。

それは、第2次大戦前夜から始まった社会主義とナチズム、ファシズムの時代を生き抜いた西欧人が、いかに保守主義の政治思想を形成し、大戦後の米国で経営学にたどり着いたかの軌跡を振り返ることになる。 

重要なことは、ドラッカー自身は経営者ではなかった、ということだ。ビジネス関係者ですらない。大学の教職にあった知識人だが、ビジネス界の組織人であったわけではない。回想録のタイトルにあるように「傍観者」(bystander)であり、実践ではなく、徹底した「観察」によって考察を深め、産業社会における「マネジメント」を思想として確立したことにある。 

その意味で、この『思想家ドラッカーを読む-リベラルと保守のあいだで』(仲正昌樹、NTT出版、2018)を読むと面白い。著者は、ドイツを中心にした思想史の研究者である。  

著者は、ドラッカーに心酔しているわけではない。むしろ、自己啓発書が嫌いで、商売やビジネスにかかわることは正直いって苦手、できればかかわりたくない(笑)という思想史の研究者だ。このスタンスは、みずからを「傍観者」と規定していたドラッカーには、意外とフィットしているかもしれない。

この本を読んでも、当然のことながらドラッカー経営学はわからないだろう。「経営思想史」にドラッカーを位置づけた本ではないからだ。ドラッカーのマネジメントが、いかなる「政治思想」の背景から生まれてきたかを跡づけたものだ。 

19世紀末の転換期に爛熟期を迎え、20世紀初頭の第1次世界大戦によって旧社会が崩壊するに至った西欧。そのど真ん中ともいえるドイツ語圏のウィーンで生まれ育ったユダヤ系のドラッカーを、同時代のウィーンから生まれた経済学者のシュンペーターやハイエク、カール・ポランニー(ただしブダペスト生まれ)と比較すると、なにが共通し、なにが相違しているのかをつうじて見えてくるものがある。ここにあげた経済学者たちは、いずれも欧州を去って米国に移り、それ以後は英語で著作活動を行っている「知の巨人」たちだ。 

仲正氏の本書で重要なのは、ドラッカー政治思想の原点ともいうべき、プロイセンの法学者シュタールの「保守主義」の政治思想をくわしく紹介しながら、ドラッカーがシュタールのなにを否定し、なにを受け継いだかを検討していることだ。この作業をつうじて、ドラッカーの「保守主義」思想が、英国のエドマンド・バークやフランスのトクヴィルから来たものではないことが理解されることになる。 


■なぜ日本ではドラッカーが「神」とされたのか

読み進めるうちに、なぜドラッカー経営学が、とくに日本では大いに受け入れられたのか、その理由がおぼろげながら理解されることになろう。 

一言でいってしまえば、それは個人と組織の関係である。社会変動によっってバラバラになってしまった個人に居場所を与える「共同体」としての組織。すくなくとも20世紀までは、この認識が有効に働いていたことは、「日本的経営」がブームとなっていた時代を知っている人には、大いに納得がいくものだ。 

だが、21世紀の現在、デジタル資本主義の急速な進展がドラッカー経営学を陳腐化していることは否定できない。ドラッカー自身も、みずからを経営学者であるよりも、社会生態学者として認識してほしいと願っていたのもそのためだろう。時代はすでにドラッカーをはるかに追い越している。 

とはいえ、ドラッカーのマネジメントに価値がまったくなくなってしまったわけではない。「共同体」としての性格が生きている事業体(それはビジネスに限らない)であれば、その有効性は現在でも大いにあるというべきだろう。ドラッカーの経営思想をノウハウ化してしまえば、それは有効な経営ツールとなる。 


本書『思想家ドラッカーを読む-リベラルと保守のあいだで』は、ドラッカーを経営学という狭い枠組みからはずして、20世紀後半の主要思想を構築した思想家として位置づけるための第1歩である。

ただし、繰り返しておくが、この本を読んでも、ドラッカー経営学はわからないことは言うまでもない。逆に、ドラッカーのマネジメントを知った上で読むと、面白さは倍加するといっていいのではないだろうか。異なる視点でドラッカーを解剖した内容の本となっているからだ。


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目 次 
まえがき 人文学者、ドラッカーを読む
第1章 ウィーンのドラッカー
 1 世紀転換期のウィーンとユダヤ人
 2 "傍観者" の視点とは
 3 「昨日の世界」からの離脱
 4 ドラッカーのフロイト観
 5 ポランニーの功罪
 6 ドラッカーの基本的スタンス
第2章 守るべきものとは何か? 
 1 法学徒としてのドラッカー
 2 保守主義者シュタール
 3 ヘーゲルからシュタールへ
 4 「法治国家」とは何か?
 5 保守主義と革命のあいだで
 6 保守主義的国家論とは何か?
 7 ドラッカーと「ユダヤ人問題」
第3章 なぜファシズムと闘うのか? 
 1 ファシズム全体主義とは何か?
 2 マルクス主義はなぜ大衆を裏切ったのか?
 3 ブルジョワ資本主義の落とし穴
 4 「脱経済化」するファシズム
 5 「第三の道」としての産業社会
 6 株式会社という権力
 7 「自由」が生み出す正統な権力
 8 保守主義と「産業社会の未来」
第4章 思想としての「マネジメント」 
 1 ドラッカーの経済思想
 2 「イノベーション」の思想史的意義
 3 「イノベーション」のための組織とは
 4 分権的組織の共同体的意義
 5 マネジメントの社会的責任をめぐって
終章 弱き個人のための共同体としての企業
さらに深めたい読者のためのブックガイド
関連年表
あとがき


著者プロフィール
仲正昌樹 (なかまさ・まさき)
1963年、広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究博士課程修了(学術博士)。 現在、金沢大学法学類教授。文学や政治、法、歴史などの領域で、 アクチュアリティの高い言論活動を展開している。 著書に『今こそアーレントを読み直す』 (講談社現代新書)、『いまこそハイエクに学べ』(春秋社)、 『日本とドイツ 二つの全体主義』(光文社新書)、『現代ドイツ思想講義』(作品社)、 『集中講義!アメリカの現代思想』(NHKブックス)、『精神論ぬきの保守主義』(新潮選書)、 『現代思想の名著30』(ちくま文庫)など多数。


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2021年1月28日木曜日

書評『イケアの挑戦-創業者(イングヴァル・カンプラード)は語る』-IKEA 創業者の知られざるライフストーリーをスウェーデン近現代史のなかで描く

 
昨年2020年12月のことだが、ようやく8年かかって1冊の本を読み終えた。8年かかったというよりも、8年前に読み始めて中断したまま、8年後にふたたび最初から読み始めて読み終えたというのがほんとうのところだ。 

その本のタイトルは、『イケアの挑戦 創業者(イングヴァル・カンプラード)は語る』(バッティル・トーレクル、楠野透子訳、ノルディック出版、2008)。スウェーデン生まれの、家具量販店を中核にしたユニークな「ライフスタイル小売業 IKEA」 とその創業者のライフストーリーだ。

IKEA とは、創業者イングヴァル・カンプラード(I.K.)と、自分が育った農場のエルムタリュード(E)、出身地のアーギュンアリュード(A)の頭文字をあわせたネーミングだ。母音で終わる「イケア」は日本語みたいな響きがあって、日本語人には違和感がない。英語圏では「アイケア」発音する。

現在の本社はオランダにあり、複雑な株主構成によって「非上場」を貫いているグローバル企業だが、商品名のスウェーデン語だけでなく、原点であるスウェーデン南部の記憶がしっかりと刻み込まれているわけだ。けっして原点を忘れないことが、ユニークさを生む源泉となっているわけだ。「IKEA = 北欧家具」という連想は、その逆も含めて世界中で浸透している。 

イングヴァル・カンプラードといっても、関係者でなければ、すぐにIKEAの創業者だとすぐにわかる人は、きわめて少ないだろう。私もその一人だが、創業ストーリーというものは、洋の東西を問わず面白い。しかも、自伝ではなく、徹底的な取材をもとに作家が書いた伝記だけに、内容の信憑性も高い。 

この人も例に漏れず、きわだった個性の持ち主だったことがわかる。ある種の変人でなければ起業を成功させることはできないのである。創業者カンプラードが地元ではじめたビジネスは、保守的な業界との軋轢を生み、さまざまな妨害を受けながらも、消費者の圧倒的な支持を得て拡大していく。

根っからの商売人であったが、子どもの頃から「価格」と「価格差」に異常なまでの関心の強かったこの人が、廉価で機能的な家具をカタログ通販するビジネスを大規模小売業へと発展、さまざまな困難を乗り越えるなかで形成されたビジネスモデルが、1960年代におけるシンプルなライフスタイルという価値観の変化とうまく合致して、ヨーロッパを越えてグローバルな展開を可能にしていった。 

創業者カンプラードのライフスタイルは、アメリカの大規模小売業ウォルマート(Walmart)の創業者サム・ウォルトンとよく似ている。億万長者になっても、ケチでシンプルなライフスタイルが貫かれている。 

巻末に付録として収録されている「ある家具商人の書」が重要だ。創業者自身が書いたものだ。内容は大きくわけて「1. イケア製品-当社のアイデンティティ」「2. イケア精神-力強く生き生きとした毎日」となる。IKEAのアイデンティティと理念が集約されており、大いに納得する内容である。

そしてまたこの本は、ドイツからスウェーデンに移民した家族に産まれた子どもがたどったスウェーデン現代史でもある。厳しい風土が人間を鍛えるのである。入植した頃は、石ころだらけの痩せた土地だった。

中立国であったため、二度の世界大戦を経験せずに済んだスウェーデンだが、第二次大戦中に「新スウェーデン主義」というナチズムの運動にかかわった創業者の過去が蒸し返されるなど、日本ではあまり知られてないスウェーデン現代史も興味深い。とはいえ、あまりぴんとこない話も多々あることも否定できないが。 

基本的に郊外型立地のIKEAだが、昨年2020年に入ってから都心型の店舗展開を始めたとニュースになっている。日本におけるIKEA発祥の地は東京ベイエリアの船橋であり、私自身 IKEAには特別な親しみを感じてきた
(*第1回目の日本進出は失敗したが、2度目は成功。IKEAは船橋と縁が深いのだ。IKEAは駅をはさんでららぽーとの反対側にある)。 

「デザイン重視」だが、廉価で機能的というIKEAを貫く合理主義は、北欧ならではのようだ。デンマークの低価格雑貨店が日本から徹底とのニュースもあるが、低成長時代には「北欧」スタイルが日本にもフィットしてきたのかな、という印象がある。 

しかも弱肉強食のアメリカ型資本主義ではない、ファミリーを重視した北欧型の資本主義。日本が向かうべき方向は、後者ではないだろうか。そんなことも考えてみる。





目 次 
前書き
発端には堆石(たいせき)があった
第1部 一人の移民と彼の息子 1894年から1943年 
第2部 頭角を現した起業家 1943年から1953年 
第3部 やっかいな資本家 1953年から1973年 
第4部 出移民 1973年以降 
第5部 転換期のリーダーシップ 
第6部 大いなる飛躍 市場のほとんどは手つかずのままだ! 
第7部 イングヴァル・カンプラードとは?イケアとは? 
「ある家具商人の書」
イングヴァル・カンプラードとイケアの主要年史 
国ごとのイケア店舗(2006年現在) 

著者プロフィール
バッティル・トーレクル(Bertil Torekull)
スウェーデンで著名な作家、ジャーナリスト。日刊紙「スヴェンスカ・ダーグブラーデット」(SvD)「週刊ビジネス」(Veckans Aff¨arer)などの編集長を務める。日刊紙「今日の産業」(Dagens Industri)などを創刊。ビジネス関連その他、著書多数。




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2021年1月27日水曜日

書評『異文化理解力-相手と自分の真意がわかるビジネスパーソン必須の教養』(エリン・メイヤー、樋口武志訳、英治出版、2015)-ビジネスパーソンにとって真の「教養」となる「急がば回れ」の方法論

 
最近、その分野ではベストセラーかつロングセラーになっている本を読むことにしている。売れ続けている本とは読まれている本のことであり、それにはそれぞれ理由があるはずだからだ。 

今回はビジネスにおける異文化コミュニケーションの好著『異文化理解力-相手と自分の真意がわかるビジネスパーソン必須の教養』(エリン・メイヤー、樋口武志訳、英治出版、2015)。この本も気になっていて購入はしていたものの、しばらく積ん読状態となっていた。  

というのは、自分が以下のようなビジネス人生を送ってきたからだ。 


そんな時代には、米国の文化人類学者エドワード・T・ホールによる異文化理解のための本が、「実用書」としてよく読まれていた。当時は現在のように「ビジネス書」というジャンルが巨大化していなかったと思う。

私自身もその手の本はよく読んでいたし、実際にさまざまな国の人たちと公私の別なくかかわるようになってからは、異文化コミュニケーションは試行錯誤を経ながら実地で学んで、それなりにわかったつもりになっていたからだ。 

ところが、この本を読み始めたら、一気に魅了されてしまった。 日米間や日中間のような二国間の異文化問題ではなく、グローバル企業の多国籍状態の異文化コミュニケーション問題に本格的に対応した内容だったからだ。 

ビジネスの現場で遭遇する具体的な事例が万遍なく豊富に散りばめられており、しかもアドバイスがきわめて実際的で実践的だからだ。著者はもともと米国出身で、フランス人の配偶者とパリで暮らしている。著者の専門は、異文化マネジメントに焦点をあてた組織行動論である。 

ベースにあるのは、自分から見た異文化に対するリスペクトの意識である。敬意と礼節を踏まえたコミュニケーションが相手にアクションを促し成果をあげることにつながる以上、相手が属する異文化の背景と特徴を知ることは「急がば回れ」のマインドセットであり、ビジネスパーソンにとっての「教養」となるのである。飾りとしての「知識」ではなく、ビジネス界を生き抜くために必要な「教養」という意味において。


■「カルチャーマップ」でコミュニケーション問題を考える

本書の原題は "The Culture Map: Breaking Through The Invisible Boundaries Of Global Business”  である。「カルチャーマップ」とは、「見えない障壁」となっている「文化の壁」を8つの要素で見える化したものだ。以下のとおりである。 

1. コミュニケーション(ローコンテクストかハイコンテクストか) 
2. 評価(ネガティブ・フィードバックが直接的か間接的か) 
3. 説得(原理優先か応用優先か) 
4. リード(平等主義か階層主義か) 
5. 決断(合意志向かトップダウンか) 
6. 信頼(タスクベースか関係ベースか) 
7. 見解の相違(対立型か対立回避型か) 
8. スケジューリング(直線的な時間か柔軟な時間か) 

このように8つの要素で分析すると、単純でステレオタイプな文化理解がいかに浅はかなものか実感されるし、異文化間の違いがあくまでも相対的なものであることも実感されることになる。 

日本文化がどう位置づけされるかは直接本文を読んで確かめてみてほしいが、この本で有益なのは、日本人にとっての自文化と異文化の違いだけでなく、自分にとっては異文化どうしの関係についても理解できることだ。 

たとえば、アメリカ人とドイツ人の違いなど、日本人からみると意外な感じさえするのである。これはぜひ読んで確かめてみてほしい。欧米人とひとくくりにするのが無意味であるだけでなく、西欧人のあいだでも差異は大きいのである。もちろん言うまでもなく、アジア人のあいだの差異も大きい。 


■日本人と中国人の文化ギャップの大きさ

圧巻は、エピローグの「4つの文化のカルチャーマップ」であろう。フランスの自動車部品メーカーのバイスプレジデント(VP:日本企業でいえば部長クラス)の、深刻で切実な訴えに対する著者の回答とアドバイスだ。 

どういう訴えかというと、そのVPが率いるチームでもっとも深刻な課題は、フランス人と日本人や、フランス人と中国人のあいだではなく、中国人と日本人のあいだにあるものだという。 

その課題に対して、著者は「カルチャーマップ」の「8つの要素」で分析し、中国人と日本人が似て非なる存在であることを、じつに見事に「見える化」している。似て非なるとは、似ている側面と異なる側面の双方が存在するということだ。 


日本語タイトルの副題が「相手と自分の真意がわかるビジネスパーソン必須の教養」となっているが、本書で展開されている内容こそ、まさに「教養」というものだろう。「教養」とは、単なる「知識」ではないのである。勘違いしないことが重要だ。

「多国籍=多文化状態」のなかで仕事をしている人はもちろん、直接かかわっていなくても、異文化コミュニケーション問題に関心のある人は読んでまったく損のない本として推奨したい。 





目 次 
イントロダクション
1 空気に耳を澄ます-異文化間のコミュニケーション
2 様々な礼節のかたち-勤務評価とネガティブ・フィードバック
3 「なぜ」VS「どうやって」-多文化世界における説得の技術
4 敬意はどれくらい必要?-リーダーシップ、階層、パワー
5 大文字の決断か小文字の決断か-誰が、どうやって決断する? 
6 頭か心か2種類の信頼とその構築法 
7 ナイフではなく針を-生産的に見解の相違を伝える 
8 遅いってどれくらい?-スケジューリングと各文化の時間に対する認識
エピローグ
詳細目次


著者プロフィール
エリン・メイヤー(Erin Meyer)
フランスとシンガポールに拠点を置くビジネススクール、INSEAD客員教授。異文化マネジメントに焦点を当てた組織行動学を専門とする。異文化交渉、多文化リーダーシップについて教鞭をとり、グローバル・バーチャル・チームのマネジメントや、エグゼクティブ向けの異文化マネジメントなどのプログラム・ディレクターを務めている。世界で最も注目すべき経営思想家のひとりとして、「Thinkers50」ほかで紹介されている。


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2021年1月26日火曜日

書評『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子、文春新書、2021)-認知症になっても「在宅ひとり死」は可能!

 

この本は、やさしく書かれているがデータを駆使した社会学の本でもある。自分の生き方そのものを研究テーマにしているわけだ。現在72歳の社会学者である上野氏は、「孤独死」という表現には違和感を示して、「在宅ひとり死」を提唱している。

わたくし事であるが、昨年2020年4月に父が亡くなってから、母も「おひとりさま」となったわけだが、その後も住み慣れた自宅で過ごしている。息子である自分は同居していない。お互いそれがいちばんいいと思っている。現在のところ認知上の問題はなさそうだ。 


母は、最後は介護施設に移るといっているのだが、上野千鶴子氏の「おひとりさまの老後」シリーズの最新の本を読むと、かならずしも最期を施設で迎える必要はなさそうだ。しかも、認知症になっても在宅死は問題ないのだと。 

というのは、著者によれば、介護保険制度20年の歴史で、ずいぶん現場には経験が蓄積されているからだ。しかも、かつては「ぼけ」といっていた認知症は誰もがなる可能性が高い。それだけでなく、施設に入ったことで、かえって症状を悪化させるケースも多い。

誰だって住み慣れた自宅にいたいというのが本望だろう。誰が、なにも好き好んで年取ってから、あらたな人間関係の構築が必要な施設に移りたいと思うのだろうか。施設内での虐待のニュースも報道で耳にすることも多いではないか。

現時点では、まだ自分自身の問題ではない(と思って)いても、人間は間違いなく100%死ぬのであるから、いずれこの問題にはきちんと対応しなくてはならなくなる。

誰が言ったか忘れたが、「よく死ぬことは、よく生きることである」からだ。 だからこそ、こういう本を読むことは、生きるうえで重要な「教養」となる。平均寿命の長い女性は言うまでもなく、男性も自分事として読むことを薦めたい。 



目 次
はじめに
第1章 「おひとりさま」で悪いか?
第2章 死へのタブーがなくなった
第3章 施設はもういらない
第4章 「孤独死」なんて怖くない
第5章 認知症になったら
第6章 認知症になってよい社会へ
第7章 死の自己決定は可能か?
第8章 介護保険が危ない
おわりに

著者プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)
1948年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクショネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で、40年間、教育と研究に従事。著書に『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『女ぎらい』(紀伊國屋書店)、『ケアの社会学』(太田出版)、『サヨナラ、学校化社会』など多数。母親の育児問題、独身女性の介護問題など、日本が抱える諸問題に対して話題作を出している。


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