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2023年3月28日火曜日

『頭山満講話 立雲先生 大西郷遺訓(全)』(雑賀博愛編、土曜文庫、2019)を読む。西郷を語ってこれを越える講評なし

 

『頭山満講話 立雲先生 大西郷遺訓(全)』(雑賀博愛編、土曜文庫、2019)を読む。100ページに満たない、文庫本サイズの小冊子である。  


初版は1925年(大正14年)。いまから100年近く前のものだ。西郷隆盛死してすでに150年に近い。

『西郷南洲遺訓』といえば、「幾たびか辛酸を経て志始めて堅し」である。座右の銘と言うべきか、この文言は心に刻みつけている。 

大学時代に夢野久作にはまって、その作品のほぼすべてを読み尽くしたこともあって、久作の父であった杉山茂丸、そしてその盟友であった頭山満のこともよく知るにいたった。いずれも福岡の人たちである。もともと個人的には中道ではあるが、高校時代から右派的心情の持ち主であるからだ。 

頭山満翁の人となりとエピソードの数々については、わが愛読書の1冊である夢野久作の『近世怪人伝』を繰り返し読んでよく知っていた。何をした人かではなく、その存在そのものが意味をもっていた人物だ。 



とはいえ、講話というかたちで、頭山満のまとまった発言や談話を読むのは今回がはじめてのことだ。維新史を研究していた記者が、頭山満から一対一で聴き取ったものである。 

維新の動乱のなか、西郷隆盛を慕っていたが、獄中にあったために西南戦争にはせ参じることのできなかった頭山満その悔しい思いが、すべての原点にある。 

その講評は、西郷隆盛の「敬天愛人」に代表される遺訓を踏まえ、人の道を説きながら、同時代の政治と社会のていたらくを批判したものだ。 

その長い人生のなかで出会った人物たちの発言やエピソード、その豊富な体験から抽出された感懐は、真っ当であるのみならず、ときにそのユーモアに満ちた語り口には笑わされもし、大いに読ませるものがある。 

西郷隆盛の遺訓に劣らず、じつに味わい深く、大いに納得させられるものがあるのだ。これからなんども折に触れ、繰り返し味読したいものと思う。 

評論家の松本健一氏には頭山満の評伝がある。『雲に立つ ー 頭山満の「場所」』(文藝春秋、1996)がそれである。タイトルは頭山満の号であった「立雲」からとったものだ。残念ながら文庫化されることなく、埋もれてしまって現在に至る。  

頭山満はつねづね若い人たちに「一人で居ても寂しくない男になれ」と語っていたという。それは、孤独に強いという意味以上のものであるようだ。わたくしもかくありたしと、自らに言い聞かせて今日に至っている。 




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2023年3月27日月曜日

「セイコーミュージアム銀座」で時計の歴史を知る(2023年3月25日)ー 「企業ミュージアム」はパブリック・コミュニケーションとしてすばらしい取り組みだ

 
銀座といえば4丁目の交差点にある和光本館の時計塔が有名だが、そのおなじ銀座4丁目に「セイコーミュージアム銀座」がある。以前は墨田区にあったものが、2年前の2020年に銀座の一等地に移転したのである。 

先日(2023年3月24日)のことだが、移転後の「セイコーミュージアム銀座」にはじめて行ってきた。墨田区にあった時代にその近くまで行ったことがあるが、その日はあいにく定休日だった。  

「入場無料」だが「完全予約制」なので、事前にウェブサイトから予約しておく必要があるのは、スペースが狭いから収容可能人数に限りがあるためだ。これは実際に訪問してからわかった。 

受付で名乗ると「佐藤さま、お待ちしておりました」と、なんだか高級ホテルのような接客である。さすが銀座だな。簡潔だが丁寧な説明を受けてから、さっそく視察に入る。 

ミュージアムは、地下1階から5階まで時計の歴史と服部時計店(=精巧=セイコー)の歴史を、具体的なモノ、つまり時計の実物の展示をつうじて知ることができる。

5階から1階ずつ下りながら見ていく。各階ごとのスペースは狭く、しかも移動手段がエレベーターしかないのは不便であるが、それは仕方ない。なんせ銀座の一等地なのだから。

個人的に関心があるのは、当然のことながら「機械時計」の歴史である。13世紀に生み出された機械時計は、まさに中世ヨーロッパのキリスト教文明の産物。修道院における祈りの時間を正確に知り、告知するのが目的であった。天体の動きを歯車の回転で表現する機械時計は、イスラーム文明の産物ではないのである。 

(3階は「和時計」を中心に展示 筆者撮影)

このミュージアムでも、「和時計」のコレクションが充実している。近代日本の時計産業は、まさに創業者である企業家の服部金太郎によって始まったものだが、その前史として江戸時代の「和時計」があったからだ。 

東京にある「和時計」のコレクションは、これで3つ見たことになる。谷根千にある私設の「大名時計博物館」、そして上野の「国立科学博物館」、そしてこの「セイコーミュージアム銀座」である。 

機械時計による物理的時間を、季節によって昼夜の時間が変化する「不定時法」に変換する技術を織り込んだ「和時計」。 

明治維新後の「西欧近代化」のなか、太陽暦と定時法の採用によって、ガラパゴス化して無用となってしまった「和時計」だが、日本人の創造性の重要な証拠として捉える必要があるのだ。 



ミュージアムでは、その「和時計」について記したパンフレットが無料で入手できる。ただし、日本語版はなく英文版のみである。題して "The World of Japanese Traditional Clock" 。なかなか充実している。訪問客は、かなりの割合で外国人観光客が多いからだろうか。 

その前を通りかかったから、ちょっと寄ってみたというわけにはいかないが、事前予約さえしておけば確実に観覧できる時計の歴史と、日本における時計産業について知ることのできる「企業ミュージアム」であった。 

企業広報のパブリック・コミュニケーションとしては、すばらしい取り組みというべきであろう。銀座の一等地にありながら、直接収益を生み出すわけではない施設にお金をかけているのだから。





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2023年3月26日日曜日

こぶし

 

花から先に咲く「こぶし」。
花が散ってから芽が出るのは、
ソメイヨシノとおなじ。 

真っ白な「こぶし」の花。
白い鳥が群れて飛んでいるようだ。 

先日の春の嵐でどうなったかは、知らない。 


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2023年3月25日土曜日

つくし

 
「土筆」と書いて「つくし」と読む。まさに土からにょっきりと生えてきた筆のようだ。

宇宙の法則によって季節は循環し、ふたたび春が巡ってくる。

ものみな芽吹く春。重力に逆らって、太陽光に向けて垂直に伸びてゆく。

萌え出づる春になりにけるかも。
 

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2023年3月23日木曜日

書評『頼山陽とその時代 上・下』(中村真一郎、ちくま学芸文庫、2017)ー 漢詩漢文の背後に立ち現れてくる江戸時代後期の知識階層と文人たちの豊穣な世界

 
『頼山陽とその時代 上・下』(中村真一郎、ちくま学芸文庫、2017)を読了。上下あわせて千ページを超える大冊を読み終えるのに1週間もかかってしまった。  

下巻の巻末の人名索引を利用して、必要な部分だけ読めばいいと思っていたのだが、それではもったいない、最初から全部読んでみようと思って読み始めたら、思ったより時間がかかってしまったのだ。 

それは、この本が分厚いだけが理由ではない。江戸時代後期に生き、漢詩・漢文をよくした頼山陽(らい・さんよう 1781~1832)が遺した作品だけでなく、その家族や一族、交友関係や弟子たちにいたるまで、網羅的にその作品をつうじて理解すべく、膨大な量の漢詩漢文が取り上げらているからだ。

いずれも原文は読み下しされているとはいえ、漢文読み下し文を読みこなすのは、なみたいていのことではない。 

(頼山陽の一般に知られているのとは違う肖像画 Wikipediaより)


1971年に単行本初版がでたこの本は、いまやすでに古典といっていいのであろう。読みながらそう思ったし、読み終えたあとは、よりいっそうその感を強くしている。なぜなら、一般的に流通している頼山陽のイメージを一変させた内容となっているからだ。 

頼山陽というと、どうしてもそのライフワークで、幕末の志士たちを奮い立たせたベストセラー『日本外史』の著者であり(・・さすがに読んではないが)、「鞭声粛粛夜河を渡る・・」で始まる「川中島」などの漢詩(・・といっても、自分は詩吟をやるわけではない)の豪放磊落なイメージが固定化している。 

また、個人的には、頼山陽というと、灘の銘酒「剣菱」というイメージが大学時代に形作られてしまっている(・・なぜかわたしが属していた体育会合気道部では「酒は剣菱」と決まっていたのだ)。 

ところが、文学者の中村真一郎氏の代表作の一つともいうべき本書を読むと、頼山陽と文人が、そんな固定観念ではひとくくりにはできないような人物であったことがわかってくる。 

巻末の結びともいうべき文章を引用しておこう。この作家が、重度の神経障害を患ったという、きわめて個人的な関心から接近したのが頼山陽なのであった。 

アンシクロペディスト的な教養と趣味。そして多くの性格的欠点を有し、やり直すことのできない人生に、多くの致命的な失敗を演じて、生涯を悔恨の堆積たらしめ、しかも執拗な神経障害のために、絶えず躁と鬱との状態を繰り返して、感情の平衡を保つことのできなかった人物。その病状のために時に、感覚の粗大と鈍感さとを免れなかった人物。しかしまた極度の自己中心主義によって、結局は己れの欲するままの生活を貫き通した人物。知性の快楽と官能の快楽を同時に追い求めて飽きなかった人物。そうした錯綜とした人格、頼山陽を長年の追尋の後に、私は遂に懐かしく想うようになって来つつある。ーー

人間的な、あまりにも人間的な、というべきであろうか。そんな人物が、江戸時代後期の19世紀前半の日本にいたのである。たかだか200年前のことに過ぎないのである。 

漢詩・漢文というベールをはぎとってみて、初めてわかる当時の知識階層の世界現代の日本人にとっては「教養の欠落部分」であり、それはわたしにもまた例外ではない。 

どうも俳句や川柳や浮世絵といった町人文化で江戸時代を見ることに慣らされてしまっている現代の日本人は、かつて漢詩漢文や文人画に代表される世界もまた存在したのだということを知る必要がある。そう強く思うのだ。 

そして、それはきわめて豊穣な世界であったこともまた。 




目 次
第1部 山陽の生涯 
 まえがき 
 1 病気と江戸遊学 
 2 病気と脱奔 
 3 病気その後 
 4 遊蕩と禁欲 
 5 女弟子たち 
第2部 山陽の一族 
 まえがき 
 1 父春水 
 2 春水の知友 
 3 山陽の叔父たち 
 4 山陽の三子 
 5 三つの世代 
第3部 山陽の交友 上 
 まえがき 
 1 京摂の友人たち(第1グループ) 
 2 京摂の敵対者たち(第2グループ) 
 3 西遊中の知人たち(第3グループ) 
第4部 山陽の交友 下 
 1 江戸の学者たち(第4グループ) 
 2 江戸の文士たち(第5グループ) 
 3 諸国の知友(第6グループ) 
第5部 山陽の弟子 
 まえがき 
 1 初期の弟子たち(第1グループ) 
 2 慷慨家たち(第2グループ) 
 3 晩年の弟子たち(第3グループ) 
 4 独立した弟子たち(第4グループ) 
第6部 山陽の学藝 
 まえがき 
 1 『日本外史』 
 2 『日本政記』 
 3 『日本楽府』 
 4 『新策』と『通議』 
 5 『詩鈔』と『遺稿』 
 6 『書後題跋』 
後記 
解説(揖斐高) 
付録 略年譜 頼家略系図 人名索引 

著者プロフィール
中村 真一郎(なかむら しんいちろう)
1918年(大正7年)3月5日生まれ、1997年(平成9年)12月25日没。日本の小説家・文芸評論家・詩人。加藤周一らと共に「マチネ・ポエティク」を結成し、共著の時評『1946・文学的考察』で注目される。『死の影の下に』(1947年)で戦後派作家の地位を確立。ほかの作品に『四季』4部作(1975~84年)など。(・・・中略・・・)
1957年に妻の元文学座女優・新田瑛子が幼い娘を残して世田谷区の自宅で睡眠薬自殺をしたことをきっかけにして、精神を病み、電気ショックの療法を受けて、過去の記憶を部分的に失い、その予後として、江戸時代の漢詩を読むようになってから、今までの西洋の文学に加えて、漢文学の要素が作品に加わっていくようになった。(・・・中略・・・)
1970年代以降は、江戸時代後期の漢文学への造詣を基盤にした評伝『頼山陽とその時代』(中央公論社)を刊行をはじめ、近世日本漢文学史の見直しのきっかけを作る。その後も著述を続け、『蠣崎波響の生涯』(読売文学賞受賞)、遺作となった『木村蒹葭堂のサロン』の浩瀚な評伝を著した(各・新潮社) (Wikipediaの記述による)



PS 第1部の「まえがき」より

重度の神経障害を病み、その治療を兼ねて10年あまりにわたって、江戸時代後記の漢詩を読みあさってきた著者の感慨である。

今まで、人は生まれて、仕事をして、死んで行く、という経過が、ひとつの完成した作品のように見えていたのが、そうではなくて、無数の可能性の中途半端な実現の束が、人の一生なのではないか、と思われてきたのだった。殆どの人間の人生が中断なのではないか。ーー

いまのわたしには、著者のこの感慨は、じつに刺さるものがある。  


PS2 知られざる人物の掘り起こしとしても

個人的には、丹後田辺藩の儒者・野田笛甫(のだ・てきほ 1799~1859)の存在を知ったことは大きい。生まれ故郷の人に、そんな人がいたとは知らなかった。


こういった知られざる人は、もっともっと掘り起こすべきだろう。



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2023年3月16日木曜日

山桜こそ本来の桜。葉桜もまたよきかな(2023年3月16日)

(臼井城趾公園にて2023年3月11日写す)

花と葉が同時にでるのが山桜。花と新緑、そのいずれもが美しく。生命(いのち)を感じさせる。 

敷島の 大和心を 人問はば 
朝日に匂ふ 山櫻花 (本居宣長) 

明治時代以降、現在の日本では東京の染井生まれのソメイヨシノ(=染井吉野)が主流になっているが、ほんらいの桜はヤマザクラ(=山桜)である。 

国学者・本居宣長のかの有名な歌では、けっしてソメイヨシノを想起しないように! 

ただし上掲の写真はベニヤマザクラ(=紅山桜)で、ヤマザクラそのものにはあらず。日本の自生種ではあるが、ヤマザクラよりやや花が大きく紅がかったもの。






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2023年3月12日日曜日

映画『ベネデッタ』(2021年、フランス)ー 時代転換期であった 17世紀初期のイタリアの女子修道院で起きた「奇跡」と「事件」について映画と原作の関係を考えてみる

 
先日(2023年3月9日)のことだが『ベナデッタ』(2020、フランス)という映画を見てきた。有楽町のヒューマントラストシネマにて。  

17世紀初期のイタリアは中部の都市フィレンツェ近郊の町ペーシア(Pescia)の女子修道院を舞台に、実在の修道女ベネデッタ・カルリーニ(1590~1661)の生涯をもとにした歴史サスペンスものである。イタリアものだが、フランス映画なので音声はフランス語である。 

幼くして両親と別れて修道院に入った修道女が、神秘体験としての聖痕など数々の奇跡によって有名になっていく。イエスや天使を幻視し、聖痕(スティグマータ)を受け、さらにはイエスに心臓を奪われ、3日後に戻されるという奇跡の数々。 

そのおかげで修道院長になった主人公だが、神秘体験にかんしては修道院の内部から疑惑がもたれ、ついには教会上層部からの審問にかけられることになる。 

その審問プロセスのなかで明らかになっていったのは、奇跡が次作自薦の捏造だという疑惑と、若き修道女との同性愛疑惑であった・・・ 


■原作の歴史書について 

映画の内容はそんなところだが、この映画には原作があることを知った。 

『ルネサンス修道女物語 ー 聖と性のミクロストリア』(ジュディス・ブラウン、ミネルヴァ書房、1988)がそれだ。いままでその本のことはまったく知らなかった。大学学部では西洋中世史をやっていたのだが、すでにビジネスマンになっていたからか、17世紀だから関心がなかったのか・・。

映画は原作の忠実な再現ではないようだ。そういうことなら、ぜひ映画と原作を比べてみたい、原作に描かれている歴史的事実を知りたいと思ったが、残念なことにこの日本語訳は現在のところ「入手不能」になっている。 

それなら原文で読んでみるかと、Immodest Acts: The Life of a Lesbian Nun in Renaissance Italy,  by Judith C. Brown, Oxford University Press, 1986 を入手し、通読してみることにした。  

タイトルを直訳すると『不謹慎な行為 ー ルネサンス期イタリアのレズビアン修道女の生涯』となる。 推薦文を寄せている17世紀フランスを専門とするナタリー・デイヴィス氏は日本でも『マルタン・ゲールの帰還』(・・これまた映画化されている)の著者としてよく知られているが、著者のジュディス・ブラウン氏もまた米国人の女性歴史家である。


■映画より原作のほうがはるかに面白い!

感想としては、正直いって映画より原作のほうがはるかに面白い。 

映画はビジュアル・エフェクト狙いが強すぎて、まあ21世紀の観客にはいいのだろうが、映画からは時代背景も主人公が置かれていた状況もよくわからないので、イマイチ内容を正確に理解するのがむずかしい。下手するとB級映画的なキワモノで終わってしまいかねないテーマでもある。 

まず重要なことは、17世紀初頭のイタリア社会とカトリック教会が置かれていた状況が大きな意味をもっていることだ。

17世紀は時代の転換期であり、宗教が支配した中世と近代的な懐疑的知性が芽生えてきた近世の端境期であった。 

西欧社会で16世紀にはじまった「宗教改革」によって、カトリック教会はプロテスタント側からの執拗な攻撃にさらされていただけでなく、カトリック内部からの改革を生んでいる。

「カトリック改革」のなかから生まれてきたのがイエズス会であり、主人公のベナデッタが所属していたテアティノ会であった。 

修道院が当時のイタリア社会にもっていた位置づけと意味については、17世紀半ばのイタリア北部のミラノとその近郊を舞台に描いた『いいなづけ」でも見ることができる。主人公の若い夫婦のうち、新婦が保護してもらうことになったのが女子修道院であった。

修道院内部に世俗の人間関係が持ち込まれるために生じるコンフリクト奇跡が有名になると、その修道院が有名になってカトリック教会内部でのポジションも向上する。 

だからこそ、つぎからつぎへと奇跡が発生するが、その多くがフェイクと判明したのであり、主人公のベナデッタも内部告発によって二度にわたって審問にかけられるのである。 

中世であったなら、おそらく聖者になったかもしれないベネデッタだが、時代はすでに近世(=初期近代)に入っていたのだ。 

改革志向のカトリック教会が推奨していたのは、イグナティウス・ロヨラのような世俗社会でも信徒の模範となるような人物であり、幻視や奇跡を神秘家ではなかったのである。

とはいえ、一般民衆は、教会上層部の意向に反して、そういう神秘家を敬愛して信仰の対象としていたのである。そこに支配階層(=知識階層)と無学な一般大衆とのあいだで大きなズレが生じる。 

ベナデットの審問プロセスのなかで浮かびあがってきたのが、修道院内部での同性愛疑惑であり、それがまた修道女どうしの同性愛であっただけに審問官も対応に苦慮したようだ。 

修道士どうしの同性愛や、修道女と修道士の性的関係などは、よくある話だったが、修道女どうしの同性愛は、さすがに想定外であったようなのだ。 

審問記録に残っていたベネデッタの相手方の同性愛にかんする証言内容は、じつにナマナマしい。著者は、それを記した書記官(男性)の手が震えているためか、古文書の文字が読みにくいと書いている。映画の内容とはズレがあるものの、かなり具体的な内容であって、ここに記すのははばかられるものがある。 ぜひ原作にあたってみてほしい。

最終的にベナデッタには火刑の判決が下されるが、死罪一等は免ぜられて修道院内部での幽閉となる。 相手方の修道女は、最初から極刑の判決は下されることなく、その後は修道女として人生をまっとうしたようだ。自分の意思で同性愛の関係になったのではないと証言しているからだろう。この点も映画とは異なる。 

40年間を牢獄で過ごした修道女ベネデッタが死んだというニュースが流れたとき、教会の意に反して一般民衆が修道院に押し寄せたという。

支配する側は、つねに民衆を恐れているのだ。 


■偶然に発見された西欧史上最古のレズビアン記録

著者の歴史家ジュディス・ブラウン氏は、フィレンツェの公立古文書館で調査をしていた際、ベネデッタ・カルリーニのことを偶然知ったのだという。 

著者が発見するまで、この人物のことは忘れられていたようなのだ。こういう無名の人物に焦点をあててその時代を描き出す歴史記述の手法ことを「マイクロヒストリー」という。イタリア語では「ミクロストーリア」である。

扱った時代からいっても、その先駆者であるイタリア人歴史家カルロ・ギンズブルクの古典的名著『チーズとうじ虫』を想起させるものがあるだけでなく、古文書館での偶然の発見が名著『ハーメルンの笛吹き男』を生み出した歴史家の阿部謹也を想起させるものもある。 

17世紀のベネデッタ・カルリーニの事例は、西欧社会でのレズビアンの最古の記録なのだという。LGBTが声高に語られる21世紀の現在からみれば、隔世の感を覚える人もいるのではないだろうか。 

イスラーム世界では、いまだに同性愛は神の法に反するとして厳しく禁止されていることは周知の通りである。おそらく今後もその可能性は低いのだろう。

同性愛が長きにわたって禁じられていた西欧社会とは違って、キリスト教の禁忌が存在しない前近代の日本社会では、男女ともに同性愛は自然に反する行為だとは見なされていなかった。学校では教えないだろうが、知る人ぞ知る歴史的事実である。 

この映画は、21世紀の現在と違って、17世紀の段階ではそうではなかったのだ、と訴えたいのであろう西欧人(男性)が監督・製作したものだ。 

歴史的事実を知っている日本人(男性)からすれば、サスペンスもののドラマとしての面白さはあっても、さまざまなテーマにかんして、イマイチ掘り下げの甘い内容に思ってしまったのであった。 

もちろん、女性は別の感想をもつかもしれないが・・ 




<参考資料>

Theatines(テアティノ会)
・・「対抗対抗改革」(=カトリック改革)のなかから生まれてきた修道会(1524~1867)。19世紀にその使命を終え、現在は存在しない。
The Theatines, officially named the Congregation of Clerics Regular (Latin: Ordo Clericorum Regularium; abbreviated CR), is a Catholic order of clerics regular of pontifical right for men founded by Archbishop Gian Pietro Carafa on 14 September 1524.

聖テレジアの法悦
・・16世紀スペインのアビアの聖テレジアをモチーフにしたベルリーニの彫刻



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・・小説の設定は1628年から1630年にかけて、舞台はイタリア北部のミラノ侯爵領のミラノとコモ湖畔の農村。

・・フランチェスコが集団を離れ、山中にひきこもっての40日間の断食と瞑想、そして自らの肉体に受けた聖痕(stigma)という喜び

・・フランシス・ベーコン(1561~1626)は、同時代のイングランドの政治家で哲学者。時代転換期に生きたベーコンの方法論は同時代のイタリアとも共鳴している。ルネサンスの発祥地イタリアの方が先進地帯であった。一般民衆の世界と知識階層との認識のズレ

・・ミクロストーリアの先駆者カルロ・ギンズブルク




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