今週のことだが熱帯夜のある日、朝3時頃に目が覚めてしまった。それから眠れなくなってしまったので、寝室にある書棚の本を整理しはじめたら、とある本が目に入ったので手にとって読み始めた。
『遍歴放浪の世界』(紀野一義、NHKブックス、1967)がその本だ。
いつになっても全部読み通したことがない本なのだが、その理由は内容が難しいからではない。 読み始めると、「人生」について切実にいろいろ考えてしまうことが多いからなのだ。だからその時点で本をいったん閉じてしまうと、その先を読めなくなってしまうのだ。立ち止まって考えてしまうのだ。
紀野一義氏は、宗派に関係ない立場で、広く大乗仏教の教えを説きつづけてきた人。本来は『般若心経』のサンスクリット原文からの原典訳などの実績のある仏教学者なのだが、平易な語り口で人生講話的な法話をつづけてきた人だ。この本も、素材は仏教に限らず文学全般に幅広く求めている。
じつはお目にかかったことも、肉声は一度も聞いたことがなく、しかも読んだ本はそのごく一部にしか過ぎないのだが、どの一節であれ読むたびに深く「人生」について考えてしまわざるをえない。仏教は、生きるということは「苦」であると明言しているからであろうか。
スマホで検索してみたら、紀野一義さんは、すでに2013年にお亡くなりになっていた。そうだったのか。いや、そうだろうなあ。この本の奥付には、1922年生まれとあるから。戦中派で学徒動員の世代なのだ。しかも出征中に広島の家族は原爆で全員亡くなっているらしい。
自分がもっているのは、1993年の「新装版」なのだが、「新装版」のあとがきで、著者は44歳のときに書いた本で、自分はすでに70歳だと書いている。
そうか、50歳をまえに書かれた本だったのか・・・。迷い、惑い、不安に満ちた40歳代。この事実じたいが、なんだかまたいろいろ考えさせられてしまう。40歳代でこんな本を書ける人だったのか。
初版がでた1967年は、いまからちょうど50年前、新装版からもすでに24年。時がたつのは、じつに早い。この本を買ったとき、自分はまだ30歳を少し過ぎたぐらいだったのか、とあらためて知る。
もちろん、多くの日本人にとって「遍歴放浪」は憧れであっても、実行できる人は少ない。でも、それでいいのだろう。
そんな「遍歴放浪」に身を投じた、西行法師や一遍上人、芭蕉や山頭火など、過去の日本人の軌跡をたどることで、一般人もまた空想のなかであっても「放浪遍歴」に身をゆだねることができる。それでいいのだろう。
そんなことを思いつつ、二度寝することにした。
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・・個人単位の仏教実践がアメリカ流
書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」
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