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2010年3月6日土曜日

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について





 独特の生活習慣を守って、アメリカにいながらアメリカ文明を真っ向から否定しているアーミッシュの人々。

 「シンプルライフ」の一例として、アーミッシュ(Amish)を取り上げないわけにはいくまい。

 アーミッシュのことを知ったのは、大半の人と同様、ハリソン・フォード主演のハリウッド映画『刑事ジョン・ブック-目撃者-』(Witness)である。米国版トレーラーはこちら。製作公開は1985年。

 この映画をみたのは、1990年からアメリカ留学する前だったと思う。殺人事件の目撃者となってしまったアーミッシュの少年とその母親を守ろうとした刑事の物語。初めてみてからすでに20数年たっているが、あらすじの大半は忘れても、アーミッシュのライフスタイルが映像として強く印象に残っている。

 実際にアーミッシュをこの目で見たことが一度だけある。

 アメリカ留学中の春休み、期末テストを受けたその足で大陸横断鉄道アムトラック(Amtrak)に乗って東海岸から西海岸に向けて旅をしたときのことだった。1991年のことである。

 展望車の中で、独特の服装をし、白いボンネットをかぶった、めがねをかけた色白でふくよかなアーミッシュ女性を「目撃」したのだ。

 ああ、これがアーミッシュか! と強い印象を受けたことを覚えている。

 アーミッシュについては、独特なシンプルなデザインのアーミッシュ・キルトや、シンプルなライフスタイルの点から注目する人も、とくに女性には多いと思う。たとえば、最近でも女優の東ちづるが、アーミッシュのライフスタイルに魅了されていることを語っている。

 私の場合は、大学学部で西洋中世史を専攻していたこともあり、アーミッシュが「宗教改革」の結果生み出された存在であることに関心が強い。アーミッシュの生活習慣は、16世紀当時のスイスやドイツあるいはオランダそのものであり、ある意味において「生きた化石」である。

 彼らのライフスタイルを守ろうという姿勢は、頑固そのものともいうことができる。電気もガスも水道もなく、テレビもラジオも自動車もない。家族はつねに一緒に祈り、働き、すべてが共同体の共同作業で行われるので、競争原理も働かない。個人主義とは正反対の原理に生きる人たちである。



 ここで、アーミシュの起源と歴史について触れておこう。

 日本語で読める、もっともよくまとまった入門書である、『アメリカ・アーミッシュの人びと-「従順」と「簡素」の文化-』(池田 智、明石書房、1999)が参考になる。

 なお、初版は、サイマル出版から1990年に出版されたもの、現在では、『アーミッシュの人びと-「充足」と「簡素」の文化-』(二玄社、2009)として、改訂版が再刊されているが、私はこのエディションはみていない。

 まず、『アメリカ・アーミッシュの人びと』の目次を紹介しておこう。これによって、おおまかなアウトラインがつかめると思う。

1. アーミッシュの人びと
  門はあなたに開かれています
  エスペンシードさんの農場
  滞在させてくれた理由 
  現代文明のなかの精神的やすらぎ ほか
2. アーミッシュ宗派の歴史
  ルターとツヴィンクリの宗教改革
  再洗礼派の出現
  過酷な迫害と弾圧
  再洗礼派の信仰統一
  「社会的追放」をめぐる論争
  宗祖ヤーコプ・アマンの改革
  アーミッシュ宗派の誕生
  オランダへの避難と孤立
3. 約束の地・アメリカへ
  新天地への移住
  開拓地での苦難
  繁栄と相互扶助
  強力な指導者と組織化 
  南北戦争と徴兵拒否
  「オルドゥヌング」(Ordnung:ドイツ語で秩序)の変化
  「マイドゥング」(「社会的追放」のこと)による結束
4. 「充足」と「簡素」の文化-ゲラッセンハイト(Gelassenheit:ドイツ語で従順)を核として
  個人主義の否定
  プレイン・アンド・シンプル(plain and simple)
「進歩」よりも「伝統」を
  重荷を分かち合う
  「神の土」を耕す  
エピローグ-彼らは時代に遅れているか





 宗教学的な観点から要約すると、近代になって発生したプロテスタントの一派である「再洗礼派」アーミッシュの特質は、中世のカトリックでは当たり前だった「幼児洗礼」を否定したことにある。判断能力のない幼児には選択の余地がないので、洗礼を受けても無意味である、というのがその根拠である。

 洗礼は自ら信仰を告白したからのみ行える、いいかえれば十分に判断能力がついてから洗礼を受けるべきだという考えから、彼らはアナバプティズト(Anabaptist)あるいはリ・バプティスター(Re-baptister)とよばれた。再洗礼派とは、二度目の洗礼を受けた者という意味である。いかにも「近代的な精神」にみちた考えではないか。

 チューリヒの宗教改革は、神学者ツヴィングリが主導したものであったが、「スイス兄弟団」とよばれたラディカル派(急進派)は、教会と国家(=宗教と政治)の癒着を批判し、再洗礼派運動を展開したのであった。都市部で当局から激しく弾圧されたこの運動は、農村部へと拡がっていったのである。

 この流れの一部が、メノナイトとなり、さらにはアーミッシュとして分派していったわけである。そして彼らは宗教的迫害を逃れて、自らの信仰をまっとうするため、ピューリタンなどと同様、新天地アメリカに集団移住し、終の棲家(すみか)をみつけることとなったわけである。


ところで、Devil's Playground(日本未公開)という映画がある。ロバート・レッドフォードが主催するサンダンス映画祭で、オフィシャル・セレクションとなったドキュメンタリー映画である。製作公開は2003年。『目撃者-刑事ジョンブック』とは異なる視角から、アーミシュの若者たちの人生選択の姿を描いた、すぐれたドキュメンタリーとなっている。トレーラーはこちら。

 10代後半の男女は、今後もアーミシュとして生きるか否かという、人生の選択を意志決定する前に、「完全な自由」を与えられることになる。こうして若者たちは連日パーティーにふけり、酒やドラッグに浸り、やりたい放題、好き放題の生活をしばらく送るのだが、大半の者がだんだんと「無制限の自由」に虚しさを感じて、アーミッシュのコミュニティーに戻る道を選択していく・・・。Devil's Playground とはアーミッシュが、彼らのコミュニティのソト側の世界を表現したコトバである。

 まるで日本の「ヤンキー」たちが、やんちゃしたあと早々と結婚し、家庭をもつのと現象的には似ていなくもないが、アーミッシュの場合、先にも触れたように、「幼児洗礼」を否定し、あくまでも判断能力を持った人間が、「自由意志」によって生き方を選択する、という前提があるので、このような「通過儀礼」が行われるのである。

 これは、アーミッシュのコミュニティを維持させてきた、きわめてたくみな制度であり、メカニズムであるといえよう。

 実際問題、米国で高等教育を受ける機会のない彼らが、アーミッシュの世界の外に出て生きていくのは並大抵のことではないからだ。アーミッシュは、「ペンシルヴァニア・ダッチ」というドイツ語の方言が母語であり、礼拝はドイツ語の聖書を使い、アメリカ連邦政府とのギリギリの妥協点である義務教育8年間を受け入れ、英語を学ぶ。ただし、英語の語彙は農業生活にかんするものなどに限定されたものであるという。

 シンプルライフは、シンプルマインドにつながる危険と裏腹だ。まあ考え方によっては、あまり悩みすぎない仕組みがビルトインされているともいえる。

 しかし、「自由意志」で人生の選択を行うといっても、無数の選択肢のなかから選択が可能な人間と、そのライフスタイルを選択した人間の子どもたちとは、前提条件が同じだといえない。

 たとえばこういう比喩も可能だろう。1970年代にヒッピー・ムーブメントが存在したが、ヒッピーに身を投じたのは、その多くが大学生であった。資本主義的なライフスタイルをブルジョア的だと否定し、オルタナティブな東洋的なライフスタイルに憧れて、禅仏教やドラッグの世界に没入した。 

 しかしヒッピーのカップルにも子供が生まれる。子供は自らの選択によって出生したのではなく、ヒッピーというライフスタイルは、あたかも「幼児洗礼」のように、ものごころつく前から存在している。ヒッピー第二世代がヒッピーというライフスタイルを選択するか自由ではあっても、自由な生き方であったはずのヒッピーというライフスタイルは、ヒッピー・カップルの間に生まれた第二世代にとっては、選択の結果ではない。これは実質的には、もはや「宿命」に近い。

 ここに、「自由意志」による選択のもつ二律背反(アンチノミー)が存在する。人間は、生まれてきた環境によって「意志決定」の決定範囲を大きく制約されるのである。

 アーミッシュの場合、あくまでも「自由意志」によって最終的に意志決定して選択された、というストーリが完結し、世代を超えて何度も何度も繰り返されることになる。これは、「自由意思」という形をとった、「自己服従」以外の何物でもないのではないか? まあ、本人の「自由意思」である以上、外部の人間がとやかくいうような話ではないのだが。

 一見して古風にみえる彼らのライフスタイルは、根本は近代的精神に基づいたものでありながら、野放図な放縦を許さない仕組みがビルトインされているのである。 

 こういうところまで考えた上で、はじめてアーミッシュという生き方が、いいのか悪いのか判断すべきであろう。「自由意志」による個人としての選択が、次の世代の選択肢を奪うものであってはならないからだ。

 もちろん、子孫はいっさい遺さず、自分一代限りの人生で完結すると割り切れるのであれば、他人がとやかくいうものではない生き方であるといえよう。
 どんな生き方であろうと、外部から見るほどラクなものではなさそうだ。

 あくまでも外部から眺めて、アーミッシュのようなオルタナティブ生き方もいいかもしれないなあ、と思う程度であれば、実害はないだろう。

 隣の芝生は青く見えがちではある。





P.S. 「宗教改革」時代の「寛容と非寛容」(参考)

 『異端と殉教-宗教改革における心情的ラディカリズムの諸形態-』(倉塚 平、筑摩書房、1972)は、日本で学生運動の嵐が吹き荒れた頃、出版されたものである。

 学生運動で使われた「セクト」というコトバも、プロテスタント用語であることは偶然の一致とはいえない。ともに異議申し立ての運動であった、プロテスタントと学生運動には共通する精神構造があったと考えるべきだろう。

 『異端と殉教-宗教改革における心情的ラディカリズムの諸形態-』の目次を一瞥すると、その当時の雰囲気を感じ取ることもできるだろう。


1. スイス兄弟団-再洗礼派セクトの原型-
2. ミュンスター千年王国-革命的再洗礼派の悲劇-
3. セバスチャン・フランク-ある非党派主義者の思想と生涯-
4. オランダ再洗礼諸派-狂宴のあと、壊滅・逃避・韜晦・再建-
5. トーマス・ミュンツァー-革命の神学者と農民戦争-

 いまではもう、エンゲルスの『ドイツ農民戦争』なんて本は読まれることもないだろうから、トーマス・ミュンツァーといってもピンとこないだろう。

 非党派主義者のことである「ノンセクト・ラディカル」なんていうコトバも、宗教改革時代のプロテスタントの文脈と重ね合わせて考えると、理解しやすくなるかもしれない。いまではもう死語と化しているが。

 おなじ時代に日本で出版された、『寛容思想の歴史(世界大学選書)』(カメン、成瀬紀訳、平凡社、1970)では、「宗教改革」に始まった激烈なイデオロギー闘争が「宗教戦争」へと発展し、思想から始まった改革が単なる改革に終わらず、政治闘争にいたり、大量虐殺へと至る歴史を概観している。

 アーミッシュもこうした思想闘争から発生し、迫害を逃れて「約束の地」である米国に移住した人たちであることは、知っておきたいものである。

 「シンプルライフ」も、それが思想の表現である以上、貫き通すのは並大抵の努力では実現不可能なのである。
         


<関連サイト>

What Happens When the Amish Get Rich (Jen Banbury, Bloomberg BuinessWeek, June 26, 2014)
・・「アーミッシュがリッチになったとき」というタイトルの特集記事。こういう記事が経済週刊誌に掲載されるのは面白い。記事の最後の一節が効いている。 An Amish friend unconnected to the Florida Thing once said to me, “You think your life is complicated and ours is simple, but it’s the opposite. You just take everything as it comes. We’re constantly having to figure out what to do with new things.” As an Amish man told Donald Kraybill, “The Amish survived persecution in Europe, but I’m not sure they’ll be able to survive prosperity.” 欧州の迫害を逃れてアメリカに移住したアーミッシュだが、アメリカ経済の「繁栄のなかでサバイバルすることの難しさ」について語っている。

アーミッシュを襲うデジタル化の波|前近代的な暮らしにスマホとSNSが「侵入」してきた!(クーリエ・ジャポン、2017年10月14日)

(2014年7月1日 項目新設)
(2017年10月14日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録
・・母親は「自発的」な参加でも、子どもは必ずしもそうではない

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・閉鎖的組織が生み出す悲劇はカルトに共通する

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典

映画 『神々と男たち』(フランス、2010年)をDVDでみた-修道士たちの生き方に特定の宗教の枠を越えて人間としての生き方に打たれる
・・カトリックのトラピスト修道会もまた自給自足の規律ただしいシンプルライフ

修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった
・・修道院の生活は超早寝早起き。「規律による自律」の集団生活

(2013年12月26日、2014年7月1日、2015年7月25日 情報追加)






(2012年7月3日発売の拙著です)








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