先週(2010年10月20日)バンコクにいった際に、サイアム・パラゴン内の紀伊国屋書店で買ってきたのが、この『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World. 100 Interviews with Business professionals.』である。
The Thai Chamber of Commerce と Board of Trade of Thailand の編著になるもの。出版社は Amarin Publishing Services. 定価は B90、初版第1刷は2010年、発行部数は 3,500部。
Sufficiency Economy は、タイ王国のラーマ9世プーミポン国王が、1974年から提唱している経済哲学である。タイ語では、セタキット・ポーピアン、日本語でいえば、「知足経済」、「足を知る経済」とでもなろうか。
表紙は、刈り入れの終わった田んぼを歩いて視察する壮年時代のプーミポン国王。
「足を知る」という日本語表現からも類推できるように、江戸時代の日本のような農本主義にフィットした経済哲学であることはベースにあることは間違いない。
いまでもタイは、世界最大のコメ輸出国で、世界のコメ相場を決定するメージャー・プレイヤーであるが、1970年代と2010年代の現在を比較すれば、農業と工業の調和のとれた発展というよりも、やや工業化の道への傾斜具合が大きい・・かもしれない。
近年、サステイナブル経済(sustainable economy)というコトバが話題に上ることも多い。サステイナブル経済とは、急激な経済成長のもたらすネガティブな側面を回避するため、身の丈にあった経済成長を志向する経済思想である。
その意味においては、「足を知る経済」も「サステイナブル経済」と歩調をあわせたものだといえるだろう。むしろ経済哲学の表明としては、「足を知る経済」のほうが先行しているのかもしれない。
では、「足を知る経済」は、「資本主義のオルタナティブ」なのだろうか?
いやそうではない。あえていえば、資本主義の一(いち)バリエーションとして捉えるべきだろう。プーミポン国王自身、経済発展そのものを否定はしない。ただ、環境破壊ももたらさず、人間精神の破壊ももたらさない、調和のとれた発展が望ましいということなのだ。
実際、本書においては、「足を知る経済」についての、100人のビジネス・プロフェッショナルへのインタビューを収録しているが、経済諸団体から11人、食品産業を含む農業から12人、製造業から24人、医療産業から3人、不動産業から6人、メディア産業から6人、小売業から18人、金融保険業から10人、教育産業から6人、観光ホテル業から4人の構成となっている。いずれも、タイを代表する経済人の面々であり、もちろん華人系が大半であるが、どのような経営哲学をもって経営にあたっているか語っており面白い。
もちろん、国王陛下が提唱する経済哲学にコンプライアンスすることは、自らのビジネス追求にあたっても損になることはないだろう。そういった計算が働いているのも当然だろう。
同じく華人系とはいえ中国大陸の「中国人」とは共通性もありながら、かなり異なる印象を受けるのは、移民先のホスト国であるタイ国民として受け入れられていることが成功の条件となっている以上、当然の行動様式であるといっても当然のことなのである。
ただ、華人といっても、エスタブリッシュメントに限りなく近い層と、新興成金層(ニューリッチ)とでは、経済哲学においても行動様式においても大きく異なるのは、どの国においても観察できることである。
タイという文脈において、後者の新興成金層の代表は、クーデターで追放されたタックシン・チナワット元首相のことだ。
以前、私は、書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)において、以下のようにエスタブリッシュメント層と新興成金層との、資本主義に対する態度の違いについて書いたので、再録させていただく。
本書を読むと、中進国となった工業国タイの問題とは、米国が主導するグローバル資本主義にいかに対応するかという課題に対する、二つの解答のあいだのせめぎ合いであると見ることもできる。
ひとつは、1997年の金融危機以後、タイの政治では例外的な、5年以上にわたる長期政権を実現したタクシン元首相の、積極的にアングロサクソン流のグローバル資本主義の流れに乗っかっていこうとした経済・社会政策。
もうひとつは、現国王ラーマ9世(=プーミポン国王)が提唱する「足るを知る経済」。後者は、仏教の経済思想に立脚し、サステイナブル経済を志向する、いわばオルタナティブ資本主義といえる。
今回取り上げた「Sufficiency Economy」(足を知る経済)とは、ある意味では、タイ王国という文脈においては、エスタブリッシュメントの経済哲学、経済思想といえなくもない。すでに成り上がって時間のたつ事業家と、それに対するアンチテーゼとして成り上がってきた一代目の事業家との違いである。一代目の事業家であっても、前者の志向する側に立つ者がいるのは、処世術という観点からいえば当然である。
このように整理してしまうと、誤解があるかもしれないが、ある意味では当てはまる話であると思われる。
もちろん、プーミポン国王の提唱する「Sufficiency Economy」(足を知る経済)の中身については、私としては異論はない。
タイ王国という文脈を離れても成立可能だと思うし、上座仏教の経済思想という点においては、シューマッハーの「Small is Beautiful」において展開された思想(・・シューマッハーはスリランカで考えた)とも共通するものがある。
仏教は儒教とは異なり、イスラームと同様に商人層を主たる支持層として発展した宗教であることは、知っておいて損はないだろう。少なくとも原始仏教の段階ではそうなのであった。
アジア発の経済思想として、「Sufficiency Economy」(足を知る経済)を取り上げる意味があると、私はと思うのである。
Sufficiency Economy 公式サイト(英語)
New Mandala: New perspectives on mainland Southeast Asia に掲載された書評
・・表紙カバーがなぜ農村地帯なのかと皮肉めいたツッコミがされているのは、豪州の大学関係者の執筆によるためだろう。
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