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2022年5月26日木曜日

書評『ゲコノミクス ー 巨大市場を開拓せよ!』(藤野英人、日本経済新聞出版社、2020)ー 個人レベルの「選択の自由」が保証された社会では酒を飲まない人がマジョリティになる!

 

酒をやめて「500日」になったこともあり、積ん読となっていた本をささっと読んでみた。  著名な投資家は、「酒を飲まない人」を大ぐくりで「ゲコノミスト」と命名している。

「下戸(げこ)」とは厳密にいえば「酒を飲めない人」のことだが、「酒を飲めないから、飲まない人」だけでなく、「酒は飲めるが、飲まない人」までカバーしている。 わたしも自分自身が「酒を飲まない人」にならなかったら、こんな本はまず読むことはなかっただろう。

わたしは「酒は飲めるし、強いし、好きだ(った)が、飲まないことにした人」なので、厳密にいえば狭い意味の「下戸」ではない。だが、広い意味で「ゲコノミスト」に分類委されるということになるのだろう。そんな人は少なくないようだ。 「ゲコノミスト」の個別性、多様性が重要なのである。

(2022年5月16日に500日達成していた)

2020年5月に初版がでた本だが、読んでいると2019年には「飲み会スルー」が流行語になったとあった。 ああ、そういえばそんなこともあったなと思い出しながら読んだが、2020年1月から始まった「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)がパンデミックとなって、この2年間で組織が主催する「飲み会」がほぼ絶滅危惧種となった。 大きな環境変化である。

この流れは、もはや不可逆の流れといっていいだろう。お酒を飲まない人がマジョリティになる! 飲む飲まないは、あくまでも「個人の自由意志」にもとづく「選択の自由」の問題だという認識が定着してきたのである。

酒を飲みたい人は飲めばいいし、飲みたくない人は飲まなければいい。そんな社会が到来しつつあり、定着しつつあるのだから、たいへん結構なことではないか! ようやく日本も、先進国になりつつあるわけだ。

すでに「お酒を飲まない人」の巨大な市場が存在するのに、業界はまだ、まだ対応しきれていないというのが本書の趣旨。その通りだろう。 

ちなみに、わたしは酒を飲まなくなってからも「ノンアルビール」は飲まない。むかしから嫌いだからだ。ビールからアルコールを抜けばいいというのは陳腐な発想だ。 

個人的な話だが、なんといっても「水」がいちばんうまい。それも「炭酸の入っていない純水」。料理の味はアルコールで舌をごまかすのではなく、水ならきちんと味わうことができる。我慢して酒を飲まないのではない。飲みたいという気持ちじたいが失せてしまった。 

巻末の「ゲコゲコ 特別対談 糸井重里×藤野英人」は面白かった。 著者の藤野英人氏だけでなく、糸井重里氏も「下戸」だったのか。


目 次
序章 ゲコノミクスについて、大マジメに語ろう
第1章 見落とされてきた巨大な「ゲコ市場」
第2章 投資家が考える「企業経営とアルコール」
第3章 多様性と「飲む・飲まない」の選択との関係
第4章 ゲコ市場開拓のヒント
ゲコ×ゲコ特別対談 糸井重里×藤野英人

著者プロフィール
藤野英人(ふじの・ひでと)
レオス・キャピタルワークス株式会社代表取締役社長・最高投資責任者。1966年富山県生まれ。1990年早稲田大学法学部卒業。国内・外資大手投資運用会社でファンドマネージャーを歴任後、2003年レオス・キャピタルワークス創業。主に日本の成長企業に投資する株式投資信託「ひふみ投信」シリーズを運用。JPXアカデミーフェロー、明治大学商学部兼任講師、東京理科大学上席特任教授。一般社団法人投資信託協会理事。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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(2023年12月17日 項目新設) 


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・・組織が主催する「飲み会」を支配しているのは日本人を見えないところで縛り付けてきた「世間」である


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2021年5月10日月曜日

書評『未来は決まっており、自分の意志など存在しない ー 心理学的決定論』(妹尾武治、光文社新書、2021)ー 21世紀の「AI時代」に還ってきた「予定説」


『未来は決まっており、自分の意志など存在しない-心理学的決定論』(妹尾武治、光文社新書、2021)という本をたまたま知って、さっそく注文して読んでみたが、これがじつに面白かった。 

知覚心理学を専門とする心理学者が、自分の思想を心理学の知見だけでなく、科学論や哲学、AI、仏教の唯識論、脳科学やアート作品、サブカルなど総動員して論証しようとしたのがその内容。 

「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」というのは、いわゆる「自由意志」(free will)なるものは存在しない、という立場である。自分の意志で未来を切り開いているというのは「錯覚」であって、あらかじめ決められた生きているに過ぎないのだ、と。 

「自由意志」など存在しないことは、刺激と反応で人間行動を説明する「行動科学」(behavior science)に慣れ親しんでいる人なら「常識」だと思うが、そうでない人にはショッキングなものかもしれないし、受け入れがたいとして頭ごなしに否定したくなる内容かもしれない。 

著者は冒頭から「トンデモ系」だと予防線を張っているが、著者のいうことのすべてに納得しなくても(・・当然のことながら、私もすべてに納得しているわけではない)、だいたいその線だろうなと思う人も少なくないと思う情報量が増大すれば、未知の部分が減少していくのは当然であり、したがって未来もかなりの確率で見えてくるのも当然。 

著者はまったく言及していないが、わたしはこの内容に「宗教改革」時代に現れたカルヴァンの「予定説」を想起した。 

その内容は、基本的に「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」というものである。人間にとっては「未来」にあたる「死後」に救済されるかどうかは、あらかじめ「神」によって決められているので人間が介在する余地はない、とするものだ。 

である以上、人間は自分の努力の範囲内で精一杯生きていくことが求められるわけだ。自分の運命を呪ったりしても意味のないことだ。なぜなら、最初から決まっているのだから、悩んでも仕方ないことなのだ。とはいえ、一回限りの人生なのだから悔いのない人生にはしたいものだ。

若い人たちに「君たちには無限の可能性ある」なんて言うのは無責任でしかない。「できる範囲内で努力したらいいんだよ」と言ってあげる、そんな根拠になることだろう。

16世紀に生まれた「予定説」と、21世紀に顕在化してきた「自由意志否定論」は、よく似た思想であるように私には思われる。16世紀西欧の「神」を21世紀の「AI」に置き換えてみれば、その意味はわかるだろう。

それにしても、「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」という思想が蘇ってきたのは興味深い。 

いわゆる500年近く続いてきた「近代」が終わって、あらたな時代の入り口にいることを端的に示しているのではないだろうか。すくなくとも、「自由意志」を前面に打ち出した「18世紀啓蒙主義」の終焉は明かだ。 

テクノロジーの発展がもたらしたあらたな「神」と「予定説」について、そんな風に思うのである。 もちろん、21世紀以降がどのような世界になるのか、現時点ではわからないが。




目 次
第1章 自由意志と決定論と
第2章 暴走する脳は自分の意志では止められない
第3章 AI
第4章 そもそも人間の知っている世界とは?-知覚について
第5章 何が現実か? 唯識、夢、VR、二次元
第6章 量子論
第7章 意識の科学の歴史
第8章 意識の正体
第9章 ベルクソン哲学にヒントが!
第10章 ベクションと心理学的決定論
第11章 マルクス・ガブリエルの新実在論
第12章 アートによる試み(妹尾の場合)
第13章 Cutting Edge な時代に生きる
まとめ
謝辞
エピローグ
引用および参考文献


著者プロフィール
妹尾武治(せのお・たけはる)
九州大学大学院芸術工学研究院准教授。東京大 学IML特任研究員、日本学術振興会特別研究 員(SPD)、オーストラリア・ウーロンゴン 大学客員研究員を経て、現職。東京大学大学院 人文社会系研究科(心理学研究室)修了。心理 学博士。専門は知覚心理学だが、これまで心理 学全般について研究及び授業を行ってきた。筋 金入りのプロレスマニア。著書に『脳がシビれ る心理学』(実業之日本社)、『おどろきの心理 学』(光文社新書)、『売れる広告 7つの法則』 (共著、光文社新書)、『脳は、なぜあなたをだ ますのか』(ちくま新書)、『ベクションとは何 だ!?』(共著、共立出版)などがある。


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2010年7月25日日曜日

書評『岩崎彌太郎- 「会社」の創造-』(伊井直行、 講談社現代新書、2010)ー "近代人"岩崎彌太郎がひそかに人知れず「会社」において実行した"精神革命"




"近代人"岩崎彌太郎がひそかに人知れず「会社」において実行した"精神革命"

 本書は、「政商」であった岩崎彌太郎の生涯を描きながら、会社員経験をもつ小説家が、「会社員であるとはどういういことなのか? 会社とはいったい何なのか?」というテーマを追求した渾身の一冊である。歴史研究書でも評伝でもない。

 最近の新書本には、長くて内容がパンパンに詰まったものも少なくないが、「明治の政商」を描いて300ページを越える本書もまた、単行本なみに充実した本であった。扱った時代が時代だけに漢字の多い文章が続くが、最後まで飽きずに面白く読み通すことができる好著である。

 今年(2010年)のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は、同じく土佐藩の下士(下級武士)出身である岩崎彌太郎が坂本龍馬を回想するという形をとっているが、本書を読むと、岩崎彌太郎の実像はドラマで描かれる虚像とはかなり異なることが理解される。大河ドラマは、しょせん舞台設定を過去の日本に設定した現代ドラマであって、歴史そのものとはほど遠い。

 本書で描かれる伝記的要素はもちろん面白い。私自身、日本史の教科書や、かつて何度も読んだ岡倉古志郎の『死の商人』(岩波新書)に描かれた岩崎彌太郎像をもって、戦争を利用して海運でボロ儲けした政商というイメージができあがっていたのだが、実像はかなり違うということにまた、驚くことになった。

 岩崎彌太郎は、大胆にして小心という、成功する起業家に特有の資質を兼ねあわせただけでなく、士農工商の「商人」出身ではなく、漢詩をつくる教養を持ち合わせた「武士」出身の、あたらしい時代のビジネスマンであった。このことは大きな意味をもっていると著者は指摘している。

 江戸時代の商人は、丁稚奉公という形の住み込みでキャリアをスタートし、奉公期間が終わるまで結婚する自由もなかった(!)ことを考えたとき、岩崎彌太郎の「会社」とは「自由意思による決断」、すなわち「いやなら辞める権利がある」という会社本来のあり方を実現したものであったことに気がつかねばならないのである。これが著者の着眼点だ。

 身分でも、家柄でもなく、あくまでも個人の自由意思によって参加した営利企業は、「前近代」と「近代」をわかつものであったのだ。「岩崎彌太郎の精神革命」は、人知れず静かで行われていたものであった。

 考えてみれば「会社」と「社会」という日本製の漢語表現は、「会」と「社」という漢字をひっくり返した関係にあるが、もともとは「結社」を意味する society の訳語としてつくられたものであり、意味は同じだったのだ。

 いまわれわれは、「近代」から「後近代」の移行期にいるわけだが、現在から振り返ると、「岩崎彌太郎の精神革命」の意味はきわめて大きかったことに著者の指摘によって気づかされた。この「近代の遺産」をどう捉えるかが、「会社」とは何かを考える意味で大きな意味をもつだろう。

 長いが読み応えのある一冊である。ぜひ通読することをすすめたい。





<初出情報>

■bk1書評「"近代人"岩崎彌太郎がひそかに人知れず「会社」において実行した"精神革命"」投稿掲載(2010年7月11日)
■amazon書評「"近代人"岩崎彌太郎がひそかに人知れず「会社」において実行した"精神革命"」投稿掲載(2010年7月11日)


PS 読みやすくするために改行を増やした (2014年4月20日 記す)。


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岩崎彌太郎と同時代の実業家たち

書評 『大倉喜八郎の豪快なる生涯 』(砂川幸雄、草思社文庫、2012)-渋沢栄一の盟友であった明治時代の大実業家を悪しき左翼史観から解放する
・・ホテル大倉や大成建設の前身である大倉財閥の創業者・大倉喜八郎もまた「死の商人」という悪しきレッテルを貼られた「被害者」

書評 『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝
・・コーポレート・ガバナンスをめぐって、岩崎彌太郎とは思想的な対立関係にあった日本資本主義の父・渋沢栄一

書評 『恋の華・白蓮事件』(永畑道子、文春文庫、1990)-大正時代を代表する事件の一つ「白蓮事件」の主人公・柳原白蓮を描いたノンフィクション作品 ・・福岡の石炭王・伊藤伝右衛門の妻となった柳原白蓮

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する
・・恐慌で消えていった「財閥」も少なからずある


岩崎彌太郎と三菱関連

書評 『龍馬史』(磯田道史、文春文庫、2013 単行本初版 2010)-この本は文句なしに面白い!
・・坂本龍馬の「商才」と比較してみると面白い

満80歳を迎える強運の持ち主 「氷川丸」 (横浜・山下公園)にあやかりたい! ・・日本郵船の客船であった氷川丸は1930年に建造

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない! ・・これもまた三菱財閥の「遺産」

(2014年4月20日、2015年2月11日 情報追加)




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2010年3月6日土曜日

資本主義のオルタナティブ (1) - 集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について






 独特の生活習慣を守って、アメリカにいながらアメリカ文明を真っ向から否定しているアーミッシュの人々。

 「シンプルライフ」の一例として、アーミッシュ(Amish)を取り上げないわけにはいくまい。

 アーミッシュのことを知ったのは、大半の人と同様、ハリソン・フォード主演のハリウッド映画『刑事ジョン・ブック-目撃者-』(Witness)である。米国版トレーラーはこちら。製作公開は1985年。




 この映画をみたのは、1990年からアメリカ留学する前だったと思う。殺人事件の目撃者となってしまったアーミッシュの少年とその母親を守ろうとした刑事の物語。初めてみてからすでに20数年たっているが、あらすじの大半は忘れても、アーミッシュのライフスタイルが映像として強く印象に残っている。

 実際にアーミッシュをこの目で見たことが一度だけある。

 アメリカ留学中の春休み、期末テストを受けたその足で大陸横断鉄道アムトラック(Amtrak)に乗って東海岸から西海岸に向けて旅をしたときのことだった。1991年のことである。

 展望車の中で、独特の服装をし、白いボンネットをかぶった、めがねをかけた色白でふくよかなアーミッシュ女性を「目撃」したのだ。

 ああ、これがアーミッシュか! と強い印象を受けたことを覚えている。

 アーミッシュについては、独特なシンプルなデザインのアーミッシュ・キルトや、シンプルなライフスタイルの点から注目する人も、とくに女性には多いと思う。たとえば、最近でも女優の東ちづるが、アーミッシュのライフスタイルに魅了されていることを語っている。

 私の場合は、大学学部で西洋中世史を専攻していたこともあり、アーミッシュが「宗教改革」の結果生み出された存在であることに関心が強い。アーミッシュの生活習慣は、16世紀当時のスイスやドイツあるいはオランダそのものであり、ある意味において「生きた化石」である。

 彼らのライフスタイルを守ろうという姿勢は、頑固そのものともいうことができる。電気もガスも水道もなく、テレビもラジオも自動車もない。家族はつねに一緒に祈り、働き、すべてが共同体の共同作業で行われるので、競争原理も働かない。個人主義とは正反対の原理に生きる人たちである。



 ここで、アーミシュの起源と歴史について触れておこう。

 日本語で読める、もっともよくまとまった入門書である、『アメリカ・アーミッシュの人びと-「従順」と「簡素」の文化-』(池田 智、明石書房、1999)が参考になる。

 なお、初版は、サイマル出版から1990年に出版されたもの、現在では、『アーミッシュの人びと-「充足」と「簡素」の文化-』(二玄社、2009)として、改訂版が再刊されているが、私はこのエディションはみていない。

 まず、『アメリカ・アーミッシュの人びと』の目次を紹介しておこう。これによって、おおまかなアウトラインがつかめると思う。

1. アーミッシュの人びと
  門はあなたに開かれています
  エスペンシードさんの農場
  滞在させてくれた理由 
  現代文明のなかの精神的やすらぎ ほか
2. アーミッシュ宗派の歴史
  ルターとツヴィンクリの宗教改革
  再洗礼派の出現
  過酷な迫害と弾圧
  再洗礼派の信仰統一
  「社会的追放」をめぐる論争
  宗祖ヤーコプ・アマンの改革
  アーミッシュ宗派の誕生
  オランダへの避難と孤立
3. 約束の地・アメリカへ
  新天地への移住
  開拓地での苦難
  繁栄と相互扶助
  強力な指導者と組織化 
  南北戦争と徴兵拒否
  「オルドゥヌング」(Ordnung:ドイツ語で秩序)の変化
  「マイドゥング」(「社会的追放」のこと)による結束
4. 「充足」と「簡素」の文化-ゲラッセンハイト(Gelassenheit:ドイツ語で従順)を核として
  個人主義の否定
  プレイン・アンド・シンプル(plain and simple)
「進歩」よりも「伝統」を
  重荷を分かち合う
  「神の土」を耕す  
エピローグ-彼らは時代に遅れているか




 宗教学的な観点から要約すると、近代になって発生したプロテスタントの一派である「再洗礼派」アーミッシュの特質は、中世のカトリックでは当たり前だった「幼児洗礼」を否定したことにある。判断能力のない幼児には選択の余地がないので、洗礼を受けても無意味である、というのがその根拠である。

 洗礼は自ら信仰を告白したからのみ行える、いいかえれば十分に判断能力がついてから洗礼を受けるべきだという考えから、彼らはアナバプティズト(Anabaptist)あるいはリ・バプティスター(Re-baptister)とよばれた。再洗礼派とは、二度目の洗礼を受けた者という意味である。いかにも「近代的な精神」にみちた考えではないか。

 チューリヒの宗教改革は、神学者ツヴィングリが主導したものであったが、「スイス兄弟団」とよばれたラディカル派(急進派)は、教会と国家(=宗教と政治)の癒着を批判し、再洗礼派運動を展開したのであった。都市部で当局から激しく弾圧されたこの運動は、農村部へと拡がっていったのである。

 この流れの一部が、メノナイトとなり、さらにはアーミッシュとして分派していったわけである。そして彼らは宗教的迫害を逃れて、自らの信仰をまっとうするため、ピューリタンなどと同様、新天地アメリカに集団移住し、終の棲家(すみか)をみつけることとなったわけである。


ところで、Devil's Playground(日本未公開)という映画がある。ロバート・レッドフォードが主催するサンダンス映画祭で、オフィシャル・セレクションとなったドキュメンタリー映画である。製作公開は2003年。『目撃者-刑事ジョンブック』とは異なる視角から、アーミシュの若者たちの人生選択の姿を描いた、すぐれたドキュメンタリーとなっている。トレーラーはこちら。

 10代後半の男女は、今後もアーミシュとして生きるか否かという、人生の選択を意志決定する前に、「完全な自由」を与えられることになる。こうして若者たちは連日パーティーにふけり、酒やドラッグに浸り、やりたい放題、好き放題の生活をしばらく送るのだが、大半の者がだんだんと「無制限の自由」に虚しさを感じて、アーミッシュのコミュニティーに戻る道を選択していく・・・。Devil's Playground とはアーミッシュが、彼らのコミュニティのソト側の世界を表現したコトバである。

 まるで日本の「ヤンキー」たちが、やんちゃしたあと早々と結婚し、家庭をもつのと現象的には似ていなくもないが、アーミッシュの場合、先にも触れたように、「幼児洗礼」を否定し、あくまでも判断能力を持った人間が、「自由意志」によって生き方を選択する、という前提があるので、このような「通過儀礼」が行われるのである。

 これは、アーミッシュのコミュニティを維持させてきた、きわめてたくみな制度であり、メカニズムであるといえよう。

 実際問題、米国で高等教育を受ける機会のない彼らが、アーミッシュの世界の外に出て生きていくのは並大抵のことではないからだ。アーミッシュは、「ペンシルヴァニア・ダッチ」というドイツ語の方言が母語であり、礼拝はドイツ語の聖書を使い、アメリカ連邦政府とのギリギリの妥協点である義務教育8年間を受け入れ、英語を学ぶ。ただし、英語の語彙は農業生活にかんするものなどに限定されたものであるという。

 シンプルライフは、シンプルマインドにつながる危険と裏腹だ。まあ考え方によっては、あまり悩みすぎない仕組みがビルトインされているともいえる。

 しかし、「自由意志」で人生の選択を行うといっても、無数の選択肢のなかから選択が可能な人間と、そのライフスタイルを選択した人間の子どもたちとは、前提条件が同じだといえない。

 たとえばこういう比喩も可能だろう。1970年代にヒッピー・ムーブメントが存在したが、ヒッピーに身を投じたのは、その多くが大学生であった。資本主義的なライフスタイルをブルジョア的だと否定し、オルタナティブな東洋的なライフスタイルに憧れて、禅仏教やドラッグの世界に没入した。 

 しかしヒッピーのカップルにも子供が生まれる。子供は自らの選択によって出生したのではなく、ヒッピーというライフスタイルは、あたかも「幼児洗礼」のように、ものごころつく前から存在している。ヒッピー第二世代がヒッピーというライフスタイルを選択するか自由ではあっても、自由な生き方であったはずのヒッピーというライフスタイルは、ヒッピー・カップルの間に生まれた第二世代にとっては、選択の結果ではない。これは実質的には、もはや「宿命」に近い。

 ここに、「自由意志」による選択のもつ二律背反(アンチノミー)が存在する。人間は、生まれてきた環境によって「意志決定」の決定範囲を大きく制約されるのである。

 アーミッシュの場合、あくまでも「自由意志」によって最終的に意志決定して選択された、というストーリが完結し、世代を超えて何度も何度も繰り返されることになる。これは、「自由意思」という形をとった、「自己服従」以外の何物でもないのではないか? まあ、本人の「自由意思」である以上、外部の人間がとやかくいうような話ではないのだが。

 一見して古風にみえる彼らのライフスタイルは、根本は近代的精神に基づいたものでありながら、野放図な放縦を許さない仕組みがビルトインされているのである。 

 こういうところまで考えた上で、はじめてアーミッシュという生き方が、いいのか悪いのか判断すべきであろう。「自由意志」による個人としての選択が、次の世代の選択肢を奪うものであってはならないからだ。

 もちろん、子孫はいっさい遺さず、自分一代限りの人生で完結すると割り切れるのであれば、他人がとやかくいうものではない生き方であるといえよう。
 どんな生き方であろうと、外部から見るほどラクなものではなさそうだ。

 あくまでも外部から眺めて、アーミッシュのようなオルタナティブ生き方もいいかもしれないなあ、と思う程度であれば、実害はないだろう。

 隣の芝生は青く見えがちではある。





P.S. 「宗教改革」時代の「寛容と非寛容」(参考)

 『異端と殉教-宗教改革における心情的ラディカリズムの諸形態-』(倉塚 平、筑摩書房、1972)は、日本で学生運動の嵐が吹き荒れた頃、出版されたものである。

 学生運動で使われた「セクト」というコトバも、プロテスタント用語であることは偶然の一致とはいえない。ともに異議申し立ての運動であった、プロテスタントと学生運動には共通する精神構造があったと考えるべきだろう。

 『異端と殉教-宗教改革における心情的ラディカリズムの諸形態-』の目次を一瞥すると、その当時の雰囲気を感じ取ることもできるだろう。


1. スイス兄弟団-再洗礼派セクトの原型-
2. ミュンスター千年王国-革命的再洗礼派の悲劇-
3. セバスチャン・フランク-ある非党派主義者の思想と生涯-
4. オランダ再洗礼諸派-狂宴のあと、壊滅・逃避・韜晦・再建-
5. トーマス・ミュンツァー-革命の神学者と農民戦争-

 いまではもう、エンゲルスの『ドイツ農民戦争』なんて本は読まれることもないだろうから、トーマス・ミュンツァーといってもピンとこないだろう。

 非党派主義者のことである「ノンセクト・ラディカル」なんていうコトバも、宗教改革時代のプロテスタントの文脈と重ね合わせて考えると、理解しやすくなるかもしれない。いまではもう死語と化しているが。

 おなじ時代に日本で出版された、『寛容思想の歴史(世界大学選書)』(カメン、成瀬紀訳、平凡社、1970)では、「宗教改革」に始まった激烈なイデオロギー闘争が「宗教戦争」へと発展し、思想から始まった改革が単なる改革に終わらず、政治闘争にいたり、大量虐殺へと至る歴史を概観している。

 アーミッシュもこうした思想闘争から発生し、迫害を逃れて「約束の地」である米国に移住した人たちであることは、知っておきたいものである。

 「シンプルライフ」も、それが思想の表現である以上、貫き通すのは並大抵の努力では実現不可能なのである。
         


<関連サイト>

What Happens When the Amish Get Rich (Jen Banbury, Bloomberg BuinessWeek, June 26, 2014)
・・「アーミッシュがリッチになったとき」というタイトルの特集記事。こういう記事が経済週刊誌に掲載されるのは面白い。記事の最後の一節が効いている。 An Amish friend unconnected to the Florida Thing once said to me, “You think your life is complicated and ours is simple, but it’s the opposite. You just take everything as it comes. We’re constantly having to figure out what to do with new things.” As an Amish man told Donald Kraybill, “The Amish survived persecution in Europe, but I’m not sure they’ll be able to survive prosperity.” 欧州の迫害を逃れてアメリカに移住したアーミッシュだが、アメリカ経済の「繁栄のなかでサバイバルすることの難しさ」について語っている。

アーミッシュを襲うデジタル化の波|前近代的な暮らしにスマホとSNSが「侵入」してきた!(クーリエ・ジャポン、2017年10月14日)

【アーミッシュ in NY】宗教禁欲からの解放 5人の若者は初めての文明に触れるとどうなるのか| Ep.1 シーズン1(ディスカバリーチャンネル 日本語字幕つき 2022年7月 オリジナル BreakingAmish の放送は2012年) 



(2014年7月1日 項目新設)
(2017年10月14日、2022年7月24日、26日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録
・・母親は「自発的」な参加でも、子どもは必ずしもそうではない

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・閉鎖的組織が生み出す悲劇はカルトに共通する

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典

映画 『神々と男たち』(フランス、2010年)をDVDでみた-修道士たちの生き方に特定の宗教の枠を越えて人間としての生き方に打たれる
・・カトリックのトラピスト修道会もまた自給自足の規律ただしいシンプルライフ

修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった
・・修道院の生活は超早寝早起き。「規律による自律」の集団生活

(2013年12月26日、2014年7月1日、2015年7月25日 情報追加)


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