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2010年10月3日日曜日

海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)




 (式典 筆者撮影)


 海上自衛隊・下総(しもふさ)航空基地開設51周年記念行事(一般公開)にいってきた。場所は、千葉県柏市。記念行事と基地一般公開の概要は以下のとおりである。


下総航空基地開設51周年記念行事(一般公開)開催のお知らせ

海上自衛隊下総航空基地では、10月に基地一般公開を実施します。
皆様お誘い合わせの上、どうぞご来場ください。

● 開催日:平成22年10月3日(日)
● 公開時間:午前9時から午後4時まで
● 公開イベントの内容:飛行展示、体験搭乗、各種イベントなど。
●シャトルバス(無料)
   新鎌ヶ谷駅(東武野田線、新京成線、北総線)~下総航空基地間



内陸部の航空基地とはいえ、海上自衛隊の基地である。式典の本日の制服はみな白一色に統一されている

 今朝は早めに入ることにして、9時過ぎには基地内に入った。シャトルバスがピストン輸送しているので、バスのままゲートをくぐって基地内に入ることになる。
 下総航空基地に近い、陸上自衛隊の習志野駐屯地のすぐそばで少年時代を過ごしたので、習志野駐屯地のほうは何度もなかに入ったことがあるが、下総航空基地に入るのは、実は今回が初めてである。

 なんといっても違うのは、みな白い制服でビシっと決めていることだ。将校以上は、白い制服に制帽。下士官以下の兵は、水兵である。セーラーなのである!

 内陸部にある航空基地だが、海上自衛隊の基地である。このことはアタマでわかっていても、近年は迷彩服に身を固めているのが当たり前の陸上自衛隊とは大きく違うことに新鮮な驚きを覚える。白い制服は帝国海軍以来のもの、実にスマートな印象である。


開設51周年の式典は10時から

 まず、P3C による祝賀飛行。3機で連隊を組んだ P3C哨戒機 が祝賀会場のうえを轟音をあげて、来賓とわれわれの上空を飛行する。あっという間の出来事である。


(セーラー服姿の水兵たち 筆者撮影)

日本国旗と自衛隊旗を捧げ持ったセーラー服の儀仗兵たちが、着剣したライフル銃を右肩にかけ、軍楽隊のマーチにあわせて行進するのを見るのは、実に気持ちがよい。自衛隊旗は、かつての旭日旗である! ライジング・サンである。そして国歌・君が代斉唱。

 基地所属に海上自衛官将兵に訓辞する司令官の状況認識を聞いていると、極東情勢に対する危機感の強さに、日本国民としては、ある意味では安心を覚える。
 ここ数週間、尖閣諸島において、海上保安庁の巡視艇に中国漁船が体当たりしてきた事件をめぐって、一気に緊張が高まっているが、国土防衛のため、尖閣諸島で有事発生ともなれば当然のことながら、動員展開されることになるのかもしれない。自衛官は、このような高い意識で、日々国土防衛に当たっているのである。

 せっかく精鋭の部隊が日々訓練に励んでいても、シビリアンコントロールの意味をはき違えた政治家、あやまった目的のために「政治主導」を行う政治家が政権の中枢にいる限り、宝の持ち腐れになってしまう。
 戦後日本の不幸とは、シビリアンコントロールの主体であるべき政治家の勉強不足、責任回避であることをあらためて感じる。国民の生命財産を守るのが政治の役割ではなかったのか。

 しかし、自衛隊のみなさんは、政治家に振り回されることなく、日々の訓練に精を出していただきたい。一国民としては、そう思うのみだ。

 来賓の司令官、柏市長などの話を聞いていて思うのは、地域住民の理解あってこそ、自衛隊は成り立ちうるということだ。
 千葉県船橋市に住んでいる私にとって、正直いって、低空で離発着訓練を行う哨戒機や大型輸送機の爆音は、騒音であることは否定しない。ときおり、超低空飛行を行っている機体に書かれた文字が、はっきり目視できることすらある。
 正直いって騒音である。もちろん一日中ではないので問題はないが、うるさいと思わないといったらウソになる。
 しかし、カラダを張って国民を守る仕事に従事している海上自衛隊(!)のみなさんには何のうらみもないどいころか、いつもお疲れ様という気持ちでいっぱいだ。沖縄も米軍基地ではなく、自衛隊の基地であれば、基地に対する意識も変わってくるのではないだろうか。

 このためにも、毎年一回は基地を一般公開して、地域住民を中心に、ひろく国民との交流の機会をもつということは、広報戦略上きわめて重要なことだといえるのである。戦前の皇軍、すなわち「天皇の軍隊」ではない、戦後は「国民の軍隊」である。タックスペイヤーであるわれわれ日本国民のための軍隊。国民とともにある軍隊である。
 この点は、一党独裁国家の共産党の軍隊である人民解放軍とは、根本的に異なる点だ。このことは強調しておかねばなるまい。


催し物各種:「展示飛行」(≒航空ショー)、「落下傘降下」(陸上自衛隊第一空挺団)など



 さて、祝賀行事のあとは、さまざまな催しとなる。

 今回の目玉は、YS-11T機の最後のお披露目であろう。YS-11T はいうまでもなく唯一の国産旅客機 YS-11 が、民間の使命を終えた後に、内部を改造して海上自衛隊の訓練機として使用されてきたもの。今年限りで退役することになているので公開されたのであろう。


 この機体の内部を見学し、抽選で選ばれた人は体験試乗もできる。コックピットに入ることもできるが、列があまりにも長いので私は断念。後ろから覗いただけ。


 機内は改造しているが、軍用機なのであまり居住環境はよくなさそうだ。
 私は、内部を見学しただけだったが、久々に YS-11 の内部に入ることができてうれしかった。鹿児島から屋久島にいく便で乗って以来である。


 哨戒機P3CやYS11Tの「展示飛行」(・・航空ショーみたいなもの)が、最大の見物。入間基地の航空ショーは有名だが、下総航空基地の「展示飛行」がマスコミに取り上げられることはあまりないだろう。写真は「展示飛行」を終えて着陸した P3C哨戒機。

 二機や三機、四機で編隊飛行を行う哨戒機というのは、大型機であるだけに迫力があるだけでなく、自衛官の練度の高さを目の当たりに見えることができる。
 高速で飛行する哨戒機から、ピンポイントで物資を投下したり、爆弾を投下する(・・この日は実弾ではない)のは、技量の高さがとりわけ要求されるものだ。


 午前の部の最後は、陸上自衛隊第一空挺団(習志野駐屯地)によるパラシュート降下。第一空挺団のパラシュート降下訓練は、海上自衛隊下総航空基地の大型輸送機を使用して行われるため、密接な協力関係にある。
 今回は自衛隊の大型輸送ヘリコプター二機を使用してのパラシュート降下であった。小学生のころ、毎日のように教室の窓の外で落下するパラシュート降下訓練を見ていたので、私にとっては、見慣れた光景である。 陸上自衛隊のエリート部隊である空挺団ならではのものであるが、あの高度からの重装備で降下するのは、並大抵のことではない。降下する一人一人の隊員の氏名と出身地が読み上げられていた。軍隊では例外的な扱いであろう。それだけ名誉なことなのである。

 有事の際、敵国による侵略、とくに離島に対して行われた際は、このような形で作戦展開が行われるのかもしれない。

 一通りみているうちに、はや12時に近い。
 出店もあるが混んでいるので基地内では食事せず、ふたたびシャトルバスで駅まで戻ることとした。


内陸部にある海上自衛隊航空基地

 千葉県の柏市にある下総(しもふさ)航空基地、あまり認識している人は多くないと思うが、この航空基地は航空自衛隊の基地ではなく、内陸部にあるが、海上自衛隊の航空基地である。しかも、帝国海軍の海軍航空基地ではなく、自衛隊になってから戦後にできた、新しい基地なのだ。

 Wikipedia の記述によって、基地開設までの沿革をたどっておこう。なお、私の判断で「終戦」の文字は「敗戦」と置き換えておいた。太字ゴチックは引用者=私によるもの。

1932年(昭和7年):武蔵野カントリークラブ「藤ヶ谷コース」として開発される(・・当時東洋一の規模のゴルフ場であった)
1945年(昭和20年):陸軍省が接収し、旧日本陸軍藤ヶ谷飛行場となる。敗戦後、米空軍白井基地(Shiroi Air Base)としてGHQに接収される。
1959年(昭和34年):日米共用飛行場になる。海上自衛隊白井術科教育隊が編成される。同年末、米空軍(第5空軍)が撤退、海上自衛隊専用の基地として出発

 もともと東洋一(!)のゴルフ場だったということだ。都市近郊でこれだけまとまった土地を確保できたのはこのためなのだ。

 戦前の帝国海軍時代は、山本五十六長官のような航空兵力の重要性に認識していた幹部も存在したが、マジョリティは艦隊決戦主義で、海軍の航空兵力は航空母艦に艦載の戦闘機にほぼ限定されていた。もちろん、米国はすでに、ボーイング社の B-29 などの大型爆撃機を量産する体制ができあがっていたが、いかんせん日本にその能力が欠けていたのである。

 もちろん、現在の日本は専守防衛を国是としているわけであり、侵略は否定し防衛のための軍隊を有している。戦後は、航空母艦(空母)をもたない日本も、世界第6位という長い海岸線をもつ国土を防衛するための哨戒機の導入など、航続距離の長い大型輸送機などの導入によって大きく変化している。

 下総航空基地は、こういった戦後の航空兵力の大きな変化に対応した、もじどおり海上「自衛隊」の「戦後型の航空基地」といえるのだろう。配備されているのは、P3Cなどの哨戒機、国産旅客機YS11を改造した訓練機などである。

 ところで、祝賀式典で司令官が述べていたが、最大時には100機あった P3C哨戒機が、防衛予算削減により、現在では65機しか日本全国に配備されていない(!)という。効率的に運用することで対応しなくてはならないと訓辞していたが、これで国土防衛はほんとうに大丈夫なのかしらんと少し不安になった。 
 現在、ソマリア沖に派遣されている P3C哨戒機は二機である。

 「いまそこにある危機」は、いつ「有事」になってもおかしくない状況として急浮上している。いや、すでに実質上、「有事」にあるといっても言い過ぎではないだろう。隣国は、領有の意図を明確に示しているのである。
 
 「マニフェスト」で約束した、経済効果の不確かな諸政策に予算つけるくらいなら、防衛費をしかるべく増強すべきではないか? 
 少なくとも、国内製造業にとって経済効果のあがるような、防衛予算増加はあるはずだ。税金の使い道は、国民自身が決めるべきことである。



<関連サイト>

海上自衛隊下総教育航空群

中国海軍を震撼させる、日本の秘密兵器まもなく登場する固定翼哨戒機「P-1」は世界最高性能(JB Press 2010年11月12日)
・・2011年から配備が開始される、「P3C」後継の国産機「P1」開発をめぐる、元海将による詳細なレポート。日本の技術の粋を集めた国産機開発


<ブログ内関連記事>

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた
・・2009年8月

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)

書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003) 

シビリアン・コントロールということ-オバマ大統領が政権批判したアフガン駐留の現地司令官を解任




(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)


   
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