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2011年5月6日金曜日

書評 『苦海浄土-わが水俣病-』(石牟礼道子、講談社文庫(改稿版)、1972、初版単行本 1968)


「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む

 福島第一の「原発事故」の処理に際して、放射能汚染水を地域住民にも国際社会にもいっさい説明することもなく、垂れ流しの決定を行った日本政府。このことを知ってただちに思い出したのは「水俣病」のことであり、『苦海浄土』のことである。

 今回の「人災」を機会に、ずいぶん前に買って本棚に入れておきながら、背表紙を眺めるだけで、読まないままになっていた文庫本を読み始めた。単行本初版からは、すでに 43年もたっている。

 水俣病とは、チッソが海に流した廃液にふくまれたメチル水銀が食物連鎖のなかで魚介類に蓄積し、それを日常的に食べていた漁民を中心に引き起こされた公害病のことである。1956年に公式に確認された水俣の悲劇は世界中に知れ渡り、水俣はミナマタとなった。わたしも子どものときに TVで見た、ネコが踊り狂うモノクロの映像が目に焼き付いている。

 この本は、「公害事件」を目の当たりにした、その土地に育ち、生きてきた一人の女性で、主婦で、詩人の手になる作品である。「公害」発生前の美しい海と、「公害」発生後の汚れた海から目をそらすことなく、被害にあった漁民たちにきわめて近いところで寄り添い、声になった怒り、声にならぬ魂の叫びを、著者の肉体と精神というフィルターをとおして文字にした文章を集めて一書にしたものだ。

 『苦海浄土』の「苦海」(くかい)とは、生き地獄を意味する「苦界」(くがい)に掛けたものだろう。だが、その「苦海」と「浄土」が結びつくとき、いったい何を意味しているのだろうか?

 あくまでも「私小説」でありノンフィクション作品ではない。また、土地の方言を生かした語り口は、土地の人間ではない読者には慣れないので、けっして読みやすいものではない。だが、これは方言の使用なくして書きえなかった作品であることは間違いない。 

 福島に第一原発と第二原発をもつ東京電力と周辺住民の関係は、熊本県水俣に肥料工場を建設したチッソ(=新日本窒素肥料株式会社)と周辺住民の関係と似ていることは否定できない。もちろん単純な比較は意味がないことではあるが。

 メチル水銀のまじった汚染水と放射能をふくむ汚染水という違いはあるが、漁場が汚染されたという事実だけでなく、致命的な事故が発生するまでは東電もチッソも地域にカネを落とし、雇用の一部を作り出した恩恵者であったことが共通しているのだ。

 環境汚染企業と周辺地域住民との関係はアンビバレントなものであり、「企業城下町」や「原発城下町」という性格を知ることなしに、汚染水問題を論じることの難しさもまた知ることになる。

 この国は、近代に入ってから足尾銅山、カネミ油症、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件と、枚挙に暇(いとま)のないほど、数々の「公害事件」を引き起こしてきた。

 現在フクシマで起こっているアクチュアルな事件を見つめながら、先行するミナマタを描いた小説を読む。こういう読み方は文学作品の読み方としては邪道かもしれないが、それでもこの『苦海浄土』を読むと、文学のチカラをあらためて感じることもできるのだ。

 科学万能神話に疑問符がつきだしたいまこそ、詩人をはじめとする文学者への期待するものは大きい。

 今回の大地震、大津波、原発事故、風評被害という四重苦から、どんな文学作品が生まれてくることになるのだろうか? 読み終えて、そんなことも感じている。


<初出情報>

■bk1書評「「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む」投稿掲載(2011年5月4日)
■amazon 書評「「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む」投稿掲載(2011年5月4日)

*再録にあたって加筆修正を行った。




目 次

第1章 椿の海
第2章 不知火海沿岸漁民
第3章 ゆき女きき書
第4章 天の魚
第5章 地の魚
第6章 とんとん村
第7章 昭和四十三年


石牟礼道子(いしむれ・みちこ)

1927年熊本県天草生まれ。詩人・作家。水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て、1958年、谷川雁・森崎和江・上野英信などともに『サークル村』に参加。1960年5月終刊。代表作『苦海浄土-わが水俣病-』(講談社)は、第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが受賞辞退。1973年マグサイサイ賞受賞。1993年『十六夜橋』(径書房、のちに ちくま文庫)で紫式部文学賞受賞。2001年度朝日賞受賞。『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で、2002年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞(本データは別書籍が刊行された際に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 この書評を読まれて不快に思われる方もいるかもしれない。「人間の尊厳」をうたった「いのちの文学」、これがこの本につけられた評価だからだ。

 そういう反応があっても当然だろう。わたしは、いっさいの先入観なしに、最初のページから最後のパージまで読んでみた。その正直な感想を「書評」として書いてみたまでだ。どうもわたしは、アタマの構造が理系的なので、文学作品をそのまま情緒的に味わう能力に欠けて点があるのは仕方あるまい。
 
 そもそも、本というものは、著者の手を離れたとたんに、さまざまな読みがされるようになるものだ。

 『苦海浄土』もまた同様である。書評にも書いたように、これだけ有名でありながら、実は読まれていない本もないのではないか? わたし自身もそうであったし、もしかすると一般的にもそうかもしれない。「水俣病」と『苦海浄土』が連想でつながったとしても、読みやすい本ではないし、正直いって感想も書きにくい。

 放射能被害という「人災」にあったのは陸地の農家だけではなく、海の漁師に対してでもある。

 水俣は内湾で、天草と同様、有数の漁場である。メチル水銀は比重が重いのでそのまま沈殿しやすい。分解もされないいし、半減期もないので、そのまま食物連鎖をつうじて魚介類に蓄積されることになる。被害地域は工場排水が垂れ流しにされた水俣に集中している。

 福島沖は太平洋に面した漁場で、しかも黒潮という暖流と、親潮という寒流がぶつかる世界有数の漁場である。この広い海域が放射能を含んだ排水で汚染されたのだが、海流にのって拡散しやすいのは、水俣の状況とは異なる点であろう。

 だが、たとえコウナゴなどの小魚の放射能が基準値を下回ったとしても、同じく食物連鎖をつうじて魚介類に蓄積していくであろうことは容易に想像できる。

 化学物質と放射能とでは、性格の異なる物質であるが、目に見えない汚染であり恐怖の源であるという点においては共通している。
 
 だが、2011年というこの時点において、過去に公害被害をさんざん経験しているはずの日本が、先進国であるはずの日本が、いとも簡単に放射能汚染水を、公共の存在である海に、無断で放出することを許可したのである。代替案を検討したかどうかも定かではない。

 この犯罪的行為は、半永久的にひとびとの記憶から消え去ることはないだろう。人類に対する犯罪行為である。



<ブログ内関連サイト>

書評 『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)
・・かつて「公害問題」といわれていた頃のベストセラー

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「高度成長」の負の側面が「公害問題」であった

書評 『日本は世界4位の海洋大国』(山田吉彦、講談社+α新書、2010)
・・日本の国土面積が世界61位であるにかかわらず、領海・排他的経済水域(EEZ)の面積は世界第6位、そして海岸線の長さも世界第6位であるが、国土の面積あたりの海岸線延長ではなんと世界一である

『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・水俣の前に足尾あり。足尾銅山事件は明治時代の公害事件

「如水会講演会 元一橋大学学長 「上原専禄先生の死生観」(若松英輔氏)」を聴いてきた(2013年7月11日)
・・『苦海浄土』もまた死者たちの声なき声をすくいあげて結晶させた文学作品である。 既存の宗教団体ではすくいとられることのない「死者」たちの声

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・『苦海浄土』の成立に編集者としてかかわった渡辺京二氏は、『苦海浄土』文庫版の解説を執筆している

(2014年4月21日、8月29日 情報追加)


 
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