■いまこそ読むべき本。有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊■
知的刺激に充ち満ちた一冊。文庫本の600ページを全然長いと思わせない面白さ。最後まで読ませる、小説であって小説でないような、一人称語りのノンフィクション。
いまからすでに、37年も前の作品だが、古さをまったく感じさせない。
本書は、初版が1975年、元は1974年に朝日新聞に毎日連載されていた「新聞小説」だったというのは、さらにまたオドロキだ。「数年前から連載小説を書く約束をしていた朝日の学芸部に、私からお願いして、こういう内容だけれど必ず読者を掴まえて見せますからと公言して書かせて頂いたもの」(あとがき)だそうだ。
1974年は石油ショックの翌年、「高度成長」時代を突っ走ってきた日本が、さまざまな問題をつうじて、高度成長のひずみが一気に噴き出した時代である。
当時は「環境問題」ではなく、「公害」といわれていたが、カネミ油症事件や水俣病などだけでなく、日常的に光化学スモッグなどにさらされてきたのが日本人である。
私自身も、子どもの頃にそんな時代を過ごしてきたのだが、著者の表現ではないが、世界から「人体実験」の場と見られてきたのも、けっして誇張ではない。今回の「原発事故」による放射能漏れにかんしても同じなのではないか、という気持ちにさせられるのである。
殺虫剤、農薬、工場排水、排気ガス・・・。それらに含まれる一つ一つの化学物質についても、危険度が完全にわかっているとは言い難いのに、さらにそれらが「複合」しているのであれば「汚染」の度合いはいったいどうなのか? ほんとうのところ、いまだによくわかっていないのだ。
読んでいて思うのは、この国の「近代」とは、いったいなんだったのかというため息にも似た感情だ。農業もふくめてすべてを「工業化」するという発想にもとづいた政策。
この政策はが現在でもまったくゆるまることがないのは、「原発事故」に際して露呈した、監督官庁と産業界と御用学者との癒着に端的にあらわれている。一言でいえば「消費者不在」に尽きる。果たしてこの国は先進国といえるのだろうか??
有吉佐和子の作品は『恍惚の人』など、タイトルのうまさが流行語になるので、名前は知っていたが、じつはいままでまったく読んだことがなかった。本書は、有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる本である。
著者は、この本を書くために参考文献を300冊以上読み、何十人もの専門家に会ったという。これだけの筆力のある作家が、自分が生きている時代に起こっていることに対して、問題意識と好奇心のおもむくままに突撃取材を積み重ねた内容。これが面白くないはずがない。
そうでなければ、科学技術と工業、そして農業や漁業との関係を扱った本が当時のベストセラーとなっただけでなく、現在でもロングセラーとして読み継がれているはずがない。
さまざまな感想をもつことは間違いない。それだけ、知的な満足感の強い、面白い作品なのである。
化学物質による「複合汚染」だけでなく、さらに「放射能汚染」問題が加わったいまこそ、ぜひこの機会に手にとって読み始めてほしいと思う。
<初出情報>
■bk1書評「いまこそ読むべき本。有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊」投稿掲載(2011年5月1日)
■amazon 書評「いまこそ読むべき本。有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊」投稿掲載(2011年5月1日)
著者プロフィール
有吉佐和子(ありよし・さわこ)
1931~1984年。和歌山市生まれ。東京女子大短大卒。1956年「地唄」が芥川賞候補となり、文壇に登場。紀州を舞台にした『紀ノ川』『有田川』『日高川』の三部作を発表し、『華岡青洲の妻』で女流文学賞を受賞。
<書評への付記>
ところで、冒頭の数十ページには、市川房枝の選挙応援をするはめになった著者が、選挙スタッフとして勝手連の中心にいた「菅さんというハンサムな若者」と微妙に距離をとるシーンがでてくる。
いまこの時点で『複合汚染』を読んでいるとき、この国を迷走させている首相とオーバラップされてくる奇妙な感覚を、ぜひみなさんも味わってもらいたいと思う。菅直人というのはこういう人物か、と。
この小説は、構成が先にありきといった作品ではなく、新聞連載という性格もあろうか、著者の興味と新聞読者の関心が交差しながら、どんどん発展していくという形態になっている。
一人称語りのノンフィクションという、いまでは当たり前のスタイルが当時は読者の共感を得たのかもしれない。
私が読んだ新潮文庫版も、平成14年に49刷改版から、私の手元にある平成20年の第55刷まで毎年コンスタントに刷りが重ねている。いまでも読まれているということは、それだけ知的に面白いということを意味している。もちろん、内容的には、その後の研究成果を踏まえれば、訂正される箇所も少なくないだろう。
本書は、基本的に農業と漁業という「食の安全」に直結する産業に対する、工業化を突き進んでいた「近代日本の負の遺産」を描いたものだ。1974年という年は、石油ショックによる狂乱物価の翌年にあたる。高度成長が終わった年であり、これまでずっと続いてきた成長路線に懐疑的な視点が生まれてきた年だ。
「近代日本の負の遺産」とは端的にいって「公害問題」。現在では「環境問題」といっているが、水も大気も汚染され、それはそれは酷い時代であったのだ。河川も海も汚染水で異臭が漂い、ヘドロがたまり、いまの中国のような状態だったといえば想像もつくだろうか。
1974年当時にくらべたら、環境そのものはだいぶ浄化されたといっても言い過ぎではない。だが、化学物質にによる汚染が消え去ったわけではない。いったん排出された化学物質は、放射能と違って半減期はないので、そのまま堆積し、食物連鎖をつうじて結局は人間のクチに入ることになる。
食物連鎖(food chain)による食品汚染といえば、とくに魚介類がその最たるものであることは、本書で何度も強調されていることだ。
現在、福島第一の「原発事故」で海に放出された放射能汚染水は、コウナゴなどの小魚が放射能を吸収し、それを食べた大きな魚に蓄積し、さらには鳥や人間に蓄積されて高レベルになっていく。たとえ半減期があったところで、濃縮された量がいったいどれだけになるか、考えただけでも怖ろしい。
それだけ酷い公害のなかで子ども時代を過ごしてきたのが、わたしの世代である。1960年代後半は、これに加えて中国により核実験の「死の灰」が風にのって日本まで来ていたのである。現在でも、黄砂には微量の放射性物質がまじっているようだ。
とはいえ、いまにいたるまで、とくに大きな病気もなく過ごしていることを考えれば、人間というものも意外と生態系への適応力があるものなのかな、と思ってみたりもしないわけではない。
本書は告発の書というよりも、問題提起の書である。「複合汚染」問題を、著者とともに、いろんな専門家に聞いて回るというスタイルが、知的な好奇心を刺激されるというわけなのだ。
最後のほうで、その当時はまだ四輪車では中小企業だったホンダがでてくる。米国で高い基準を設定されたマスキー法をクリアして、CVCCエンジンの開発に成功して、一躍、世界的企業になった頃の若々しいホンダである。
この問題に対する役人の答弁が、現在の「原発問題」でのそれとまったく変わらないことに、「内向き国家・日本」の政治家と官僚への失望感と、あくまでも「民」の立場に徹する中小ベンチャーへの期待ももつのは、本書のなかの数少ないが救いとなる箇所である。
「消費者不在」、「国民不在」の姿勢、これがいっこうに改まることのない状態に、NOをつきつけなければ、いつまでたってもこの国が変わることはないだろう。
『複合汚染』で提起された問題は、2011年現在でもアクチュアルなものである。残念なことながら。
<ブログ内関連サイト>
「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・思想家で人智学者のシュタイナーの見解
書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)
・・「食べてはいけない」というベストセラーとは違う意味の「食べてはいけない」
「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加・・宗教上の理由によって「食べてはいけない」
書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)
・・放射能汚染の「風評被害」にまどわされないよう!中国の「毒菜」よりはるかにましな「地産地消」
書評 『土の科学-いのちを育むパワーの秘密-』(久馬一剛、PHPサイエンス・ワールド新書、2010)-「土からものを考える視点」に貫かれた本
書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)
・・土壌とは無縁の植物工場なら、放射能汚染は関係ない
『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性
・・無農薬の「自然栽培」を実践するリンゴ農家
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・・『複合汚染』で紹介されている「コンパニオン・プランツ」
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・・「高度成長」の負の側面が「公害問題」であった
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『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・水俣の前に足尾あり。足尾銅山事件は明治時代の公害事件
(2014年4月21日、8月29日 情報追加)
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