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2012年1月5日木曜日

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!


日本における「封建制」なる用語をめぐる日本人の歴史観の歴史■

数々の名著を生み出してきた、室町時代を中心にした日本中世史の権威が取り組んだ、日本語の「封建制」なる用語をめぐる、近代日本における日本人の「歴史観の歴史」である。

いっけん、事実関係をトピックとして取り上げながら時系列でたどったような構成になっている。

だが、わたしには本書のメッセージは、戦後の日本歴史学というものが、いかに左翼勢力によって汚染され、歪められていたかということを暗黙にうちに語っていることのように思われた。

言い換えれば、つい最近まで、曇りなき眼で社会科学を研究することがいかに困難な課題であったかについて、暗黙のうちに語っている本なのだ。

わたし自身、本書に登場する福田徳三や上原専禄といった大御所の末端に連なる学徒として、大学学部では「歴史学」を専攻した人間だが、いまだソ連が崩壊する以前の1980年代前半においては、「社会科学」をめぐる状況は、それはもう酷いものだったのだと言わざるを得ない。

戦後日本社会をリードした「近代主義者」たち、すなわち丸山真男や大塚久雄に代表される「進歩的学者」たちがまきちらした害毒によって汚染された「空気」が充満していたのが社会科学の世界であった。

つまりは、社会科学=マルクス主義という妄説がまかり通っていたわけだ。

もちろん、カール・マルクスその人とマルクス主義がまったく異なるものであることは、ブッダその人と仏教がイコールではないこと、イエス・キリストその人がキリスト教とイコールではないことと同じである。

いまでは想像もつかないだろうが西洋史の世界では、 マルクス主義歴史学(=史的唯物論、 いわゆる唯物史観)に基づく「発展段階説」などという愚論や、まったくもって不毛としかいいようのない「封建論争」なるものが、わたしが大学在学中の1980年代前半でも続いていたのである。

この両者とも本書では直接の言及はないが、西洋史においては根強く残っていた残滓としかいいようがないのだ。

こんなことを書けるのは、わたしがビジネスマンであって学問世界の人間ではないからではある。著者もまた、1980年代にはこんな本を書くなどまったく想像もつかなかったことだろう。日本史もまた唯物史観がはびこっていた世界だからだ。

本書で特筆に値するのは、第5章でドイツ出身でアメリカに移住した社会科学者ウィットフォーゲルと生態学者の梅棹忠夫が、奇しくも同じ1957年に、それぞれ異なるアプローチから結論にいたった「封建制」にかんする学説を大きく取り上げていることであろう。

それぞれ、『オリエンタル・デスポティズム(=東洋的専制主義)』(ウイットフォーゲル)と『文明の生態史観』(梅棹忠夫)にまとめられた学説は発表当時はごうごうたる非難を招いたようだが、1991年のソ連崩壊によってこの二人の理論の正しさは実証されることとなった。

一言で要約してしまえば、「封建制」がユーラシア大陸の東西両端に位置する日本と西欧においてのみ成立し発展した理由が、理論的に説明されている学説である。

この点については、ぜひ湯浅赳男氏の一連の著作を参照されたいと思う。ウィットフォーゲルをタブー視してきた日本の社会科学の世界で、いったいなにがあったのかは、とくに『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)で詳しく知ることができる。

ところで、京都出身で京大経済学部を卒業し、大蔵省のキャリア官僚でもあったという異色の歴史学者・今谷明氏の、同郷の先輩にあたる上原専禄や梅棹忠夫への敬意は読んでいて気持ちがいい。

本論もさることながら、あとがきで触れられた上原専禄の隠遁生活とその死にまつわる記事の紹介には、あらためていろいろと感じるものがある。著者自身の個人的な思い出がいかなるものかは知らないが、レクイエムというべきであろう。

本書のタイトルもまた、梅棹忠夫の『文明の生態史観』を意識したものだろうか?

一日も早く、「封建制」があったからこそ日本は近代化したという歴史的事実が、国民一般の常識となってほしいものだ。


<初出情報>


■bk1書評「日本における「封建制」なる用語をめぐる日本人の歴史観の歴史」投稿掲載(2011年 9月13日)
■amazon書評「日本における「封建制」なる用語をめぐる日本人の歴史観の歴史」投稿掲載(2011年9月13日)

*再録にあたって大幅に加筆しました。






目 次   
序章 現代日本に受け継がれている封建制
第1章 モンゴルの世界征服と封建制
第2章 日本人は封建制をどうみてきたか
第3章 島崎藤村と大隈重信-封建制評価の動き
第4章 近代日本と封建制
第5章 梅棹忠夫とウィットフォーゲル
第6章 その後の封建制論
あとがき


著者プロフィール     

今谷 明(いまたに・あきら)
1942年京都市生まれ。京都大学経済学部卒業後、大蔵省、経済企画庁に勤める。その後、京都大学大学院へ入学し、1976年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。専攻は、日本中世政治史。国立歴史民俗博物館助教授、横浜市立大学教授、国際日本文化研究センター教授などを経て、現在、都留文科大学学長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<書評への付記>

とにかく古い制度は「封建的」という一言で片付ける風潮がかつて存在した。

正確にいえばアンシャン・レジーム(=旧制度)というべき事象を、「封建的」という一言で片付けるのは、悪しき左翼用語の名残である。むしろ、「前近代的」というべきなのだ。

とはいえ、現在はすでにその「近代」も中途半端なまま終わってしまい、時代はすでに「後近代」。「前近代」(=プレモダン)と「後近代」(=ポストモダン)は容易には見分けられない状態である。


「封建制」研究における一橋大学歴史学の貢献

書評にも書いてあるが、わたし自身、じつは本書の主要主人公である上原専禄氏の孫弟子にあたる。歴史学者の阿部謹也氏は上原専禄の弟子にあたるから。

「進歩的学者」とみなされていた上原専禄であるが、専門の歴史学者としては、日本における「封建制」というコトバの使われ方に対してなんども苦言を呈していたことが本書には指摘されている。

阿部謹也ゼミナールの出身者として思うのは、「封建制」の研究分野において、一橋大学(=東京商科大学)の知的貢献がきわめて大きいということだ。これは東京大学とも、京都大学とも、早稲田大学とも慶應大学とも異なる「歴史学」における伝統である。

「一橋大学における歴史学」については、書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)に詳しく書いておいたので、ご参照いただきたい。増田四郎氏もまた、上原専禄氏の弟子であり同僚だった歴史家である。

わたしが在学中の1980年代前半でも、一橋大学の歴史学の分野では、単線型の発展段階説は完全に否定されていた。例外はあったものの、マルクスもウェーバーも、あくまでも社会科学の先達として取り組むべき対象であった。ビジネスマン養成を目的とした大学としては当然であろう。

経済学の分野では、「マル経」というものが存在したが、これは「近経」の対語。近代経済学(=近経)に対するマルクス経済学(=マル経)という意味。

当時は、東大経済学部では「マル経」が主流だが、一橋大学経済学部では「近経」が主流といわれていた。経済学ではケインズやシュンペーターが主流であった。マルクスはアダム・スミスと並んで、社会科学の元祖的存在という扱いであった。

本書でさらに欲をいえば、ドイツの歴史学者カール・ランプレヒトを引き合いに出しながら、著者が東京商科大学の三浦新七を出さないこともまた残念なことだ。三浦新七は、上原専禄の先生である。

面白いことに、ウィットフォーゲルもまた晩年のランプレヒトの下でドイツ史を学んでいたことは、
「東洋的生成主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)に書かれている。


マルク・ブロックの『封建社会』とブローデルの認識について

「封建制」に話を戻すが、ドイツ語で執筆された福田徳三と上原専禄の著書と論文は、レジスタンスの戦士ととして斃れた悲劇の歴史家マルク・ブロックも、古典的名著『封建社会』(堀米庸三監訳、岩波書店、1995 原著は 1939)で参考文献としてあげていることを触れておこう。

「封建制」がユーラシア大陸の東西両端でのみ発展したことは、これら日本人学者(しかも二人が東京商科大学!)によるドイツ語の著作と論文と、米国のイェール大学教授・朝河貫一による英文の論文と著作によって、欧州の中世史研究者にも常識となっていたということだ。

「参考文献Ⅷ 比較史のなかの封建制」にあげられている22の文献のうち、福田徳三の著書が1点、上原専禄の論文が1点、朝河貫一の著書が1点に論文が2点である。

参考のために、ドイツ語と英語による論文のタイトルをあげておこう。(注:イタリックは著書をあらわす)

Asakawa (K.), The documents of Iriki illustrative of the development of the feudal institutions of Japan. New Haven, 1929 (Yale Historical Publ. Manuscripts and edited texts, X) Avec une important introduction.

Asakawa (K.), The origin of feudal land-tenure in Japan, American Historical Review, ⅩⅩⅩ, 1915. 

Asakawa (K.), The early sho and the early manor: a comparative study, Journal of economic and business history, vol.1, 1929. 

Fukuda (Tokusa), Die geselschaftliche und wirtschaftliche Entwickelung in Japan, Sttutgart, 1900 (Münchner volkswirtschaftliche Studien, 42)

Uyehara (Senroku), Gefogschaft und Vasalitat im fränkischen Reiche und in Japan, Wirtscaft und Kultur. Festschrift zum 70. Geburtstag von A. Dopsch., Wien, 1938.

マルク・ブロックの『封建社会』では、これらの文献をもとに以下のような重要な発言をしている。「第2巻 第3編 第1章 社会類型としての封建制」

しかしそれにもかかわらず、かなり確実な結論をここから抽き出すことができるように思われる。封建制は決して 《世界でたた一度起こった出来事》 ではなかった。日本は、避けがたい、そして著しい相違はあったにもせよ、ヨーロッパと同じくこの段階を経過したのである。(P.549)

また、別の箇所ではこのような文章も見られる。「第1巻 第2部 第5章 複数の主君を持つ家臣」

《武士は二君に見(まみ)えず》。乃木大将は1912年になってもなお、日本のこの旧い格言を引き合いに出して、明治天皇の死後生きながらえることを拒んだ。この格言には、誠実関係を厳密に解した場合、その全体系から必然的に帰結される掟が示されている。フランクの家臣制の準則も、はじめはまさしくこのようなものであった。・・(以下略)・・ (P.263)

もともとは西欧社会の封建制においても、「二君にまみえず」が当たり前であったため、主君との「契約」という観念が発達していなかったことを、比較史の成果によって明らかにしているわけだ。

ところで、本書では言及がないが、マルク・ブロックの監訳者である東大文学部西洋史学科教授であった堀米庸三氏の「封建制」論について触れてないのも残念なことである。

また、20世紀最高の歴史家フェルナン・ブローデルはこういう発言をしている。

封建社会からゆっくりと崩壊して資本義社会が出現した点において、西欧社会と共通しているのは日本だけである。

「封建制」があったからこそ日本は近代化したという説明は、ここにおいても確認されることになる。

ブローデルが日本について言及しているのは、フランスのアナール派歴史学者として、マルク・ブロックの学問に連なる学者であるからだろう。この点については、書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)を参照していただきたい。

「封建制」は専門研究分野としては狭く深いものがあるので、深入りするときりがないが、「比較文明」という観点からみると、ユーラシア大陸の東西両端にある日本と西欧のみに存在したことはきわめて重要な歴史的事実であることは、何度繰り返しても、言いすぎということにはならない。

「封建制」が、日本と西欧で、お互い独立に発生し、発展したのはなぜか?

この答えを出したのが、これまたお互い独立に提出された、ウイットフォーゲルと梅棹忠夫の理論的説明であるのもまた興味深い。

「封建制」の存在によって日本や西欧が、それ以外の「大陸国家」とは完全に区分されていることを、日本人は「常識」としなければらないのである。







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封建制(追加)-梅棹忠夫とウィットフォーゲルの1957年

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ
・・本記事を執筆後にまとめておいたので、ぜひ参照していただきたい

(2017年8月22日 情報追加)




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