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2023年10月1日日曜日

書評『予言者 梅棹忠夫』(東谷暁、文春新書、2016)ー 経済ジャーナリストによる異色のウメサオ評伝と「予言」の数々を振り返る



面白かった。裏方の視点から見た梅棹忠夫である。回想と幅広い視野と知識をもとに、著者なりの全体像を描いたものだ。

2010年に亡くなってから6年後の評伝。その評伝をさらに7年後に読む。『文明の生態史観』で著名な梅棹忠夫も、すでに過去の人になってひさしい。

だが、あらためて、その「予言」というか、未来を見通す目に注目したいものである。

現在は経済評論家を名乗っている東谷暁氏だが、いちばん最初の就職先は「民族学振興会千里事務局東京分室」だったという。そこに6年間在籍して「季刊民族学」の編集作業を行っていたのだとか。

「民族学振興会千里事務局東京室分室」は、分解すれば「民族学振興会」「千里事務局」「東京分室」となる。

その背後にあったのは、民族学あるいは民俗学をめぐって、東京と京都を中心とする関西とのあつれきを解消することだったという。梅棹忠夫は、いうまでもなく「京都中華主義者」であった。


■虚心坦懐に見ていれば、おのずから先が見えてしまう

自然科学者の視点で、虚心坦懐に観察し、あるがままにものを見るからこそ、ものごとの行く末が先が見えてしまうのである。老荘思想の無為自然というか、自然体というべきか。

もちろん、それがむずかしいからこそ、多くの人の目は曇ったままなのだが・・。

「行為者」であり、「実務家」であり、「明るいニヒリスト」であった梅棹忠夫。

「予言」というよりも「予見」といったほうが正確だと思うが、その「予言」を列挙してみれば、高度成長、ソ連崩壊、情報化社会、専業主婦の減少など数々ある。

「戦後日本社会」の変化を予言し、しかもその予言がことごとく的中したことは特筆すべきである。

帯に書かれた最後の「予言」とは「日本文明の終わり」というものだ。

そうかもしれないし、そうではないかもしれない。反発を感じる人もいるだろう。

だが、いずれにせよ、右肩上がりの上昇がないことは明らかだ。ふたたび登り調子になるのは、はるか先のことになるだろう。

19世紀前半の「文化文政時代」から始まった「日本文明」の興隆は、すでにピークアウトしたと考えるのが自然ではないか。

とはいえ、これはに日本が消えて亡くなってしまうことを意味しているわけではない。「日本文明」という「文明」が、その「ライフサイクル」の終わりに来ているということだ。わたしはそう解釈している。

文明というものは、すべて循環的なものである。ある文明が興亡し、つぎの文明が別の地域で興亡する。この繰り返しである。どんな文明も永続的ではない。「古代文明」だけでなく、「近代文明」もまたおなじ道をたどることになろう。

巨視的にみれば、そうなるだけの話だ。


■「ロシア解体」という「予言」

著者は「日本文明の終焉」を「最後の予言」とするが、それだけが「最後の予言」ではない。本書には指摘がないが重要な「最後の予言」について触れておこう。

それは鶴見俊輔と河合隼雄をまじえた鼎談の席での発言だが、「予言」というよりも「放言」というべきかもしれない。「思いつき」であるが、常人にはできない「思いつき」である。



それは『丁々発止』というタイトルの鼎談本だ。朝日新聞大阪支社から1998年にでた本である。朝日新聞の企画記事を単行本化したものだ。「20世紀末」であったからこその企画発想であろう。

わかいときから親しい梅棹忠夫と鶴見俊輔、世代的にはすこし下になる河合隼雄。なかなか面白い取り合わせだ。この3人はみな京都大学に籍を置き、京都の知的風土を熟知している戦後世代の論客たちである。

さてその「予言」だが、「ロシア解体」である。「ソ連解体」は最終段階ではなく、さらに「解体」」するであろうという「予言」だ。


梅棹 たとえば、ソ連邦という一種の巨大国家があったけれど、これもばらばらになってしまった。あれで、ソ連邦の第一次解体現象は進行したわけです。私は、まだ進行するとみているけどね。一見、EU(欧州連合)みたいな再編成というか、解体の反対の現象があるようにみえますが、同じことです。あれもまた、解体するやろな。




「関西独立論」の文脈で語っているが、その後のEUの動揺や、ウクライナ侵攻後に動揺するロシアの動向を見ていると大いにうなづくものがある。さすがやな、と。

しかも1998年の発言である。いまから25年前、四半世紀前の発言である。

まあそんな「放言」もふくめて、「予言者」としての梅棹忠夫の「発言」を検証してみるのも面白いことだろう。微視的にみることも大事だが、ときには大風呂敷で巨視的にみることも重要だ。

さて、はたして「ロシア解体」があるかどうか、その行く末もふくめて注視していきたいものである。欧米の見解の受け売りではない、日本発の自前の思想家の発言として。




目 次 
プロローグ 実現した予言と失われた時代 
第1章 「文明の生態史観」の衝撃 
第2章 モンゴルの生態学者 
第3章 奇説を語る少壮学者 
第4章 豊かな日本という未来 
第5章 情報社会論の先駆者 
第6章 イスラーム圏の動乱を予告する 
第7章 万博と民博のオーガナイザー 
第8章 文化行政の主導者へ 
第9章 ポスト「戦後」への視線 
第10章 行為と妄想 
エピローグ 梅棹忠夫を「裏切る」ために
あとがき


著者プロフィール
東谷暁(ひがしたに・さとし)
ジャーナリスト。1953年山形県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。大学在学中から国立民族学博嗣着化芋『季刊民族学』編集部で編集に従事。同博物館設立の中心人物で初代館長だった梅棹忠夫の知遇を得る。その後、『ザ・ビッグマン』編集長、『発言者』編集長などを歴任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2019年7月2日火曜日

JBPress連載コラム第55回目は、「メコン川に映るべトナム、カンボジア、中国の“悪縁” -ベトナム南部のデルタ地帯はもともとカンボジアだった」(2019年7月2日公開)


JBPress連載コラム第55回目は、「メコン川に映るべトナム、カンボジア、中国の“悪縁” -ベトナム南部のデルタ地帯はもともとカンボジアだった」(2019年7月2日公開)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56848

メコン川は、ヒマラヤ山脈のチベット高原からベトナム南部まで延長4425キロメートルにわたって流れる、世界第11位の大河。その「流域」には、流域には中国、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムの6カ国が含まれる。 

今回のコラムでとりあげたのは、メコン川の河口域にあるメコンデルタ。カンボジアの首都プノンペンを頂点にした約5万平方キロメートルのデルタ(三角州)である。ベトナム南部とカンボジアが含まれる。 


メコンデルタの「ジャングルクルーズ」にて 筆者撮影

ベトナムとその隣国のカンボジアは、愛憎相半ばする関係にあるが、国境という人為的な枠組みでは理解できない複雑で錯綜とした関係が、メコン川の「流域」という視点からは見えてくるだろう。 

さらに華僑・華人という要素が加わってくるのが、東南アジアの歴史である。これに加えて、いま影響力を強めているのが超大国・中国という存在だ。 しかも、その影響は圧倒的なパワーによるものだ。

つづきは本文で  ⇒  https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56848





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JBPress連載コラム第54回目は、「発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想」(2019年6月18日公開)

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

岩波写真文庫から1958年にでた梅棹忠夫監修の 『タイ』 と 『インドシナの旅』は、『東南アジア紀行』をブログ版としたようなものだ

■ベトナム関連

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

ベトナムのカトリック教会

映画『夏至』(ベトナム/フランス、2000年)を18年後の「夏至」に見る-雨期のハノイの美しい映像

■カンボジア関連

シハヌーク前カンボジア国王逝去 享年89歳(2012年10月15日)-そしてまた東南アジアの歴史の生き証人が一人去った

今年2011年の世相をあらわす漢字は 「水」 に決まり-わたしが勝手に決めました(笑)


 
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2019年6月18日火曜日

JBPress連載コラム第54回目は、「発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想」(2019年6月18日公開)



JBPress連載コラム第54回目は、「発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想」(2019年6月18日公開)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56707



今回は、利根川を「流域」という観点から考えてみたいと思います。関東を群馬県の水源から千葉県の銚子河口まで流れる利根川は、日本最大級の大河川。その利根川は江戸時代は水運で栄え、幕府にとっては戦略的な大動脈であった!

ところが、利根川が現在のような形になってから、まだ400年足らず。江戸時代初期に60年かけた大工事で、流れが変えられたのです。


(『利根川図志』と『新・利根川図志』 筆者撮影)


そんな利根川について、「流域」という観点から捉えたのが、幕末に生きた下総国布川の医師・赤松宗旦(あかまつ・そうたん)。下総国布川は、現在の茨城県北相馬郡利根町です。


(『利根川図志』の著者・赤松宗旦の旧宅 筆者撮影)


その著書『利根川図志』と柳田國男による日本民俗学の誕生にまつわる秘話を紹介します。少年時代に利根川沿岸に移り住んで『利根川図誌』を愛読してきた柳田は、後年になってからみずから校訂して、岩波文庫から『利根川図誌』を1938年に出版しています。


(「柳田國男記念公苑」のパンフレット 筆者撮影)



 「流域」の発想で地域を元気に!!!


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<ブログ内関連記事>

書評 『水運史から世界の水へ』(徳仁親王、NHK出版、2019)-歴史学から世界の水問題へ「文理融合」の実践

「城下町・古河」をはじめて歩いてみた(2019年5月5日)-日光街道の街道筋で利根川と渡良瀬川が合流する地域にある古河は、かつて交通の要衝だった

書評 『柳田国男と梅棹忠夫-自前の学問を求めて-』(伊藤幹治、岩波書店、2011)-「民俗学」と「比較文明論」という独創的な学問分野を切り開いた知の巨人たち

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち
・・富士川「流域」でつながっていた静岡と山梨。旧幕臣でキリスト教の伝道者、そして柳田國男の先駆者であった山中共古

(2019年6月21日 情報追加)


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2015年2月16日月曜日

書評『柳田国男と梅棹忠夫 ― 自前の学問を求めて』(伊藤幹治、岩波書店、2011)―「民俗学」と「比較文明論」という独創的な学問分野を切り開いた知の巨人たち



本書のカバー写真に写っているのは、右手が当時77歳の柳田國男、左手が当時31歳の梅棹忠夫である。このツーショットは、1951年に柳田邸で撮影されたものだ。

「第3章 ふたりのリーダーシップ」の「1. ふたりの出会い-「ヤク島の生態」余聞」によれば、梅棹忠夫が1949年に屋久島で行ったフィールドワークの記録をもとに執筆した社会人類学的な村落社会構造論の論文が発表されてまもなく、それを読んだ柳田國男からハガキが届いたのだという。

そのハガキには、「この方法は日本民俗学のいまだかつてこころみざるところである」というコメントとともに、「一度あそびに来い」と記されていたという。そして京都から上京して成城の柳田邸で半日を過ごした際に撮影されたのが上記の写真である、と。

「日本民俗学のいまだかつてこころみざる」方法とは、生態学的方法のことであり、「柳田は生態学的方法のほかに、梅棹が記述した屋久島のコミュニティーの生成過程にも注目したようである」と、著者は指摘している。

本書は、民「俗」学と民「族」学の両方を研究分野としてきた著者が、民「俗」学の師である柳田國男とは晩年の9年間、民「族」学の分野では国立民族学博物館で梅棹忠夫と14年間にわたって研究者として接してきたという。著者はさらに成城大学に赴任して、柳田文庫を所蔵する附属民俗学研究所の所長を9年間併任している。民「俗」学と民「族」学、柳田國男と梅棹忠夫を論じるにはうってつけの存在というわけだ。

いわゆる「対比列伝スタイル」で、エピソードをまじえた柳田國男と梅棹忠夫それぞれの回想はじつに興味深い。この強烈な個性の持ち主たちに共通するのが、「自前の学問を求め」た人たちだとしている点がさらに興味深い。

日本「文化」と日本「文明」という認識の違いはあるが、ある意味では柳田國男の構想のさらに先に進めたのが梅棹忠夫だということも、あながち否定はできないからだ。「自己認識の学」としての「一国民俗学」と「関係認識の学」としての「日本文明論」である。

梅棹忠夫の「生態学的研究」というと『文明の生態史観』がすぐに想起されるだろうが、日本研究といういうことであれば、未完に終わった幻の代表作『日本探検』(1959~1960)』こそ、独創的な研究になっていることに注目したい。生態学的研究という共時的な側面に加えて、共同体がもつ歴史という通時的な側面に着目したもののなかでも、みずからのルーツの共同体をあつかった「近江菅浦」という未発表の論文がその最たるものであろう。

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。わたしはいままで、日本のそとをあるく機会が多かった。そこで、いつもこういう勉強の仕かたをしてきた。

これは梅棹忠夫の『日本探検』の冒頭の導入の文章である。欧米の学問の借り物ではない「自前の学問」とは、自分の目で見て耳で聞き、五感をつじてカラダで感じ、自分のアタマで考えて出てきたもこそ学問であるという強烈な思想の表明である。

この姿勢は、アカデミズムではない在野の学を志した柳田國男にも共通するものであった。柳田國男と梅棹忠夫が共鳴するものがあったのは、学問と生き方に共通する姿勢があったためだろう。このほか、ともに国際語のエスペラントに大いに期待し、みずから習得した点も共通していることは特筆すべきことだろう。

ともにたぐいまれなリーダーシップによって、それぞれ「民俗学」と「比較文明論」という、あらたな学問分野を切り開いて確立した強烈な個性の二人。このほかの分野で「自前の学問」が確立されているかどうか、大いなる反省をもとにこの二人の「知の巨人」のことを意識しつづなくてはならない。


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PS 2011年に出版されてすぐに読んだのだが、あらためてこの機会に紹介しておこうと思う。いったん書いた書評のファイルを壊してしまったからだ。



目 次

まえがき
序章 ふたりの日本研究
 1. 柳田國男の一国民俗学
  1 自己認識の学としての一国民俗学
  2 郷土・常民・アイデンティティ
 2 梅棹忠夫の日本文明論
  1 関係認識としての日本文明論
  2 伝統・近代化・歴史的連続
第1章 晩年の柳田国男回想
 1. 同時代の人びと
  1 國學院大學教授就任
  2 宗教民俗学者堀一郎
  3 歴史民族学者岡正雄
 2. 大学院の講義
  1 忘れがたい言説
  2 社会経済史批判
  3 わかりやすい文章
 3. 沖縄への思い
  1 「根の国の話」余滴
  2 柳田國男のカード
  3 柳田國男の便り
第2章 民博時代の梅棹忠夫回想
 1. 民博創設のころ
  1 記憶のなかのイメージ
  2 「ご先祖さまになろう」
  3 「幹部候補生」との交流
 2. 「研究経営」の戦略と戦術
  1 三つの戦略
  2 近未来への布石
  3 研究業績の評価
 3. 比較文明学の構築をめざして
  1 還暦記念シンポジウム
  2 日本文明論の展開
  3 つらぬく論理とつらねる論理
第3章 ふたりのリーダーシップ
 1. ふたりの出会い-「ヤク島の生態」余滴
 2. 登山型と書斎型
  1 還暦祝賀会余話
  2 金曜サロンと木曜会
第4章 ふたりの交錯する思想
 1. 通底する思想
  1 土着主義と「国主外従」
  2 「隠し味」の美学
 2. 対峙する思想
  1 無用の学と有用の学
  2 第二標準語論と標準語生成論
第5章 ふたりの日本研究の課題
 1. 日本文化の多様性と一様性
  1 「いくつもの日本」と基層文化
  2 「ひとつの日本」と民俗文化
 2. 現代日本と日本文明
  1 日本文化の伝統と変容
  2 日本文明の「文法」
終章 ふたりの知のあり方点描
あとがき
参考文献


著者プロフィール

伊藤幹治(いとう・みきはる)
1930年東京都に生まれる。1953年國學院大學大学院文学研究科修士課程修了。国立民族学博物館名誉教授。文学博士。著書には、『贈与交換の人類学』(筑摩書店)、『柳田国男と文化ナショナリズム』(岩波書店)他多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>

■「自前の学問」を探求した「民間学者」たち

「いまこそ高橋亀吉の実践経済学」(東洋経済新報社創立115周年記念シンポジウム第二弾) に参加してきた-「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
・日本の現実から「自前の理論」を構築した民間エコノミスト

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・粘菌学者で民俗学者でもあった「知の巨人」南方熊楠

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)


■民「俗」学と民「族」学

『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本
・・エスノロジー(=民族学)の立場に立っていた文化人類学者・石田英一郎

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・「世界のなかの日本」という位置づけ

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
・・「世界の諸民族と日本民族」という位置づけ

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・三代目の日銀総裁で民俗学者であった渋沢敬三のアチックミュージアムの収集品は国立民族学博物館に引き継がれた


■梅棹忠夫の「日本文明論」

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


■梅棹忠夫関連

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

(2015年2月21日 情報追加)


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2012年12月30日日曜日

書評『「東洋的専制主義」論の今日性 ー 還ってきたウィットフォーゲル』(湯浅赳男、新評論、2007)ー 奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ



ウィットフォーゲルと梅棹忠夫。生涯まったくかかわりのなかったドイツの社会科学者と日本の民族学者は、まったく別個のアプローチから出発したのであるが、奇しくも同じ1957年にほぼ同じ結論に達したのである。これは本書の第5章「ウィットフォーゲル理論の残したもの」に記されている、じつに興味深い事実である。

ウィットフォーゲルは「東洋的専制論」で展開した「水利社会論」によって、梅棹忠夫は「生態史観」によって。いまだマルクス主義のイデオロギーが学問世界で幅を利かせていた戦後のアカデミズムの世界において、両者はともに徹底的にたたかれた。

梅棹の「生態史観」については知っている人も多いだろう。一方、ウィットフォーゲルといってもピンとこない人も大いに違いない。なぜなら、ソ連崩壊後のいまも、いまだに名誉回復がいまだになされていないまま黙殺されつづけたのがウィットフォーゲルだからだ。

『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)は、ウィットフォーゲルの復権のために力を注いできた著者による渾身の一冊である。

ユダヤ系ドイツ人で元共産党員であったウィットフォーゲルは、その主著である『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)で、水利社会論から中国社会の本質を解明している。残念ながらこのわたしは大著を読んではいないのだが、翻訳者でもある著者の解説によって、そのおおまかなことを知ることができる。

ウィットフォーゲルの理論の原点には、文明を風土との関係でみる視点がある。着目したのは「水の管理」という観点である。これによって、遊牧、牧畜、天水農法、灌漑農法が区分され、灌漑農法のもとにおいては官僚制による管理が成立する。その典型が中国であり、これはユーラシア内陸部にあるロシアもまた「東洋的専制主義」そのものであることが指摘される。

つまり、生態系(エコシステム)でものを考える視点から出発しているといってもよい。この点もまた梅棹忠夫と同じである。

とかく人間は近視眼的にものを見がちだが、スパンを長くとれば、人間よりも生態系、地理学、地質学でのアプローチが重要となる。そういえば、マルク・ブロックと並んで、アナール派歴史学を主導したリュシアン・フェーヴルは地理学者であり歴史学者でもあった。第2世代にあたるフェルナン・ブローデルもまた歴史学者ではあるが地理学の成果を全面的に取り入れている。

自然科学の知見に基づかない風土論がいかに虚妄にみちたものであるかは、『梅棹忠夫 語る』に収録された、「(『風土』を書いた)和辻哲郎はスカタン」という梅棹忠夫の放言に端的に表現されている。

ウィットフォーゲルが理論化した「亜周辺」という概念はきわめて有効である。この概念を駆使した湯浅赳男氏の仕事については、書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?を参照されたい。

いちおう説明しておくと、「亜周辺」というのは、ウィットフォーゲルの理論をもとにした分析フレームワークである。「中心(core)➡ 周辺(margin)➡ 亜周辺(sub-margin) という三層」で文明を論じたもので、日本は「亜周辺」に位置づけられる。著者自身の表現を引用しておこう。

<亜周辺>とは文明史において、その文明を成立させた地域の外側で、その文明の強制を受けることなく、その文明の諸要素を自由に受け入れた地域、具体的にはユーラシア大陸の西端の西ヨーロッパと東端の日本を指すものである(ウィットフォーゲル)。そこでは、中心の文明に教条的に制約されることなく、先行する社会を下敷きにして、独自な文化を展開させることができた。この前近代の歴史において観察される文明のメカニズムから近代文明の未来を考える上でのヒントとして利用できるものがある。(出典:「亜周辺と知識人-『「東洋的専制主義」論の今日性』を書き終えて-」(2008年4月1日 「本と社会」 新評論社のニューズレターより 太字ゴチックは引用者=さとう)

中国社会の研究者であるウィットフォーゲルは、「日本は東洋的世界ではない」としているのである。

さらに湯浅氏は、「封建制」と「武人社会」がもたらした多元的社会は、専制国家である中国・コリアとは根本的にことなることを強調している。封建制が「亜周辺」である西ヨーロッパと日本においてのみ出現したことの意味を考えるヒントがこのフレームワークにあるのだ。海洋国家日本とユーラシア大陸の根本的な違いと言い換えてもいいだろう。

「封建制」をめぐる議論においても、ウィットフォーゲルの「東洋的専制論」と梅棹忠夫の「生態史観」は、ほぼ同じ結論を導き出しているのである。この点については、書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!も参照いただきたい。梅棹忠夫は、「日本文明」は「中国文明」とは異なると主張している。

梅棹忠夫のフィールドワークはモンゴル(=内蒙古)から始まったものだが、中国大陸のほぼ全域はみずから観察している。ウィットフォーゲルも梅棹忠夫も中国研究というコア(核)を発想の根本に据え、遊牧民の世界史的役割を熟知していたことも共通しているのだ。

以上、梅棹忠夫の「生態史観」とのかかわりを中心にウィットフォーゲルについて書いてみたが、ウィットフォーゲル復権のために書かれた本書は、著書の学問への情熱と真理探究への思いの結晶ともいえる内容である。そしてこれは、異なるサイドから梅棹忠夫の「生態史観」を補強することにもつながる行為である。

正直いって、マルクス主義陣営のこまごまとしたエピソードなど、わたしだけでなく多くの読者にとってどうでもいいような話題だろうが、ソ連という「東洋的専制国家」崩壊以前、いや崩壊後もいまだに残滓を引きづっている日本の社会科学が戦後どのような状況にあったのか、その「時代の空気」を感じ取ることもできる内容にもなっている。

またウィットフォーゲルの亡命先であったアメリカの政治状況や知的風土もいまから振り返ると異常な状態であった。とくにモンゴル研究者で中国研究の権威であった米国人オーウェン・ラティモアがいかなる人物であったかを徹底的に明らかにしたことに本書の意義があるといえる。マッカーシー旋風という赤狩りのなか、命運をわけた中国専門家の二人であるが、『アジアの解決』(1945)で示したラティモアの反日姿勢は記憶しておくべきだ。

文明の相互関係を「中心-周辺-亜周辺の三重構造」にまで突きつめたウィットフォーゲルの「東洋的専制論」は、日本に生きる日本人にとって、東アジアの「中国大陸-朝鮮半島-日本列島」間の関係を考えるうえで大きな示唆を与えてくれるものである。

社会主義でありながら市場をフル活用した「国家資本主義」を推進する中国は、まさにウィットフォーゲルのいう「中心」世界であり「東洋的専制国家」以外のなにものでもない。北朝鮮も韓国もまた「周辺」世界であり、「亜周辺」の日本とは異なる世界である。

「東アジア共同体」などという安直な発想にくみしないためのには知的鍛錬が不可欠である。そのためにもぜひ押さえておきたいのがウィットフォーゲルの理論と湯浅氏の解説だ。




『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)

目 次

まえおき
本書の要点
第1章 今なぜウィットフォーゲルなのか?
 1. ウィットフォーゲルに対する歪曲・中傷
 2. ウィットフォーゲル再評価の契機
第2章 ウィットフォーゲル理論の到達点
 1. 風土と文明・・「水力社会」論、「征服王朝」論、ロシアの東洋的専制主義
 2. 文明の類型
 3. 単一中心性と多数中心性
第3章 ウィットフォーゲルの学問の展開(1)-『中国の経済と社会』まで
 1. 青年時代
 2. ドイツ共産党員として
 3. 歴史像とマックス・ウェーバー
 4. ドイツ共産党の転換と中国革命
 5. 「アジア的生産様式」)
第4章 ウィットフォーゲルの学問の展開(2)-『オリエンタル・デスポティズム』まで
 1. 共産党の拘束衣のなかで
 2. ファシズムとの闘い
 3. アメリカに定住
 4. 共産党との決別と研究の進展
 5. ロシアとスターリニズム
 6. ロシアへのアプローチ
 7. 激浪のなかでの理論的確立
第5章 ウィットフォーゲル理論の残したもの
 1. 梅棹とラティモア
   ウィットフォーゲルと梅棹の世界史上における先駆的発見
   ウィットフォーゲルとラティモアの生き方の違い
 2. イデオロギーの役割
注
あとがき
概念・事項索引
固有名詞索引


著者プロフィール  

湯浅赳男(ゆあさ・たけお)
1930年、山口県生まれ。文学青年。サラリーマン時代、1956年のハンガリー事件で感動し、歴史学を志す。フランス革命研究で学問的登攀訓練を行ったのち、ロシア革命の真相解明をめざし、その勝利が国内戦によるものであることを明らかにした『革命の軍隊』(1968、三一書房)を処女出版。新潟大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


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書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である! 

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・京都大学教授であった国際政治学者の高坂正堯(こうさか・まさたか)氏は1964年に発表した論文で日本のことを「東洋の離れ座敷」と表現している。「島国として大陸から距離があることを、著者は「東洋の離れ座敷」と表現しているが、この地理的条件のおかげで、中国文明、西洋文明、アメリカ文明の圧倒的影響を受けながらも、日本人による取捨選択を容易にしただけでなく、直接国土を蹂躙(じゅうりん)されることもなく今日までやってこれたのである。」

書評 『銃・病原菌・鉄-1万3000年にわたる人類史の謎-(上・下)』(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2000)-タイトルのうまさに思わず脱帽するロングセラーの文明論
・・環境という切り口から人類史と文明史を考察した大きな構想の本

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本を支配した「空気」がいかなるものであったか

書評 『紳士の国のインテリジェンス』(川成洋、集英社新書、2007)-英国の情報機関の創設から戦後までを人物中心に描いた好読み物
・・「第Ⅱ部 祖国を裏切ったスパイ」に共産主義シンパとなった英国人エリートについての記述あり

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える ・・「地政学」の認識枠組みと、梅棹忠夫の生態史観、ウィットフォーゲルの東洋的専制主義論を重ね合わせて考えてみると面白いだろう

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」の中国。資本主義と民主主義がイコールだという「近代」の常識を裏切るのが中国という「東洋的専制国家」

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

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