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2013年2月2日土曜日

一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年

(一橋大学合気道部の部旗 故有川定輝先生による揮毫)


「一橋大学合気道部創部50周年記念式典」が、如水会館において挙行されました。

植芝盛央(うえしば・もりてる)現道主はじめ、多田宏師範、その他三商大関係者(一橋大学・神戸大学・大阪市立大学)、七大学関係者(故有川定輝師範が指導されていた大学)関係者など、多くの来賓を迎えて、記念式典が盛大に挙行されました。

一橋大学合気道部の創立は1962年(昭和37年)12月で、わたしの誕生とほぼ同じ時期。わたしは、1981年4月から1985年3月まで在籍、20期の主将をつとめております。

「50周年記念誌」への寄稿を求められたので、以下の文章を執筆しました。ここに再録いたしますので、ご笑覧いただきたく。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「創業は易し 守成は難し」(20期 佐藤賢一)

一橋大学合気道部創部50周年、おめでとうございます! わたし自身も50歳、奇しくも合気道部と同じ年月を生きてきたことになります。半世紀(!)生き続けるということの重みを感じています。

タイトルの「創業は易(やす)し 守成は難(かた)し」とは、一般に企業経営について昔から語られてきた表現です。その意味は、創業にくらべて継続しつづけることのほうが難しいということです。

もちろん、合気道部において「創業」が容易であったとは申しません。合気道のクラブ活動を立ちあげようと奔走された一期の天江先輩、そしてその活動を全面的にバックアップしてくださった、いまは亡き有川師範先生には、心から感謝しなくてはなりません。

しかし、企業経営だけでなくクラブ活動においても、その活動を定着させ軌道に乗せるということがいかに大変であるか、言わずもがなでありましょう。


さて、わたくしは20期です。つまりわたしが入部したときはまだ創部されてから20年しかたっていませんでした。しかし、それからすでに30年、月日が立つのはじつに早いものですね。

振り返ってみるに、入部したのは1981年(昭和56年)、すなわち「昭和時代」末期でありました。いわゆる「バブル時代」がはじまったのは、大学を卒業した1985年(昭和60年)からでありましたが、「バブル前夜」の当時のキャンパスといえば「西の京大 東の一橋」といわれていたものです。

ちょうどその頃に開園した東京ディズニーランドのようなレジャーランドであったと言われてました。現在からみると隔世の感がなきにしもあらずです。

そんな環境のなか、あえて合気道部に入った同期はみな、無意識のうちにそんな時代風潮への違和感が多少ともあったのではないでしょうか。

白帯時代はつらい修行に耐え(・・当時は飛び受け身が当たり前! 三教で腕を折ったヤツもいた! 膝から血を流しながらの膝行!)、しかもイベントの際には学ランを着るという超アナクロニズムの世界。

このような武道系サークルにあえて入部することによって、一般学生とはかなり異なる経験をもつことができたことに感謝しなくてはなりません。学部よりも、合気道部出身という認識のほうがつよいのはそのためでしょう。


20期主将を拝命した際の就任あいさつでは「伝統を受け継ぎ、かつさらに発展させる」という内容の話をした記憶をもっています。

一橋大学合気道部が今後も75周年、100周年を迎えることができるよう、「伝統を受け継ぎ、かつさらに発展」していただきたいと、心より祈念しております。


*初出は『氣』(創部50周年記念号)。再録にあたっては、ブログ向けに段落を多くして読みやすくした。有川定輝先生については、後掲の wikipedia の記述を参照。




<関連サイト>

一橋大学(公式サイト)

公益財団法人合気会(公式サイト)

有川定輝 (wikipedia情報 2013年2月2日現在)
有川 定輝(ありかわ さだてる、1930年1月14日 - 2003年10月11日)は日本の武道(合気道・空手)家である。合気道開祖・植芝盛平の高弟。

略歴
1930年1月14日、東京に生まれる。幼少期より武道に興味を持ち、船越義珍(ふなこし・ぎちん)・義豪(義珍の息子)から松濤館流空手を学ぶ。
1947年、合気会本部道場に入門。この時甲賀流忍術第14世藤田西湖(ふじた・せいこ)に紹介状を書いてもらう。
1959年、本部道場師範になる。
1970年、合気道八段位に列せられる。
1974年、合気道の普及に対する貢献を評価され、植芝吉祥丸道主より第一号特別感謝状を授与される。
1993年、日本武道協議会より武道功労賞受賞。
1994年、九段位に列せられる。
2003年10月11日、逝去(享年73)。法名「定雲武徳信士」。

人物・業績
空手や古武術に精通していたこともあり、当身(あてみ)を多用した実戦的な技で知られた。
日本の武道・宗教についての研究に幅広く取り組み、12トンを超える資料を遺した。また植芝盛平の写真及び映画(8ミリフィルム)を多く所有していた。
合気会本部道場では水曜日夜の稽古を長年担当し、朝日合気会、一橋大学、津田塾大学、法政大学、東海大学、日本大学、千葉工業大学等でも指導にあたった。
長年の指導実績に加え、全日本合気道連盟高等評議会委員、同常任理事を歴任し、1959年から1974年まで合気会発行の「合気道新聞」の編集長を務めて合気道の普及に多大な貢献を成した。




(有川定輝師範先生の遺影)



Principes d'aïkido - Sadateru Arikawa (II) - Trailer 
・・有川定輝先生の「合気道原理」(1991年パリ) 「最後の武芸者」の在りし日を偲ぶ貴重な映像

Sadateru Arikawa in Aikido Journal Encyclopedia of Aikido

A Tribute to Sadateru Arikawa Shihan by Stanley Pranin





<ブログ内関連記事>

合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋

カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである

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『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!

『武道修行の道-武道教育と上達・指導の理論-』(南郷継正、三一新書、1980)は繰り返し読み込んだ本-自分にとって重要な本というのは、必ずしもベストセラーである必要はない


書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる




(2012年7月3日発売の拙著です)





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