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2026年10月28日水曜日

アニメのなかの合気道 ― TVアニメ『ヤニねこ』第12話で「ヤクねこ」が披露する技は「小手返し」!(2026年10月27日)

 (配信動画からスクショ)


TVアニメ『ヤニねこ』(2026年)にすっかりはまってしまった今日この頃だが、自分好みのキャラクター「ヤクねこ」関連のエピソードをなんども見ているうちに、気づいてきたことが多々ある。

そのうちのひとつが、「第12話」で「ヤクねこ」が披露する合気道の技のことだ。

「第12話」の6分40秒ごろからのエピソードだが、高校時代の同級生「ハメねこ」がゲームやってる最中にブチ切れて暴走、「ヤクねこ」に向かって突進してきたシーンでのことだ。

「ヤクねこ」が「ハメねこ」の攻撃をかわしながら、合気道の投げ技で制覇し、固め技で決めるシーンである。

なんと、「小手返し」ではないか! 

シークエンスに沿って、「小手返し」がどういう技かをスクショ画像で見ておこう。


(半身半立ちで構える「ヤクねこ」)

(「ハメねこ」の突きをかわして手首を取る)

(相手の手の甲の上に自分の手のひら置いて包み込む)

(相手の手首をひねって投げたあと固め技で決める)


おお、なんと「気の流れ」も「見える化」されているではないか! 

アニメを「考察」する人が多いようだが、合気道という観点でアニメを見る人はあまりいないかもしれない。合気道の心得があると「見えてしまうもの」がある、のだ。

合気道を実戦でつかうシーンは、映画でもアニメでもなかなかないんじゃないかな? 合気道の有段者のスティーブン・セガール主演の映画は別だろう。

アニメ『ヤニねこ』では「ハメねこ」がいつどこで合気道を習得したのかわからないが、たぶん生前かわいがってくれた祖父に教えられたのだろう(と考察)。それにしても「ヤクねこ」は身体能力が高いな。




『ヤニねこ』の主人公でチェーンスモーカーの「ヤニねこ」は、ぐうたら過ぎてあまり好かれないだろうが(・・ほんとうは美形なのだが)、業(ごう)を抱えた高校の後輩の「ヤクねこ」が気になる存在だ。





自分的にランキングすれば、1位:「ヤクねこ」、2位:「カンサイねこ」、3位:同順位で「ヤニねこ」と「大家」、って感じかな。

ほぼ唯一の男性である45歳の「大家」はいいキャラしてる。「大家」が何かと気にかけてくれるのが「ヤクねこ」だが、「大家」と「ヤニねこ」の関係は、「トムとジェリー」のような「仲良くケンカ」する仲だな。

大学時代に合気道部にいて、しかも20歳前後は学生寮で生活していたからかもしれないが、アニメ版の『ヤニねこ』が大いに気に入っている。

「なんもねえ」20歳くらいの若者たちが、思うようにならない状況のなか、それなりに生活を楽しんでいる姿を懐かしく(?)思えるからだ。似たような経験けっこうしてるしね。

「考察」を深めるために、原作のマンガも読むことにしようかな?



(左がヤニねこ、右がヤクねこ 画像をクリック!)

(カンサイねこ 画像をクリック!)



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2026年7月17日金曜日

書評『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか ― 伝統文化の叡智に学ぶビジネスの未来』(高津尚志、日本経済新聞出版、2025)― 日本のハイカルチャーから「気づき」を得る世界のエグゼクティブ候補たち。そのかれらの「気づき」から、さらに日本人が学ぶべきことはなにか


 
「オーバーツーリズム」が度を越して、「インバウンド公害」とまで言いたくなるほど外国人が殺到する現在の日本。 

円安がその大きな理由の一つだが、それだけではない。基本的に、日本のポップカルチャー、とくにアニメやマンガが世界的に浸透しているという現実が根底にある。アニメの舞台になっている日本をこの目で見て、体験したいという動機である。 

「なぜ世界中の人たちが日本に憧れるのか?」こんな問いがなされるようになるとは、10年前、20年前には考えもしなかったことだ。だが、インバウンドの巨大潮流のなか、日本人もその意味にようやく気がつき始めているといっていいかもしれない。 

  
スイスのビジネススクールIMDの、いわゆる「エグゼクティブMBA」で学ぶ外国人経営幹部むけの日本での研修を企画し実行してきた著者が、研修の中身を紙上で再現し、書籍化したものだ。 

アニメやマンガといったポップカルチャーではなく、いわゆる「伝統文化」とされているハイカルチャーを実際に没入体験させ、チームワークを通じて参加者に「気づき」をもたらすことを意図したプログラムである。 




プログラムに登場するのは、禅、生け花、合気道、日本酒の4つである。もしかすると、日本人でも体験したことがないものばかりかもしれない。(・・残念ながら、日本酒もそうなりつつあるようだ。日本酒はポピュラーカルチャーからハイカルチャーに格上げか?)。

この本を読んでみることにしたのは、合気道が取り上げられているからだ。留学中のことだが、わたしは米国で英語で AIKIDO を指導した経験がある。合気道が米国人にどう受け取られているかについては熟知しているつもりだ。

外国人ならずとも、プログラムのそれぞれに「気づき」を得ることができるだろうが、個人単位ではなくチームで取り組んだなら、なおさら得るものは多いだろう。本書を読む日本人(・・おそらく、経営幹部を目指すなど上昇志向をもった「意識高い系」のビジネスパーソン)にとっても、外国人の「気づき」から、さらに自分自身の「気づき」が得られるはずだ。

ただし、禅や生け花、合気道などは、あくまでもハイカルチャーであって、現在の日本人の日常のライフスタイルからかけ離れた「伝統文化」となってしまっている。
(・・ただし、大正時代に成立した合気道が「伝統文化」であるかどうかは、異論もあろう。そもそも柔道であれ剣道であれ、明治時代以降に確立した「近代武道」であり、「伝統文化」であるかどうかは意見が分かれるところだ)。 

とはいうものの、日本人ならどれか一つでもいから、意識的に取り組んでみることに意味あるだろう。みずからの「内なる日本」に目覚めることが必要だからだ。ポップカルチャーに無意識的に体現されているものだけではない、「内なる日本」を意識し、自覚的になることが大事である。 

さらに重要なことは、「日本的価値観」をふくめた「日本文化」がポジティブな価値付けがなされてグローバルに定着しつつある状況と、現実の日本人が無意識的に「常識」としているものに大きなギャップが存在するようになっていることに自覚的になることだ。 

具体的にどういうことかというと、日本ではあまり知られていないようだが、小文字で始まる zen が「リラックスして雑音にわずらわされない精神状態」を意味する英語の形容詞として定着し、現代人のライフスタイルを支える重要な価値観として、日本人以外の人びとのあいだで内在化されるようになってきている。mindfullness と同様、zen もまた禅仏教とはもはや関係のない存在となっている。

これは、wabi-sabi (わびさび)や ikigai(生きがい)も同様で、これらをタイトルにした英語の本はベストセラーとなり、ロングセラー化している。WABI SABI: Japanese Wisdom for a Perfectly Imperfect Life(by  Beth Kempton) や IKIGAI: The Japanese Secret to a Long and Happy Life(by  Hector GARCIA & Fransec Miralles) がそれだ。

茶道に由来して一般化した日本語の ichigo-ichie(一期一会)もまたそうだ。IKIGAI の著者たちによる  The Book of Ichigo Ichie: The Art of Making the Most of Every Moment, the Japanese Way である。

日本的価値観が、現代社会を生きるうえで、きわめて重要だと世界的に受け取られるようになりつつあるのだ、

このような状況のなか、すでにグローバル化されてしまった世界で生きることを余儀なくされている現代日本人に必要なことは、以下のようにまとめることも可能ではないだろうか。

英語圏における zen や wabi-sabi などについて、その日本語本来の意味と現代日本における意味の変容、そして英語化されたコトバとの外形的な共通性だけでなく、両者のあいだに存在する意味のズレを意識し、敏感になること。これがコミュニケーションにおいて必要となる。英語圏以外の言語圏においても、基本的に英語圏の影響を大きくうけるからだ。日本以外のアジアも同様だ。

そのためには、高度なマインドセットと、脳内での複雑な知的操作が必要であろうが・・・


(画像をクリック!)



目 次
プロローグ トップビジネススクールが、いま日本からなにを学ぼうとしているのか? 
第1講  禅に学ぶ自己のマネジメント 不安と対峙し、ゆるぎない自分を確立するには 
第2講 生け花に学ぶチームのマネジメント 真の協力を生み出し、イノベーションを出現させるには 
第3講 合気道に学ぶ自他共栄のマネジメント 競合やパートナーとともに、市場や社会に貢献するには 
第4講 日本酒に学ぶ社会・環境との持続的共生 質を求め、自然と向き合い、場を豊かにするには 
特別講義 日本文化の「きく力」をどう生かすか?(エバレット・ケネディ・ブラウン) 
リフレクション 移行期における「日本」への視線と自己認識のギャップ 
エピローグ 世界の経営幹部を感化する日本 
解説/あとがき/参考文献一覧/講師紹介


著者プロフィール
高津尚志(たかつ・なおし)
IMD北東アジア代表。早稲田大学、INSEAD(MBA)、桑沢デザイン研究所、IMDなどで学ぶ。日本興業銀行、ボストンコンサルティンググループ、リクルートを経て現職。スイスIMDビジネススクールの日本における代表として、主に日本企業のグローバル経営幹部育成の支援に従事する。日本の競争力向上に向けた産官学の対話促進の活動にも取り組み、日本の伝統文化の世界のリーダー教育への活用や日欧間の芸術・文化交流にもかかわる。カナダとフランスに留学したほか、世界数十カ国を訪問する一方、「日本再発見塾」実行委員も務め、日本の地域文化にも親しむ。大学院大学至善館理事。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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PS 講道館柔道と合気道の融合から生まれた「望月流合気道」

合気道が取り上げられているので読んでみたわけだが、合気会に所属しているわたしは、講師が所属する「望月流合気道」というのは知らなかった。講道館の嘉納治五郎が植芝盛平のもとに送り込んだ弟子の系統にあるものだそうだ。なるほど「精力善用」というコンセプトは、講道館ならではだな、と。 


PS2 「いま、ここ」は英語では「here now」。そのズレを意識せよ!

本書の「生け花」の項で「いま、ここ」の重要性が説かれていて(p.108)、そのことにかんしては大いに賛同するものであるが、「いま、ここ」の英語表記が now & here になっていることには違和感を感じる。英語では here now とするのが一般的だからだ。

そのほうが英語の口調として自然であり、『Be Here Now』という1971年に米国で出版された有名なスピリチュアルものの古典もあるくらいだ。 日本語訳のタイトルも『ビ・ヒア・ナウ 心の扉をひらく本』となっている。スティーブ・ジョブズの愛読書でもあった。

もちろん、英語においては、自分がいる場を中心に外側へ拡がっていく「ズームアウト」の発想が基本であり、日本語においては、全体から部分に向かう「ズームインの発想」が基本である。これは姓名の表記や住所表記に端的に表れる。日本語と英語は真逆になる。

「いま、ここ」は、「いま」この瞬間が「ここ」という場になるという発想であり、「随所に主となる」という禅仏教の『臨済録』のフレーズを想起させる。どこにいようが、「いま」が「ここ」になるのである。「いま」という瞬間に、「ここ」という自分がいる場が定まるのである。

「いま、ここ」と「here now」の意味論的なズレについて考察を深める必要があろう。 これは「古き良き日々」と「good old days」にも当てはまることだ。これまた単なる口調の良さだけでんばく、後者の英語的発想においては、「good」(良き)は「old days」(古き日々)の全体を形容しているのである。

日本語の発想と英語の発想の違いに敏感になることが必要だ。そのことがわかっていたうえで、あえて意図的に「now & here」としたのであれば、それはそれで意味があるといっていいのだが・・・


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・・「「西洋人の目」とは、いわゆる「オリエンタリズム」のプリズムをいったん通過した日本であり、龍安寺の石庭や高野山といった、伝統的で、精神的な日本である。「タイ人の目」とは、著者と同世代以下のタイ人がものごころついてからドップリと浸かってきた日本のマンガでありアニメをつうじたものであり、また日本映画をつうじて同世代以下の一般のタイ人には親しい世界である。この両者が作家のなかで同居し、両立することで、あくまでも同時代人とて、等身大の日本をみる視点ができあがっているようなのだ。」  ポップカルチャーをベースにハイカルチャーまで進むことが、日本人にとっても重要であろう

・・明治時代以降に「西欧近代化」した表層の日本と、依然として生き続ける深層の古き日本。深層の日本には二面性がある。そのまま善なるものであるわけではない

・・正座が日本で一般的に普及するようになったのは明治時代以降のこと。室町時代以来の「日本文化」である茶の湯だが、それ以前は限られた人たちのあいだで行われていたに過ぎない

・・「伝統」は「創られる」もの。「伝統文化」を盲目的にありがたく受け取るのではなく、その意味を知的に考察することが重要

・・「動く禅」(moving Zen)は英語圏では AIKIDO愛好家のあいだではよく知られたフレーズ








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2024年2月18日日曜日

「熊楠論」の『熊楠 生命と霊性』(安藤礼二、河出書房新社、2020)と「熊楠研究」の『闘う南方熊楠 ―「エコロジー」の先駆者』(武内善信、勉誠出版、2012)は、あわせて読むべき南方熊楠関連本

 

このところ南方熊楠関連の本をひさびさに読んでいる。 南方熊楠は、粘菌研究を中心にして、森羅万象すべてに強い関心を抱いていた「知の巨人」である。わたしは大学時代から断続的に読んできた。 

集中的に読んだのは2009年のことであったが、15年後の2024年の今回ひさびさに南方熊楠関連本を読むきっかけとなったのは、『熊楠 生命と霊性』(安藤礼二、河出書房新社、2020)である。

文芸評論家の安藤礼二氏は、ライフワークである『折口信夫』という大著で知られているが、最近その『大拙』を読んで大いに感心したので、積ん読のままになっていた『熊楠』も読んでおこうと思った次第。

 安藤氏の『熊楠 生命と霊性』は、「粘菌・曼荼羅・潜在意識」/「神秘と抽象」/「生命と霊性」の3本の論文からなる。 

最初の文章は別にして、のこりの2つは大拙がらみの熊楠というものであって、あくまでも「日本的霊性」を説いた大拙に熊楠を引きつけて論じている。そんな印象の強い内容であった。 

その意味では、安藤氏の『熊楠』は『大拙』の副産物という位置づけと考えるべきであろう。まあ、森羅万象を論じた熊楠を論じるのはやっかいな仕事ではあるな。 

熊楠は、あくまでも具体的な事物に関心が向かっており、思弁的な傾向はけっして強くない。安藤氏は、熊楠を買いかぶりすぎているようだ。読んでいて面白いのだが、はたしてそう言えるのかという疑問が生じる。 深読みが過ぎて、創作の領域に踏み込んでいるという印象だ。

安藤礼二氏は中沢新一系列の人なので、どうしても文学的想像力を駆使した飛躍が多いという印象を受ける。本人も「熊楠論」であって「熊楠研究」ではないと、断りを入れているのはそのためであろう。 あくまでも文芸評論家の「作品」と受け取るべきか。

*****

その「熊楠研究」の立場から、中沢氏系列の仕事に対して批判的な立ち位置にあるのが、『闘う南方熊楠 ー「エコロジー」の先駆者』(武内善信、勉誠出版、2012)である。

「熊楠研究」と「熊楠論」を区別するよう主張しているのがこの本だ。 武内氏の分類によれば、安藤氏の『熊楠』は「熊楠論」であり、安藤氏もそれを認めている。批判を謙虚に受け止めた結果である。 

安藤氏は、『闘う南方熊楠』について上記の『熊楠』ではフェアな態度で言及しており、しかも武内氏の本には、南方熊楠と紀州田辺出身の合気道開祖の植芝盛平の関係も書いてあるようなので、さっそく取り寄せて確認してみることにした。 

『闘う南方熊楠』は、和歌山市立博物館の学芸員という、「地の利」を活かした研究者による実証的な「熊楠研究」である。

新発見の資料などをもとに描かれた熊楠像は、実像に近い姿を描き出しているといえよう。「移民県」であった和歌山、そんな土地柄を知り尽くした人ならではの解釈は説得力がある。南方熊楠のような海外体験者は、当時の和歌山ではごろごろしていたのだ。 

とくに「Ⅱ 在米民権運動とアメリカ時代の意味」「Ⅳ 神社合祀反対運動と「エコロジー」」が大いに読ませるものがある。このテーマには、むかしから大いに感心をもってきたからだ。 

植芝盛平と南方熊楠が「神社合祀反対運動」において接触をもっていたことは、2代目道主・植芝吉祥丸の『合気道開祖 植芝盛平伝』でも触れられていた。 これは大学1年のときに読んで知っていた。

その事実が、本書のなかで、南方熊楠自身も書簡のなかで「植芝なる豪傑」について触れているという記述で裏付けられたことに、大いに満足感を覚えている。 

というのも、こちらは安藤礼二氏好みのテーマであるが、鈴木大拙に与えたスウェーデンボルグの影響は、大拙による訳書をつうじて、これまた巨人というべき大本教の出口王仁三郎の霊界観にも大きな影響を与えているからであり、その王仁三郎と熊楠という両巨人と接点をもっていたのが植芝盛平だからなのだ。 

合気道関係者は例外として、植芝盛平に対する関心をもっている一般人はそれほど多くないだろう。合気道を知らずに論ずるのは危険であることもあろうが、もっと植芝盛平の「思想」には関心をもってほしいと思っている。 

*****


さて、話がそれてしまったが、安藤礼二氏の『熊楠 生命と霊性』が「熊楠論」であれば、武内善信氏の『闘う南方熊楠』は「熊楠研究」である。 

後者はあくまでも研究者としての立ち位置を崩さす、前者は文芸評論家という立ち位置で事実関係をベースにしながらも、イマジネーションを駆使した作品と考えるべきだろう。 ある意味では、この2冊は補完的な関係にあるといってもいいかもしれない。

ただし、安藤氏にとっての熊楠は、折口信夫のようなライフワークではないので、どうしても折口論や大拙論に劣後するという印象は否めない。

熊楠は、大拙のような思想系の人物ではない。 森羅万象に関心を抱いていた南方熊楠だが、主要業績として現在に至るまで大きな意味をもっているのは「粘菌研究」であり、生物学者でもあった昭和天皇とあわせて顕彰すべき存在である。 

なぜ熊楠が粘菌類を主要な研究テーマとしたのかについては、さまざまな見解があるが、熊楠在世当時の「進化論」を踏まえたうえで、考える必要があるという、安藤氏の指摘には耳を傾ける価値がある。武内氏の「進化論」にかんする言及は、通俗的見解に引きずられて不十分なようだ。熊楠のいう「エコロジー」は、ヘッケルの「エコロジー」そのものではない、と。

また、安藤氏が『近代論ー危機の時代のアルシーヴ』(NTT出版、2007)の段階でも指摘しているように、南方熊楠にかんしては「潜在意識」と「狂気と夢」にかんする安藤氏の指摘には無視できないものがある。この分野は、「予知夢」とからめて、また別途に探求する必要があろう。

南方熊楠は、わたしにとっては主要な研究テーマではないが、高校時代まで生物学に多大な関心を抱いており、小学生の頃から生物学者としての昭和天皇を尊敬してきたわたしにとって、熊楠は依然として親しみを感じる存在でありつづけている。 


(画像をクリック!)

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『闘う南方熊楠 ー「エコロジー」の先駆者』
目 次
はじめにー熊楠研究の動向と本書の目的
Ⅰ 「明治」という時代とともに
  城下町和歌山と熊野
  「南方」という家、「熊楠」という名前
  城下町和歌山の学問・文化・教育と南方熊楠
Ⅱ 在米民権運動とアメリカ時代の意味
  熊楠の渡米と自由民権
  在米民権新聞『新日本』からの手紙
  南方熊楠所持の条約改正反対意見秘密出版書
  アナーバーの回覧新聞『大日本』の再検討
  補論 南方熊楠対長坂邦輔―『珍事評論』の背景
Ⅲ ロンドンから熊野の森へ
  孫文と南方熊楠
  南方熊楠における珍種発見と夢の予告
  「那智隠棲期」の検討
Ⅳ 神社合祀反対運動と「エコロジー」
  南方熊楠と神社合祀反対運動
  神社合祀反対運動の始動と展開
  南方熊楠と世界の環境保護運動
  日露戦後の自然保護運動と「エコロジー」
  神社合祀反対運動における神社林と入会林
  「大逆事件」と運動の終局
あとがき
初出一覧
南方熊楠の神社合祀反対運動関係年表
索引

著者プロフィール
武内善信(たけうち・よしのぶ)
1954年和歌山県に生まれる。同志社大学大学院法学研究科博士課程後期満期退学。和歌山市立博物館主任学芸員、和歌山城文化財専門員。専門は日本近代史。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2023年4月6日木曜日

『古武術に学ぶ身体操法』(甲野善紀、岩波現代文庫、2014)を購入してから9年たって読んだ ー いま自分にとって必要な本を「引き寄せ」てしまうということ

 

ふだんから目にしてながら、手に取ろうとしていなかった本を手に取って読み始めると、それがまさにいま自分が求めていた内容だったことに気づいて驚くことがある。 

それがこの本だ。『古武術に学ぶ身体操法』(甲野善紀、岩波現代文庫、2014)。購入してから9年、原本の出版から20年。  

目につくとこに置いていながら、いまのいままで読んでなかった。そんな本を、いまこのとき手に取って読むのは、自分にとっては必然である。そう思われてならないのだ。 

甲野善紀氏は「古武術」の研究家。甲野氏の本はすでに1~2冊は読んでいた。30年くらい前だろうか。だから、そのエッセンスとなる主張を知らないわけではない。 

だが、20年前に初版がでたこの本には、なぜ甲野氏が「古武術」の道に進むことになったのか、そのきっかけと経緯が率直に語られている。そうか、そんなことがあったのか。その原点はきわめて重いのだな、と。 

現代文明批判からエコロジー、そして宗教へ。その後は宗教から武術へ。

大学時代には街頭での宗教の勧誘には積極的に応じていたという。求道心のなせるわざだが、突き詰めて問いをつづけていくと相手は答えられなくなってしまう。結果として論破してしまうわけでが、きわめて似たような体験をもつわたしは、なんだか甲野氏に共感を感じた。

まず最初に取り組んだ武術が22歳のときに始めた合気道であったことは、今回はじめて知った。しかも6年間も修行していたのだという。なるほど、そうだったのか。 

合気道は、甲野氏も書いているように、その他の武道とは性格を異にするものがある。武道でありながら試合をしないことで武術性を維持し、しかもスピリチュアル性があるということだ。身体操法の面だけでなく、ぜひ知っておいてほしいところだ。 

合気道の身体操法に限界を感じて、その後さまざまな古武術の師範のもとで研鑽を重ねて現在に至る。甲野氏は、まさに探求家であり、求道者である。日々これ新たなり。発見がなくなれば成長は止まる。発見がなくなったとき、それは死ぬときである、と。 

ただし、この本を読んで、まさに自分が知りたかったことは、古武術のことではない。「運命と自由」にかんする考察だ。それこそが、自分が知りたかったことなのだ。

限りある人生、制約条件のもとにある人生。運命によって決まっている人生のなかで、自分なりに生きるとはどういうことか。そのヒントとなることが見つかったような気がする。 


■「引き寄せ」はシンクロニシティ現象である

なにか一つのことに集中して探求し、考えつづけていると、偶然にしか過ぎないはずなのに、あたかもそれが運命でもあったかのように、つぎからつぎへと何かが、飛び込んでくるということがある。 

それを俗に「引き寄せ」というのだろう。自分のなかのセンサーが異常なまでに鋭くなっているから、自分がまさにいま必要としているものが向こうから語りかけてくるのだ。さあ、これを取れ、と。 

だから、ふと手にとったのは偶然でも、それは偶然ではない。こちら側、つまり人間の側からみたら偶然に見えるかもしれないが、あちら側からみれば、それは必然なのだろう。 

高校時代、通学のため猛スピードで駅まで自転車を飛ばしていたとき、この考えが突然降ってきた。自分にとってはユーレカ体験である。その場面は強く記憶に残っている。 

「引き寄せ」は、自分の内部の想念と、外界の事象とが一致するときに起こる現象だ。ユングのいうシンクロニシティ(共時性)の一形態なのだろう。因果性ではない同時性。だが、それは、あちら側からみたら必然なのかもしれない。 

とはいえ、「引き寄せ」はかならずしもいいことだけではない。悪しきことを引き寄せてしまうこともある。それには注意しなくてはいけない。 

つねに前向きの、善きことを想念しなくてはいけないのだ。クチに出して発話しなくても、コトダマは働くのである。すべてはつながっているのである。 

まよひなば
悪しき道にも入りぬべし
心の駒に
手綱ゆるすな (植芝盛平) 

ここ数日に起こったさまざまな事象を顧みて、そんなことを考えていた。 


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