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2014年10月17日金曜日

『なんとなくクリスタル』から出版されてから33年-あらためて巻末の「統計資料」に注目してみよう

(1981年の河出書房の初版)

すでに半年前の話題であるから遠い昔のような気さえするが、2014年3月31日でタモリの番組 『笑っていいとも!』が32年間の歴史を閉じた。正式な番組名は『森田一義アワー 笑っていいとも!』だが、放送が開始されたときは 『笑っていいとも!』だけだったと思う。 1982年に放送開始された『笑っていいとも!』の前番組が短命に終わった『笑ってる場合ですよ』だったからだ。

その頃は、大学の学生寮で昼飯を食いながら毎日見ていた。あの頃はフジテレビの全盛時代の前で、世は「マンザイ」ブームであった。漫才からマンザイへ。ビートたけしや島田紳助などの攻撃型ツッコミが主流になった時代であった。タモリもいまでは「いい人」扱いされているが、32年前はそうではなかったような記憶があるのだが・・・

田中康夫の『なんとなくクリスタル』が出版されたのが1981年1月いまから33年前ということになる。田中康夫はその後、 『笑っていいとも!』にもレギュラーコーナーをもって「康夫ちゃん」と呼ばれるようになる。一昔前というよりも、すでに一世代前ということになる。なんだか遠い国の出来事のような気もしてくるくらい昔の話だ。

なんとなくクリスタル』が出版されたのが1981年1月だが、わたしは1981年4月に一橋大学に入学した。一橋大学を選んだのは田中康夫とはまったく関係ない(笑) そもそも、出版されたときは大学受験直前、そんなこと考えもしなかった。入学してから、『なんクリ』のことは知った。

1981年3月に一年留年して卒業した田中康夫とは入れ違いであり、わたしは直接かぶっていない。学年としては4年違い、一浪一留している田中康夫とは6歳違う。世代とまでいかないが、この6歳の違いは意外と大きいかもしれない。

当時、一橋寮(いっきょう・りょう)という4人部屋の大学寮にいたのだが、かつて田中康夫も寮生だった(!)ということが話題になっていた。ワードローブにはジーパンが一本もない(!)という都市伝説(?)が語られており、さすが「ブランド小説」の作家だな、と寮生たちは語り合ったものだ。

その後、スキャンダル作家としての自己演出や、阪神大震災におけるボランティア実践、長野県知事になったりと、この33年間はいろんなことがあったが、大学の先輩として、直接の接点はないがつねに意識する存在であった。

大学卒業後だいぶたってから、仕事で外資系石油会社の幹部の方とお話することがあったが、田中康夫のことを好意的に語っていたのが印象に残っている。それは田中康夫が一時期とはいえモービル石油(・・現在はエクソンモービル)に勤務していたからだ。本人もどこかでサービスを提供する側の体験として石油会社の研修について語っていたと記憶している。

興銀(・・現在はみずほ銀行)から内定をもらっていながら、さる事件のため一年棒に振ったとされる。その一年間にリベンジとして図書館で書き上げたのが『なんクリ』らしい。


「カタログ小説」に時代の証言を読む

設定は「1980年6月 東京」となっている。34年前である。大衆消費文化の行き着いた先が、「ブランドという記号」が意味をもつ社会であった。

(1985年の新潮文庫版)

「ブランド小説」の形態をとった「反ブランド論」は、シニカルな視線に貫かれている。新潮文庫版の「あとがき」から引用してみよう。

どういったブランドの服を着て、どういったレコードを聴き、どういったお店に、どういう車に乗って出かけているかで、その人物が、どういったタイプの人物かを、今の若者は判断することができるのです。人は年齢に関係なく、みなそういた多の力を借りて、自分自身を証明しているのです。『私は、こういうランキングの、こういうテイストの持ち主です』ってね。日本みたいに、同じ教育レベルで、同じ生活レベルで、しかも同じ肌の色をしていたら、余計にです。

出版当時の24歳の著者がインタビューに答えた内容である。いまから約30年前は、まだこういった「同質社会」という神話が生きていたのだ。バブル崩壊前であり、その後の「失われた20年」のなかで「格差社会」が大幅に進行していることは、この時点では誰も想像すらしなかったようだ。

でも、ブランドとか場所というものは、わからない人には、まるっきり、わからないものでしょ。そうすると、本当に仲間うちだけの小説になってしまう。だから註をつけたんです。誰にでも、具体的な絵として想像できるようにね。アメリカやフランスの小説にだって、ブランドや地名が一杯出てくる。で、それらの翻訳には、ちゃんと註がついていますもの。

初版は河出書房新社で、最初に文庫化されたのも1983年の河出文庫からだが、1985年の新潮文庫版では、本文が右ページに注が左ページにまとめられ、「カタログ小説」「注釈小説」という形式がより明確になったという。じつは、わたしが最初に読んだのも、大学卒業後に出版された新潮文庫版である。

もっとも重要な註が、巻末につけられた2つの統計数字である。●人口問題審議会 「出生力動向に関する特別委員会報告」と●「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書」。「五十四年」とは、昭和54年のこと。昭和54年とは、1979年のことである。

(新潮文庫版 215ページより)

後者の「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書」からの抜粋を、さにそのまま抜き書きしてみよう。いずれも1979年時点のものである。

65歳以上の老年人口比率 1979年 8.9%
 1990年 11%(予測)
 2000年 14.3%(予想)
 (国連が定義した、『高齢化した社会』とは老年人口比率が7%以上の場合を指す)
厚生年金の保険料 1979年 月収の10.6%
 2000年 月収の20%程度(予想)
 2020年 月収の35%程度(予想)

さて、じっさいの推移はどうだったろうか。2003年(平成15年)現在で、「老年人口比率」は19.0%、2012年度の「老年人口比率」は 24.1%と、加速する一方である。この点については予想を大幅に上回る勢いで高齢化が進んでいることがわかる。

「老年人口比率」が増加するのは、高齢者の寿命が延びているからだけでなく、人口全体に占める若年層の比率が低下しているからでもある。まさに『なんクリ』世代もまた、少子化の原因をつくっているともいえなくはない。

少子高齢化のトレンドが明らかになることは、田中康夫のデビュー作『なんとなくクリスタル』(河出書房新社、1981)の巻末につけられた「注」で示されていたのである。だが、はたしてどれだけの人が気付いたことだろうか。

(1983年の河出文庫版の2013年新装版) 

景気予測ははずれることが多いが、人口動態データだけは予測からはずれることはない

『なんとなくクリスタル』が文学作品としての価値があるかどうかは、わたしには判断しかねるが、先見性を示していたことは註という形で証拠として残されているのである。

あらためてその事実を踏まえた上で、この「小説」を時代の証言として読んでみる意味もあるかもしれない。文学かどうかは別にしても、歴史的資料としての意味はあるだろう。







<補足>

当時は一橋大学社会学部教授であった社会言語学者の田中克彦が、無料で配布していた学内雑誌の「一橋マーキュリー」(1981年5月号)で、「なぜクリスタルはイモスタルなのか」と茶化していた。クリ(栗)ではなくイモ(芋)だというオヤジギャクだが(笑)、本人は音韻論的に見てそうだと書いている。内容的には、好意的な論評である。田中康夫は、「一橋マーキュリー」の編集長であった。

この一編は、『法廷にたつ言語-田中克彦エッセイ集-』(恒文社、1983) と 『ことばの自由を求めて』(福武文庫、1992)と改題した文庫版には収録されていたのだが、岩浪現代文庫からの新編集版では外されてしまったのは、歴史ドキュメントという観点からみて惜しいことだ。気になる人は古本を買うか、図書館で調べてみてほしい。

「固有名詞の復権」という論文や、『名前と人間』(岩波新書、1996) という本で「固有名詞の言語学」について書いている田中克彦だが、地名や人名は取り上げても、モノの名前としてのブランドを固有名詞という観点から論じていないのは、いったいどうしたものかとは思う。


<補足2>

身辺雑記や海外旅行、そしてみずから体験したガン闘病記などをテーマに、息長く活躍しているエッセイストの岸本葉子氏のデビュー作が、『クリスタルはきらいよ-女子大生の就職活動日記-(Orange books)』(泰流社、1985)であることを知っている人はどれくらいいるのだろうか。

岸本葉子氏はわたしより学年は一つ上なので、1986年に施行された「雇用機会均等法」以前であり、女子大生の就職がきわめて厳しい時代を体験している。その後に書かれたエッセイのなかで、保険会社に就職することができたことに触れられているが、当時の流行語のクリスタルな学生時代を送ったわけでもなく、就職には大いに苦労したという事実はここに記しておくべきだろう。

ちょうど出版された当時は就職活動の真っ最中であったわたしは、この本を近所の本屋で何度も立ち読みしたものである。わたし自身、「クリスタル」なるものには違和感を感じていたからでもある。むしろ、こういう学生のほうが大半ではなかったかと思う。


ついでに記しておくと、同時期に何度も立ち読みしていたのが、日本マクドナルドの創業社長・藤田田氏の『ユダヤの商法』(ワニブックス)であった。これは当時のロングセラーであった。この本を購入したのは数年後だが、それまでは立ち読みで済ませていたのであった。

もう一冊は、当時デビューしたばかりの新進気鋭の政治学者・舛添要一氏の『赤いバラは咲いたか』(カッパブックス)であった。もちろん髪の毛はふさふさ、眼光鋭いまなざしの東大助教授がフランス留学体験をもとに執筆したミッテラン社会党政権の話である。フランス人は狩猟を趣味とし、みずからも獲物をナイフで割くのだという記述があったことが印象に残っている。

時代の一断面を当時のロングセラーや新刊書で切り取ってみると、こんな感じになる。






<ブログ内関連記事>

書評 『石原慎太郎-「暴走老人」の遺言-』(西条 泰、KKベストセラーズ、2013)-賛否両論はあるが、きわめて「一橋的」な政治家の軌跡をたどってみることに意味はある
・・「教育社会学者の竹内洋氏に「現代思想における一橋的なるもの」というきわめて興味深い論文がある。『中央公論』に2000年に掲載されたものだが、『大衆モダニズムの夢の跡-彷徨する「教養」と大学-』(竹内洋、新曜社、2001)に収録されている。趣旨は以下のとおりだ。「教養」という概念でタイプ分けすると、「山の手知識人」と「下町知識人」という両極のあいだに、戦後の「新中間大衆」(都市型)タイプを想定することができる。「山の手知識人」の代表を丸山眞男(東京大学)、「下町知識人」の代表を吉本隆明(東京工業大学)とすれば、「新中間大衆」(都市型)のとして位置づけられる「一橋的なるもの」を代表するのは作家で政治家の石原慎太郎と田中康夫。政治的信条からいって水と油、右と左のようにみえる石原慎太郎と田中康夫だが、一橋的なるもの(平民的・町人的)で共通しているのだ、と。」

一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年
・・「振り返ってみるに、入部したのは1981年(昭和56年)、すなわち「昭和時代」末期でありました。いわゆる「バブル時代」がはじまったのは、大学を卒業した1985年(昭和60年)からでありましたが、「バブル前夜」の当時のキャンパスといえば「西の京大 東の一橋」といわれていたものです。 ちょうどその頃に開園した東京ディズニーランドのようなレジャーランドであったと言われてました。現在からみると隔世の感がなきにしもあらずです。」

継続するということの偉業-『笑っていいとも!』が32年間の放送を終了

「東京オリンピック」(2020年)が、56年前の「東京オリンピック」(1964年)と根本的に異なること

書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"
・・「赤い資本家」の堤清二。「市民派」の田中康夫。ともに1980年代の「空気」をつくりだして体現していた

小倉千加子の 『松田聖子論』 の文庫版に「増補版」がでた-松田聖子が30年以上走り続けることのできる秘密はどこにあるのか?

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書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・「クリスタル」なるものに違和感を感じていた若者は少なくないが、そのなかの一部は修行を重視する精神世界へ、さらにごく一部はオウム真理教などに向かった

(2014年10月30日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)









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