渡部昇一といえば、ベストセラーでロングセラーの『知的生活の方法』で有名な評論家だ。
晩年には頑迷固陋な保守のイメージがすっかり定着しており、渡部昇一にのことは敬して遠ざけてきた。ところが、その渡部昇一氏の著作にはまってしまったのだ。今年2021年6月から8月にかけてのことだ。
渡部昇一が亡くなってから、すでに4年もたっているのにもかかわらず、である。
きっかけはベーコンである。先月出版された『超訳ベーコン 未来をひらく言葉』のためフランシス・ベーコンについて検索して調べているうちに、渡部昇一氏による文章が目にとまった。ベーコンの『エッセイズ』を紹介した文章だ。
そのむかし、渡部昇一氏訳の『英語のなかの歴史』(バターフィールド、中公文庫、1980)を高校時代に読んでいたので、英語が専門であることは知っていた。
そんなこともキッカケになって、ネットでいろいろ調べていつうちに『英文法を知っていますか』(渡部昇一、文春新書、2003)という本の存在を知った。渡部昇一氏の専門は、「英文法の歴史」だったのだ。英語英文学の研究者は多いが、英文法、しかも英文法の歴史を専門に研究する人などあまりいるものではない。
さっそく取り寄せて移動の電車内で読んでみると、これがじつに面白い。知的好奇心を大いに満足させてくれる内容だ。とはいっても「英文法の歴史」など、ふつうは読みたいという人などいないだろう。
案の定この本も「長期品切れ重版未定」状態になっているが、英文法の確立は17世紀に入ってからのことで、しかも最初はフランス語をモデルにしたなど、よく知らなかったことが、専門を踏まえた啓蒙書として知的好奇心を大いに刺激された。渡部昇一氏の専門は英文法の歴史だったのか、とあらためて納得した。
そんなわけで、『英文法を撫でる』(渡部昇一、PHP新書、1996)や、『秘術としての文法』(渡部昇一、講談社学術文庫、1988 初版単行本 1977)も取り寄せて読んでみた。
ついでに、『講談・英語の歴史』(渡部昇一、PHP新書、2001) 、『英語の語源』(渡部昇一、講談社現代新書、1977)、『英語の学び方』(渡部昇一/松本道弘、ワニのNEW新書、1998 初版1980)、『ことば・文化・教育-アングロ・サクソン文明の周辺』(渡部昇一、大修館書店、1982)も取り寄せて読んでみた。
ベーコンの『エッセイズ』は、その後の英文の模範になったことや、英語のつづりにかんしてベーコンは慣用を重んずべきと主張したなども書かれている。なるほど、英語にかんしてもベーコンは「イギリス経験主義の祖」であったわけだ。まさに読むべき時に、自分の前に出現した一群の書籍群だったのだ。
またまたさらに、『日本語のこころ』(講談社現代新書、1974)を読んで、英語研究者だからこそ、日本語研究の専門家が気がつかない盲点を突くことができたことを知り、たいへん興味深く読んで、大いに納得した。
渡部昇一氏のじつに幅広い評論活動が、読書と体験に支えられた問題意識と旺盛な知識欲にあったことを知り、すっかりはまってしまったのである。このような知的考察と蓄積があってこそ、評論活動が可能になったのだ、と。
■ドイツに限定された「なんでも見てやろう」
さらに、英文法の歴史を研究するためにドイツに留学した記録である『ドイツ留学記 上下』(講談社現代新書、1980)にも手を出した。
たいへん意外で不思議なことに、英文法の研究は英国ではなく、もともとドイツがその中心だったのである!
『ドイツ参謀本部』(中公文庫、1986)は、文庫化されてすぐに読んでいたが、なぜ渡部昇一氏がドイツについて書くのか、その背景がいまようやくわかった。英文法研究のためにドイツに留学してドイツ語を習得し、ドイツ語で博士論文を執筆したのである。
『ドイツ留学記 上 雲と森の青春遍歴』は、1950年代に西ドイツのミュンンスター大学に留学して、大東亜戦争中の勤労動員によって奪われた青春を取り戻すかのように、ドイツのじつに幅広い層の人に会い、ありとあらゆるものを自分の眼で見て、直接体験した記録である。小田実の1970年代のベストセラー『なんでも見てやろう』のドイツ版といっていいかもしれない。
『ドイツ留学期 下 このキリスト教なる国』は、キリスト教を軸にするとドイツがよく見えてくるという内容だ。「留学記」と銘打たれているが、内容的には「考察編」というべきだろう。知的好奇心を刺激する内容で、こちらもじつに面白い。
北部が中心のプロテスタントと、南部が中心のカトリックとの違いが、生活や思考にも反映していることが、観察と実体験にもとづいて詳細に記述されている。もっと早くこの本を読んでおけばよかった、と思う。
ちなみに、上智大学にあこがれて進学した渡部昇一氏は、在学中に洗礼を受けたカトリックになっている。ミュンンスターは、カトリック地域にある。
渡部昇一氏が留学した時代の1950年代の西ドイツは、「敗戦後」の新生ドイツとはいえ、いまだ「戦前のドイツ」が社会のあちこちに濃厚に残っていた時代であった。現在のドイツは大幅に変化して「古き良き時代」は完全に一掃されてしまったのは、「1968年革命」が断絶を生み出したためだ。その意味では、じつに貴重な記録になっているのである。
さらに、『語源でひもとく西洋思想史』(海竜社、2020 初版2009)や『アングロサクソンと日本人』(新潮選書、1987)を読み、渡部昇一氏の訳になる自己啓発書の『自分の時間 1日24時間をどう生きるか』(アーノルド・ベネット、三笠書房、1994)も読んだ。
■ついに 『知的生活の方法』まで手を出すことに
そしてついに、『知的生活の方法』(講談社現代新書、1976)にまで手を出してしまったが、この本は、まったく読んだことがなかったのだ。
タイトルはもちろんよく知っていたが、ベストセラーになっていた『知的生活の方法』を読まなかったのは、いろいろ理由がある。
「芥川龍之介を読んで痴漢になった少年」(笑)や、ベーコンの「知は力なり」を実践して家を巨富を手にしたサラリーマン」(笑)などという表現が書かれていると、いまは亡き親友から耳にしていたわたしは、この本をバカにしていたのだ。この固定観念がが約40年以上にもわたって続いてきたというわけなのだ。
ところが、じっさいにこの本を読むと、自分もまた「知的生活」を実現していることを確認する結果となった。たしかに、日本の夏の猛暑は、知的生活には最悪の状況である。『超訳ベーコン』の作業は、この猛暑に苦しめられたのだ。 なんと、消耗しきった体力が完全に回復するには、暑さが遠のくまで2ヶ月もかかってしまった。こんなことはかつてなかったことだ。
先にふれた親友から『知的生活の方法』の話を聞いたのは、1980年代前半のことだった。すでにベストセラーでロングセラー化していたが、出版から数年しかたっていなかったことになる。
1980年代は「一橋なら英語ができる」がゆらぎはじめた頃だ。社会に出てからも、「一橋なら英語できるよね」と言われることもしばしばあったが、「英語といえば上智」というブランドが形成されつつあった。
英語好きなこともあって、高校時代には上智大学のピーター・ミルワード氏のものは多く読んでいたが、おなじ上智の渡部昇一氏のものは読んでことがなかったのは、なぜかよくわからない。社会人になってからは、「欠陥翻訳」を叩いて有名になった上智大学の別宮貞徳氏の本は何冊も読んでいたが、なぜか渡部昇一の本は読んでしなかったのだ。
さて、渡部昇一にはまってしまったわたしだが、読んで大いに感心したのは、いずれも渡部氏の30歳台から50歳台にかけての著作だ。 硬軟とりまぜた話題に、意外と柔軟な姿勢に驚いている。天性の啓蒙家というべきか、いわゆる「教養主義」ではない。
本職の「英文法史」と関連のものをもっと読んでおけばよかったと思うとともに、あらたな発見を喜ぶ気持ちもある。
言語学プロパーの論文やエッセイを読むと、政治観では対極にありそうな社会言語学者・田中克彦氏との共通点も見えてくる。渡部氏には「母語」という発想は皆無で、おそらく「母国語」という発想が保守思想の核になっていると思われるが、「民族語」の重視そのものは、ドイツの保守的な言語学者ヴァイスゲルバーの影響を受けている点が共通しているのである。
しかも、自分の歴史観は、渡部昇一氏の歴史観とかなり近いことがわかった。「英国保守主義」の伝統の上に立つ渡部昇一氏は、もともと穏健な発想の持ち主であることがわかる。
渡部氏の「英国保守主義」は、よくあるようなエドマンド・バークによるものというよりも、18世紀前半の世界初の首相となったウォルポール時代にあるような印象を受ける。その時代があったからこそ、哲学者で歴史家のヒュームなどがでてくる素地ができあがったのだということもわかってくる。晩年の頑迷固陋ぶり(?)は、老年ゆえの衰えがもたらしたものだというべきかもしれない。
何ごとであっても「食わず嫌い」はいかんな、と思う今日この頃である。
■「英文法」と「英文法の歴史」についての渡部昇一氏の発言の趣旨(備忘録としての読書メモ)
渡部昇一氏の「英文法史」にかんする著作を読んで、いま愕然とした思いに囚われている(2021年6月に記したメモ)
国家意志で言語規範を上から強制したフランス語。民間事業である辞書の出版事業をつうじてデファクトな規範を確立した英語。渡部氏は、「購入をつうじた国民投票」と表現しているが、ビジネスパーソンならデファクトというところだろう。
アングロサクソン的な性格は、17世紀以降に形成され確立していったことがわかる。渡部氏は、17世紀イングランドの「国学」という表現をつかっている。「ゲルマン狂徒」(germanphile)という訳語は面白い。イングランド人の、ラテンに対してゲルマン重視は、とくにドイツ出身のハノーファー朝時代には主流に。転換を余儀なくされたのは第一次世界大戦に突入してから。ウインザー朝と改名。
スコットランド人にとって、イングランドの英語を身につけることの社会的意味。なぜスコットランド人の英語は規範的なのか、アダム・スミスもヒュームも、英語を意識的に身につけたことの重要性。現在に至るまで、スコットランドが辞書製作の主導となってきた背景にも共通するものがあったこと。
英国は「慣習」、フランスは「理性」と一般に捉えられているが、こと「国語の確立」という点にかんしては違った。フランスは宮廷内言語の「慣習」を規範化したのに対し、それに該当する宮廷語をもたなかった英国は「理性」によって行ったのである。だが、最終的に民間事業としての辞書出版が主導したことで「慣習」が勝利して、「イギリス経験主義」が確立していくことになる。18世紀前半に世界ではじめての首相となったウォルポールの時代に「経験主義」が確立。
17世紀半ばのイングランドは、ピューリタン革命によって誕生した共和制の時代に宮廷そのものが廃止されていたこと、17世紀末の「名誉革命」後の約1世紀は、ドイツ出身の英語が不得意な国王が君臨していた。このため「宮廷語」が模範とはなりえなかったのである。
戦前の日本の学校英語教育では、英会話の機会は稀だったと思うが、規範文法は行きすぎる ほど規範的であり、教室では英文の名文暗誦が行なわれ、英作文は入試でも重視されていた。
その伝統は昭和60年頃までは不動であったが、構造言語学やフリーズ教育法の導入と共に、教師の側に規範的英文法を教える自信が失われ、生徒の多くも文法を我慢して学ぶ気をなくして恥じることがなくなった。かのコベットも文法をマスターするには最低数カ月の我慢と忍耐 が必要だと教えている。
(*コベットの『若い人たちへの人生アドバイス』(三笠書房、1995)参照。原本は Advice to Young Men, And (Incidentally) to Young Women by William Cobbett 1830)。英文法を身につけて的確な英文が書けるようになったことで、農民階層からはいあがってジャーナリト、そして国会議員へと社会的上昇を実現することができた。コベットがさしているのは「規範文法」としての英文法である)
個人的な事情について記しておくが、幸いなことに、昭和56年(1981年)に高校を卒業した私は、高校時代にみっちり英文法の勉強をしていたので、英文読解や英作文の基礎は十分に形成されている。
米国の大学院時代、ライティングセンターで英文添削を頼んでみたら「これは自分で書いたのか?」と聞かれた。一瞬その意味がわからなかったが、誰かに書いてもらったのではない英文だと褒められたわけだと気がついた
論文添削の仕事をした際に、引用英文がまったく日本語になっていないことに愕然とした思いを抱いた。的確な日本語になっていないということは、英文が読めていないということである。そんな状態で博士号を目指すとは言語道断ではないか!
だからこそ、渡部昇一氏が主張する文法重視、語彙重視の英語学習には全面的に賛成である。この件については『英語教育大論争 』(平泉 渉/渡部昇一、文春文庫、1995)における渡部昇一氏の主張に軍配が上がるというべきだ。この本は一部読んでいる。
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・・「東部の名門でしっかりと猛勉強をしてきたアメリカ人の友人たちも、大学の勉強ぜんたいをとおして自分が得た最大のものは、言葉を使う能力を高度に身につけ、大学を出てからもずっと勉強をつづけていくための強固な土台をそれによって自分のものにしたことだ、とこたえてくれる。出世したり成功をおさめたり、トップにたつエリートになったりしたければ、アメリカで生きる場合まず最初にやらなくてはいけないのは、言葉の勉強なのだ。」
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