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2017年10月30日月曜日

書評 『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)-日本とほぼ同時期に「開国」したシャム(=タイ)はどう「西欧の衝撃」に対応したのか


『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)は、元外交官で日本におけるタイ研究の開拓者、タイでの出家体験をもつだけでなく、語学の天才であった石井米雄氏の遺著と、タイ研究者の飯島明子氏が、本文への注釈と本文の分量以上の解説を合本したものだ。

『王様と私』(The King and I)というのは、言うまでもなく映画やミュージカルで有名な作品のこと。その当時はシャムといっていたタイの国王と、息子の家庭教師として雇われた英国人女性アンナとの交遊を、「異文化摩擦」としてコメディタッチで描いたものだ。ユル・ブリンナー主演の映画作品後にも、香港スターのチョウ・ユンファ主演でリメイクが製作されているが、そのいずれも、「不敬罪」の存在するタイ王国では上映禁止である。

本書のタイトル『もうひとつの「王様と私」』の「私」とは、家庭教師アンナのように有名ではないものの、カトリックのフランス人宣教師のことを指したものだ。「王様」とは現チャクリ王朝の4代目のモンクット王(=ラーマ4世)「私」」とはパルゴア神父のことだ。モンクット王は1804年生まれ、パルゴア神父は1805年生まれと年もほぼ同じであった。

パルゴア神父は、「パリ外国宣教会」からの派遣でフランスからシャムに来て、終生をシャムで過ごしバンコクに骨を埋めた人だ。若き日には、瞑想修道会のグランド・シャトルーズ修道院で修行もしたという。

本書の本文は、石井米雄教授の上智大学での「最終講義」がベースになっている。タイとかかわる以前から、ラテン語も含めた世界の言語に精通してきた石井米雄氏ならではの「作品」といえる。

というのも、扱われている材料がタイ語だけでなく、ラテン語でもあるからで、第2次世界大戦後のバチカン第二公会議以前のカトリックでは、ラテン語は公用語であった。タイ語の史料が読みこなせて、かつラテン語の元資料の読み込みもできる人など、欧米の研究者以外では日本ではそういないはずだ。

ちなみに、ナショナリズム研究の古典『想像の共同体』で有名な、インドネシア研究のベネディクト・アンダーセン教授は古典語を身につけていると自伝で語っているが、アンダーセン氏自身が、そういう教養の持ち主としては最後の世代だろうと述べている。スハルト政権によってインドネシアへの入国禁止となったアンダーセン氏には、タイにかんする著作もある。


タイと日本はほぼ同時期に「開国」

日本とほぼ同時期に「開国」を選択したタイ(当時はシャム)の背後には、モンクット王(=ラーマ4世)という傑出した知識人でもあった英明な君主が存在したのである。

日本が黒船艦隊の米国によって「開国」されたのは1853年シャムが大英帝国によって「開国」させられたのは1855年。ここで「開国」とカッコ書きにしたのは、日本はもとよりシャムも通商関係は諸外国ともっていたが(・・シャムは清朝に対して朝貢貿易も)、「自由貿易」は行っていなかったからだ。

「自由貿易」とは強者に有利な制度である。ヴィクトリア女王の時代の大英帝国は、「自由貿易帝国主義」とでも言えるような圧倒的存在であった。

下田で「日米修好条約」を締結したタウンゼント・ハリスは、シャムとの間でも同様の条約を結んでいる。英国の代表は、哲学者のベンサムの友人でもあった外交官バウリングだが、幕末に登場するパークスは日本でもタイでも登場してくる。

つまり、幕末の「開国」とシャムの「開国」は同時代の出来事であり、セットで考えたほうが理解が深まることを意味している。地理的に見れば、シャムは英国の植民地になったインドに近く、日本は中国に近いが、西欧からみれば「極東」であった。

英国にとっても、遅れてきた米国にとっても、主要な目的は巨大な市場である中国との貿易であり、中国進出に先手をかけた英国は、蒸気船の石炭の補給基地と位置づけた日本は植民地化する必要はなく、みずからが植民地化したビルマとフランスの植民地となったインドシナの緩衝地帯としてシャムの独立が維持されることになった。

だが、「開国」後に日本は「明治維新」という「革命」を断行し「近代化」=「西欧化」を全面的に遂行して「国民」形成の道を突き進んだのに対し、シャムは上層エリートは「近代化」=「西欧化」を受け入れたものの、「立憲革命」という「革命」は日本に遅れること64年、「国民」形成はそれ以降の課題となった。出発点が同じであったのにかかわらず、日本とタイで大きな差が生まれたのはこのためだ。


ラーマ4世モンクット王という傑出した知識人

では、シャムが「開国」した当時の国王であったモンクット王とはいかなる人であったのか? ミュージカルや映画の『王様と私』とは違う、本当のモンクット王とはいかなる人であったのか? 本書でそれを詳しく知ることができる。

モンクット王は、1851年に即位するまでの27年間を仏法修行者として僧院で過ごした人だ。還俗して王となったのだが、その僧院時代の経験が即位後の王の骨格を作り上げたといっていい。経典の原語であるパーリ語を習得し、僧院改革も実行、知的好奇心のおもむくまま仏教僧侶でありながらカトリックの宣教師と交遊しラテン語も習得、英語の読み書きも習い覚えた人だ。

だが、宣教師と深くつきあっても仏教を捨てることは断固として拒否している。アイデンティティのありかを仏教に置いていたからだろう。この姿勢は、国王が「仏教の擁護者」と規定されたことで、絶対王政廃止後も継承されている。歴代の国王は、即位前に必ず一時出家をすることになっている。

キリスト教との距離感は、「近代化」=「西欧化」を積極に的に推進した日本とも共通しているが、日本の場合は皇室は仏教から離れ、神道に専念することになった。国家神道が否定されたあとも、宮中祭祀は残る。天皇は日本全体の大祭司でもある。

モンクット王は、カトリックの宣教師パルゴアとは終生の友情を結んでいるが、とくに米国から派遣されてきていたプロテスタントは低く評価していたというのが面白い。独身主義をとるカトリックは、その点にかんしては戒律を守る仏教と共通しているのが、その理由だったという。(*ただし、ここで言っているのは厳密に戒律を守るタイの上座仏教の話。妻帯が当たり前となった現在の日本仏教は該当しない)。

日本の明治大帝とほぼ同時代人で、後に「大王」の称号を与えられた、息子のチュラーロンコン(のちのラーマ5世)に、西欧式教育を授けるために雇った英国人女性家庭教師アンナもプロテスタントだったようだが、彼女についての記述は本書のメインテーマではない。

「近代」とは、つまるところ後者の英米のプロテスタントが派遣を握った時代のことである。信者獲得の面では成功したとは言い難い近代日本だが、じつはプロテスタントの勤勉の精神が、江戸時代後期以来の日本型勤勉精神と親和性が高く、それが日本の近代化成功の大きな要因となったことを考えることもまた、日本とタイの歴史的個性と歴史的経験のちがいを考えるヒントになるかもしれない。


■「西欧の衝撃」の受け止め方-日本とタイの共通点と相違点

英国を先頭に西欧列強によるアジア進出が行われていた時代、西欧に比べて軍事的に非力だと自覚していたシャムは、「外交」によって生き残る道を選択する。

シャムによる選択は、幕末の江戸幕府の姿勢と共通しているが、日本は「革命」後はタイとは異なる道を選択したことは周知の通りだ。第二次世界大戦において日本は最終的に大きな挫折を味わうことになるのだが、日本と同盟を組んでいたタイは、ひそかに「自由タイ運動」の活動をつうじて連合国との関係を構築する。タイの外交巧者ぶりは、「開国」時代から現在に至るまで一貫している。

石井米雄氏による「本文」と飯島明子氏による「解説」をあわせ読むことによって、日本とタイ(シャム)が同時期に「西欧の衝撃」(=ウェスタン・インパクト)をいかに受け取り、そしてそれに対応して生き残りの道を探ったかの理解が深まることになる。

「西欧の衝撃」にかんしては、日本ではアヘン戦争後の中国との比較が行われることが多いが、日本とインド、それに日本とタイ(シャム)を比較して考えることは、アジアにとっての「近代」を考えるうえで、きわめて大きな意味をもつといえる。

拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)「第5章 「第2次グローバリゼーション」時代と「パックス・ブリタニカ」でこの時代のことを取り上げているので、ぜひあわせて読んでいただければ幸いである。







目 次

もうひとつの「王様と私」(石井米雄)

はじめに
1. 産業革命の時代
2. 若き日の「王様」
3. ビクとなったモンクット
4. シャムのカトリック
5. パルゴア伝
6. モンクットとパルゴアの出会い
7. プロテスタント宣教師
8. ワット・ボーウォンニウェート
9. モンクットとキリスト教
10. プロテスタント宣教師のシャム理解
11. シャムの知識人の宣教師観
12. 合理主義思想と仏教
13. パルゴアの仏教理解
14. モンクットの外国理解
15. 植民地主義諸国との対応
16. モンクットの登位
17. 対中朝貢の廃止
18. シャムの開国
19. フランスとの関係
20. 改定条約文をめぐる諸問題
21. モンクットと写真術
22. モンクットとカトリック
23. モンクットの西欧化教育
24. モンクットと自然科学
おわりに


解説  王様の国の内と外-19世紀中葉のシャムをめぐる「世界」 (飯島明子)

1. バウリング条約
2. 未知の砂漠
3. シャムと「ラオス」
4. シャムとビルマ
5. チェントゥン戦争
6. 王様の「私信」
7. アロー号事件
8. 王様の外交-対ヴィクトリア女王のイギリス
9. 王様の外交-ナポレオン三世のフランスとの出会い
10. モンクットと「臣民」
11. ド・モンティニー使節とのその後-カンボジア問題の始まり
12. カンボジアをめぐるフランスとの軋轢
13. モンクットと "ナポレオン"
14. 東アジア地域の国際環境-グローバルな連鎖
15. 対フランス交渉からの教訓
16. 再びモンクットとキリスト教、そして「世界」



著者プロフィール

石井米雄(いしい・よねお)
1929年東京生まれ。東京外国語大学中退後、外務省に入省。在タイ日本大使館勤務を経て、京都大学東南アジア研究センター所長・教授、上智大学教授を歴任。1997年から2004年まで神田外語大学学長。退任後(文部科学省大学共同利用機関法人)人間文化研究機構長、(独立行政法人)国立公文書館アジア歴史資料センター長を務める。法学博士。2000年文化功労者顕彰。2007年チュラーロンコーン大学から名誉文学博士号授与。2008年瑞宝重光章授章。2010年2月死去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


飯島明子(いいじま・あきこ)
1951年生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程修士課程修了。文部省(当時)アジア諸国等派遣留学生としてタイに研究滞在。専門は歴史学、東南アジア大陸部北部の歴史、「タイ(Tai)文化圏」の歴史。現在、天理大学国際学部教授。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)







<関連サイト>

出版社サイトの書籍紹介 『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)


<ブログ内関連記事>

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・
・・石井米雄氏の名著『タイ仏教入門』を取り上げている

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

映画 『大いなる沈黙へ-グランド・シャトルーズ修道院へ』(フランス・スイス・ドイツ、2005年)を見てきた(2014年10月9日)-修道院そのものを主人公にした3時間という長丁場のドキュメンタリー映画

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『ヤシガラ椀の外へ』(ベネディクト・アンダーセン、加藤剛訳、NTT出版、2009)-日本限定の自叙伝で名著 『想像の共同体』が生まれた背景を知る


書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある

ベトナムのカトリック教会

(2019年9月22日 情報追加)



(2017年5月18日発売の新著です)


(2012年7月3日発売の拙著です)






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