「メキシコ20世紀絵画展」にいってみた。
東京の世田谷美術館にて2009年8月30日まで。主催者はほかにはNHK、NHKエンタープライズ、読売新聞東京本社、メキシコ国立文化芸術審議会、メキシコ国立芸術院。後援は、外務省、メキシコ大使館。
世田谷美術館は今回が初めてだが、美術館の建物自体がひとつの芸術作品といってよい造形で、展示スペースもゆったりとしており、なかなか好感のもてる美術館である。
今年は、「日本メキシコ交流400年」なのだそうだ。その記念行事の一環としての開催だという。
仙台藩の支倉常長が伊達政宗の命を受けて太平洋を渡って、メキシコ経由でヨーロッパに派遣されてから400年、なのだろうと思ってたら、そうではないようだ。
外務省のウェブサイトにはこうある。
「1609年9月、フィリピン諸島総督ロドリゴ・デ・ビベロを長とする一団の船は、ヌエバ・エスパーニャ(当時のスペイン領メキシコ)への帰国途中、千葉県御宿沖で遭難し、村人の献身的な救助により、乗組員317人が救出されました。ビベロ一行は地元城主や村人からの暖かい歓迎を受け、その後、徳川秀忠及び徳川家康に謁見しました。翌年、徳川家康がビベロ帰国のため造らせた船はメキシコに向けて出航。ビベロと共に渡航した京の商人田中勝介他20数名の日本人は、メキシコを訪問した最初の日本人となりました。我が国の時の為政者とメキシコからの政府高官が対面し、初めての会談が行われた意義は大きく、2009年はそれから400年目にあたります」
支倉常長がメキシコのアカプルコに到着したのは、1613年のことらしい。歴史というものは、調べると意外な事実がわかって面白いものだ。
ところで、ここではメキシコと書いているが、本当はメヒコ(Mexico)というのが正しい名称である。しかしまあ日本では通称メキシコで通っているからそれでよしとしておこう。また一昔前なら、「日本メキシコ交流」などといわず、「日墨交流」といったであろうが、それもまたさておいて、と。
メキシコ絵画といえば何といっても壁画が想起される。少なくとも私の場合はそうである。
(メキシコの壁画画家シケイロスはスターリン主義者であった)
シケイロス、リベラ、オロスコといった壁画画家がまず頭に浮かぶ。高校時代にみたシケイロスの壁画の画像には圧倒的な印象を受けたからだ。
今回は東京での小規模美術館での開催である。壁画は建物の一部だから、海外に持ち出して展示することはできないので美術展向きではない。本当はこの「メキシコ壁画運動」について、美術館としてはパネルでもいいから詳しく解説すべきなのだが・・
■メキシコには1カ月間滞在したことがある
メキシコには、米国留学中の1990年の暮れから1991年の1月にかけて1ヶ月かけてメキシコをくまなく旅した。ちょっと寄り道してメキシコのことを書いておく。
セメスターの期末試験を終了したらすぐに寒いニューヨーク州を脱出して、メキシコのリゾート地カンクン(Cancun)へ。友人とフロリダで待ち合わせて一緒にいったのだが、カンクンはまったくもって米国の植民地みたいな俗悪な町で、すぐに嫌気がさし、旅行代理店のすすめもあって、セスナ機でコスメル島(Cosmel)に移動したのは正解だった。ここでスキューバ・ダイビングなどして1週間過ごしたのは、いい思い出である。カリブの海は素晴らしい!
友人とわかれて一人旅でメキシコを回ってみることとした。まずユカタン半島ではマヤ遺跡を見学、一休みしているときに中肉中背の中年とおぼしきメキシコ人からいきなり「あけましておめでとう」と日本語でいわれたのには驚いた。あっけにとられて、「おめでとうございます」と返答しただけで終わってしまったが、もしかしたら彼は日系人だったのだろうか?私はその日が元旦であったことをすっかり失念していたのだ。
メキシコシティ(シウダ・デ・メヒコ)では、先にもふれた壁画を市内のいたるところで見ることができた。メキシコ革命とそれ以後の社会を描いた政治的なモチーフが多いのだが、美術館だけでなく、市庁舎などの建築物の外壁や内部に描かれており、生きた美術というのはあくまでも民衆のためのもので、美術館に飾られるものじゃない、と実感される。
ヨーロッパのカトリックの教会内に残されたフレスコ画も同様である。
■岡本太郎の壁画「明日の神話」もメキシコで制作された
先年、岡本太郎の壁画「明日の神話」がメキシコで発見されて、日本に里帰りして展示されたが、本来はホテル内の壁画としてオーナーから制作を注文されたものだと聞いている。
(岡本太郎の壁画「明日の神話」)
原爆が炸裂した瞬間を描いたこの壁画をホテル内に飾ると決めた、メキシコのホテルオーナーというのも考えてみればすごい人だ。ピカソのゲルニカに勝るとも劣らない作品である。
結局オーナーは破産してホテルが廃業されたために、壁画そのものが長らく行方不明になっていたというのもすごい話である。そして行方不明だった壁画を執念で発見した岡本敏子さんもめちゃすごい。
(* 「明日の神話」は現在では、東京の東急渋谷駅構内に展示されており、メキシコ壁画運動の精神にふさわしく無料で一般公開されているのはすばらしい。2014年2月15日 追記)。
このほか、タスコ、オアハカ、グアダラハラなども訪問、クエルナバカでは「日本の26聖人殉教図」を教会内部で見学することもできた。
グアテマラ国境近くのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスまで足をバスで移動して回ったが、メキシコは実に多様な文化があることを知った旅であった。
■メキシコ絵画といえばフリーダ・カーロ、そしてトロツキー
回り道をしてしまったが、メキシコ絵画については、ここ数年では、壁画よりも、むしろ女流画家のフリーダ・カーロということになるだろう。
今回の美術展も、初公開のフリーダ・カーロの「メダリオンをつけた自画像」を目玉としてポスターに載せていることからもそれは窺えるが、フリーダ・カーロの作品はこれ一点限りなのであまり期待しない方がいい。タイトルどおり、「メキシコ20世紀絵画」を全体として扱った企画展である。
1991年にメキシコにいったとき、メキシコ市郊外コヨアカンにあるフリーダ・カーロ美術館を楽しみにしていたのだが、いってみたら何とうかつなことか、定休日で入れないのでがっかりした、という経験がある。
映画 『フリーダ』(2002年制作)が公開され、フリーダ・カーロの愛と情熱と芸術の生涯が、女性を中心にひろく知られることになったようで、2003年に開催された「フリーダ・カーロとその時代」展は、東京ではかなりの人出だったようだ。
東京で見る機会を逸したので、出張先の大阪で、サントリーミュージアム(天保山)で見ることができたのは幸いだった。フリーダ・カーロの全体像を見ることのできた素晴らしい美術展であった。東京で見るよりは比較的すいていたのではないかと思う。
フリーダ・カーロの絵はグロテスクなまでに自虐的で、受難像としての自画像が多いので、嫌いな人は嫌いだろう。
決してフランス印象派のようなポピュラリティを獲得することはないと思うが、メキシコを代表する画家の一人であることは間違いない。かなり独自な世界を描き続けた人である。
実は、メキシコ市郊外の高級住宅街コヨアカンまでいってみたのは、フリーダ・カーロが主目的ではなく、亡命先のメキシコで暗殺されたトロツキーの旧宅がミュージアムとして保存されており、そこを訪れるのが目的であった。
(トロツキーの書斎 暗殺直前の状態を保存 筆者撮影)
トロツキーが殺害された当時のままに書斎が保存されており(写真はいずれも私が撮影)、革命家であり、赤軍の生みの親というよりも、亡命先でも次々と旺盛に著作を執筆し続けた著作家としてのトロツキーをうかがうことができた。
1991年1月のこの時点では、いまだソ連は崩壊しておらず(・・8月の夏休み中に旅行先のスペインでモスクワでクーデターが発生したことを知ったことを覚えている。トロツキーの再評価が行われるようになったのはソ連崩壊後である。
(トロツキーの墓と要塞のような邸宅 しかし暗殺は実行された 筆者撮影)
その後、岩波文庫で読んだトロツキーの『裏切られた革命』(藤井一行訳、1992)によって、革命後のスターリン統治下ソ連の官僚制にかんするトロツキーの分析の鋭さと、ソ連が崩壊するにいたった理由もよく了解することができた。
私が、山口昌男の『歴史・祝祭・神話』(中公文庫、1978)で知ったトロツキーは、ロシア革命の指導者というよりも、ある種「負け組」として、負の刻印を押された悲劇的な敗者としてのトロツキーである。このトロツキー像が念頭にあって、メキシコにいった際、あえてコヨアカンまでいってみたのだ。
アラン・ドロン主演の映画 『暗殺者のメロディ』(1972年制作)は、原題を The Assassination of Trotsky といい、スターリンの密使によって書斎で殺害されたトロツキーの殺害犯を描いた心理ドラマであるが、1940年8月20日に最終的に暗殺される前にも、画家のシケイロスは殺害未遂事件にも関与しており、芸術と政治が密接にからまっていたのが、20世紀前半のメキシコである。
また、トロツキーはディエゴ・リベラの妻であったフリーダ・カーロとは愛人関係にあり、メキシコ20世紀前半の美術界と共産主義者との関係は、人間関係の面からみても非常に錯綜としている。この点については、映画 『フリーダ』でも扱われていたと記憶している。
■メキシコの画家たちと縁の深い画家・利根山光人の展示会
私がもっているシケイロス画集(『ファブリ世界名画集87 シケイロス』平凡社、1970)の解説を担当している画家・利根山光人の展示会が、2階で開催されていたのでついでに見る。利根山光人は世田谷在住で、死後作品の多くが世田谷美術館に寄贈されている。
日本の芸術家たちのメキシコとのかかわりも興味深い。メキシコの民芸運動にかかわった北川民次のような人もいる。
今回の美術展は、メキシコ20世紀美術の概要を知るにはいいだろう。私としては、オロスコによる「十字架を自らの手で壊すキリスト」(1943)という一枚の絵を見るためだけでもいく価値があると思った。
(オロスコの「十字架を自らの手で壊すキリスト」)
スペインによる西洋の植民地300年のくびきを断ち切り、革命によって自らの歴史を取り戻したメキシコ人の自画像ともいえるかもしれない。
もちろんメキシコ国民の大半は熱心なカトリックであり、オロスコ自身の信仰については詳しく知らないが、見る人に強烈なインパクトを与える絵画であることは間違いない。
■エイゼンシュテイン監督の『メキシコ万歳!』
メキシコについては、ソ連の映画作家セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による映画『メキシコ万歳!』(・・監督の死後に未完成フィルムを編集して1980年に初公開)など書きたいことはまだまだある。
エイゼンシュテインがハリウッドからの招待を受けてメキシコで映画撮影をしたのが1930年、未完成のまま放置されていたフィルムだが、メキシコを描いた映画ではもっとも神話的なアプローチで、見る価値のある作品である。
エイゼンシュテインまで書き始めると際限がなくなるので、今回はここらへんでやめておく。
PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にし、あらたに小見出しを加えた。誤字脱字を修正し、リンク先の変更を行ったほかは本文には手を入れていない。<ブログ内関連記事>で、そのご執筆したブログ記事を参照できるようにした。 (2014年2月15日 記す)
<関連サイト>
「企画展 岡本太郎とメキシコ 熱いまなざし-岡本太郎とメキシコ」(川崎市岡本太郎美術館 会期2002年8月10日~9月29日)
・・ 「メキシコというのは、なんて怪しからん所だ。何千年も前から断りも無く、私のイミテーションを作っているなんて。」古代メキシコ美術を見てユーモアを込めて語られた岡本太郎のこの言葉は、古代メキシコ芸術と彼の作品が共感し合い、本質的な部分で通底している証である。本展では、壁画《明日の神話》の原画、未完に終ったメキシコ・プロジェクト〈海の博物館構想〉といったメキシコと深い関わりのある岡本作品や、彼が現地で撮影した写真を展示した。また、岡本が特に感動した古代アステカ文明の神像コアクトリエや古代都市テオティワカン遺跡などの古代メキシコ世界を紹介すると共に、シケイロス、リベラ、タマヨなどメキシコの近・現代の作家を取り上げ紹介した。
「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)
・・ピンク色の壁で有名なメキシコを代表する建築家ルイス・バラガン
「聖週間 2013」(3月24日~30日)-キリスト教世界は「復活祭」までの一週間を盛大に祝う
・・メキシコのサン・クリストーバル・デ・ラス・カサスでもらった「受難劇」の写真
書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために
・・イスラームを排除して「純化」したスペインは海外に・・・。南米植民地を獲得した・・・
・・イエズス会士たちは大西洋を渡って南米へ、あるいはインド洋をわたって戦国時代の日本に向かう
・・「私は何の先入観なしにこの『アバター』をみているうちに、これはロバート・デ・ニーロ主演の『ミッション』だな、と思った。監督が意識していたかどうかは知らない・・(中略)・・南米では、スペイン人植民者が宣教師と軍人と行動をともにしたのと同様、西欧文明の継承者である、米国においてはビジネスマンと科学者と軍人がセットで登場するが、宣教師の枠割りは科学者が代替している。」。アバターは、滅亡に追い込まれた原住民インディオのメタファーと考えるべきではないかと思われる。南米ミッションについて、やや詳しく書いておいた
「生誕100年 人間・岡本太郎 展・前期」(川崎市岡本太郎美術館) にいってきた (2011年6月)
「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた
書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある
書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)
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(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
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