(ここに掲載した写真は、私が所有する初版本の表紙。また下に掲載した「逃避行経路」は初版本に挿入されているものを複写したもの)
■昭和25年出版の100万部を記録した大ベストセラー■
名のみ高くして長らく入手不可能だった本書が復刊された。
昭和25年に刊行されて、なんと100万部の大ベストセラーとなった本書、その理由は読み始めてからすぐに理解された。
とにかく面白いのである。何よりも文章のテンポがよく読んでいて実に気持よい。
さすが元陸軍参謀、知識人特有の長々としたわかりにくい文章はいっさいなく、ワンセンテンスはきわめて短い。まさに冒険活劇そのものである。
ビルマ(現在のミャンマー)での作戦から撤退、敗戦を当時南方軍司令部のあったタイのバンコクで迎えた著者は、交戦国であった英国からは戦犯として指名手配され、直前に連合国側に寝返ったタイ国内で英国官憲から執拗に追われていた。
当時の複雑な国際情勢のなか、頭を剃って仏教僧の格好にやつし、少数の協力者とともに陸路を移動しヴィエンチャンへ渡り、フランス領インドシナ(当時)に潜入。メコン川を舟で下り、さらに陸路をユエ、ハノイを経由して中華民国(当時)の昆明をへて国民党の地下工作機関のあった重慶、そして南京へ。
日本に帰国するために上海を離れるまでの3年に及ぶ、手に汗握るハラハラドキドキの逃避行を描く。
もちろん、辻政信という軍人が毀誉褒貶に満ちたいわくつきの人物であり、ノモンハン、シンガポール攻略、ガダルカナルなどの戦争にかかわったエリート陸軍参謀として、日本を滅亡に導いた一人であることは十分に承知している。しかし、そういった後世の評価はいったん棚に上げて、冒険活劇として思う存分楽しんで頂きたい。
辻政信の逃避行の背景と実際については、『辻政信と七人の僧-奇才参謀と部下たちの潜行三千里-』(橋本哲男、光人社NF文庫)を合わせ読むとより理解が深まるだろう。
東南アジア、そのなかでもことにインドシナ(タイ・ベトナム・ラオス)に興味を持つものは、必ず読むべき本だと思っている。
インドシナ理解に間違いなく深みが加わるはずである。
<初出情報>
■bk1書評「昭和25年出版の100万部を記録した大ベストセラー」投稿掲載(2009年8月8日)
<書評にかんする付記>
文中にも明記しておいたが、陸軍大佐・辻 政信(1902-1961)はまさに毀誉褒貶相半ばする人物である。
極端な出世主義者であったとして徹底的に嫌う者がいる一方、いまでも素晴らしい人物であったと称揚する人も存在するが、シンガポール占領後の華僑虐殺事件への関与は明白であり、責任はきわめて重いといわざるをえない。
参謀でありながら、自ら最前線に立って陣頭指揮をとり(・・これは明らかに越権行為である)、身体に受けた銃傷は数知れず、といったエピソードに現れているように、軍人としてカリスマ性をもっていたことも確かである。自己顕示欲が強く、大声で自説を主張するため、つねに「空気」を作り出した人物である。これが好悪の評価を真っ二つにしてきたのであろう。
正直いって、こういう人の下で働きたいとは思わないが、戦後100万部のベストセラーを書いた作家として筆が立つことも確かで、『潜行三千里』以外にも、自らがかかわった戦記ものを中心に8冊著書を出版している。
戦後、軍服を脱いでからは、多くの旧軍関係者が自衛隊に入ったのに対し、辻政信はベストセラー作家としての知名度を活かし、衆議院議員を4期つとめ(・・その後、参議院議員に鞍替え)、政治家として人生を過ごした。
なんと言っても、辻政信らしいのは、1961年に参議院議員のまま、再び仏教僧侶の姿に身をやつして単身ラオスに入国、以後消息を絶って現在に至るまで行方不明なままであることだ。
いまだに真相は明らかになっていないが、辻政信らしい劇的な、波瀾万丈の生涯の最後を飾るのにはふさわしい。最近もまた週刊誌の記事にもなっていたが、ラオス国内あるいはラオスと中国との国境付近で逮捕され処刑されたらしい。この人は「大東亜共栄圏」のまま、意識が凍結したままだったのかもしれない。どうも国境意識が希薄な印象を受ける。あまりにも身軽な格好でラオス入りしているのである。
第二次インドシナ戦争(=ベトナム戦争)初期のきわめてクリティカルな時期での日本の国会議員・辻政信失踪事件(1961年)は、バンコクに在住した元OSS(現在のCIA)支局長、米国人大富豪でタイ・シルク王として有名なジム・トンプソン(Jim Thomson:1906-1967)のマレーシア・キャメロンハイランドでの失踪事件(1967年)と並んで、実にミステリアスな事件である。
私は、東南アジアを深く理解するためには、大東亜戦争とベトナム戦争の2つの戦争を徹底的に研究する必要があると考えているのだが、このほぼ同世代の二人の人物はその双方に、何らかの形で関わっているのである。そして二人とも現在も行方不明のままである。
敗戦時バンコクに滞在していた大日本帝国陸軍大佐・辻政信と、日本の敗戦から数週間後、米国OSS支局長としてバンコクに着任したジム・トンプソン米陸軍将校に直接的な接点はなかっただろうが、英国に指名手配されていた辻政信のことは当然知っていただろう。ジム・トンプソンのバンコク着任当時、辻政信はまだバンコクに潜伏していた。いろいろ想像してみるのは面白い。この事実は、これを書いていてはじめて気がついた。いままでこの二人を合わせて考えたことはなかった。
辻政信の功罪--といっても罪のほうがはるかに大きいが--日本人のある種の類型としてみた場合、実に興味深い研究対象である。
辻政信の人生はドラマ化したら面白いと思うのだが、主人公としては、司馬遼太郎好きな日本の国民からは、とても共感を呼ぶとは考えにくい。それでは視聴率が取れないだろう。
あくまでもプロレスでいうヒール(=悪役)だから、ベルトリッチ監督の映画『ラスト・エンペラー』で、坂本龍一が演じた甘粕憲兵大尉みたいな役回りがいいとこか。
(2012年7月3日発売の拙著です)
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