母校の一橋大学の「ホームカミングデー」に招待されていたので、5月8日(土)に、久々に小平と国立(くにたち)にいってきた。
今年で5回目、毎年、卒業年度をピックアップして招待しているようだが、今年の招待年度は昭和30年卒(1955年)、昭和35年卒(1960年)、昭和40年卒(1965年)、昭和45年卒(1970年)、昭和50年(1975年)、昭和60年卒(1985年)、平成7年卒(1995年)である。
私は1985年卒なので、卒業からちょうど25年、四半世紀、ということになる。
もちろん、招待されていなくても参加可能、というより校門はオープンしているので誰でも入ることができる。この点は女子大と違って、守衛のおじさんの厳しい誰何(すいか)はないので安心だ。というよりも、国立(くにたち)キャンパスは国立市民の憩いの場所になっているので、そのオープン体質は、母校だからというわけではないがすばらしい。
「Homecoming Day」と英語のバナー看板が国立(くにたち)キャンパスにでていたが、こんなのカタカナでいいのではないかと思うのは、私が天の邪鬼だからだろうか。日本国内の他大学の状況は知らないので何ともいえないが。
米国だと Alumni Reunion Day といっている。これは直訳すると「卒業生同窓会」ということになるのだろうか。米国風では Class of '85 Alumni Reunion なんていう表現を使う。これは1985年卒の同窓会という意味である。
私が大学院を卒業した、米国の RPI(Rensselaer Polytechinc Institute)からも毎年案内が来ているが一度もいったことがない。ニューヨークにいく機会があっても、さらにクルマで3時間ハドソン川を遡るというのは(・・12人乗りのプロペラ機も飛んでいるが)、正直いって面倒だ。卒業してからすでに18年もたっているのだが・・・
一橋大学にかんしていうと、現在はキャンパスは東京の国立(くにたち)に統合されているが、私が在学中は小平と国立の2つのキャンパスに分離されていた。
今回は旧小平キャンパス・ツアー(campus tour)があるというので、ゼミの同期生といくことにしたが、小平キャンパスの跡地には、放送大学と独立行政法人大学評価・学位授与機構、それに一橋大学小平国際共同研究センターが入っている。もしかすると20年ぶりくらいかもしれないので、その変貌ぶりには大いに驚かされた。
これまた米国の話をするが、キャンパスツアーはこういう特別の日にしかやらないというのも困ったことだ。むかしに比べたら進歩したといるとかもしれないが、本当は毎日やるべきだと思う。はじめてカリフォルニア大学バークレー校にいったときも、スタンフォード大学にいったときも、まずキャンパスツアーで案内でてもらうのが手っ取り早い。いずれも現役の学生がボランティアで担当しており無料が原則。学生にとっても説明能力の向上になるし、何よりも母校愛を育む意味でも効果は大きい。
ちなみに、米国では母校のことを alma mater というラテン語を使う。卒業生を意味する alumni もラテン語である(・・発音はアラムナイ)。日本では OB とか OG とかいうが、alumni だと性の区別をしんばくていいので便利である。
ついでにいうと日本の大学は「オープン・キャンパス」と銘打って大学説明会を年に1~2回開催しているが、原則オープン・キャンパスにして、大学説明会はホームであるキャンパスで開催するものと、アウェイである国内外でキャラバンしながら開催すべきであろう。これくらいやらないと学生確保は難しいのではないか?
さて、一橋大学の小平キャンパス跡地に話を戻すと、「スポーツクラブ」が建設されたが維持管理費が赤字になってしまうので閉鎖されたということを聞いた。まったくバカなことをしたものだと思う。
国立大学の土地は大学の資産ではないので、とにかく跡地利用プランを出さなければならなかったようだが、なぜ「大学付属博物館」を作らなかったのか、まったくもって理解に苦しむ。「国家百年の計」ならぬ「大学百年の計」を誤ったとしかいいようがない。
「大学博物館」(university museum)は最近では多くの大学が積極的に取り組んでおり、「企業博物館」(corporate museum)とならんで、従来の啓蒙を目的とした博物館とは異なる面白さを提供してくれている。 博物館は、所有者である企業や大学の歴史の蓄積を「見える化」したものであり、外部向けにはその組織のアイデンティティを広く一般にむけて広報するとともに、内部には創業や建学の精神を再確認し、原点回帰するための施設となる。むしろ組織内の啓蒙教育の効果が大きいというべきだろう。
一橋大学の場合も、そもそもが商法講習所という民間教育機関から出発した原点を考えれば、商業や産業考古学関連で、図書館所蔵の資料を中心に博物館ができたのではないか、と思うのだが、もはや時期は失したというべきか・・・
少子高齢化のすすむ現在の日本、大学が生き残るためには、まず何よりも学生を確保することが必要だが、学生を確保するためには、さまざまな意味において、その大学にいってよかった、その大学を卒業したことを誇りに思う、といっったソフト面での満足が不可欠である。しかもそれは在学中の4年間だけでなく、一生にわたってつづくライフロングな満足であることが必要である。
誰だって自分が卒業した大学が衰退ししていくのをみるのは忍びないではないか。できれば、自分が在学していた時代よりも発展していることが望ましいではないか。
これは転職者にとって、転職前の会社が吸収合併で消滅したり、破綻したりするのはうれしくないのと同様である。しかし出身企業が発展するかどうかは当事者でなくなった以上、貢献する余地は大幅に制限される。
出身大学の場合は、出身企業と異なり、卒業後は卒業生として外部からなんらかの貢献を行うことは可能である。卒業してからの期間のほうがはるかに長い。
出身大学についても同じだろう。出身大学が発展することは、自分自身にとっても大きな利益になるからだ。これはどの大学の卒業生にとっても同じことだろう。
こういうことに対して斜に構えた態度をとるのは正しくない。貢献の仕方はいろいろあるので、各人が考えるべきだろう。有名人になってマスコミに大量にとりあげられるというのも、カネのかからない貢献方法である。すべての人にできる芸当ではないが・・・
今回取り上げた「大学博物館」なども、卒業生に誇りをもたせる施策の一つである、と思っている。もちろんそれだけしかないわけではないが、カネ(寄付金)、知恵、汗・・・のいずれかで貢献することで母校を発展させ、卒業生自らも満足を得ることが必要だと考える。
何も貢献しないで、フリーライド(ただ乗り)することだけは避けたいものである。「カネがなければ知恵を出せ、知恵がなければ汗を出せ」と会社ではむかしからよくいわてきたが、出身大学に対しても同じだろう。「カネがなければ知恵を出せ、知恵がなければ汗を出せ」ばよい。
逆にいえば、大学サイドからみたら、卒業生こそ最大の資産というべきであろう。大学と卒業生の関係は、繰り返しになるが、一生続くライフロングな関係だ。
大学の組織内にいる人間に異動や移動はあっても、個々の卒業生は年齢を重ねる以外は大きな変化はない。ここが大きな違いである。しかも、大学にとってのステークホールダーである卒業生は、大学にとっては無形資産であるだけでなく、自らの意思をもち主体的に行動ができる個人個人の集合体でもある。この点は、大学も卒業生の双方も十分に理解しておくべきだろう。
どの大学でもあてはまることだと思うので、あえて書いてみた。
<関連サイト>
◆Wikipedia 大学博物館(大学博物館のリストとリンクがある)
◆企業博物館案内 Corporate Museum of Japan
<ブログ内関連記事>
「東京大学総合研究博物館小石川分館」と「小石川植物園」を散策
・・大学付属ミュージアムについての一例
「一橋大学 昭和60年会(昭和56年入学)卒業25周年記念大会」(2010年11月13日)に出席
一橋大学合気道部創部50周年記念式典が開催(如水会館 2013年2月2日)-まさに 「創業は易し 守成は難し」の50年
書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学が中核にある「大学町」誕生の秘密をさぐる
・・第一章で「くにたち大学町」が「大学町」の代表例として取り上げられている
(2014年7月14日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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