たまたま、「9-11」から10年の本日は、「3-11」からちょうど半年にあたる。
まったくの偶然である。だが、この2つの事件には共通点がある。前者は米国の中枢部におけうテロ事件、後者は日本における自然災害とそれがキッカケとなった人災であるが、日米それぞれの国民の精神に大きなダメージを与えたという点に共通性があるのだ。
とくに米国にとっては、計り知れないダメージを与えたことは容易に想像できる。あの日本ですら、米国本土の攻撃はできなかったのを、アルカーイダがいとも簡単にやってのけたからだ。
こういう形で日本が引き合いにだされるのは、不本意な気もしなくもないが、歴史的事実としては、米国が正面切ってその中枢部に攻撃を受けたことははじめての経験であることは紛れもない事実であり、間違いなく深層意識(Psyche)の領域で大きなトラウマとなったことは疑いえないことなのだ。
同様に「3-11」は日本と日本人の精神の奥底に、癒しがたいトラウマを産み付けた。気が付かぬ人も、気が付かないふりをしている人も少なくないだろうが、精神の深層領域に間違いなく澱(おり)のように溜まっている。いついかなるといきに噴き出すかだれにもわからない。
ところで、一部には「9-11」テロの映像は捏造だなどと主張している人たちもいるが、あきらかに「トンデモ」の類だろう。つい先日も、アポロ11号の月着陸の詳細な画像や映像が NASA から公開されて、「トンデモ」論者の主張は永久に葬り去られた。
ただし、「9-11」が限りなく謀略に近いという気はしている。日本によるパールハーバー(=真珠湾)奇襲攻撃は、ルーズベルト大統領は事前に知っていて、米国を第二次大戦に参戦させるために、日本に攻撃をさせて参戦世論を喚起することを狙っていたというのは、現在ではほぼ定説となっている。日本側の暗号情報はつつぬけになっていたからだ。
そう考えると「9-11」テロについても同様の推論が成り立つのは不自然ではない。
■「9-11」直後に「政府官邸」に送付した意見書を読み直してみる
先日、パソコンのハーディスクを整理していたら、10年前に作成した文章がでてきた。
「テロリストの再報復についての万全の対応を求めます(特に東京その他大都市においてのガス・化学・細菌兵器対策としての万全の治療体制を)」と題して、「9-11」から10日後の2001年9月21日に「政府官邸」(・・現在は首相官邸)に投稿フォームから送付した意見書だ。投稿した文章をコピーしておいたのだ。
当時の首相は自民党の小泉純一郎だった。国民の圧倒的な支持を受けていた小泉元首相は、歴代はじめてメルマガを発行し、国民との対話を実現した点で画期的な存在であった。
10年前の自分の文章を読み直すのは興味深い。参考のために全文を掲載させていただこう。なお、文章に手はいっさい入れていない。
テロリストの再報復についての万全の対応を求めます(特に東京その他大都市においてのガス・化学・細菌兵器対策としての万全の治療体制を)
2001年9月21日に「政府官邸」あてに投稿
佐藤賢一 38歳
今回の米国のテロ攻撃に対しては同盟国として、日本国が米国を全面的に支持するのは当然であると考えます。
しかし重要なのは軍事力だけでなく、特にテロリストとの戦いで重要なイマジネーションの力です。テロリストは米国の報復に対して、いかなる再報復を行ってくるか。米国だけでなく、特に英国、フランス、ドイツ、そして日本に対してそれは行われると考えるのが当然でしょう。
日本はすでにサリンガスによるテロを経験しています。
米軍基地や原発だけでなく、特に首都である東京やその他大都市でのテロ対策を十分にしていただきたい。
一国の政府の存在理由は、その国民の生命・財産を保護することにあります。
テロリストによる再報復は、ニューヨークおよびワシントンで行われたと同様の方法がとられることはないでしょうから、おそらくサリンガスか、化学兵器か、細菌兵器による攻撃でしょう。
これに備えるため、東京その他大都市の病院の治療体制を万全にしていただきたい。
前回は聖路加病院にしか治療体制がなかったのではなかったでしょうか(記憶違いかもしれません)。
以上は、日本国の納税者として当然の要求です。
テロは未然に防げればそれに越したことはありませんが、テロが起こってしまったときの対策も万全にお願いします。冒頭に述べましたように、テロとの戦いは軍事力・警察力だけでなく、イマジネーションの力にかかわるものです。テロリストが考えうる以上の想像力が日本国政府に求められていると考えます。
以上
あくまでも個人の意見書であり、政策に反映したかどうかはまったく不明である。
当時から、文化人や評論家の多くが、小泉純一郎はブッシュのポチ(笑)だと罵っていたが、わたしは明確に日本の政策を支持しているのである。「日米同盟なくして日本の安全保障なし」という考えに揺るぎはない。その意味では、わたしは首尾一貫している。
ただ、いま読み返してみて思うのは、内容的にはまったく修正する必要を感じないのはさておき、むしろ10年後の「3-11」ではテロ以上の破壊がもたらされたのにかかわらず、ほとんど何も対応できていない日本政府にはいらだちと怒りを感じるということだ。
日本政府はこの10年間いったい何をやっていたのだ!?、と。
そろそろ日本政府には目を覚ましてもらいたい。まだ手遅れではないと信じたいから。あくまでも「信じたい」と言わねばならないのはつらいところだが・・・
■米国による「9-11」からの10年間の終わらせかた
米国は「9-11」からの10年間を力づくで終わらせた。言うまでもなく、アルカーイダのリーダーであったオサマ・ビンラディンを殺害したことだ。共和党のブッシュ前大統領からつづく課題を、民主党のオバマ大統領が国家的課題として引き継いでケリをつけた。
パキスタン国内のオサマ・ビンラディンのアジトを海軍特殊部隊(Navy Seals)が急襲し、オサマ・ビンラディンを殺害し、遺体を海軍艦艇から海葬した。今年の5月2日のことだ。
イスラエル型の「暗殺戦略」への移行か?という議論も直後になされた。スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』を思わせるような、ピンポイントの報復劇であったからだ。おそらくオサマ暗殺作戦も遠くないうちに映画化されることだろう。
事の是非はさておき、とにかく一区切りついたのは確かだ。オサマも死ねば、影響力は間違いなく消えていく。これはオサマ暗殺実行から4ヶ月たったいま、すでにそのとおりになっている。オサマもあっという間に過去の人となってしまった。その意味では、オサマ暗殺によって、シンボリックな意味でもケリがついたといえるだろう。
そもそも、イスラーム世界においても、「アラブの春」といわれた「民主化革命」は、すでにアルカーイダ流のテロ戦略が無意味化したことを意味している。チュニジアで始まり、エジプトに飛び火した「民主化革命」は、イスラーム世界においては、もはやテロによる問題解決の時代は過ぎ去ったと捉えるのが常識的な見解であろう。
かつて、第二次大戦の敗戦後の日本で、共産党が「暴力革命」を実行しようと固執したために、一般民衆の支持を急速に失っていった軌跡に似ている。
また、1980年代のピークを迎えた大学生を中心とした韓国の過激な「民主化闘争」も、一般市民はエスカレートする過激な大学生たちからじょじょに距離を取り始めたことも思い出す。生活人の反応というのはそういうものだ。世の中は「常識」で類推できること、推測できることは多い。
■では、「3-11」後の日本はどうなっていくのか?
想起されるのは、チェルノブイリ原発事故が起きたのは1986年のことだったが、それから5年後の1991年にはソ連が崩壊した歴史的事実のことだ。
「歴史は繰り返す」という言い方がされることも多い。もちろん、そのままそっくり繰り返されることはないが、似たようなパターンが発生することは、経験則としても無視できないものがあるのではないか?
制度疲労による動脈硬化。これは日本という組織体にも当てはまらないとは誰がいえることだろうか?
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。この金言はしかとアタマに刻み込んでおかねばなるまい。
<関連サイト>
スティーブン・スピルバーグ監督の映画『ミュンヘン』トレーラー(絵米国版 英語 字幕なし)
映画 『ハートロッカー』トレーラー(絵米国版 英語 字幕なし)
・・アカデミー賞受賞作品。イラクでの爆弾処理班の日常を描いたリアリズム映画
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書評 『民間防衛-あらゆる危険から身をまもる-』(スイス政府編、原書房編集部訳、原書房、1970、新装版1995、新装版2003)
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