(1938年のウィーン進駐で凱旋するヒトラー)
わたしが著者の名前をはじめて知ったのは、いまから23年前に出版された『ウィーン愛憎-ヨーロッパ精神との格闘-』(中公新書、1990)という本だった。出版されてすぐ、アメリカに留学するまえに読んだ。はじめての海外生活を前に、参考となるものならなんでも読んでおきたいと思ったこともあったと思う。
『ウィーン愛憎』は、いつまでたっても目の出ない33歳の著者が、乾坤一擲(けんこんいってき)の思いで賭けたウィーン私費留学の記録をつづった読み物であった。22歳でさっさと就職したわたしから見れば、なんと遠回りの人生を送っている人かと思ったのは正直なところだが、観光客向けではない、ウィーンに生きる人々のナマの姿を知ることができたのは面白く感じたので内容のすみずみまで記憶にある。
その14年後に出版された『続・ウィーン愛憎-ヨーロッパ、家族、そして私-』(中公新書、2004)は、「その後いろいろありました」という内容の本であったが、アメリカで留学生活を送ったわたしも異文化体験していたので面白く感じられた。ヨーロッパで暮らす日本人の生態を知ることができる。
『ヒトラーのウィーン』は、ふたたび原点であるウィーンを追体験するために長期滞在中の著者が書いた「ウィーン愛憎」ものである。おなじく「ものになろう」と意気込んで上京しながらも挫折し、失意のうちにウィーンを去った青年ヒトラーを描いたものだ。いわば「ヒトラーのウィーン愛憎」といっていい。
ヒトラーが故郷のリンツからハプスブルク帝国の首都ウィーンに上京したのは1908年で19歳のとき。紆余曲折をへながらも1913年まで5年間そこで生き抜いた。時代はまさに「世紀末ウィーン」であったが、成功したユダヤ人が多かったブルジョワ階層や知識人にとってのウィーンは、住居環境の悪い社会の下層で生きていた浮浪者に近いヒトラーにってはまったく無縁の存在であったようだ。
著者はヒトラーが書いたものを読みこみながら、ヒトラーが記した足跡を、みずからも熟知しているウィーン各地にたどる。読者は本書の地図を参考に一緒に移動してみるといいと思う。わたしもウィーンは何回か訪れて歩き回ったので多少の土地勘はある。ヒトラーの青年時代を追体験できた。
20世紀初頭のウィーンではユダヤ人嫌いは当たり前に存在したようだ。その版図のなかに多民族をかかえたハプスブルク帝国は、とくに首都ウィーンは多民族のふきだまりで、ヒトラーにとっては美しい風土の故郷とは似ても似つかぬ居住環境の悪さとともに、不快感の源泉となっていたのであろう。死ぬまで潔癖症であったヒトラーである。
本書は「ウィーン案内」として読むのもいい。
日本人好みのウィーンといえばウィーン西部のシェーンブルン宮殿がある。そのシェーンブルン宮殿前の公園で若きヒトラーが毎日かよって読書していたということを知ると、いろいろ想像してみたくなるものだ。
ただし、ヒトラーは「音楽の都ウィーン」にいながらオペラはワーグナーしか聴きに行かなかったという。まったくもって偏屈なること、著者と同じではないかと思うのはわたしだけではないだろう。
あまり肩の凝らない読み物として楽しむといいと思う。
目 次
はじめに
第1章 ウィーン西駅
第2章 シュトゥンペル通り三十一番地
第3章 造形美術アカデミー
第4章 シェーンブルン宮殿
第5章 国立歌劇場
第6章 ウィーン大学
第7章 国会議事堂
第8章 浮浪者収容所
第9章 独身者施設
第10章 リンツ
第11章 ブラウナウ
第12章 英雄広場
あとがき
主要参考文献一覧
著者プロフィール
中島義道(なかじま・よしみち)
1946年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了。哲学博士。電気通信大学人間コミュニケーション学科教授の職を2009年3月に退官。専攻は時間論、自我論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
PS 2015年1月7日に、ちくま文庫より文庫化されます(2014年12月29日 記す)
著者のウィーン関連本は中公新書より2冊出版されています。
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(2016年9月20日 情報追加)
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