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2023年10月30日月曜日

映画『ダブル・フェイス』(2017年、フランス・ドイツ・イスラエル)― モサドの女工作員のミッションは、モサドの協力者となったヒズボラ幹部の元愛人とドイツの隠れ家での共同生活



『ダブル・フェイス』(2017年、フランス・ドイツ・イスラエル)という映画を amazon prime video で視聴した。なにか面白そうなイスラエル映画でもないかなと amazon で探していたら出てきたのがこの作品だ。93分。

モサドの女工作員と、ヒズボラ幹部の元愛人という協力者この2人の奇妙な共同生活を描いたもの。基本はスパイスリラーである。

モサドの女工作員の名前はナオミ。日本人っぽい響きだが、これはもともと旧約聖書に登場する女性の名前だ。2年間の病欠状態で、復帰にはちょうどいいだろうということで、「比較的軽い」任務を打診される。

そのミッションは、イスラエルにとっての仇敵・武装組織ヒズボラの幹部の元愛人で、ヒズボラを裏切ってモサドの協力者(インフォーマント)となっていたレバノン人女性を安全な「隠れ家」で保護するというものだ。

協力者は顔を整形されており、2週間たって傷が癒えたら偽装パスポートで第三国のカナダに逃亡させることになっている。そんな作戦の一環である。だが、作戦の詳細はナオミには知らされていない。

モサドがドイツのハンブルクに確保した隠れ家で、ドイツ人に偽装してクラウディアという偽名をつかって暮らすことになる主人公。この2人の奇妙な共同生活は、最初のよそよそしい関係から、じょじょに心を開いていく関係を描いている。2人はともに人には言えない心の傷を抱いていたからだ。




映画の舞台は、ほとんどがドイツ北部のハンブルクで、2人の女性の会話が映画のほとんどを占め、しかも英語で会話がなされている。隠れ家の近隣住民とはドイツ語。モサド工作員が上司としゃべるときはヘブライ語。ヒズボラの幹部と部下たちはアラビア語。


元愛人を探しだし、抹殺する使命を帯びて複数のヒズボラ隊員たちがハンブルク入りしているが、そんな状態のドイツでは、中東系のテロリストが紛れ込んでいても、それほど目立たなくなっているのである。

この映画が製作され公開された2018年は、「自称イスラーム国」(ISIS)の全盛期で、ドイツ国内はテロ警戒レベルが5段階で4まで上昇していた。

ISIS壊滅を狙っていた米国はクルド人を味方につけ、敵対するイランとの裏取引も行っている。レバノンに拠点を置く武装組織ヒズボラの背後にはイランがいるである。そんな背景は、あっという間に過去のものとなってしまい、2023年の現時点ではすでに理解しにくいものとなっている。この映画を見ていて、ようやく思い出したくらいだ。

この2人の奇妙な共同生活は、モサド上層部の判断で突然終わることになる。味方を裏切って敵の協力者となった人間など、情報機関から見たらしょせん駒に過ぎないのか。悲しいものである。

(主人公のナオミ。トレーラーよりキャプチャ)

だが、ナオミの任務はドイツで終わることなく、直接テルアビブには戻らず、さらに違う偽名のパスポートでレバノンに入国、ベイルートでヒズボラ幹部を・・・(ここから先はネタバレになるので記さない)。


■ヨーロッパを舞台にしたモサドもの映画 

日本での劇場公開はなく、いきなりDVDが発売されたようだ。アマゾンでのカスタマレビューの評価はあまり高くないが、それはそれなりに楽しめる作品である。ただし、日本人には映画の背景が理解しにくいのが難点であろう。

モサドものといえば、スピールバーグ監督の『ミュンヘン』が有名だが、イスラエルにもモサド映画があるわけだ。それもはるか昔の「伝説のスパイ」を描いたものではない。ごく最近のもので、舞台がヨーロッパとレバノン

最後の最後で、主人公のモサド工作員が職員としての継続勤務を拒否するにいたる点は、男性と女性の違いはあっても『ミュンヘン』とおなじである。ただし、『ダブル・フェイス』のほうは、限りなくフィクションであろう。

映画を見ていて思うのは、日本など外国での評価と違って、どうやらイスラエル本国ではモサドの評価はかならずしも高くないようだ。等身大の描き方だといえば褒めたことになるが、すくなくともモサド礼賛とはほど遠い。

日本版の『ダブル・フェイス』となっているが、英語版のタイトルは『Shelter』となっている。「シェルター」は「隠れ家」という意味だが、内容的からみたら日本版のタイトルのほうがすぐれている。整形前と整形後の2つの顔。モサド工作員と協力者の2つの顔。だからダブル・フェイス。
 



■監督と主演女優たち

監督のエラン・リクリス(Eran Riklis)は、ユダヤ系のイスラエル人。

調べてみると『カップ・ファイナル』(1991年) という作品もある。イスラエル人とパレスチナ人のサッカーをめぐる友情と破綻を描いたこの映画は、いつだったか正確に記憶していないが、「イスラエル映画祭」(東京)で見ている。ああ、あの映画の監督か、と。

モサド工作員を演じている女優のネタ・リスキン(Neta Riskin)は、ユダヤ系のイスラエル人。日本での劇場公開作品はないが、イスラエルでは評価されているようだ。

ヒズボラ幹部の元愛人を演じているのは、ハリウッド映画にも出演しているゴルシフテ・ファラハニ(Golshifteh Farahani)というイラン人の女優『バハールの涙』(2019年)ではISISと戦うクルド人戦士を主演している。

イラン人が、敵対国であるイスラエルの映画に出演するなど考えにくいが、この女優はイラン国内ではいろいろ批判されており、現在はイランから出国したままパリ在住なのだそうだ。

中東をめぐる情勢は、ヨーロッパ情勢ともからんで、なかなか外部の人間には理解がむずかしい。ハッキリと白黒がつけられるほど単純ではないのだ。


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<関連サイト> 



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■ヨーロッパとムスリム移民




■米国とイスラエル。イランとヒズボラ




■シリア・レバノン・パレスチナの宗教状況



■「イスラーム国」(ISIS)



(2023年11月13日 情報追加)


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2023年1月10日火曜日

「ドイツ人戦没者慰霊碑」(習志野霊園・船橋市)を訪問してきた(2023年1月8日) ー第1次世界大戦ドイツ人戦没者の 中国の青島(チンタオ)で日本との戦闘で戦死したドイツ人たち

  (ドイツ人戦死者慰霊碑 筆者撮影)

つい先月(2022年12月)のことだが、Google map を見ていて「日独露三国軍人慰霊碑」なるものが千葉県船橋市にあることを初めて知った。 おお、それはまったく知らなかった、それは行ってみる必要があるな、と。
  
「日独露三国軍人慰霊碑」ということだが、日本がらみでいうとロシアは日露戦争の戦死者ドイツは第1次世界大戦での戦死者である。 

なぜドイツかというと、第1次世界大戦の時点では日英同盟を結んでいた日本は、ドイツとは交戦国であったからだ。戦場は、当時はドイツが租借して植民地化していた中国山東省の青島(チンタオ)。 

というわけで、陸上自衛隊第1空挺団の「降下訓練始め 」を見るために習志野演習場にいったついでに、「日独露三国軍人慰霊碑」にいってきた。 2023年1月8日のことである。

もちろん、スマホで Google Map の誘導に従って歩いていく。習志野駐屯地のフェンスに沿って歩いて行くと、進行方向右手の基地内に白亜の「空挺館」(旧御馬見所)が見える。

(空挺館 筆者撮影)

たどりついた「日独露三国軍人慰霊碑」は、習志野霊園のなかにある(千葉県船橋市習志野2丁目5)

手前の右手に設置された「慰霊碑」には、以下のように経緯についての説明が書かれている。(*太字ゴチックはわたし=さとうによるもの)。昭和46年は、1971年である。

記念碑 この墓地は旧陸軍の墓地として遠く明治37、8年の日露戦争当時の日本軍人戦没者の碑50数基をはじめ、西端のほぼ中央に第一次世界大戦におけるドイツ軍人戦没者の慰霊碑1基、更にその南端には不明確ではあったが、日露戦争時におけるソ連軍人戦没者慰霊の墓標があった。 第二次世界大戦後放置状態にあった当墓地は旧陸軍習志野演習場に入植した開拓農業協同組合員が墳墓として使用していたが、当市は旧軍人を始め国際的意義の見地からこの異国の地に眠る両国軍人の英霊を祭祀し、併せて一般市民の利用に供すべく国有財産である当墓地の整備を計画し、昭和44年3月国からの貸与を受け、茲に三国軍人碑の移設・改葬を行ない船橋市習志野霊園と称し開設したものである。  昭和46年4月 船橋市


(習志野霊園内の「日独露三国軍人慰霊碑」 筆者撮影)


向かって正面に「日本軍人戦没者之碑」右手に「ソ連軍人戦没者慰霊之碑」がある。日露戦争当時はロシアだったのに、ソ連とはねえ・・・。昭和46年(1971年)は冷戦構造のど真ん中ではあるが、日露戦争では「ロシア人」として死んだはずなのだが・・・。



向かって左手に「ドイツ人戦没者慰霊碑」がある。


「Dem Gedenken deutschen Soldaten 1914 + 1918」(≓ ドイツ人兵士たちの追憶のため)とあり、きれいに磨かれた黒御影石の石碑には、ドイツ人戦死者たちの名が刻み込まれている。お供えの花もまだ新しく、ドイツ国旗も見える。ドイツ人も、ドイツ政府も、戦死者の供養には積極的なのだろう。

青島(チンタオ)にドイツ軍が建設した「ビスマルク要塞」は、当時は東洋一の難攻不落の要塞とされていたが、世界初の航空戦が戦われたこの戦闘で、日本軍の航空攻撃と歩兵攻撃によって要塞は攻め落とされたのであった。その際に、日独双方に戦死者がでたのである。


捕虜となって日本各地に収容されたドイツ人だけでなく、ドイツ人戦死者についても記憶に入れておくべきだろう。日露戦争での日本人戦死者だけでなく、ロシア人戦死者についても同様だ。戦争は当事国の双方に戦死者を出すのである。このことを忘れてはいけない。鎮魂。合掌




<関連サイト>

第一次世界大戦と習志野―大正8年の青きドナウ(習志野市の公式ウェブサイト)
・・「今から100年ほど前、千葉県習志野の広大な原野に「美しく青きドナウ」の調べが流れていました。大正4年(1915年)9月から同9年(1920年)1月にかけての4年4か月の間、最盛期には1,000名近いドイツ兵が習志野に収容されていました。このページでは、習志野俘虜収容所での彼らの生活をご紹介します」

(2023年6月12日 情報追加)


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2022年12月24日土曜日

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1796年)は、ある程度の人生経験を積んでから読むと味わい深い

 

この長編小説は、ヴィルヘルムという一青年の前半生の人生修行を描いたものだ。最後の最後まで、どんでん返しにつぐどんでん返しで読者を引っ張っていく。 

身分制社会だった時代、「市民階級」に生まれながら、当時のドイツではいかがわしいとされていた旅芸人の一座に身を投じ、自分が好きな演劇の世界で身を立てようと苦労を重ねる青年。迷い道を歩きながらも多くの女性たちとのかかわりを経て、ついに本当に自分が進むべき道を発見し、秘密結社から「修業証書」を渡されて修行時代を終える。そんな内容だ。 

いわゆる「教養小説」というジャンルに分類される小説だ。というよりも教養小説の元祖とされる作品である。小説のなかで大きな意味を占めるのが、当時のドイツがモデルとして学ぼうとしていたシェイクスピアの『ハムレット』の上演をめぐるやりとりである。

最初から最後まで「演劇の精神」に貫かれたこの小説は、ヴィルヘルムが少年時代に熱中した人形劇そのものといえるかもしれない。見えない糸に操られた登場人物たち。登場人物たちの関係性は、小説が最後に近づいていくにつれて明らかになっていく。

教養小説とは、ドイツ語のビルドゥングスロマン(Bildungsroman)の訳語だが、「教養」という日本語のニュアンスとはどうも違うような気がする。「教養」というよりも、むしろ「修養」というべきであろうし、「人間形成」小説とか、「自分発見」小説といったほうがいいのではないか。 

とはいえ、さすが「人生の達人」ともいうべきゲーテである。18世紀末の1796年、ゲーテが47歳で完成した長編小説である。全編これ名言と格言の集まりといった趣きで、人間心理への洞察力、人間観察の深さ、語りのうまさを存分に味わうことができる。 

たとえば、かの有名な「複式簿記は、人間の精神が生んだ最高の発明の一つ」という名言は、ヴィルヘルムの友人で商人になった男のセリフにでてくる。このほか、「涙ながらにパンを食べ・・」は、竪琴弾きの老人が歌う歌詞にでてくる。このほか自己啓発関連の名言が、それはもうそれこそ山のようにでてくるのだ。 

マリアーネ、フィリーネ、アマーリエ、テレーゼ、ナターリエといった個性豊かな女性たちの描き方も、さすがゲーテというべきだろう。こういった、それぞれ身分もキャラも違う女性たちとのかかわりが、さまざまな意味で、青年ヴィルヘルムの人間性(と魂)を磨いていくのである。 

だがなんといっても、印象に残るのはミステリアスな薄幸な少女ミニヨンであろう。「君知るや南の国」で始まるミニヨンの歌も有名だ。ゲーテがつくりだした人物で、これほど印象に残る人物もほかにはないだろう。 

(映画『まわり道』から。ヴィルヘルムとミニヨンの出会いのシーン)

ちなみに、自分的には、この小説を翻案したヴィム・ヴェンダースの映画『まわり道』でミニヨンを演じた、少女時代のナスターシャ・キンスキーの印象がひじょうに強い。 

そして、全8巻のなかにあって、転換点となる第6巻にあたる『美しき魂の告白』

ある女性がつづった手記という形をとった、これじたいがひとつの短編小説のような内容だが、ひたすら自分の「内面の声」に忠実に生きようとした女性の、神との対話をつうじた自己の確立を描いたものだ。このような生き方は、現代でも外的世界とさまざまなコンフリクトを生み出すことは言うまでもない。 

人間は活動することで、人生という旅をつうじてさまざまな人との出会いと別れを繰り返し、たとえ迷い道を歩くことになろうとも、いつかは自分が生きるべき道を見いだすことになる。これが全編をつうじてのメッセージだろうか。 

人生経験を積んでから読むと味わい深く感じるのは、迷っている最中には本当の道がわからないからかもしれない。もちろん、この歳になっても迷いが消えたわけではないが。 


 
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PS 外国文学の翻訳について 

それにしても、約40年まえに読んだときの内容をほとんど覚えていなかったことに驚いている。

小宮豊隆訳の岩波文庫の旧版があまりにもひどい訳だった(・・この人は漱石の弟子で漱石全集の編者として有名だが、ドイツ文学者でもあった) 。日本語にない白抜き句点を発明したり、まったく無意味な訳文であったことばかりが記憶に残っている。

もちろん、ミニヨンのことは覚えていたが、この小説の終わりのほうで描かれるミニヨンの最期は哀しいが、そんなことも記憶から消えていたとは・・。 

とはいえ、「新訳」であるこの岩波文庫版も問題がないわけではない。そもそも翻訳小説は、最初から日本語で書かれた小説と比べて、けっして読みやすいものではないが、違和感を感じるのは女性のセリフの訳である。 

いわゆる「女ことば」が存在するとされる日本語だが、あまりにもそれを強調すると、違和感を越えて滑稽にさえ響く。「・・わ。・・・わ。・・・わ」とつづく女ことば。いまの世の中、そんなしゃべり方する女性はいないだろう、と突っ込みたくなるのは、わたしだけではあるまい。 

男女間での差異が減少しユニセックス化が進む、現代日本語による訳が必要ではないだろうか。外国文学の翻訳者は、マンガやアニメのセリフなど、生きた日本語をもっと研究すべきだろう。


<関連記事>

・・『美しき魂の告白』で重要な意味をもつ「ヘルンフート同胞団」(モラヴィア同胞団)
モラヴィア兄弟団は、共通の体験、交わり、分かち合いを回復することによって教会の革新を目指す共同体運動の一つで、ドイツにおいてはモラヴィア教会(Herrnhuter Brüdergemeine)と呼ばれた。 ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ 1722年ツィンツェンドルフ伯爵の領地にモラヴィアから逃れてきたフス派、兄弟団の群れが、ヘルンフート(主の守り)と呼ばれる共同体を形成した。各地で迫害されていた敬虔派やアナバプテストも逃れてきたが互いに権利を主張しあって問題が絶えなかった。しかし、1727年8月13日の聖餐式で全員が聖霊の力を経験して、その結果として財産共同体が発足した。1737年にニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフが監督となる。・・・」(Wikipediaより)
 
<参考文献>




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2022年6月20日月曜日

書評『第三次世界大戦はもう始まっている』(エマニュエル・トッド、大野舞訳、文春新書、2022)ーフランス知識人ならではの悪弊である「反米主義」が全面展開!

 

この戦争は、直接の交戦国であるウクライナとロシアの戦争のように見えながら、じつはNATOの背後で実質的にコントロールしている米国と英国が主導して、ロシアを弱体化させる戦争であるという見立てが貫いている。つまり「代理戦争」なのだ、と。 

そういう解釈はあながち間違いではないが、やや一面的ではあるのではないか? 

もちろん、米国に問題がないなどというつもりはないが、背後になにがあろうとも、先に手を出したほうが負けであることは否定しようがない。
  
挑発はするほうも悪いが、それに乗せられる方の罪は大きい。現在のロシアだけでない。第2次世界大戦で対米戦に踏み切った大日本帝国もまたそうだった。 

以前からロシア寄りの姿勢の目立つトッド氏だが、「中国を牽制させるためのロシア」という前提は、ほとんど崩れ去っているにもかかわらず、トッド氏の「ロシア幻想」は完全に消えていないようだ。

『ドイツ帝国が世界を破滅させる』でのドイツ強大化を警戒するトッド氏の見解には賛同したが、ロシアに甘い姿勢は、フランスのマクロン大統領にも共するものがあるといえようか。 

たしかに、中東欧諸国、とくにポーランドやバルト三国、北欧と違って、安全保障上の直接の脅威にさらされたことのないフランスの知識人らしい反応かもしれない。フランスはロシアとは国境を接していないのである。
   
その点は、近代史をつうじてロシアの直接的な脅威と戦ってきた、一般の日本人とも相容れない見解だ。 肌感覚の違いである。その違いは大きい。


■アングロサクソンに失望し「反米主義」に逆戻りしたトッド氏

それにしても、トッド氏の「反米主義」の復活ぶりには、鼻しらむ思いで興ざめだな。すでに70歳を過ぎた「知の巨人」は、ふたたび強烈な「反米主義」に戻ってしまったようだ。 フランス知識人の悪弊が丸出しだな。

アングロサクソン好きを公言していたトッド氏だが、今回の動きで英国にも失望したと吐露している。知識人は、どうしてそうもナイーブなのかねえ。だから、学者や知識人は一般大衆からバカにされるのだよ(笑)

本書をつうじて強烈な「反米主義」が展開されているので、おそらく旧サヨク系の思考傾向をもつ日本人読者からは大歓迎されるだろう。米国の左翼知識人ノーアム・チョムスキーと同様に(笑) 

その意味では、むしろ朝日新聞社出版から出るべき本だと思うが、それをあえて文藝春秋が出すということは面白い。なかなかの商売人でありますなあ、文藝春秋社は(笑)

ただし、「日本は核武装せよ!」などと、極右のような発言もしていることには触れておかなくてはならない。これまたフランス知識人ならではの「反米主義」の現れではある。フランスは核保有国であるがゆえに、米国とは一線を画してきた。

「核シェアリング」はNO、「核武装」はOKとトッド氏は主張する。その心は、直接ご確認いただきたく。


■「ウクライナ分割」はあり得ない話ではない

ただ、1点興味深い指摘があった。それはポーランドの動向への注目である。

ロシアがウクライナ東部をデファクトで押さえた以上、ポーランドがウクライナ西部に色気を示す可能性はゼロではないという指摘だ。ポーランドが誘惑に駆られないという保証はない。ウクライナ西部は、もともとポーランド領だったのだから。 

19世紀は「ポーランド分割」だったが、21世紀は「ウクライナ分割」である、と。

ここらへんはトッド氏の思いつきレベルに過ぎないにせよ、「勢力均衡論」のキッシンジャー氏(当年99歳の現役!)の議論とも重なり合う印象がある。 

EUに加盟しているものの、ポーランドはEU内ではハンガリーとならんでトラブルメーカーであって、安全保障面ではもともと米国頼みの国である。米国政治におけるポーランド系米国人の影響力は、無視できないものがある。フランスなど大陸の西欧諸国とは、そもそも立ち位置が違うのだ。 

ポーランド問題はトッド氏の主張の柱ではないが、ポーランドの動きには注意して見ていきたいと思う。 


     


目 次 
1 第三次世界大戦はもう始まっている
2 「ウクライナ問題」をつくったのはロシアではなくEUだ
3 「ロシア恐怖症」は米国の衰退の現れだ
4 「ウクライナ戦争」の人類学

* 2は、ポーランド人記者のインタビューに答えた2017年のもの 、3は、フランスの雑誌に掲載された2021年の論考。1と4はオリジナル


著者プロフィール
エマニュエル・トッド(Emmanuelle Todd) 
1951年フランス生まれ。歴史人口学者。パリ政治学院修了、ケンブリッジ大学歴史学博士。家族制度や識字率、出生率などにもとづき、現代政治や国際社会を独自の視点から分析、ソ連崩壊やリーマン・ショック、イギリスのEU離脱などを予見したことで広く知られる。(前著に掲載されていたもの)


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2022年6月17日金曜日

映画『ナワリヌイ』(2022年、米国)を日本公開初日に見てきた(2022年6月17日)-「反体制派のシンボル」で「プーチンの天敵」に密着取材したドキュメンタリー映画

 
映画『ナワリヌイ』(2022年、米国)を日本公開初日に見てきた。

米国のCNNとHBOの共同製作によるドキュメンタリー映画。原題は、Navalny といたってシンプルなものだ。98分。  

アレクセイ・ナワリヌイ氏は、ロシアの反体制派の弁護士でプーチンの「天敵」。2021年に拘束され、いまなお収監されたままだ。最近、さらに厳しい監獄に移送されたというニュースがあった。 

「反プーチン」の政治活動のため10年間収監されていたのは、元オリガルヒのミハイール・ホドルコフスキー氏であったが、かれがロンドンに亡命したあとは、この人がプーチン体制に対する抵抗のシンボルとなっている。 

正直いって、以前はナワリヌイ氏には、それほど関心はなかった。状況が変化したのは、世界中を震撼させた、2021年のシベリアでの毒殺未遂事件以降のことである。 




このドキュメンタリー映画もまた、毒殺未遂事件以降のナワリヌイ氏を密着取材したものだ。ナワリヌイ氏自身の母語はロシア語だが、英語でしゃべるシーンもある。 

西シベリアのノヴォシビールスク発モスクワ行きの機中で、あやうく死ぬところだったがナワリヌイ氏。途中のオムスクで緊急着陸したことで、奇跡的に一命を取り留めた

関係者の懸命の努力の甲斐あって、ドイツに移送して専門病院での治療が可能となった。ロシアにとどめ置かれたままだったなら、病院で死亡していた可能性は高い化学兵器ノビチョクによる毒殺未遂であったこともわからないままだったことだろう。


偽名をつかって犯行当事者の証言を引き出したのは、ナワリヌイ氏本人。この一部始終がビデオで撮影されているのだが、ナワリヌイ氏の演技力には脱帽だ。 

その後、ナワリヌイ氏は配偶者とともに、ドイツからロシアに機帰国するのだが、案の定、空港で警察に拘束される。 

このシーンを見ていて、はからずもマルコス時代のフィリピンで、反体制派ベニグノ・アキーノ上院議員が亡命先の米国から帰国した際に空港で射殺されたことを思い出した。 大物の反体制派が帰国するのは、文字通り命がけなのである。

ナワリヌイ氏は拘束されたが、殺害されることはなかった。もはや殺害はできないほど有名になっているのである。体制側としても、ナワリヌイ氏が「殉教者」になってしまうのは不都合なのだ。 「生かさぬよう、殺さぬよう」といった扱いなのだろう。




毒殺未遂事件以降の一連のできごとはニュースになって報道されているのだが、その間のほぼすべてが関係者によってビデオ撮影されており、その映像を見ると、やはり事実のもつ迫力を感じざるを得ないのである。 

ナワリヌイ氏が解放されるのは、いつの日のことかまったくわからない。おそらく、そう遠くない将来にプーチン氏が退任しても、いわゆる強権体制そのものが解体する可能性は低い。 したがって、ナワリヌイ氏の早期の解放は期待できない。

ロシアに残っている反体制派は、かならずしも量的に多いとはいえない。しかも、そういう傾向をもった知識階層の若者たちの多くが出国している。

とはいえ、米英を中心とした西側自由主義諸国にとっては「反体制」のシンボルとしての意味がありつづけるだろう。それにしても、恐ろしい国だな、プーチン体制のロシアはと思わざるをえない。 

あまり期待しないで見に行ったのだが、見る価値のある映画であった。ウクライナ戦争のまっただ中での時期の公開になったのは、意図的なものかどうかわからない。だが、間違いなく大きな意味をもつことであろう。 


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PS ナワリヌイ氏の死(2024年2月17日)

報道によれば、ロシアの極北の刑務所に収監されていたナワリヌイ氏が死亡したという。2024年2月16日のことだという。享年47歳。

死因は不明となっているが、事実上の抹殺といっていいのではないか? 前日まで元気だったというのだから。ナワリヌイ氏は、すでに毒殺未遂事件を体験していることは周知のとおりだ。

このドキュメンタリー映画では、あえて危険を冒してロシアに帰国し、空港で拘束されるシーンで終わっている。最初から覚悟の行為であったと思うが、それにしてもナワリヌイ氏の死は残念だ。この場を借りて哀悼の意を表します。合掌

昨年(2023年)の夏には反乱を起こしたプリゴジンは、その後に抹殺された。そして今回はナワリヌイ氏の死亡。ロシアに未来がないことは、さらにハッキリしたことになる。
 
そもそもロシアという国はそういう国であるといってしまえばそれだけだが、「プーチン体制」によって私物化されたロシア。変化が訪れる日は来るのだろうか?

(2024年2月17日 記す)





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