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2015年2月15日日曜日

書評『民俗学・台湾・国際連盟 ー 柳田國男と新渡戸稲造』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)-「民俗学」誕生の背景にあった柳田國男における新渡戸稲造の思想への共鳴と継承、そして発展的解消


「柳田は新渡戸の背中を見て歩いていたのです」。これは本書成立のキッカケの一つになったエピソードとして、著者がアメリカ人の柳田國男研究者と直接交わした会話のなかにでてきた発言だという。

本書は、柳田國男の「一国民俗学」が生み出された背景には、「国際連盟」の「委任統治委員」としてジェネーヴで過ごした一年半の経験がきわめて大きなものであり、新渡戸稲造の存在抜きに「柳田民俗学」が誕生しえなかったことを跡づけたものである。

柳田國男と新渡戸稲造の対比列伝というよりも、柳田國男における新渡戸稲造思想への共鳴と継承、そして発展的解消について、事実関係を丹念に跡づけた内容である。


「後藤新平 ⇒ 新渡戸稲造 ⇒ 柳田國男」という官僚系列

柳田國男は『遠野物語』などの作品をもつ「日本民俗学」の生みの親であり、新渡戸稲造は「英語名人世代」の一人として国際的に活躍した教育者である。これが一般的な理解であろう。年長の新渡戸と柳田の年齢差は13歳であり、およそ一回り違う。

第一次世界大戦後に、米国大統領ウィルソンの提唱で設立された「国際連盟」(League of Nations)。新渡戸稲造は「国際連盟」の事務次長として、生涯のメンターである後藤新平に抜擢されスイスのジュネーヴに赴任する。

世界大戦後の秩序概念としてあらたにつくられた「委任統治」。官僚を辞めて朝日新聞社に入社していた柳田國男は、国際連盟の「委任統治委員」の日本側委員として抜擢されジュネーヴに赴任する。著者によれば、新渡戸が柳田を抜擢したと見られているが、それは思想的な近さゆえだったとしている。

「思想的な近さ」とは、植民地統治の基本的な思想にかかわるものだ。植民地統治にかんしては「分離主義」と「同化主義」の対(つい)概念があったが、前者の「分離主義」とは統治者と被統治者を「分離」し、被統治者の「文化」は尊重するという姿勢である。そのため現地住民の徹底的な調査を行ったうえで、もっとも適した統治方法を行う。最終的には、「帝国」という枠組みのなかでの「自治」も視野に入ってくる。新渡戸稲造も柳田國男もこの「分離主義」の立場に立っていた。

日本がはじめて得た植民地は台湾だが、台湾統治を衛生学の観点から科学的方法によって成功させたのが医務官僚出身の後藤新平であり、後藤が台湾に引っ張ってきたのが新渡戸稲造であった。

新渡戸は、台湾統治に植民地行政官としてかかわり、糖業による植民地台湾の財政的自立を成功させた。農商務省の官僚であった柳田國男自身は台湾とは直接かかわっていないが、新渡戸稲造も柳田國男も、ともに実践的な学問である農政学を専攻していた。その当時の日本国民の大多数を占めていた農民の生活を安定させたいという志があったからだ。

植民地としての台湾をどう見るか、この視点は本土に組み込まれた沖縄をどう見るかということにもつながっていく。

さらに当時の新興国・日本のエリート官僚にとって避けて通れなかったのが、世界を支配していた西洋列強とのかかわりである。支配する側とされる側。統治する側とされる側。観察する側とされる側。この構造は人類学という学問にビルトインされているものでもある。非西欧人としての日本人のアイデンティティにもかかわる問題だ。

新渡戸稲造も柳田國男も、人類学ではなく農政学の立場に立っていたということが、ここで意味をもってくるのである。観察する側だけでなく、観察される側もまた主体なのである。独自の文化をもっている地方をどう活性化するかは、地方の視点に立って、その住民自身が主体的に取り組むべき課題なのである。

ここから生まれてきたのがドイツ語のハイマート(Heimat)に対応する日本語の「郷土」という概念であり、それを基盤にした「郷土学」なのであった。


「同化主義」への抵抗と「文化相対主義」

日本の植民地政策というと、どうしても大東亜戦争期における姓氏改名などの「皇民化政策」を想起しがちだが、最初から「同化主義」が主流だったわけではない。大正時代の原敬内閣以降、「分離主義」は「同化主義」が優勢となり、その結果、「分離主義」の立場に立っていた官僚たちは敗れ去ったのである。

柳田國男もまた、その「挫折した官僚」の一人であった。だが、官僚退任後のキャリアがその他の官僚たちとは大きく違う。その多くは民間に天下っているが、「官僚から逸脱した研究者」としての柳田國男は例外的な存在であった。国家官僚として国立大学に移籍したのではないのである。

「民俗学」をアカデミズムとは一線を画した民間の学問としたかったのは、統治のための学問ではなく、独自の「文化」をもった地方の住民が主体的に取り組むための学問としたかったからである。

この点において興味深いのは、国際連盟委員としてヨーロッパに滞在していた柳田國男が民族学や人類学にかんする書籍を蒐集し、最新の研究成果を研究した結果、最終的に「ドイツ民俗学」に行き着いたという指摘である。

国家統一が遅れ、「近代化」も遅れて開始されたドイツにおいては、単数形のフォルク(Volk)を前提にした Volkskunde (=フォルクス・クンデ:民「俗」学)と、複数形のフェルカー(Völker)を前提にした Völkerkunde (=フェルカー・クンデ:民「族」学)が区分されていたのであった。

西欧が支配する弱肉強食の国際社会のなかで、遅れて参入した日本が主体的にサバイバルしていくためには、まずはみずからをよく知らねばならない。日本民族とはなにかを正確に認識し、アイデンティティを確認しなければならないという課題である。

「柳田民俗学」がまずは「一国民俗学」であったのはそのためだ。柳田國男は、文化を研究するためには、その文化を支える人が使用する言語を母語として使用する者によらなくてはならないのであり、日本文化の研究のためには日本語を母語とするものではならないという思想があった。だから正確にいえば「一国」ではなく、「一民族」というべきだったのだろう。言語共同体としての民族という考えである。

「常民」という柳田民俗学の重要な概念も、柳田國男のヨーロッパ体験から生まれたという。英語の common people の訳語としての「常民」である。 common sense が「常識」と訳されたことが背景にある。

「一国民俗学」を確立したうえで、それぞれの民族ごとに母語の話者による研究が進めば、比較研究も可能となってくる。著者がいうように、柳田國男がそこまで想定していたのであれば、「民俗学」と「民族学」は違いだけでなく、両立可能なものであることが明確になっていたのではないかという気もする。「民俗学」という新しい学問を確立するためには、あえて差別化を徹底したのであろうが。

国際連盟の委任統治委員として、民族自決と原住民の文化保護という理想の実現をかなえたいと願っていた柳田國男だが、当時の西欧中心主義を前にしてはきわめて実現可能性が低いことをいやというほど思い知らされ、熱意を失ってしまい、耐えきれなくなって唐突に辞職してしまう。1923年の関東大震災の発生もまた帰国を急がせる理由となった。

そのこともあって、新渡戸稲造と柳田國男は絶交してしまうのだが、柳田國男は新渡戸稲造のことは終生リスペクトしていたようだ。

帝大卒の高級官僚でありながら、46歳まで留学体験も洋行体験もまったく持たなかった柳田國男にとっての国際連盟勤務は、肌の色の違う非西欧人であり、しかも語学のハンデがあって苦労が大きかったようだが、副産物としての成果には意外と大きなものがあったのだ。そしてそのキッカケをつくったのが、新渡戸稲造であった。

その意味では、『民俗学・台湾・国際連盟-柳田國男と新渡戸稲造-』というタイトルは簡潔で、しかも内容すべてを言い尽くしたものである。日本人の自己認識に多大な貢献をなした「民俗学」が、どのようにして生まれてきたのかについて考えるうえで、きわめて重要な視点を押さえた内容であるといっていいだろう。

読みでのある好著である。





目 次


はじめに
第1章 台湾というフィールド
 1. 日本最初の植民地
 2. 分離主義と同化主義
 3. 矢内原忠雄の台湾観
第2章 「土俗学」から「地方学」へ
 1. 「奇怪」な視点
 2. 「人類館事件」と坪井正五郎
 3. 「地方学」の提唱
第3章 柳田、新渡戸と出会う
 1. 「郷土会」の成立と性格
 2. 「生蕃」と「山人」
 3. 南洋へのまなざし
第4章 ジュネーブ体験
 1. 国際連盟委任統治委員
 2. エスペラント熱
 3. 民族自決と原住民の文化保護
第5章 挫折と訣別
 1. 唐突な辞任
 2. 関係は戻らず
 3. 引き継がれたもの
第6章 「一国民俗学」の意味
 1. 帰国後の柳田と新しい学問
 2. 「日本をつくる」ために
 3. 言語とナショナリズム
第7章 「常民」そして「郷土」
 1. 「蝸牛考」から
 2. 小田内通敏との対立
 3. 文化・学問・政治性
むすびに
あとがき

参考文献
関連年表

著者プロフィール

佐谷眞木人(さや・まきと)
1962年大阪市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。専攻は国文学。現在、恵泉女学園大学人文学部教授。著書に『平家物語から浄瑠璃へ-敦盛説話の変容』(慶應義塾大学出版会)、『日清戦争-国民の誕生』(講談社現代新書)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

成城の洋館-佐谷眞木人・著『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』より(佐谷眞木人、現代ビジネス、2015年1月31日、読書人の雑誌「本」2015年2月号より転載)
・・「柳田が成城に転居したのは、委任統治委員辞任後である。イギリスの社会人類学者フレイザーの書斎に倣い、「喜多見」という地名にかけて「喜談書屋」と名付けられたというその洋館は、書斎であると同時に研究者が集う場所でもあった。それは柳田の西洋体験を象徴しているのではないだろうか。」


<ブログ内関連記事>

新渡戸稲造と後藤新平

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学を中核にした「大学町」誕生の秘密をさぐる


「欧米中心の国際社会」における「非西欧人」としての日本人

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは

書評 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子、田中敏訳、文春文庫、2008 単行本初版 2005)-ドイツ人読者にむけて書かれた日本近代史は日本人にとっても有益な内容

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・「近代世界のメインストリームである欧米西洋社会に入ってきた新参者としての苦労と悲哀、成功と失敗、いまなお残る差別。これは表層をみているだけではけっしてわからない、精神の深部に沈殿している憎悪である。畏怖からくる差別感情であろう。日本民族より少し前に、欧米中心の近代世界のなかに参入し、畏怖とともに差別されてきたが、したたかにかつ毅然と生き抜いてきたユダヤ民族から学ぶべきものはきわめて大きい」

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・国際社会に新規参入した後進国・日本における強引な「上からの近代化」の成功と、挫折した「下からの近代化」


「近代化=西欧化」と「植民地統治の学としての人類学」、その克服

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・文化人類学による文化相対主義と西欧中心主義の克服


民「俗」学と民「族」学

『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本
・・エスノロジー(=民族学)の立場に立っていた文化人類学者・石田英一郎

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・「世界のなかの日本」という位置づけ

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
・・「世界の諸民族と日本民族」という位置づけ


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