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2022年1月17日月曜日

書評『折口信夫』(安藤礼二、講談社、2014)―「折口信夫という謎」に迫った「集大成」となる大著

 


読みたくて購入したのだが、あっというまに7年もたってしまった。意を決して538ページの大冊にとりかかるも、途中に空白が生じたりして読み終わるまで結局まる4日もかかってしまった。

「折口信夫という謎」に長年にわたって取り組んできた著者による「集大成」ともいうべき大著である。文芸評論家・小林秀雄の晩年の大著『本居宣長』に匹敵するといっていいかもしれない。おそらく著者自身も意識していることだろう。 


■折口信夫とは

折口信夫というと、日本民俗学の創始者・柳田國男の弟子でライバルであったというのが一般的な理解であろうが、わたしは折口は本質的に国文学者であり、かつ釋釈迢の名による文学者とが一元化した存在であったと考えている。日本語ではうまく表現できないが、ラテン語でいう poeta  doctus というのがふさわしい。 

折口本人が認識していたように、学問が細分化される以前の「国学者」だとするべきであろう。それも本居宣長よりも、より神道神学の方向をくわめた平田篤胤の系譜につらなる国学者である、と。




「万葉集」をつうじて古代人の生活と思考に迫るために、さまざまな学問を身につけた上で柳田國男の民俗学との出会いが大きな意味をもったのだ、と。本書を読んで、わたしの理解は固まりつつある。 

『更級日記』や『伊勢物語』をはじめ、王朝文学は好きだったが、高校三年のときに「自分はまったく日本のことがわかってないな」と自覚して深く反省し、文庫本で柳田國男を読み始めた。 

大学に入ってからは、寮で同室となった親友の影響もあって折口信夫を読み始めた。当時は、中公文庫から『折口信夫全集』も出ていたので手に取りやすかったこともある。


■「安藤礼二氏の折口信夫」は「評伝」ではあるが「伝記」ではない 

わたし自身の回想はさておき、安藤礼二氏の『折口信夫』は、折口信夫の弟子筋を中心に積み上げられた膨大な回想録や評論などとは一線を画している。 

折口信夫の知られざる生涯、とくに大学時代の青年期の神道系の宗教実践活動と、柳田國男の民俗学の出会うまでの学問遍歴に焦点をあてている。著者による長年の調査研究による数多くの新発見が反映されており、読みごたえは十二分にある。 

青年期の神道系の宗教実践活動は、神道教義研究団体の「神風会」におけるものであった。キリスト教プロテスタントの米国発の「救世軍」に対抗する街頭活動も行っていた。

国家神道体制のもと、宗教性を欠いた神道へのアンチテーゼとして敗戦後に打ち出されたのが「神道宗教化」の構想だが、その萌芽はすでに青年時代に芽生え、培われていたのである。 

しかも、仏教とキリスト教の一致を説く、浄土真宗系の謎の青年僧・藤無染との出会いをつうじて、キリスト教など一神教の本質を深く理解したうえでの「一元論」志向の形成が背景にあった。日米で平行した思想運動である。「純粋経験」(西田幾多郎、ウィリアム・ジェームズ)、鈴木大拙(仏教、スウェーデンボルグ)なども視野に入れる必要があるのだ。

その一元論とは、プロティノスの「一にして多、多にして一」というべきものである。折口信夫とキリスト教徒の関係は、表面にはほとんど出てこないが、それだけに無視できないものがある。

 そして、「神風会」における謎の女・本荘幽蘭との接点富岡多恵子氏の『釋迢空ノート』や、富岡氏と安藤氏の共著『折口信夫の青春』で、すでに取り上げられたテーマが本書でさらに深掘りされている。神道系新宗教への親近感、霊性の観点からみた女性の男性に対する優位性など、折口信夫の思想のラディカルな性格などがそうだ。

同時代のフランスの民族学者マルセル・モースの「マナ」の影響も指摘されている「外来魂」としての「たま(しひ)」の考察は、血筋だけでなく外来魂としての「天皇霊」(あくまでも作業仮説ではある)が重要だとした折口信夫の学説の基礎となっている。

この折口説を貫けば、「崎門の学」の浅見絅斎(あさみ・けいさい)の「(政治的)正統性」にかんする議論が「尊皇思想」を生み出しとする、山本七平や小室直樹が強調するとは真っ向から対立することになる。安藤氏自身は、その議論は展開していないが、天皇と天皇制をめぐる折口信夫の学説が、いかに危険なものであるかがわかろうというものだ。

その意味でも、折口信夫はまだまだアクチュアルな問題提起をつづける存在だというべきなのだ。


■いまだ解かれるのを待っている「折口信夫という謎」

本書は、「評伝」であり、生涯全体を論じた「伝記」ではない。膨大な資料探索を背景にしているが、狭い意味での研究書ではない。だから、部分部分を論じてもあまり意味はないだろう。それよりも、この大著全体から感じ取るものが重要だろう。 

「折口信夫という謎」に限りなく迫った本書は、2014年時点の「集大成」ではあるが、いまこれを書いている2022年までの7年のあいだにも新発見やあらたな論著が生み出されている。「折口信夫という謎」にかんしては、個々の謎の解明は今後もさらに進んでいくだろう。 

繰り返すが、折口信夫が提起した問題群は、過去のものになったわけではない。きわめてアクチュアルな問題を提起しつづけている存在だというべきなのだ。日本とはなにか、神とはなにか、その他もろもろの問題を考えていくいうえで、きわめて大きな存在である。 

わたし自身は、大学時代に読みはじめた折口信夫だが、まだまだ理解に至るまでほど遠い。中公文庫版の『折口信夫全集』(ただし内容的には旧版)もすべて読み尽くしたわけではない。安藤礼二氏の著作活動も含め、折口信夫については、今後もつよく意識していきたい。

 
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目 次
はじめに
第1章 起源
 聖父子の墓/藤無染と本荘幽蘭/神風会
第2章 言語
 曼陀羅の花/言語情調論/無我の愛
第3章 古代
 根源の世界/詩と文法/「妣が国」へ
第4章 祝祭
 祝祭の論理/「二色人」(ニイルビト)の発見/民俗学を超えて
第5章 乞食
 魂のふるさと/弑虐された神々/乞丐相(こつがいそう)
第6章 天皇
 大嘗祭の本義/森の王/翁の発生
第7章 神
 餓鬼阿弥蘇生譚/憑依の論理/民族史観における他界観念
第8章 宇宙
 生命の指標/万葉びとの生活/海やまのあひだ
列島論
 国家に抗する遊動社会--北海道のアイヌと台湾の「蕃族」/折口信夫と台湾
詩語論
 スサノヲとディオニュソス--折口信夫と西脇順三郎/言語と呪術--折口信夫と井筒俊彦/二つの『死者の書』--ポーとマラルメ、平田篤胤と折口信夫
後記 生命の劇場
初出誌一覧と謝辞


著者プロフィール
安藤礼二(あんどう・れいじ)
1967年、東京都生まれ。文芸評論家、多摩美術大学美術学部教授。早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学を専攻する。出版社(=河出書房新社)の編集者を経て、2002年「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞優秀作を受賞、批評家としての活動をはじめる。2006年、折口の全体像と近代日本思想史を問い直した『神々の闘争 折口信夫論』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2009年には『光の曼陀羅 日本文学論』(同)で大江健三郎賞と伊藤整文学賞も受賞した。他に、『近代論 危機の時代のアルシーヴ』『場所と産霊 近代日本思想史』『祝祭の書物 表現のゼロをめぐって』などの著作がある。(講談社のサイトより一部修正)


<関連サイト>



・・「少なくとも歴史家の資料の読み方とは全く異なるスタイルで、本書は鮮烈に幕を開ける。(・・・中略・・・) 全体を通して痛感する。すさまじい力業である。折口研究にかつてない広大な視野をもたらした。世界思想へ通ずる可能性の扉をつくった。安藤氏の曼陀羅は、政治宗教哲学史など諸分野からの関心を呼び、各発信を編集する自由な交叉の塔ともなった。
もちろん今後、個々の思想家と折口学との結合│「一つの起源」の必然と意味が問われ、考究されてゆくのだろう。知の交歓図の世界的な広がりは極まった。さらには縦の深度が求められてゆくはずだ。安藤氏の曼陀羅は、生産力ある壮麗な仮説なのだと思う。
事実と違うと言い立てて批判することにはあまり意味がない。逆に、曼陀羅図を固定し絶対化することにも意味はない。折口は仮説を愛した。仮説とは自らを強く固めず、つねに流動変化する意志をもつ。評論に独特の、けなげな妙なる美しさでもある。」

(2025年5月31日 情報追加)


<ブログ内関連記事>








・・折口信夫は、たまたま乗り合わせた車中で初対面の長谷川伸に「よいものを書いて頂いてありがとうございました」と直接伝えている。平田派国学に殉じた草莽の志士たちへの挽歌として


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2019年6月18日火曜日

JBPress連載コラム第54回目は、「発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想」(2019年6月18日公開)



JBPress連載コラム第54回目は、発見に満ちている人工河川・利根川の“流域”-平時から身につけたい流域の視点と発想(2019年6月18日公開)
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56707



今回は、利根川を「流域」という観点から考えてみたいと思います。関東を群馬県の水源から千葉県の銚子河口まで流れる利根川は、日本最大級の大河川。その利根川は江戸時代は水運で栄え、幕府にとっては戦略的な大動脈であった!

ところが、利根川が現在のような形になってから、まだ400年足らず。江戸時代初期に60年かけた大工事で、流れが変えられたのです。


(『利根川図志』と『新・利根川図志』 筆者撮影)


そんな利根川について、「流域」という観点から捉えたのが、幕末に生きた下総国布川の医師・赤松宗旦(あかまつ・そうたん)下総国布川は、現在の茨城県北相馬郡利根町です。


(『利根川図志』の著者・赤松宗旦の旧宅 筆者撮影)


その著書『利根川図志』と柳田國男による日本民俗学の誕生にまつわる秘話を紹介します。少年時代に利根川沿岸に移り住んで『利根川図誌』を愛読してきた柳田は、後年になってからみずから校訂して、岩波文庫から『利根川図誌』を1938年に出版しています。


(「柳田國男記念公苑」のパンフレット 筆者撮影)



 「流域」の発想で地域を元気に!!!


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<ブログ内関連記事>

書評 『水運史から世界の水へ』(徳仁親王、NHK出版、2019)-歴史学から世界の水問題へ「文理融合」の実践

「城下町・古河」をはじめて歩いてみた(2019年5月5日)-日光街道の街道筋で利根川と渡良瀬川が合流する地域にある古河は、かつて交通の要衝だった

書評 『柳田国男と梅棹忠夫-自前の学問を求めて-』(伊藤幹治、岩波書店、2011)-「民俗学」と「比較文明論」という独創的な学問分野を切り開いた知の巨人たち

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち
・・富士川「流域」でつながっていた静岡と山梨。旧幕臣でキリスト教の伝道者、そして柳田國男の先駆者であった山中共古

(2019年6月21日 情報追加)


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2015年2月16日月曜日

書評『柳田国男と梅棹忠夫 ― 自前の学問を求めて』(伊藤幹治、岩波書店、2011)―「民俗学」と「比較文明論」という独創的な学問分野を切り開いた知の巨人たち



本書のカバー写真に写っているのは、右手が当時77歳の柳田國男、左手が当時31歳の梅棹忠夫である。このツーショットは、1951年に柳田邸で撮影されたものだ。

「第3章 ふたりのリーダーシップ」の「1. ふたりの出会い-「ヤク島の生態」余聞」によれば、梅棹忠夫が1949年に屋久島で行ったフィールドワークの記録をもとに執筆した社会人類学的な村落社会構造論の論文が発表されてまもなく、それを読んだ柳田國男からハガキが届いたのだという。

そのハガキには、「この方法は日本民俗学のいまだかつてこころみざるところである」というコメントとともに、「一度あそびに来い」と記されていたという。そして京都から上京して成城の柳田邸で半日を過ごした際に撮影されたのが上記の写真である、と。

「日本民俗学のいまだかつてこころみざる」方法とは、生態学的方法のことであり、「柳田は生態学的方法のほかに、梅棹が記述した屋久島のコミュニティーの生成過程にも注目したようである」と、著者は指摘している。

本書は、民「俗」学と民「族」学の両方を研究分野としてきた著者が、民「俗」学の師である柳田國男とは晩年の9年間、民「族」学の分野では国立民族学博物館で梅棹忠夫と14年間にわたって研究者として接してきたという。著者はさらに成城大学に赴任して、柳田文庫を所蔵する附属民俗学研究所の所長を9年間併任している。民「俗」学と民「族」学、柳田國男と梅棹忠夫を論じるにはうってつけの存在というわけだ。

いわゆる「対比列伝スタイル」で、エピソードをまじえた柳田國男と梅棹忠夫それぞれの回想はじつに興味深い。この強烈な個性の持ち主たちに共通するのが、「自前の学問を求め」た人たちだとしている点がさらに興味深い。

日本「文化」と日本「文明」という認識の違いはあるが、ある意味では柳田國男の構想のさらに先に進めたのが梅棹忠夫だということも、あながち否定はできないからだ。「自己認識の学」としての「一国民俗学」と「関係認識の学」としての「日本文明論」である。

梅棹忠夫の「生態学的研究」というと『文明の生態史観』がすぐに想起されるだろうが、日本研究といういうことであれば、未完に終わった幻の代表作『日本探検』(1959~1960)』こそ、独創的な研究になっていることに注目したい。生態学的研究という共時的な側面に加えて、共同体がもつ歴史という通時的な側面に着目したもののなかでも、みずからのルーツの共同体をあつかった「近江菅浦」という未発表の論文がその最たるものであろう。

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。わたしはいままで、日本のそとをあるく機会が多かった。そこで、いつもこういう勉強の仕かたをしてきた。

これは梅棹忠夫の『日本探検』の冒頭の導入の文章である。欧米の学問の借り物ではない「自前の学問」とは、自分の目で見て耳で聞き、五感をつじてカラダで感じ、自分のアタマで考えて出てきたもこそ学問であるという強烈な思想の表明である。

この姿勢は、アカデミズムではない在野の学を志した柳田國男にも共通するものであった。柳田國男と梅棹忠夫が共鳴するものがあったのは、学問と生き方に共通する姿勢があったためだろう。このほか、ともに国際語のエスペラントに大いに期待し、みずから習得した点も共通していることは特筆すべきことだろう。

ともにたぐいまれなリーダーシップによって、それぞれ「民俗学」と「比較文明論」という、あらたな学問分野を切り開いて確立した強烈な個性の二人。このほかの分野で「自前の学問」が確立されているかどうか、大いなる反省をもとにこの二人の「知の巨人」のことを意識しつづなくてはならない。


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PS 2011年に出版されてすぐに読んだのだが、あらためてこの機会に紹介しておこうと思う。いったん書いた書評のファイルを壊してしまったからだ。



目 次

まえがき
序章 ふたりの日本研究
 1. 柳田國男の一国民俗学
  1 自己認識の学としての一国民俗学
  2 郷土・常民・アイデンティティ
 2 梅棹忠夫の日本文明論
  1 関係認識としての日本文明論
  2 伝統・近代化・歴史的連続
第1章 晩年の柳田国男回想
 1. 同時代の人びと
  1 國學院大學教授就任
  2 宗教民俗学者堀一郎
  3 歴史民族学者岡正雄
 2. 大学院の講義
  1 忘れがたい言説
  2 社会経済史批判
  3 わかりやすい文章
 3. 沖縄への思い
  1 「根の国の話」余滴
  2 柳田國男のカード
  3 柳田國男の便り
第2章 民博時代の梅棹忠夫回想
 1. 民博創設のころ
  1 記憶のなかのイメージ
  2 「ご先祖さまになろう」
  3 「幹部候補生」との交流
 2. 「研究経営」の戦略と戦術
  1 三つの戦略
  2 近未来への布石
  3 研究業績の評価
 3. 比較文明学の構築をめざして
  1 還暦記念シンポジウム
  2 日本文明論の展開
  3 つらぬく論理とつらねる論理
第3章 ふたりのリーダーシップ
 1. ふたりの出会い-「ヤク島の生態」余滴
 2. 登山型と書斎型
  1 還暦祝賀会余話
  2 金曜サロンと木曜会
第4章 ふたりの交錯する思想
 1. 通底する思想
  1 土着主義と「国主外従」
  2 「隠し味」の美学
 2. 対峙する思想
  1 無用の学と有用の学
  2 第二標準語論と標準語生成論
第5章 ふたりの日本研究の課題
 1. 日本文化の多様性と一様性
  1 「いくつもの日本」と基層文化
  2 「ひとつの日本」と民俗文化
 2. 現代日本と日本文明
  1 日本文化の伝統と変容
  2 日本文明の「文法」
終章 ふたりの知のあり方点描
あとがき
参考文献


著者プロフィール

伊藤幹治(いとう・みきはる)
1930年東京都に生まれる。1953年國學院大學大学院文学研究科修士課程修了。国立民族学博物館名誉教授。文学博士。著書には、『贈与交換の人類学』(筑摩書店)、『柳田国男と文化ナショナリズム』(岩波書店)他多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





<ブログ内関連記事>

「自前の学問」を探求した「民間学者」たち

「いまこそ高橋亀吉の実践経済学」(東洋経済新報社創立115周年記念シンポジウム第二弾) に参加してきた-「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
・日本の現実から「自前の理論」を構築した民間エコノミスト

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・粘菌学者で民俗学者でもあった「知の巨人」南方熊楠

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)


民「俗」学と民「族」学

『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本
・・エスノロジー(=民族学)の立場に立っていた文化人類学者・石田英一郎

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・「世界のなかの日本」という位置づけ

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
・・「世界の諸民族と日本民族」という位置づけ

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・三代目の日銀総裁で民俗学者であった渋沢敬三のアチックミュージアムの収集品は国立民族学博物館に引き継がれた


梅棹忠夫の「日本文明論」

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


梅棹忠夫関連

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

(2015年2月21日 情報追加)


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2015年2月15日日曜日

書評『民俗学・台湾・国際連盟 ― 柳田國男と新渡戸稲造』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)―「民俗学」誕生の背景にあった柳田國男における新渡戸稲造の思想への共鳴と継承、そして発展的解消



「柳田は新渡戸の背中を見て歩いていたのです」。これは本書『民俗学・台湾・国際連盟 ー 柳田國男と新渡戸稲造』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)成立のキッカケの一つになったエピソードとして、著者がアメリカ人の柳田國男研究者と直接交わした会話のなかにでてきた発言だという。

本書は、柳田國男の「一国民俗学」が生み出された背景には、「国際連盟」の「委任統治委員」としてジェネーヴで過ごした一年半の経験がきわめて大きなものであり、新渡戸稲造の存在抜きに「柳田民俗学」が誕生しえなかったことを跡づけたものである。

柳田國男と新渡戸稲造の対比列伝というよりも、柳田國男における新渡戸稲造思想への共鳴と継承、そして発展的解消について、事実関係を丹念に跡づけた内容である。


「後藤新平 ⇒ 新渡戸稲造 ⇒ 柳田國男」という官僚系列

柳田國男は『遠野物語』などの作品をもつ「日本民俗学」の生みの親であり、新渡戸稲造は「英語名人世代」の一人として国際的に活躍した教育者である。これが一般的な理解であろう。年長の新渡戸と柳田の年齢差は13歳であり、およそ一回り違う。

第一次世界大戦後に、米国大統領ウィルソンの提唱で設立された「国際連盟」(League of Nations)。新渡戸稲造は「国際連盟」の事務次長として、生涯のメンターである後藤新平に抜擢されスイスのジュネーヴに赴任する。

世界大戦後の秩序概念としてあらたにつくられた「委任統治」。官僚を辞めて朝日新聞社に入社していた柳田國男は、国際連盟の「委任統治委員」の日本側委員として抜擢されジュネーヴに赴任する。著者によれば、新渡戸が柳田を抜擢したと見られているが、それは思想的な近さゆえだったとしている。

「思想的な近さ」とは、植民地統治の基本的な思想にかかわるものだ。植民地統治にかんしては「分離主義」と「同化主義」の対(つい)概念があったが、前者の「分離主義」とは統治者と被統治者を「分離」し、被統治者の「文化」は尊重するという姿勢である。そのため現地住民の徹底的な調査を行ったうえで、もっとも適した統治方法を行う。最終的には、「帝国」という枠組みのなかでの「自治」も視野に入ってくる。新渡戸稲造も柳田國男もこの「分離主義」の立場に立っていた。

日本がはじめて得た植民地は台湾だが、台湾統治を衛生学の観点から科学的方法によって成功させたのが医務官僚出身の後藤新平であり、後藤が台湾に引っ張ってきたのが新渡戸稲造であった。

新渡戸は、台湾統治に植民地行政官としてかかわり、糖業による植民地台湾の財政的自立を成功させた。農商務省の官僚であった柳田國男自身は台湾とは直接かかわっていないが、新渡戸稲造も柳田國男も、ともに実践的な学問である農政学を専攻していた。その当時の日本国民の大多数を占めていた農民の生活を安定させたいという志があったからだ。

植民地としての台湾をどう見るか、この視点は本土に組み込まれた沖縄をどう見るかということにもつながっていく。

さらに当時の新興国・日本のエリート官僚にとって避けて通れなかったのが、世界を支配していた西洋列強とのかかわりである。支配する側とされる側。統治する側とされる側。観察する側とされる側。この構造は人類学という学問にビルトインされているものでもある。非西欧人としての日本人のアイデンティティにもかかわる問題だ。

新渡戸稲造も柳田國男も、人類学ではなく農政学の立場に立っていたということが、ここで意味をもってくるのである。観察する側だけでなく、観察される側もまた主体なのである。独自の文化をもっている地方をどう活性化するかは、地方の視点に立って、その住民自身が主体的に取り組むべき課題なのである。

ここから生まれてきたのがドイツ語のハイマート(Heimat)に対応する日本語の「郷土」という概念であり、それを基盤にした「郷土学」なのであった。


「同化主義」への抵抗と「文化相対主義」

日本の植民地政策というと、どうしても大東亜戦争期における姓氏改名などの「皇民化政策」を想起しがちだが、最初から「同化主義」が主流だったわけではない。大正時代の原敬内閣以降、「分離主義」は「同化主義」が優勢となり、その結果、「分離主義」の立場に立っていた官僚たちは敗れ去ったのである。

柳田國男もまた、その「挫折した官僚」の一人であった。だが、官僚退任後のキャリアがその他の官僚たちとは大きく違う。その多くは民間に天下っているが、「官僚から逸脱した研究者」としての柳田國男は例外的な存在であった。国家官僚として国立大学に移籍したのではないのである。

「民俗学」をアカデミズムとは一線を画した民間の学問としたかったのは、統治のための学問ではなく、独自の「文化」をもった地方の住民が主体的に取り組むための学問としたかったからである。

この点において興味深いのは、国際連盟委員としてヨーロッパに滞在していた柳田國男が民族学や人類学にかんする書籍を蒐集し、最新の研究成果を研究した結果、最終的に「ドイツ民俗学」に行き着いたという指摘である。

国家統一が遅れ、「近代化」も遅れて開始されたドイツにおいては、単数形のフォルク(Volk)を前提にした Volkskunde (=フォルクス・クンデ:民「俗」学)と、複数形のフェルカー(Völker)を前提にした Völkerkunde (=フェルカー・クンデ:民「族」学)が区分されていたのであった。

西欧が支配する弱肉強食の国際社会のなかで、遅れて参入した日本が主体的にサバイバルしていくためには、まずはみずからをよく知らねばならない。日本民族とはなにかを正確に認識し、アイデンティティを確認しなければならないという課題である。

「柳田民俗学」がまずは「一国民俗学」であったのはそのためだ。柳田國男は、文化を研究するためには、その文化を支える人が使用する言語を母語として使用する者によらなくてはならないのであり、日本文化の研究のためには日本語を母語とするものではならないという思想があった。だから正確にいえば「一国」ではなく、「一民族」というべきだったのだろう。言語共同体としての民族という考えである。

「常民」という柳田民俗学の重要な概念も、柳田國男のヨーロッパ体験から生まれたという。英語の common people の訳語としての「常民」である。 common sense が「常識」と訳されたことが背景にある。

「一国民俗学」を確立したうえで、それぞれの民族ごとに母語の話者による研究が進めば、比較研究も可能となってくる。著者がいうように、柳田國男がそこまで想定していたのであれば、「民俗学」と「民族学」は違いだけでなく、両立可能なものであることが明確になっていたのではないかという気もする。「民俗学」という新しい学問を確立するためには、あえて差別化を徹底したのであろうが。

国際連盟の委任統治委員として、民族自決と原住民の文化保護という理想の実現をかなえたいと願っていた柳田國男だが、当時の西欧中心主義を前にしてはきわめて実現可能性が低いことをいやというほど思い知らされ、熱意を失ってしまい、耐えきれなくなって唐突に辞職してしまう。1923年の関東大震災の発生もまた帰国を急がせる理由となった。

そのこともあって、新渡戸稲造と柳田國男は絶交してしまうのだが、柳田國男は新渡戸稲造のことは終生リスペクトしていたようだ。

帝大卒の高級官僚でありながら、46歳まで留学体験も洋行体験もまったく持たなかった柳田國男にとっての国際連盟勤務は、肌の色の違う非西欧人であり、しかも語学のハンデがあって苦労が大きかったようだが、副産物としての成果には意外と大きなものがあったのだ。そしてそのキッカケをつくったのが、新渡戸稲造であった。

その意味では、『民俗学・台湾・国際連盟-柳田國男と新渡戸稲造-』というタイトルは簡潔で、しかも内容すべてを言い尽くしたものである。日本人の自己認識に多大な貢献をなした「民俗学」が、どのようにして生まれてきたのかについて考えるうえで、きわめて重要な視点を押さえた内容であるといっていいだろう。

読みでのある好著である。


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目 次

はじめに
第1章 台湾というフィールド
 1. 日本最初の植民地
 2. 分離主義と同化主義
 3. 矢内原忠雄の台湾観
第2章 「土俗学」から「地方学」へ
 1. 「奇怪」な視点
 2. 「人類館事件」と坪井正五郎
 3. 「地方学」の提唱
第3章 柳田、新渡戸と出会う
 1. 「郷土会」の成立と性格
 2. 「生蕃」と「山人」
 3. 南洋へのまなざし
第4章 ジュネーブ体験
 1. 国際連盟委任統治委員
 2. エスペラント熱
 3. 民族自決と原住民の文化保護
第5章 挫折と訣別
 1. 唐突な辞任
 2. 関係は戻らず
 3. 引き継がれたもの
第6章 「一国民俗学」の意味
 1. 帰国後の柳田と新しい学問
 2. 「日本をつくる」ために
 3. 言語とナショナリズム
第7章 「常民」そして「郷土」
 1. 「蝸牛考」から
 2. 小田内通敏との対立
 3. 文化・学問・政治性
むすびに
あとがき

参考文献
関連年表

著者プロフィール

佐谷眞木人(さや・まきと)
1962年大阪市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。専攻は国文学。現在、恵泉女学園大学人文学部教授。著書に『平家物語から浄瑠璃へ-敦盛説話の変容』(慶應義塾大学出版会)、『日清戦争-国民の誕生』(講談社現代新書)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

成城の洋館-佐谷眞木人・著『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』より(佐谷眞木人、現代ビジネス、2015年1月31日、読書人の雑誌「本」2015年2月号より転載)
・・「柳田が成城に転居したのは、委任統治委員辞任後である。イギリスの社会人類学者フレイザーの書斎に倣い、「喜多見」という地名にかけて「喜談書屋」と名付けられたというその洋館は、書斎であると同時に研究者が集う場所でもあった。それは柳田の西洋体験を象徴しているのではないだろうか。」


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「欧米中心の国際社会」における「非西欧人」としての日本人

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは

書評 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子、田中敏訳、文春文庫、2008 単行本初版 2005)-ドイツ人読者にむけて書かれた日本近代史は日本人にとっても有益な内容

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・「近代世界のメインストリームである欧米西洋社会に入ってきた新参者としての苦労と悲哀、成功と失敗、いまなお残る差別。これは表層をみているだけではけっしてわからない、精神の深部に沈殿している憎悪である。畏怖からくる差別感情であろう。日本民族より少し前に、欧米中心の近代世界のなかに参入し、畏怖とともに差別されてきたが、したたかにかつ毅然と生き抜いてきたユダヤ民族から学ぶべきものはきわめて大きい」

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・国際社会に新規参入した後進国・日本における強引な「上からの近代化」の成功と、挫折した「下からの近代化」


「近代化=西欧化」と「植民地統治の学としての人類学」、その克服

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・・エスノロジー(=民族学)の立場に立っていた文化人類学者・石田英一郎

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ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
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