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2019年1月4日金曜日

書評『猪・鹿・狸』(早川孝太郎、角川ソフィア文庫、2017 初版1926)ー 動物と人間とのかかわりが狩猟行動をつうじて語られたフォークロア


『猪・鹿・狸』(早川孝太郎、角川ソフィア文庫、2017 初版1926)は、動物と人間とのかかわりが狩猟をつうじて語られたフォークロア集である。

明治維新後の「近代化」で激変した日本の山野。動物と人間とのかかわりは、この前後で激変するのだが、フォークロアとして聞き取った内容に、「近代以前」と「近代以後」の相違点と共通点を読み取ってみたい。

早川孝太郎といっても、それほど著名な人物ではないかもしれないが、日本民俗学の父である柳田國男の門下であり、折口信夫とともに日本の山野を歩き回ったこともあるという人だ。出身は、愛知県南設楽群長篠村横山。聞き書きを行ったには、もっぱら奥三河。

タイトルは、『猪・鹿・狸』という三題噺の構成になっているが、イノシシとシカが農民にとっての害獣で、人間がいかにイノシシやシカの害から身を防ぎ、駆除していったかが語られる。

早川孝太郎が語った大正15年(1926年)の時点では、イノシシもシカも減少の一途をたどっていたようだが、現在は周知のとおり、農民人口の減少と耕作地の放棄で里山が荒廃し、イノシシやシカが増える一方であるのは、皮肉というべきか、それとも因果は巡るという話であろうか。

一方、タヌキの話は、狩人が鉄砲で撃って毛皮を獲得する対象であるものの、話の中身はほとんどが「化かして人間をあざ笑うタヌキ」が大半だ。おそらく書評で本書を絶賛した芥川龍之介はタヌキの話に感じるものが多かったのだろうが、イノシシとシカの話とはテイストがだいぶ違うので、ほんとうは一本にすべきではなかったと思う。

人間による駆除の結果、絶滅していったのはニホンオオカミだが、本書でも語られている。このほかニホンカワウソもそうだが、早川孝太郎が言うように、日本列島に住む人間と日本列島の山野に生きてきた動物との関係は、入植者と先住民との関係にも似ているものがある。山に追いやれた先住民、山に追いやれた動物たち。いったん絶滅してしまった種は、もはや元に戻ることはない。

『猪・鹿・狸』というタイトルは、個人的な関心からいえば、『猪・鹿・猿』あるいは『猪・鹿・熊』となっているほうがいい。どうも、全二者のイノシシとシカと、タヌキは水と油のように思えてならないからだ。

ちなみに、『猪・鹿・狸』の三者は、いま復活のトレンドにある。イノシシとシカが大量に増えていることはメディアで報道されているとおちだが、都会でもタヌキが出没するのである。

数年前のことだが、私自身も東京都心近郊の国立市にある一橋大学のキャンパスで、夜間にタヌキを目撃した。タヌキの目は夜間は赤く光るのである。それは、ホンモノのタヌキであった。





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書評 『鉄砲を手放さなかった百姓たち-刀狩りから幕末まで-』(武井弘一、朝日選書、2010)-江戸時代の農民は獣駆除のため武士よりも鉄砲を多く所有していた!

書評 『世界屠畜紀行 The World's Slaughterhouse Tour』(内澤旬子、解放出版社、2007)-世界中の食肉解体現場を歩いて考えた自分語り系ノンフィクション

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物

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2015年7月7日火曜日

「かたつむり」 をひさびさに観察


関東地方は本格的な梅雨空。ことし2015年の梅雨は、昨年の空梅雨(からつゆ)とは違って本格的な梅雨である。フィリピン沖では台風が3つも発生するという事態が発生、このトリプル台風が梅雨前線を下押ししているということもその原因の一つであろう。

そんな雨降りの一日、「かたつむり」をみつけた。一つ見つけたと思ったら、また一つ、また一つと、けっこうな数である。石塀のうえをかたつむりがはっている。
       
スマホで接写撮影しているので大きく見えるかもしれないが、じっさいは5mmほどのサイズできわめて小さい。殻もやわらかくて中身が透けて見える。どうやらこの梅雨の時期に大量発生したかたつむり群のようだ。


■かたつむりはスローライフの象徴
   
かたつむりの歩みはきわめてスローテンポなのだが、目をそらしているあいだに、気がつくと意外と距離を移動していたりする。遅いが着実なペースである。ゆくっりだが確実に。イタリアではじまった「スローフード運動」のシンボルマークは「かたつむり」である。スローフードは、ファストフードのアンチテーゼである。


(スローフード協会のロゴ)


サイモンとガーファンクル(S&G)は、ペルーの民謡 「コンドルは飛んでいく」(El condor pasa)の冒頭の一節を I'd rather be a sparrow than a snail (かたつむりよりもすずめのほうがいい)と歌ったが、かたつむり(snail)も、なかなか捨てたもんじゃない。

大学生の頃、富士山8合目の山小屋で夏のバイトをしていたのだが、山小屋の主人からこんな句を教えてもらった。
    
富士の山
ゆっくり登れ
かたつむり

さて誰の句かしらん? 富士山はアップダウンがないので、登る際は登りだけ。だから、急いては事をし損じるのである。ゆっくりと確実に。





■「蝸牛考」と「方言周圏論」

「♪ でんでんむしむし かたつむり~」で始まる童謡があるので、全国的に「かたつむり」という名称で通用するだろうが、「まいまい」とよぶ地域もあるし、その他の名称も多数ある。

地域によるかたつむりの名称の違いに着目し、「方言周圏論」を日本で実証してみせたのが民俗学者・柳田國男の『蝸牛考』(岩波文庫、1980)である。「蝸牛」とは「かたつむり」のことだ。言語地理学の古典とされているこの名著は高校時代に出版されたばかりの岩波文庫版で読んで、おおいに感心したことを覚えている。

「かたつむり」の方言が、同心円状に分布しているのだが、古い名称ほど円の外側にあり、流行の発信地である円の中心部から放射状に拡がっていることを示したものだ。ただし、蝸牛(=かたつむり)だからといって、渦巻き状の分布ではない。同心円状だ。

この考えを応用して大規模に行われた調査の結果が『全国アホ・バカ分布』(松本修、新潮文庫、1996)で、『蝸牛考』よりも100倍は面白い。テレビ番組のプロデューサーが書いたこの本は、知的エンターテインメントとして、ぜひ一読をすすめたい。


■「かたつむり」の渦巻き

かたつむりというと、渦巻きにも注目したい。「かたつむり」のことを「蝸牛」というが、「牛」のような「つの」と、「渦」のある殻をもった「蝸」という意味なのだろう。

かたつむりに限らず、巻き貝はみな渦巻き模様なのだが、どうしても『うずまき』というホラー・マンガを思い出してしまう。内容はここには書かないが、巨大化したかたつむりをめぐる奇妙きてれつな話が登場するのだ。

「かたつむり」が巨大化することなど考えにくいが、沖縄の西表島には30cm以上もある巨大な「しじみ」が存在するので、巨大な「かたつむり」が存在しても不思議ではないかもしれない。考えただけでも恐ろしいが・・・。


(かたつむりの渦巻きに注目!)

かたつむりは子どもの頃はよく見ていじっていたいたが、庭のある家に住んで園芸でもしていない限り、なかなかお目にかかることもない。

ひさびさに目にしたかたつむりに、いろんなことを想起した、という次第。

そういえば、かたつむりを食べるという話もあったな。フランスのエスカルゴの話だ。ただし、スローフードとは関係ありませんよ。



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2015年2月16日月曜日

書評『柳田国男と梅棹忠夫 ― 自前の学問を求めて』(伊藤幹治、岩波書店、2011)―「民俗学」と「比較文明論」という独創的な学問分野を切り開いた知の巨人たち



本書のカバー写真に写っているのは、右手が当時77歳の柳田國男、左手が当時31歳の梅棹忠夫である。このツーショットは、1951年に柳田邸で撮影されたものだ。

「第3章 ふたりのリーダーシップ」の「1. ふたりの出会い-「ヤク島の生態」余聞」によれば、梅棹忠夫が1949年に屋久島で行ったフィールドワークの記録をもとに執筆した社会人類学的な村落社会構造論の論文が発表されてまもなく、それを読んだ柳田國男からハガキが届いたのだという。

そのハガキには、「この方法は日本民俗学のいまだかつてこころみざるところである」というコメントとともに、「一度あそびに来い」と記されていたという。そして京都から上京して成城の柳田邸で半日を過ごした際に撮影されたのが上記の写真である、と。

「日本民俗学のいまだかつてこころみざる」方法とは、生態学的方法のことであり、「柳田は生態学的方法のほかに、梅棹が記述した屋久島のコミュニティーの生成過程にも注目したようである」と、著者は指摘している。

本書は、民「俗」学と民「族」学の両方を研究分野としてきた著者が、民「俗」学の師である柳田國男とは晩年の9年間、民「族」学の分野では国立民族学博物館で梅棹忠夫と14年間にわたって研究者として接してきたという。著者はさらに成城大学に赴任して、柳田文庫を所蔵する附属民俗学研究所の所長を9年間併任している。民「俗」学と民「族」学、柳田國男と梅棹忠夫を論じるにはうってつけの存在というわけだ。

いわゆる「対比列伝スタイル」で、エピソードをまじえた柳田國男と梅棹忠夫それぞれの回想はじつに興味深い。この強烈な個性の持ち主たちに共通するのが、「自前の学問を求め」た人たちだとしている点がさらに興味深い。

日本「文化」と日本「文明」という認識の違いはあるが、ある意味では柳田國男の構想のさらに先に進めたのが梅棹忠夫だということも、あながち否定はできないからだ。「自己認識の学」としての「一国民俗学」と「関係認識の学」としての「日本文明論」である。

梅棹忠夫の「生態学的研究」というと『文明の生態史観』がすぐに想起されるだろうが、日本研究といういうことであれば、未完に終わった幻の代表作『日本探検』(1959~1960)』こそ、独創的な研究になっていることに注目したい。生態学的研究という共時的な側面に加えて、共同体がもつ歴史という通時的な側面に着目したもののなかでも、みずからのルーツの共同体をあつかった「近江菅浦」という未発表の論文がその最たるものであろう。

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。わたしはいままで、日本のそとをあるく機会が多かった。そこで、いつもこういう勉強の仕かたをしてきた。

これは梅棹忠夫の『日本探検』の冒頭の導入の文章である。欧米の学問の借り物ではない「自前の学問」とは、自分の目で見て耳で聞き、五感をつじてカラダで感じ、自分のアタマで考えて出てきたもこそ学問であるという強烈な思想の表明である。

この姿勢は、アカデミズムではない在野の学を志した柳田國男にも共通するものであった。柳田國男と梅棹忠夫が共鳴するものがあったのは、学問と生き方に共通する姿勢があったためだろう。このほか、ともに国際語のエスペラントに大いに期待し、みずから習得した点も共通していることは特筆すべきことだろう。

ともにたぐいまれなリーダーシップによって、それぞれ「民俗学」と「比較文明論」という、あらたな学問分野を切り開いて確立した強烈な個性の二人。このほかの分野で「自前の学問」が確立されているかどうか、大いなる反省をもとにこの二人の「知の巨人」のことを意識しつづなくてはならない。


(画像をクリック!)



PS 2011年に出版されてすぐに読んだのだが、あらためてこの機会に紹介しておこうと思う。いったん書いた書評のファイルを壊してしまったからだ。



目 次

まえがき
序章 ふたりの日本研究
 1. 柳田國男の一国民俗学
  1 自己認識の学としての一国民俗学
  2 郷土・常民・アイデンティティ
 2 梅棹忠夫の日本文明論
  1 関係認識としての日本文明論
  2 伝統・近代化・歴史的連続
第1章 晩年の柳田国男回想
 1. 同時代の人びと
  1 國學院大學教授就任
  2 宗教民俗学者堀一郎
  3 歴史民族学者岡正雄
 2. 大学院の講義
  1 忘れがたい言説
  2 社会経済史批判
  3 わかりやすい文章
 3. 沖縄への思い
  1 「根の国の話」余滴
  2 柳田國男のカード
  3 柳田國男の便り
第2章 民博時代の梅棹忠夫回想
 1. 民博創設のころ
  1 記憶のなかのイメージ
  2 「ご先祖さまになろう」
  3 「幹部候補生」との交流
 2. 「研究経営」の戦略と戦術
  1 三つの戦略
  2 近未来への布石
  3 研究業績の評価
 3. 比較文明学の構築をめざして
  1 還暦記念シンポジウム
  2 日本文明論の展開
  3 つらぬく論理とつらねる論理
第3章 ふたりのリーダーシップ
 1. ふたりの出会い-「ヤク島の生態」余滴
 2. 登山型と書斎型
  1 還暦祝賀会余話
  2 金曜サロンと木曜会
第4章 ふたりの交錯する思想
 1. 通底する思想
  1 土着主義と「国主外従」
  2 「隠し味」の美学
 2. 対峙する思想
  1 無用の学と有用の学
  2 第二標準語論と標準語生成論
第5章 ふたりの日本研究の課題
 1. 日本文化の多様性と一様性
  1 「いくつもの日本」と基層文化
  2 「ひとつの日本」と民俗文化
 2. 現代日本と日本文明
  1 日本文化の伝統と変容
  2 日本文明の「文法」
終章 ふたりの知のあり方点描
あとがき
参考文献


著者プロフィール

伊藤幹治(いとう・みきはる)
1930年東京都に生まれる。1953年國學院大學大学院文学研究科修士課程修了。国立民族学博物館名誉教授。文学博士。著書には、『贈与交換の人類学』(筑摩書店)、『柳田国男と文化ナショナリズム』(岩波書店)他多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)





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■「自前の学問」を探求した「民間学者」たち

「いまこそ高橋亀吉の実践経済学」(東洋経済新報社創立115周年記念シンポジウム第二弾) に参加してきた-「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
・日本の現実から「自前の理論」を構築した民間エコノミスト

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・粘菌学者で民俗学者でもあった「知の巨人」南方熊楠

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)


■民「俗」学と民「族」学

『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本
・・エスノロジー(=民族学)の立場に立っていた文化人類学者・石田英一郎

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・「世界のなかの日本」という位置づけ

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
・・「世界の諸民族と日本民族」という位置づけ

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・三代目の日銀総裁で民俗学者であった渋沢敬三のアチックミュージアムの収集品は国立民族学博物館に引き継がれた


■梅棹忠夫の「日本文明論」

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)


■梅棹忠夫関連

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

(2015年2月21日 情報追加)


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2015年2月15日日曜日

書評『民俗学・台湾・国際連盟 ― 柳田國男と新渡戸稲造』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)―「民俗学」誕生の背景にあった柳田國男における新渡戸稲造の思想への共鳴と継承、そして発展的解消



「柳田は新渡戸の背中を見て歩いていたのです」。これは本書『民俗学・台湾・国際連盟 ー 柳田國男と新渡戸稲造』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)成立のキッカケの一つになったエピソードとして、著者がアメリカ人の柳田國男研究者と直接交わした会話のなかにでてきた発言だという。

本書は、柳田國男の「一国民俗学」が生み出された背景には、「国際連盟」の「委任統治委員」としてジェネーヴで過ごした一年半の経験がきわめて大きなものであり、新渡戸稲造の存在抜きに「柳田民俗学」が誕生しえなかったことを跡づけたものである。

柳田國男と新渡戸稲造の対比列伝というよりも、柳田國男における新渡戸稲造思想への共鳴と継承、そして発展的解消について、事実関係を丹念に跡づけた内容である。


■「後藤新平 ⇒ 新渡戸稲造 ⇒ 柳田國男」という官僚系列

柳田國男は『遠野物語』などの作品をもつ「日本民俗学」の生みの親であり、新渡戸稲造は「英語名人世代」の一人として国際的に活躍した教育者である。これが一般的な理解であろう。年長の新渡戸と柳田の年齢差は13歳であり、およそ一回り違う。

第一次世界大戦後に、米国大統領ウィルソンの提唱で設立された「国際連盟」(League of Nations)。新渡戸稲造は「国際連盟」の事務次長として、生涯のメンターである後藤新平に抜擢されスイスのジュネーヴに赴任する。

世界大戦後の秩序概念としてあらたにつくられた「委任統治」。官僚を辞めて朝日新聞社に入社していた柳田國男は、国際連盟の「委任統治委員」の日本側委員として抜擢されジュネーヴに赴任する。著者によれば、新渡戸が柳田を抜擢したと見られているが、それは思想的な近さゆえだったとしている。

「思想的な近さ」とは、植民地統治の基本的な思想にかかわるものだ。植民地統治にかんしては「分離主義」と「同化主義」の対(つい)概念があったが、前者の「分離主義」とは統治者と被統治者を「分離」し、被統治者の「文化」は尊重するという姿勢である。そのため現地住民の徹底的な調査を行ったうえで、もっとも適した統治方法を行う。最終的には、「帝国」という枠組みのなかでの「自治」も視野に入ってくる。新渡戸稲造も柳田國男もこの「分離主義」の立場に立っていた。

日本がはじめて得た植民地は台湾だが、台湾統治を衛生学の観点から科学的方法によって成功させたのが医務官僚出身の後藤新平であり、後藤が台湾に引っ張ってきたのが新渡戸稲造であった。

新渡戸は、台湾統治に植民地行政官としてかかわり、糖業による植民地台湾の財政的自立を成功させた。農商務省の官僚であった柳田國男自身は台湾とは直接かかわっていないが、新渡戸稲造も柳田國男も、ともに実践的な学問である農政学を専攻していた。その当時の日本国民の大多数を占めていた農民の生活を安定させたいという志があったからだ。

植民地としての台湾をどう見るか、この視点は本土に組み込まれた沖縄をどう見るかということにもつながっていく。

さらに当時の新興国・日本のエリート官僚にとって避けて通れなかったのが、世界を支配していた西洋列強とのかかわりである。支配する側とされる側。統治する側とされる側。観察する側とされる側。この構造は人類学という学問にビルトインされているものでもある。非西欧人としての日本人のアイデンティティにもかかわる問題だ。

新渡戸稲造も柳田國男も、人類学ではなく農政学の立場に立っていたということが、ここで意味をもってくるのである。観察する側だけでなく、観察される側もまた主体なのである。独自の文化をもっている地方をどう活性化するかは、地方の視点に立って、その住民自身が主体的に取り組むべき課題なのである。

ここから生まれてきたのがドイツ語のハイマート(Heimat)に対応する日本語の「郷土」という概念であり、それを基盤にした「郷土学」なのであった。


■「同化主義」への抵抗と「文化相対主義」

日本の植民地政策というと、どうしても大東亜戦争期における姓氏改名などの「皇民化政策」を想起しがちだが、最初から「同化主義」が主流だったわけではない。大正時代の原敬内閣以降、「分離主義」は「同化主義」が優勢となり、その結果、「分離主義」の立場に立っていた官僚たちは敗れ去ったのである。

柳田國男もまた、その「挫折した官僚」の一人であった。だが、官僚退任後のキャリアがその他の官僚たちとは大きく違う。その多くは民間に天下っているが、「官僚から逸脱した研究者」としての柳田國男は例外的な存在であった。国家官僚として国立大学に移籍したのではないのである。

「民俗学」をアカデミズムとは一線を画した民間の学問としたかったのは、統治のための学問ではなく、独自の「文化」をもった地方の住民が主体的に取り組むための学問としたかったからである。

この点において興味深いのは、国際連盟委員としてヨーロッパに滞在していた柳田國男が民族学や人類学にかんする書籍を蒐集し、最新の研究成果を研究した結果、最終的に「ドイツ民俗学」に行き着いたという指摘である。

国家統一が遅れ、「近代化」も遅れて開始されたドイツにおいては、単数形のフォルク(Volk)を前提にした Volkskunde (=フォルクス・クンデ:民「俗」学)と、複数形のフェルカー(Völker)を前提にした Völkerkunde (=フェルカー・クンデ:民「族」学)が区分されていたのであった。

西欧が支配する弱肉強食の国際社会のなかで、遅れて参入した日本が主体的にサバイバルしていくためには、まずはみずからをよく知らねばならない。日本民族とはなにかを正確に認識し、アイデンティティを確認しなければならないという課題である。

「柳田民俗学」がまずは「一国民俗学」であったのはそのためだ。柳田國男は、文化を研究するためには、その文化を支える人が使用する言語を母語として使用する者によらなくてはならないのであり、日本文化の研究のためには日本語を母語とするものではならないという思想があった。だから正確にいえば「一国」ではなく、「一民族」というべきだったのだろう。言語共同体としての民族という考えである。

「常民」という柳田民俗学の重要な概念も、柳田國男のヨーロッパ体験から生まれたという。英語の common people の訳語としての「常民」である。 common sense が「常識」と訳されたことが背景にある。

「一国民俗学」を確立したうえで、それぞれの民族ごとに母語の話者による研究が進めば、比較研究も可能となってくる。著者がいうように、柳田國男がそこまで想定していたのであれば、「民俗学」と「民族学」は違いだけでなく、両立可能なものであることが明確になっていたのではないかという気もする。「民俗学」という新しい学問を確立するためには、あえて差別化を徹底したのであろうが。

国際連盟の委任統治委員として、民族自決と原住民の文化保護という理想の実現をかなえたいと願っていた柳田國男だが、当時の西欧中心主義を前にしてはきわめて実現可能性が低いことをいやというほど思い知らされ、熱意を失ってしまい、耐えきれなくなって唐突に辞職してしまう。1923年の関東大震災の発生もまた帰国を急がせる理由となった。

そのこともあって、新渡戸稲造と柳田國男は絶交してしまうのだが、柳田國男は新渡戸稲造のことは終生リスペクトしていたようだ。

帝大卒の高級官僚でありながら、46歳まで留学体験も洋行体験もまったく持たなかった柳田國男にとっての国際連盟勤務は、肌の色の違う非西欧人であり、しかも語学のハンデがあって苦労が大きかったようだが、副産物としての成果には意外と大きなものがあったのだ。そしてそのキッカケをつくったのが、新渡戸稲造であった。

その意味では、『民俗学・台湾・国際連盟-柳田國男と新渡戸稲造-』というタイトルは簡潔で、しかも内容すべてを言い尽くしたものである。日本人の自己認識に多大な貢献をなした「民俗学」が、どのようにして生まれてきたのかについて考えるうえで、きわめて重要な視点を押さえた内容であるといっていいだろう。

読みでのある好著である。


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目 次

はじめに
第1章 台湾というフィールド
 1. 日本最初の植民地
 2. 分離主義と同化主義
 3. 矢内原忠雄の台湾観
第2章 「土俗学」から「地方学」へ
 1. 「奇怪」な視点
 2. 「人類館事件」と坪井正五郎
 3. 「地方学」の提唱
第3章 柳田、新渡戸と出会う
 1. 「郷土会」の成立と性格
 2. 「生蕃」と「山人」
 3. 南洋へのまなざし
第4章 ジュネーブ体験
 1. 国際連盟委任統治委員
 2. エスペラント熱
 3. 民族自決と原住民の文化保護
第5章 挫折と訣別
 1. 唐突な辞任
 2. 関係は戻らず
 3. 引き継がれたもの
第6章 「一国民俗学」の意味
 1. 帰国後の柳田と新しい学問
 2. 「日本をつくる」ために
 3. 言語とナショナリズム
第7章 「常民」そして「郷土」
 1. 「蝸牛考」から
 2. 小田内通敏との対立
 3. 文化・学問・政治性
むすびに
あとがき
註
参考文献
関連年表

著者プロフィール

佐谷眞木人(さや・まきと)
1962年大阪市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。同大学大学院文学研究科博士課程単位取得。博士(文学)。専攻は国文学。現在、恵泉女学園大学人文学部教授。著書に『平家物語から浄瑠璃へ-敦盛説話の変容』(慶應義塾大学出版会)、『日清戦争-国民の誕生』(講談社現代新書)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<関連サイト>

成城の洋館-佐谷眞木人・著『民俗学・台湾・国際連盟 柳田國男と新渡戸稲造』より(佐谷眞木人、現代ビジネス、2015年1月31日、読書人の雑誌「本」2015年2月号より転載)
・・「柳田が成城に転居したのは、委任統治委員辞任後である。イギリスの社会人類学者フレイザーの書斎に倣い、「喜多見」という地名にかけて「喜談書屋」と名付けられたというその洋館は、書斎であると同時に研究者が集う場所でもあった。それは柳田の西洋体験を象徴しているのではないだろうか。」


<ブログ内関連記事>

■新渡戸稲造と後藤新平

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯

書評 『「くにたち大学町」の誕生-後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから-』(長内敏之、けやき出版、2013)-一橋大学を中核にした「大学町」誕生の秘密をさぐる


■「欧米中心の国際社会」における「非西欧人」としての日本人

書評 『「肌色」の憂鬱-近代日本の人種体験-』(眞嶋亜有、中公叢書、2014)-「近代日本」のエリート男性たちが隠してきた「人種の壁」にまつわる心情とは

書評 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子、田中敏訳、文春文庫、2008 単行本初版 2005)-ドイツ人読者にむけて書かれた日本近代史は日本人にとっても有益な内容

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・「近代世界のメインストリームである欧米西洋社会に入ってきた新参者としての苦労と悲哀、成功と失敗、いまなお残る差別。これは表層をみているだけではけっしてわからない、精神の深部に沈殿している憎悪である。畏怖からくる差別感情であろう。日本民族より少し前に、欧米中心の近代世界のなかに参入し、畏怖とともに差別されてきたが、したたかにかつ毅然と生き抜いてきたユダヤ民族から学ぶべきものはきわめて大きい」

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・国際社会に新規参入した後進国・日本における強引な「上からの近代化」の成功と、挫折した「下からの近代化」


■「近代化=西欧化」と「植民地統治の学としての人類学」、その克服

書評 『現代世界と人類学-第三のユマニスムを求めて-』(レヴィ=ストロース、川田順造・渡辺公三訳、サイマル出版会、1986)-人類学的思考に現代がかかえる問題を解決するヒントを探る
・・文化人類学による文化相対主義と西欧中心主義の克服


■民「俗」学と民「族」学

『新版 河童駒引考-比較民族学的研究-』(石田英一郎、岩波文庫、1994)は、日本人がユーラシア視点でものを見るための視野を提供してくれる本
・・エスノロジー(=民族学)の立場に立っていた文化人類学者・石田英一郎

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・「世界のなかの日本」という位置づけ

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
・・「世界の諸民族と日本民族」という位置づけ


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2014年12月22日月曜日

書評『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)― 始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く



『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)は、偉大すぎる父をもった二代目の不幸、そして三代目でみずから没落を受け入れた一族の歴史である。

「偉大すぎる父」とは、日本近代化をビジネスの側面から推進した「日本資本主義の父」で子爵となった渋沢栄一である。そして三代目は戦時下の日銀総裁と敗戦後の混乱期に大蔵大臣を歴任した渋沢敬三。そしてその中間にいる「知られざる二代目」は、偉大すぎる父という重圧に耐えきれず遊蕩の世界に惑溺した渋沢篤二。

栄一、篤二、敬三とつづいた「渋沢家三代」の歴史は、名前をつづけると「一二三」となるが、ホップ・ステップ・ジャンプの三段跳びとはいかなかった。敗戦後のGHQ統治下における「財閥解体」を契機に、三代目は「偉大すぎる祖父」の重圧から逃れるため、みずからニコニコと没落を選択する。渋沢家三代は、まさに日本近代そのものであった。

渋沢家三代の当主でもっとも知られているのは、いうまでもなく渋沢栄一である。

渋沢栄一については、「日本資本主義の父」というフレーズで、いまでも語られることのきわめて多い存在である。日本のエスタブリッシュメントといわれる大企業のきわめて多くに渋沢栄一の息がかかっている。


(三代目 渋沢敬三 第17代日銀総裁、民俗学者)


三代目の渋沢敬三は、日銀総裁と大蔵大臣という公人としての側面だけでなく、みずからも民俗学の研究者でありパトロンであったという側面もあった。このことは、本書の著者・佐野眞一氏のノンフィクション作品 『旅する巨人-宮本常一と渋沢敬三-』(文藝春秋、1996)で全面的に取り上げられて以来、ようやく一致して捉えられるようになったが、いまでもまったく相異なる世界であることには変わりない。

柳田國男と折口信夫が日本民俗学の二大巨人であるとすれば、徹底的に日本国内を歩き回った点では折口信夫をしのぐ存在の宮本常一をあげねばなるまい。その宮本常一のパトロン的存在で、かつみずから民俗学者であったのが渋沢敬三であった。 

渋沢敬三が私費を投じたパトロネージのおかげで、民俗学者や人類学だけでなく自然科学から社会科学にいたるまで、かならずしも「実学」ではないが、日本にとって重要な学問が保護育成されたのである。ここには書き記さないが、梅棹忠夫などそうそうたる学者たちの名が239ページに記載されている。渋沢敬三が蒐集した民具のコレクションが、梅棹忠夫が初代館長を歴任した国立民族学博物館(・・通称みんぱく)のコレクションの一部として引き継がれたことは知っておきたいことだ

その意味では、渋沢敬三の存在はきわめて大きなものがあった。江戸時代から昭和にかけての「殿様生物学者」に匹敵する存在であったというべきだろう。

渋沢栄一という希有な存在を持ち得たことは近代国家としての日本にとっては、まことにもって幸いなことであった。だが、プライベートの側面においては、かならずしもそうであったとはいえない。そんな家に生まれてしまったがゆえに受ける精神的重圧。二代目は遊蕩の世界に惑溺したが、三代目は学問の世界で蕩尽した。

著者は、本書の最後を以下のような文言で締めくくっている。

栄一は近代的企業の創設に命を燃やした。篤二は廃嫡すら覚悟して放蕩の世界に惑溺した。そして敬三は学問発展に尽瘁(じんすい)して、ついに家までつぶした。事業にしろ遊芸にしろ、自分の信じる世界にこれほど真摯に没入していさぎよく没落していった一族が、ほかにいただろうか。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

「カネは稼ぐより使うほうがむずかしい」とはよくいわれることだが、社会企業家の先駆者ともいえる渋沢栄一だけでなく、渋沢家は三代にわたって見事にカネを使ったといえるのではないだろうか。

『渋沢家三代』の歴史は、日本近代史そのものである。渋沢栄一だけとりあげて礼賛するだけでは、日本近代を全体的に把握することはできないのである。


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<補足>

宮本常一にかんする佐野眞一の記述は、「観察力」のあり方について、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)にも要約して引用しておうたので、ぜひ参照していただければと思う。「第2章 「引き出しの増やし方②-徹底的に観察する」の「4. 観察する際の視点のあり方」で、佐野眞一氏の本から宮本常一の『民俗学の旅』に記された10か条の人生訓を引用している(→ P.97~100)。



PS 日銀総裁としての渋沢敬三

『歴代日本銀行総裁論-日本金融政策史の研究-』(吉野俊彦、講談社学術文庫、2014 単行本初版 1957)には、第16日銀総裁を歴任した渋沢敬三氏についての記述もある。
   
文人肌で森鷗外についての研究も遺した吉野俊彦氏は、森鷗外と同様に「二足のわらじ」を履いていた日銀調査部長。同じく公人としての務めを果たしながら、学問でも業績を残した渋沢敬三氏への共感を感じることができる内容である。



<関連サイト>

渋沢敬三アーカイブ-生涯、著作、資料- (渋沢敬三記念事業 公式サイト)
・・情報量多し 必見

特別展「渋沢敬三記念事業 屋根裏部屋の博物館 Attic Museum」 (2013年9月9日~12月3日)
・・「みんぱくは屋根裏部屋からはじまった」(キャッチフレーズ)


<ブログ内関連記事>

書評 『日本の血脈』(石井妙子、文春文庫、2013)-「血脈」には明治維新以来の日本近代史が凝縮
・・渋沢家の血脈以外の事例を知るための好著
明治維新以来の日本近現代史が凝縮した本書は、ファミリー・ヒストリー(=家族史)という教科書ではない歴史書

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・ドイツ北部ハンブルクの銀行家の家に生まれたアビ・ワールブルクは、家督を弟に譲り美術史家として生きる道を選択した

「長靴をはいた猫」 は 「ナンバー2」なのだった!-シャルル・ペローの 「大人の童話」 の一つの読み方
・・渋沢家の一員であった澁澤龍彦訳の『長靴をはいたネコ』



■渋沢栄一が選択しなかった「世襲」という選択肢

書評 『富の王国 ロスチャイルド』(池内 紀、東洋経済新報社、2008)-エッセイストでドイツ文学者による『物語 ロスチャイルド家の歴史』

「世襲」という 「事業承継」 はけっして容易ではない-それは「権力」をめぐる「覚悟」と「納得」と「信頼」の問題だ!


■「殿様生物学」

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)
・・「このように、「みんぱく」のコレクションには、土方久功や、実業家で民俗学者であった渋沢敬三などの個人が収集したコレクションを土台に、大阪万博の際に太陽の塔のなかで展示するために世界各地から収集したコレクションが展示されている」

本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000)-ニワトリはいつ、どこで家禽(かきん=家畜化された鳥類)になったのか?


■渋沢敬三のパトロネージ

書評 『梅棹忠夫-未知への限りない情熱-』(藍野裕之、山と渓谷社、2011) -登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝
・・「とくに忘れてはならないのは、パトロンとしての渋沢敬三の存在である。敗戦後に日銀総裁を務めた渋沢敬三は渋沢栄一の孫であり経済人であったが、私財を投じて民族学と民俗学の発展に尽くしただけでなく本人もまたすぐれた学者であった。渋沢敬三が蒐集した民具のコレクションがみんぱくのコレクションの一部として引き継がれたことは知っておきたいことだ」

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)


■佐野眞一氏のノンフィクション

書評 『私の体験的ノンフィクション術』(佐野眞一、集英社新書、2001)-著者自身による作品解説とノンフィクションのつくり方

書評 『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一、小学館、2012) -孫正義という「異能の経営者」がどういう環境から出てきたのかに迫る大河ドラマ

書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!

書評 『沖縄戦いまだ終わらず』(佐野眞一、集英社文庫、2015)-「沖縄戦終結」から70年。だが、沖縄にとって「戦後70年」といえるのか?

(2014年12月27日、2015年8月22日 情報追加)


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