インドカ "レ" ーではなく、インドカ "リ" ーである。これが新宿中村屋のこだわりだ。
東京は新宿に本店のある中村屋は、レトルトでも「インドカリー」を販売しているが、「インドカリー」のパッケージにはこう書いてある(・・引用は下記の写真とは別のパッケージから)。
日本のカリー文化はここから誕生しました。インド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースが日本への亡命を手助けした創業者夫妻に心を込めてふるまった祖国のカリー。その感動が中村屋「純印度式カリー」の始まり。昭和2年から・・・
インド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースは、おなじくベンガル出身者だが、現在の日本でも知名度の高いチャンドラ・ボースとは別人である。
ラス・ビハリ・ボースについては、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(中島 岳志、白水社、2005)という本がある。「中村屋のボース」といえば、この人のことだ。
この本は出版しされてすぐに読んでいる。面白い本だ。第1次世界大戦当時は同盟国であった英国からの追求をかわし、義侠心からかくまったのが頭山満であり、ひょんなことからその後を引き受けたのが中村屋の創業者夫妻であった。
その中村屋の創業者夫妻は、それぞれ回想録を残している。『一商人として 所信 と 体験』(相馬愛蔵、1938)と『黙移 相馬黒光自伝』(相馬黒光、1936)がそれだ。
信州出身の愛蔵(1870~1954)と仙台出身の黒光(こっこう。本名は良 1876~1955)は、キリスト教を縁に結婚している。
『一商人として』は青空文庫化されているので無料で読める。 amazonでは縦書きで読めるのはありがたい。もちろん無料だ。
日本語の Kindle本は、電車での移動中にスマホでちょっとづつ読む。まったくのシロウトが始めた学生向けのパン屋から始まった、創業者自身による創業物語として面白い。
『一商人として』は最近読み終えたので、『黙移 相馬黒光自伝』を読むことに。こちらは平凡社ライブラリーに1999年に収録されている。
それにしても、平凡社ライブラリー版が出版され、すぐに購入してから25年もたってしまった。読もう読もうと思って四半世紀。
ようやく読み終えたが、中村屋の創業者夫妻、ことにその妻であった「アンビシャス・ガール」相馬黒光の個性の強さと振幅の大きさ、その複雑な性格、多彩な交友関係には圧倒されるものがある。「人名索引」がないのが残念なくらいだ。
「負け組」となった仙台藩の士族の娘として生まれ、漢学者の孫であった相馬黒光(旧制は星良子)は、その経歴は社会主義者であった山川菊栄に似ている。後者は、水戸藩の儒者の孫娘である。
そんな相馬黒光であるが、明治時代の負け組士族の多くがそうであったように「英語・アメリカ・キリスト教」の洗礼を受けている。明治女学院では、北村透谷の教えを直接受けたわけではないが、 透谷の「内部生命」という概念が内面化されているようだ。
そんな人が、苦労に充ち満ちた創業体験や、子育て、そして自身の大病などの人生経験を積んだのち、最後の最後は10年間の「静坐」体験を経て仏教に帰依するに至るのである。
まさに、明治維新後の日本人の精神風景をそのまま体現したような生涯であったといえようか。
『一商人として』(相馬愛蔵)は、創業者自身による創業物語として面白い。一方、『黙移』(相馬黒光)のほうは創業物語の側面は小さく、それ以外の明治初期の文学史やボース亡命の話などが面白い。
両者をあわせて読むと、新宿中村屋の創業当時から昭和初期までの状況がよく深く理解できるだけでなく、長年にわたる中村屋の「インドカリー」のファンとして、さらなる充足感を感じのである。
目 次
◆『一商人として』(相馬愛蔵)
本郷における創業時代
新宿中村屋として
若き人々へ 別記
主婦の言葉(相馬黒光)
◆『黙移』(相馬黒光)
出郷
『女学雑誌』と『文学界』
明治女学校
国木田独歩と信子
一転機
印度志士ボース
続篇
静座十年
白系ロシヤの人々
発願
半生を顧みて
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・・玄洋社の頭山満と相馬愛蔵・黒光夫妻の関係から、亡命インド人のラス・ビハリ・ボースをかくまうことになった
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