「東京湾ベイエリアの東側」である千葉県北西部の住民であるわたしは、「東京湾ベイエリア西側」の神奈川県にいくことはあまりない。土地勘もあまりない。
「東京湾ベイエリア西側」は、なんかの機会でもなければ行くことがないので、どうしても未踏の地が多くなってしまう。
そこで、効率的にまとめて何カ所かまとめて、大田区の大森地区から横浜まで、日帰り小旅行という形で踏査することにした。昨日(2025年4月18日)のことだ。
まずは、大森地区では「鈴ヶ森刑場跡」、そして「大森貝塚」と「品川区立品川歴史館」を訪問、その足で懸案だった東急多摩川線沿線の「白洋舍ミュージアム」を訪問し、さらに横浜に移動して「海外移住資料館」と「海上保安庁資料館」をそれぞれ再訪した。時間の関係で「三菱みなとみらい技術館」は断念した。
■大森駅で下車して「鈴ヶ森刑場跡」へ
JR大森駅で下車したのは、じつは今回がはじめて。駅から東京湾方面に歩いて「鈴ヶ森刑場跡」へ。江戸時代のお仕置き場(=刑場)の跡だ。
江戸の北側はずれにあった刑場で、新吉原にも近い南千住の「小塚原」(こつかっぱら)はずいぶん昔にはじめて訪れて以来、何度か訪れている。『解体新書』につながる腑分け(=解剖)が行われたことでも有名だ。
だが、江戸の南側にあった「鈴ヶ森」(すずはもり)は今回がはじめてになる。
千住宿は日光街道と奥州街道の入口、大森の鈴ヶ森に近い品川宿は東海道の入口。つまり江戸の境界であり、刑場は江戸の辺境の南北に設けられていたわけだ。
一般的には後者の鈴ヶ森のほうが有名だろう。ようやくこれで長年の課題が解決したことになる。
■鈴ヶ森刑場は小塚原刑場と違ってこじんまりとしている
鈴ヶ森では、有名どころでは火炙りの刑に処された八百屋お七などがいる。恋人に会いたい一心で放火した女性である。17世紀の江戸に生きた実在の人物であるが、ほとんどレジェンド化しているような存在だ。
(八百屋お七 月岡芳年画 Wikipediaより)
明治維新後になってからは廃止されたが、ここで火炙りや磔(はりつけ)、水磔などさまざまな手段で処刑された人びとはかなりの数にのぼるようだ。
さまざまな理由はあろうが、人為的に命を奪われた人びとであることには違いはない。処刑された霊をなぐさめるために合掌。この地には日蓮宗の仏教寺院がある。
鈴ヶ森の刑場跡を訪れたあとは、ふたたび大森駅方向に向かって歩いて大森貝塚へと向かう。➡ https://e-satoken.blogspot.com/2025/04/22025418.html
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