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2013年11月23日土曜日

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える


熊本の地で長年にわたって思索をつづけてきた在野の思想家・渡辺京二氏の最新刊である。基本的に講演録であるので、やわらかい語り口のためとっつきやすいだろう。

本書には5つの講演録が収録されている。熊本大学の客員教授として行われた「近代」の功罪を論じた講演3つ、熊本県立美術館で行われた講演1つ、そして横浜で行われた大佛次郎(おさらぎ・じろう)賞記念講演。

テーマは、「近代とは何であったか?」という問いについての考察である。

だが、「近代の呪い」というタイトルはややミスリーディングではないだろうか。著者はみずからの「リベラル」としての原点は維持しつつも、「近代」については功罪両面について論じているからだ。それが「子どもとしての理想」はもちつつも、現実に責任をもつ「大人としての態度」というものだろう。

いま現在の日本に生きる日本人として「近代」の成果を受け入れたうえで、その問題点について考察し、今後の人類社会を展望するための思考のヒントを得る。そういったスタンスが根本にある。

以下、感想を交えながら本書が提起する問題を考えてみたい。


「近代」の功罪-成果と問題の両面をみることが重要だ

「近代」とはなにをさしているか? この問いについては第1話によくまとまっているので、まずそれから読んでいただくのがいいだろう。「近代」の定義がはっきりしないために、無意味な議論が世の中にはまだまだ散見されるからだ。

基本的に16世紀以降の約500年が「近代」であったことは、わたしがこのブログでもさんざん書いてきたことだ。ただし、議論を明確にするためには「前期近代」(=アーリーモダン)と狭義の「近代」(=モダン)に区分したほうがいい。日本史の時代区分である「近世」は世界史でいう「前期近代」に該当し、「近現代」は「後期近代」およびその後に該当するからだ。狭義の「近代」はフランス革命以降の歴史である。以下、狭義の意味で「近代」をつかう。

「近代」が、ロシアも含む非西欧諸国においては「近代化=西洋化」であったこと、しかも近代がはじまった西洋ですら、近代化以前と近代化以後とでは異なる存在に変容していることが第2話で語られる。

非西洋諸国における「近代化=西洋化」とは、いわゆる「西洋の衝撃」(Western Impact)のことであるが、西洋文明という「特殊」が全地球レベルで「普遍」として「平均化」をもたらしたことが著者の論点である。これはわれわれ自身が日本人としての経験してきたことである。いまはその意味もわからなくなってしまっているが。

「西欧という特殊」を通じて「普遍」が創造されたのが近代であったわけだが、イスラーム圏もふくめて西欧文明が「普遍」として浸透しつつあることは誰にも否定できないことだ。テロリスト集団のアルカーイダもインターネットを駆使していることからもそれは明らかだ。ただし、どこまで「普遍」として受け入れたかは、パーセプションとして異なるものはあろう。

第2話で大事なことは、「近代」の功罪のうち「功」についてキチンと語っていることだ。

「近代化」によって人類が飢餓から解放されたという否定できない事実を著者は指摘している。現在の「飽食日本」からは想像もつかないが、日本人が安心して喰えるようになったのは、高度成長期を待たねばならなかったことを忘れてはならない。

ただし、第4話でも語られるように、「喰える」という水準が100年前に比べたらはるかに上がってしまっている。マズローの欲求段階説ではないが、「喰える」ことが保障されれば、欲求段階が上がって行くのは先進諸国に共通することだ。

だからこそ、グローバリズムが進展すればするほど国家(ステート)の役割が増大するというパラドックスにつながっている。国民に対して最低限の安心・安全を供給する役割が国家に課されてる以上、国民国家は国家間競争を勝ち抜いていかねばならないからだ。


「呪い」よりも「コスト」(=犠牲)と考えてみるべきではないか?

第4話の「近代の呪い」において著者は、近代がもたらした「進歩」の帰結として、われわれが失ったものは何か、いったい何に呪縛されるようになったのかについて思索を展開している。

「近代」は「進歩」をもたらしてきたが、それ自体がパラドックスをはらんだ存在である。世の中に存在するものでメリットしか存在しないものはない。メリットにはかならずデメリットがついて回るものだ。

「近代」の成果についても、便益とコストの両面から見た方がいいと思う。ここで「便益とコスト」という表現をつかったのは、わたしがビジネスマンだからだが、英語でいう cost-benefit analysis という表現にもとづいたものだ。

「近代化=経済化」した世界のなかでは、「専門家=実務型知識人」としての立ち位置が現代に生きる多くの人の立ち位置でもあるが、わたしの場合はビジネスマンとしてのそれが立ち位置である。

「便益」(ベネフィット)については、著者の渡辺京二氏がこの講演録のなかで何度か強調しているように、なんといっても人類が「喰えるようになった」ことにある。言い換えれば、人類の半分は飢餓から解放されたということだ。日本についてのみ話を限っても、日本人が食うために移民として海外に出なくて済むよになったのは1960年代の高度成長のおかげである。

「コスト」という表現は、経済的な意味だけではない。一般に経済合理的な観点から計量可能な数値をさしてコストということが多い。この場合のコストとは「費用」という意味である。だが、コストにはもう一つ意味がある。それは「犠牲」や「代償」という意味だ。

著者の渡辺京二氏は「近代の呪い」という表現をつかっているが、前近代社会にあった自立的で自律性の高い中間団体としてのコミュニティが崩壊し、人間を個々バラバラにすることによって成立する近代がもたらした「犠牲」や「代償」が、無意識レベルでわれわれを「呪い」として呪縛していると考えるべきなのだろう。これが現代人の生きにくさを生んでいるのは誰も否定できない。

ただ「呪い」といってしまうと、なんだか怨念のようで、むしろフツーの人たちはそこを避けてしまおうとするのではないか? むしろ、近代の「負の側面」にしっかりと向き合うというような表現でことに臨んだほうが、より積極的で生産的ではないかと思う。

現在のグローバリゼーションの波は最後のものとなるかもしれないと著者は語っている。実際問題、地球環境の限界を考えればすでにフロンティアは残り少なくなっており、わたしもその考えには同意する。

もしそうであるならば、なおさらわれわれは「近代」の負の側面には、しっかりと向き合わねばならないのである。これからの日本人があらたな道を切り拓いていくには、そこから出発するしかないだろう。それこそがフロンティアであると考えるべきなのだ。

そしてそのカギは、われわれ自身のもつローカル性にある。だからこそ、前近代を振り返ってみる必要がある。それはノスタルジーといった観点からではない。発想の源泉としてみずからを掘り下げてみるということだ。

渡辺京二氏といえば、ロングセラーとなった『逝きし世の面影』(葦書房、1998 現在は平凡社ライブラリー、2005)で知られている。わたしは初版の単行本を買ってもっているが、まだ全編とおして読んだわけではない。だが、この本が多くの日本人の江戸時代観を変えるのに大きな役割を果たしていることにはおおいに感謝している。

『逝きし世の面影』で描かれた世界は、その当時の日本人を西洋人が残したリアルタイムの記録をのとおして描いたものであるが、すでに失われた世界をノスタルジックに語っても意味はないのである。世の中はつねに変化の相のもとにあり、今後もさらに変化のスピードは加速していく。おそらく30年後から振り返れば、2013年もまた理解不能な時代になっているはずだ。

近代の「負の側面」をいかに解消していくかが今後に生きるわわれれの課題であり、そのためにみずからの過去を知ることに意味がある。実際には選択肢から排除されたが、ありえたかもしれないオルタナティブな可能性を考慮に入れることはけっしてムダなことではない


フランス革命そのものよりもナポレオン戦争が「近代」のカギであった

わたしが編集者なら、講演の順番どおりではなく、「第3話」のフランス革命は「つけたり」とあわせて、第Ⅱ部としたほうがよいのではないかと思う。その他の講演とは内容がやや離れるからだ。

「つけたり」の内容は、「近代」の起源とされることの多いフランス革命とそれ以後のフランスについて作家・大佛次郎(おさらぎ・じろう)の作品に則して横浜で語った講演である。

「第3話」ではフランス革命についての再考がなされる。ソ連崩壊後、さすがにロシア革命も、その原点とされるフランス革命も手放しで礼賛するいわゆる「進歩派」は消えていった結果、いまではフランス革命が話題になることは『ベルばら』以外ほとんどない状況だが、困ったことに一般人のフランス革命理解が「進歩派」が撒き散らした旧態依然としたものであることを著者は憂いている。

フランス革命をきっかけに近代(・・正確にいえば後期近代)がはじまるのだが、フランス革命自体はけっして近代そのものではなく、ロベスピエールに代表される「理性信仰」ともいうべき宗教であったこと、近代にとってはるかに大きな意味をもつのは国民軍の創設とナポレオン戦争のインパクトである。

国民軍の創設とは、中間団体が破壊されバラバラになったアトム的個人をまとめる求心力がそこにつくられたということだ。ここにおいて民族=国家、すなわちネーション・ステートなるあらたな形態が誕生する。フランス革命の意味とはここにあったのだ。けっして「進歩派」が主張したようなブルジョワ革命ではなかったことは、その後の英仏の経済格差と覇権国がいずれにあったかを見れば明らかなことだ。

「進歩派」歴史観の悪しき残滓(ざんし)は、まだまだ日本国民の考えに痕跡を残している。この痕跡は一日も早く一掃しなくてはならない。


「思想家・渡辺京二」入門として読む

本書を通読して思うのは、さすがに80年以上の年月を生きてきて、しかもそれ自体が「世間」である「学会」という世界ではなく、民衆のなかという「在野」の立場で根源的(ラディカル)な思索をつづけてきた人ならではのものがあるということである。

渡辺京二氏の長年の思索のすえにたどりついたこの視点は、多くの人に共有してもらいたいと思う。「入門書」であってかつエッセンスのつまった一冊をぜひみなさんにも読んでいただいたいと思う次第だ。





目 次

第1話 近代の国民国家-自立的民衆世界が消えた
第2話 西洋化としての近代-岡倉天心は正しかったか
第3話 フランス革命再考-近代の幕はあがったのか
第4話 近代のふたつの呪い-近代とは何だったのか
つけたり 大佛次郎ふたつの魂
あとがき

著者プロフィール

渡辺京二(わたなべ・きょうじ)
1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校(熊本)文科を経て、法政大学社会学部卒業。評論家。河合文化教育研究所主任研究員。熊本市在住。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞受賞、ちくま学芸文庫)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞受賞、平凡社ライブラリー)、『黒船前夜』(大佛次郎賞受賞、洋泉社)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






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(2014年3月21日 情報追加)





(2012年7月3日発売の拙著です)





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