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2014年7月24日木曜日

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡

(18世紀フランスの版画家G・ダゴティによる彩色解剖図)

猟奇はめぐるよ、どこまでも、といった趣(おもむき)の内容である。

フランスを中心に、イタリアやその他周辺諸国にもときおり足を伸ばしながらめぐる猟奇の旅。

いわゆる「猟奇博物館」をつぶさに歩き回った著者のうんちくが、ディテールにこだわりペダンティックなものでありながら、おどろおどろしさとは裏腹の軽妙な文章で、これでもか、これでもか、と連想が連想を呼び、次から次へと止まることなくどこまでも続いてゆく。読み始めたら途中で読み終えるのが難しい。

「猟奇」という二文字に惹かれて読み始めた読者は、「猟奇」という割にちょっとペダンティック過ぎるなと思いながらも、知の案内人たる著者に導かれて、猟奇の旅を経巡ってしまうことになる。だんだんとジェットコースターのように加速が入ってくるからだ。それが「近代」というものだ。

副題には「西洋近代の暗部をめぐる旅」、とある。「西洋近代」そして「暗部」。この文言もまたそそるものがある。

「近代知」とは、一言で言ってしまえば「視覚による欲望を合理化」したものだが、その上澄みの近代科学精神は、目に見える部分はじつは氷山の一角で、その下部には膨大な暗部を抱えていることが、著者の案内で猟奇博物館とその展示品をつぶさに眺めていくと了解されるのである。

猟奇博物館に展示されているものは、解剖図、解剖蝋模型、デカルトの頭蓋骨、腐敗屍体像、カタコンベ、奇形標本などだ。聖者信仰や心臓信仰にもさかのぼる、日本人には理解しがたい西欧人の無意識が反映した文化の所産なのである。中世以来の「メメント・モリ」(Memento mori)や旧約聖書の「伝道の書」のフレーズ「空の空なるかな」(Vanitas vanitatum)を体現したオブジェなのである。

猟奇博物館に渦巻いているのは、視線、欲望、好奇心、探求心、情熱、執着などである。これらはみな一筋縄でいかないものであることは、近代科学精神のもとにおいても、マッドサイエンティストがときどき登場することからも容易に理解できるだろう。好奇心といっても知的なものから下世話なものまで幅広いし、欲望にかんしてはあえて言うまでもない。

重要なのは「視線」である。バロックが視線の方向性をフルに活用した視覚芸術であるように、「近代」とはなによりも「視線の時代」なのである。

猟奇博物館は、近代医学に脱皮する以前の解剖学と、見せ物としてのアートとのはざまというか、その両者が未分離の状態というか、際どいところに存在するミュージアムなのだ。そもそも、ミュージアムは博物館という性格と美術館という性格をあわせもっている。

このように見ていくと、西欧文明は、膨大な西欧文化の海に浮かぶ氷山の一角、蒸留された上澄みであることが実感されるはずだ。猟奇博物館に保管されているオブジェは、19世紀以降の近代科学が斬り捨ててきた痕跡である。だが、これらの痕跡が完全に近代科学から払拭されているとは言い切れまい。

バロックが生まれたのはカトリック世界だが、革命前のフランスもまたカトリック世界であったことを想起しておくべきだろう。西欧のなかでも自由貿易の英国とならんで革命後のフランスが最先進地帯となったのだが、現在の「スカーフ問題」に端的にみられるように、共和制フランスは「聖俗分離」原則を徹底させていることは周知のとおり。

しかしながら、フランス革命もその渦中においては、さまざまな猟奇的副産物(!)を生み出していることに留意しなくてはならない。蝋人形館で有名なマダム・タッソーは、マリー・アントワネットをはじめギロチンで斬首された人々の血のしたたる生首から、蝋(ワックス)で型どりして蝋人形をつくっていた女性なのである!

猟奇的なテーマといえば、1960年代から1970年代にかけて活躍した澁澤龍彦のエッセーがあるが、本書は専門が哲学畑の人だけに、猟奇を単なる猟奇に終わらせない指向性というものを感じさせる。著者は、ソシュール言語学やメルロ=ポンティの哲学を研究してきた人だ。

この本で紹介された猟期博物館をすべて回るなど、常人にはとても不可能だろうが、他の書籍で取り扱われている猟奇博物館のくわしい背景を知るには、じつに重宝する参考書にもなっている。とにかく疑問に思ったことは万難を排しても調べ尽くすという著者の執着心と情熱には感心するばかりだ。

著者の情熱的な執着心はまた、猟奇博物館の展示品を作成したアーチストや解剖医や科学者たちにもつうじるものがあるといってよいだろうか。膨大な量の固有名詞が登場するが(・・索引がないのは残念)、それに怖じ気づくことなく、とにかく最初のページから読み始めてみることだ。

あまりにも面白いので、読み出したら止まらないはずだ。





目 次

 序
 ファインアーツと奇形の胎児 フランス国立自然史博物館
 見世物小屋とフリーク・ショー 「つやま自然のふしぎ館」から「ピクルド・パンク」へ
 視覚の迷宮から人魚まで 展覧会「むかしむかし、見世物小屋があったとさ」
 「パノラマ」と猟奇的視覚 ぬくぬくとした場所でカタストロフィーを眺める
 解剖学ヴィーナス スピッツネル博士の大解剖学博物館
 眠れるヴィーナス ベルギー画家ポール・デルヴォーのトラウマ
 フィレンツェの街から消える美少女たち スペコラ博物館とクレメンテ・スジーニ
 スジーニの後継者たち カレンツォーリ、カラマイ、そのジェンダー的視点
 崩壊する人体のパノラマ ガエターノ・ズンボと『死の劇場』
 ズンボの礼賛者たち サド侯爵、ゴンクール兄弟、メルヴィル、ホーソン
 「ヴァニタス」から「腐敗屍体像」まで メメント・モリ(死を想え)の伝統
 日本の「腐敗屍体像」 小野小町の九相図
 腐らない聖人の遺体 カトリーヌ・ラブレと聖ヴァンサン・ド・ポール
 ルルドより遠く離れて 聖ベルナデッタの美わしき遺体
 聖遺物崇敬の楽屋裏 トマス・アクィナス、アンセルムス、リンカーン司教ヒュー
 デカルトのちっぽけな頭蓋骨 哲学者の聖遺物
 パスカルのデスマスクとベンサムの首 繊細の精神とパノプティコン
 シチリア島の休日 骸骨寺とカプチン会のカタコンべ
 止まれ! ここは死の帝国だ。 パリのカタコンブと聖イノサン墓地
 髑髏のシャンデリア セドレツの納骨堂
 解剖学の父 アンドレアス・ヴェサリウス ヴェサリウスとペトリュス・ボレルのブラック・ユーモア
 解剖図、その内臓的な恐怖と華麗 ヴェサリウス、アルビヌス、ゴーティエ・ダゴティ
 二つの不思議な人体標本 ライモンド・ディ・サングロの「悪魔との契約」
 人骨と臓器のアレンジメント フレデリク・ライスの解剖学博物館
 フラゴナールの従弟 『黙示録の騎士』からロジェ・グルニエのキマイラ的想像力へ
 フランス革命裏話(一) フラゴナール、ダヴィッド、そしてタッソー夫人
 フランス革命裏話(二) グレヴァン蠟人形館とシャルロット・コルデーの首
 聖人の涙が隠すグロテスクな内面の恐怖 エコール・ド・サンテとパンソンの蠟模型
 知られざるパンソンの伝記 フリーメーソンとパレ=ロワイヤルの「驚異の陳列室」
 エフィシオ・マリーニと奇怪な人体テーブル パリ医学史博物館
 奇形と病理の魔界 デュピュイトラン博物館
 悪魔と天使のはざまに生きた男 ギョーム・デュピュイトラン
 パリ大学第三の「魔界」 デルマス=オルフィラ=ルヴィエール博物館
 イタリアの巨匠を越える男と二つの首 ジャン=バチスト・ローモニエ
 解剖学教室の見える家 ルーアン市立病院とプローベールの父
 「恐るべき子供」から大作家へ ギュスターヴ・フロベール
 サミング・アップ─死と誕生とのはざまで 出産模型と「世界の起源」
 あとがき
 参考文献


著者プロフィール

加賀野井秀一(かがのい・しゅういち)
1950年、高知市生まれ。中央大学文学部仏文科卒業。同大学大学院博士前期課程修了後、パリ第8大学大学院に学ぶ。現在、中央大学理工学部教授。専門は、哲学、言語学、フランス文学、日本語論、メディア論。主要著書に、『メルロ=ポンティ 触発する思想』(白水社)、『メルロ=ポンティと言語』(世界書院)、『知の教科書 ソシュール』(講談社メチエ)、『20世紀言語学入門』『日本語の復権』(共に講談社現代新書)、『日本語は進化する』(NHKブックス)、『日本語を叱る!』(ちくま新書)ほか。主要訳書に、メルロ=ポンティ『知覚の本性』『フッサール「幾何学の起源」講義』(共に法政大学出版局)、ドゥルーズ『哲学の教科書 ドゥルーズ初期』(河出文庫)、ミシュレ『海』(藤原書店)、ルピション『極限への航海』(岩波書店)などがある。(出版社サイトより)


<ブログ内関連記事>

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
・・ラ・スペコラの「解体されたヴィーナス」などをカラーで収録した写真集

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録
・・心臓信仰などの実態に解剖学者が迫る

書評 『骸骨考-イタリア・ポルトガル・フランスを歩く-』(養老孟司、新潮社、2016)-欧州ラテン系諸国の「骸骨寺」めぐり

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡
・・16世紀から18世紀にかけての初期近代(=近世)ヨーロッパの知られざる世界

Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)-「3-11」から 49日目に記す

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ
・・イエズス会の保護者でもあったカトリックの牙城ハプスブルク家出身のマリー・アントワネット

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・「(ヨーロッパでは)「紳士にとって旋盤を回すことは、婦人にとっての刺繍のようなもので、18世紀の終わりまで趣味として人気を保っていた」(第5章)」ことを同時にアタマのなかにいれておくとよい


日本の猟奇

「旧江戸川乱歩邸」にいってみた(2013年6月12日)-「幻影城」という名の「土蔵=書庫」という小宇宙
・・「猟奇」といえば江戸川乱歩!

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い
・・猟奇的なエピソードが満載な『近世怪人伝』

・・「即身仏」は死んでから遺体処理を施されたのではないので「ミイラ仏」ではないこと、死後も内蔵は取り出さないので腐敗を防ぐため五穀断ち(・・コメなどの穀物を食べず、木の実や草の根などだけ食べる苦行)をしていたこと、腐敗防止のためさらに漆(うるし)を飲んでいたことが語られた。うるしは手はかぶれるが、クチビルはかぶれないそうだ。 こういう修行を千日なり二千日行った上で、土中入定(どちゅうにゅうじょう)し、竹筒からの空気と持ち込んだ水だけで過ごし、ひたすらお経を読みながら入滅を待つのである」  解剖を行わなかった時代の日本の猟奇

(2014年8月25日、2017年5月24日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)










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