ヴンダーカンマー(Wunderkammer)とは、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで盛んに作られた博物館の元祖的存在のこと。ヴンダーなカンマー(=部屋)という意味だ。
ドイツ語の Wunder(=ヴンダー) とは英語の Wonder(=ワンダー)のこと。自然科学精神の根本には「センス・オブ・ワンダー」(sense of wonder)があるとよく言われるが、もちろんこのヴンダーカンマーもまた当時の王侯貴族たちの「センス・オブ・ワンダー」に充ち満ちているのである。まさにヴンダバール!(wunderbar != wonderful !)。
日本では一般的に、「不思議の部屋」とか「驚異の部屋」と訳されている。、好奇心の対象がごった煮になって詰め込まれた部屋のことだ。大人のおもちゃ箱というべきか。17世紀の王侯貴族たちは一人で楽しむだけでなく、来客者を驚かせて楽しんでいたらしい。
ヴンダーカンマーにあるのは、美術品や貴重品だけでなく、科学からガラクタまで、いわゆる珍奇なオブジェのオンパレードである。天球儀のある部屋に、ウミガメの甲羅にハリセンボン、ワニが天井からぶら下がっていたり、人魚の剥製、一角獣などなど。
わたしがコピーライターなら、「わけわからんのが面白い!」なんてコピーをつけてあげたい(笑) どこかで耳にしたような気もしますが・・。「わけわからん」とは、つまるところ分類基準が「近代人」にはよくわからないということ。というよりも、ほとんど理解不能である。
だが、このごった煮のわけのわからん空間は、一つの世界観、あるいは宇宙観といったものを表現した部屋であったのだ。ルネサンス的な万能主義。一切智。大航海時代以降のエキゾチズム礼賛。
それは、子どもが自分の世界を狭い空間のなかに表現するのと同じことだ。理路整然と整理された空間ではなく、すべてが未分離の、分節化されていない混沌としたカオス的空間。そしてそこからなにかが生まれてくるかもしれない予感。
ヴンダーカンマーがどんなものだったかについては、 Google で Wunderkammer とそのままドイツ語で画像検索してみてほしい。じつに多種多様な実例をみることができるはずだ。
ヴンダーカンマーに渦巻いているのは、子どものような「好奇心」とコレクションへの「情熱」である。自分にとって関心のあるものをとにかく集める。これは人間の本性に基づくものだ。わたしなら、雑学を「見える化」したものがヴンダーカマーだと表現したい。
わたしは小学生の頃から家でも学校でも、「机の上が整理されていないヤツはアタマが悪い!」といわれ続けてきたが、いまでも机上はぐちゃぐちゃだ。そんな人も少なくないと思うが、気にすることなかれ! 雑学人間にとって、ヴンダーカンマーはまさにヴンダバールな世界である。
日本にも、そんなヴンダーカンマーの最後のきらめきが痕跡として残されていることをご存じだろうか。東京丸の内の JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテクに足を伸ばしてみるといい。東京大学総合研究博物館の分館だ。
ヴンダーカンマー時代の痕跡が、19世紀の後半に設立された東京帝大にはほこりをかぶったまま残されていたのだ。日本は、ギリギリでこの時代に間に合って、ほんとによかったと思う。
すでにヴンダーカンマーの時代が終わった19世紀の後半に本格的に西欧の学門を導入開始した日本だが、ベースには江戸時代以来の収集癖があったというべきだろう。これは国立歴史民俗博物館にいけばその概略は知ることができる。西欧と似たような精神構造が好奇心のつよい日本人にも存在したのだ。
そもそもミュージアムというのは、博物館とも美術館とも訳されているが、その双方を兼ね備えたものであったのだ。だが、日本は近代化にあたって、すでに分離してしまった博物館と美術館をそれぞれ別個の存在として導入したため、それ以前の姿を知らないのが残念なことなのだ。
ヴンダーカンマーは、だから元祖ミュージアムなのである。17世紀か18世紀にかけての西欧は、日本人の認識の空白地帯となってしまっているため、なかなかその意味に気がつきにくいのだが・・・。
本書『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』(小宮正安、集英社新書ヴィジュアル版、2007)はカラー図版が満載の見て楽しい、読んでためになる一冊だ。ヴンダカンマー巡りで知られざる世界を一気に駆け抜けよう。 楽しみてあれ!
(画像をクリック!)
目 次
現存する主なヴンダーカンマー関連施設地図
プロローグ
第1章 遊べ! ヴンダーカンマー
第2章 宇宙の調和を求めて
第3章 術のある部屋
第4章 ヴンダーカンマー縦横無尽
第5章 バロックの部屋にて
第6章 ヴンダーカンマーの黄昏
エピローグ
おわりに
参考文献
現存する主なヴンダーカンマー関連施設の所在地
著者プロフィール
小宮正安(こみや・まさやす)
1969年東京生まれ。横浜国立大学教育人間科学部准教授。東京大学大学院欧米系文化研究専攻博士課程満期単位取得。専門はドイツ文学、ヨーロッパ文化史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<ブログ内関連記事>
書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡
・・この本もぜひ。おなじく17世紀から18世紀にかけてのフランスを中心に
『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
・・この本もぜひ。おなじく17世紀から18世紀にかけてのイタリア
「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む
・・三十年戦争(1618~1648)という時代
書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・「(ヨーロッパでは)「紳士にとって旋盤を回すことは、婦人にとっての刺繍のようなもので、18世紀の終わりまで趣味として人気を保っていた」(第5章)」ことを同時にアタマのなかにいれておくとよい
「東京大学総合研究博物館小石川分館」と「小石川植物園」を散策(2009年7月12日)
・・かつて東京大学総合研究博物館小石川分館には 常設展示の「驚異の部屋 -The Chambers of Curiosities」 があった。現在は丸の内の・・・・ビルに移転。入場料無料の常設展示
国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①
・・日本のヴンダーカンマーの痕跡は、ばらされて国立歴史民俗学博物館に整理分類されている
世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる
・・日本のヴンダーカンマーの痕跡は、ばらされて国立歴史民俗学博物館に整理分類されている
世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)
end