「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 東南アジア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 東南アジア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年8月16日土曜日

書評『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社現代新書、2025)―「あの戦争」は日本近代史全体のなかに位置づけて考えることが必要

 

『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲、講談社現代新書、2025)という本を読んだ。面白い内容だった。この手の本は大量に出版されつづけているが、これは読むに値する本だ。  

「あの戦争」は何だったのかという問いは、現在に生きるわたしたちが「あの戦争」を全体としてどう位置づけたらいいのか、という問いである。 

「あの戦争」は、上皇陛下がつかわれたことで世の中に浸透している「先の大戦」と言い換えてもいい。近年の歴史学の世界でいう「アジア・太平洋戦争」のことである。アメリカ占領軍が強いてきた「太平洋戦争」は、「あの戦争」の一部しか表現していない。 

とはいえ、「アジア・太平洋戦争」では地理的な範囲がおぼろげながら示されるものの、時間軸という要素が示されないことが問題だ。「そもそもいつ始まったのか」という問いに応えていないからだ。 これが「第1章 あの戦争はいつ始まったのか」のテーマである。これは「あの戦争」の名称問題でもある。 

著者は結論として、「大東亜戦争」でいいだろう、としている。わたしも基本的に賛成だ。「大東亜戦争」ということによって、「あの戦争」の地理的空間も時間軸も明確になるからだ。イデオロギーとは関係のない名称としてつかうべきなのだ。 

歴史的事実としては、「あの戦争」は1937年の日中戦争に始まり、1941年12月8日の米英蘭への宣戦布告を経て、中国大陸から東南アジア、太平洋を主戦場とした。 1945年8月14日のポツダム宣言受諾に到り、日ソ戦争を経て9月2日に連合国に対する降伏文書に署名し、「あの戦争」が形式上は終結した。

「あの戦争」こと「大東亜戦争」は、中国大陸を主要な戦場として、1937年から8年間にわたってつづいた戦争なのである。いわゆる「太平洋戦争」は、英米アングロサクソンの経済領域である上海に、日本が手を突っ込んだことが導火線になったのである。 

上海を基盤としていたのが国民党の蒋介石であった。蒋介石の妻である宋美麗の米国における抗日プロパガンダを想起する必要がある。日本は満洲にとどめておけば、米英との戦争は回避できたかもしれない。だが、それはあくまでも「イフ」に過ぎないことは、十分に自覚しておかねばならない。



■現代人が現在視点で「あの戦争」を位置づけることが必要

本書は、現代という時代に生きる日本人が、現代的視点に立って、「あの戦争」を全体としてどう解釈し、どう位置づけるかという問いに対して答えようとした試みである。 

先にみた「いつ始まったか」の答えにもあるように、左右のイデオロギー対立とは関係のない、きわめて公平で健全な常識にもとづいたものだといえる。 

テーマ別の構成をとっている本書で、とくに読んでいて面白く、読むに値するのは「第2章 日本はどこで間違ったのか ――原因は「米英」か「護憲」か」である。ここでいう「護憲」の対象は「大日本帝国憲法」のことだ。お間違えなきよう。

「大日本帝国憲法」は、そもそも幕府的なものが発生しないよう、そのような意図をもってつくられた憲法であり、その結果、最終責任者が不明瞭という根本問題をうみだすことにつながってしまったのだ。首相には大臣の罷免権すらなかったのである! したがって、大臣職をいくつも兼任した東條英機首相も、独裁者とはほど遠い存在であった。 

著者は、さまざまな「イフ」を投げかけて、その時点での意思決定が絶対にただしかったわけでも、絶対に間違っていたわけでもないことを示している。凡庸な歴史家は「歴史にイフはない」とうそぶくが、歴史を題材にした思考訓練として「イフ」はきわめて有効だ。 

「大東亜共栄圏」というスローガンは、戦争が始まってから創られたものだが、戦時に強調された「八紘一宇」というフレーズに普遍的な「理念」があったのかどうかを検証している。「八紘一宇」とは、全世界を一つの家として統治するという理念を表現した、『日本書紀』に由来するフレーズである。 

第3章 日本に正義はなかったのか 」で理念を打ち出した日本側について検証し、「第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか」で、「理念」が適用された「大東亜」地域、すなわち他者である中国と東南アジア地域での「建国ミュージアム」のフィールドワーク記録を紹介している。 

「あの戦争」について、内向きの視点と外向きの視点でのギャップを感じることができたら、著者の試みは成功しているといっていいだろう。むしろ、「あの戦争」を経て建国するに到った、中国や東南アジア各国の「建国物語」への注目は、東アジアと東南アジアを考えるうえできわめて有益だ。戦争は相手あってこそ、戦争相手から見る必要があるだけでなく、 近代史は国際関係のなかで見る必要がある。

これは重要なことだが、著者が指摘するように、日本には国立の「戦争ミュージアム」がない。全国地に存在するさまざまな民間ミュージアムが補完的機能を果たしている。靖国神社の遊就館や、おなじく九段にある昭和館、空襲や原爆関連の施設、などである。

「第5章 あの戦争はいつ終わるのか」は、「戦後80年」を経てなお「終わっていない」、言い換えれば日本近代史において位置づけがいまだに確定していない「あの戦争」の評価にかかわる問いへの答えである。 ここでもさまざまな思考実験が行われている。



■イデオロギーに引きずられることなく公平にものを見る必要

在野の近代史研究者である著者の姿勢は、特定の思想や左右の極端なイデオロギーに引きずられることなく公平であり、きわめて健全であり、むしろ常識的すぎるといえるかもしれない。 

現代に生きる日本人が「昭和時代」、とくにその前半を象徴する「あの戦争」をどう解釈し、どう位置づけるか。本書はその問いを自分のものとして考えるための、よき手引きになっている。ぜひ読むことを薦めたい。 


(画像をクリック!)


 

目 次
はじめに 
第1章 あの戦争はいつはじまったのか ― 幕末までさかのぼるべき? 
第2章 日本はどこで間違ったのか ― 原因は「米英」か「護憲」か 
第3章 日本に正義はなかったのか ― 八紘一宇を読み替える 
第4章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか ― 忘れられた「東条外交」をたどる 
第5章 あの戦争はいつ「終わる」のか ― 小さく否定し大きく肯定する 
おわりに 
主要参考文献

著者プロフィール
辻田真佐憲(つじた・まさのり) 
1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<関連記事>

【戦後80年なぜ日本は「あの戦争」をしたのか】辻田真佐憲「歴史は65点で語ってOK」/なぜ語りにくいのか/被害者か加害者か/「大東亜戦争」か「太平洋戦争」か/「新しい戦前」に今できること(TBS CROSS DIG with Bloomberg)





<ブログ内関連記事>


・・大東亜戦争は、1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争が泥沼化したことから

・・大東亜戦争は1945年8月15日に終わったのではない


・・日本がタイに進駐していた3年半、この短い期間にあったことは?



(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2022年6月30日木曜日

高温多湿の日本の夏をしのぐには「竹夫人」が有効だ! ― 東南アジア発の「抱き枕」を導入しよう!

  

2022年の関東の梅雨明けは、なんと6月27日! 例年より3週間以上も早かった。

梅雨入りが早かったから、梅雨明けも早いというわけだが、6月末からすでに真夏日というのは想定外だったな。

というわけで、さっそく真夏をやり過ごす必須アイテムの「竹夫人」を引っ張り出してきた。

「竹夫人」と書いて「ちくふじん」と読む。かつてエアコンが存在しなかった時代の東南アジアでは当たり前に使われていたという「抱き枕」のことだ。

昨年(2021年)の夏も暑かったので、思い切って京都産の「竹夫人」を購入することにしたのだ。京都産の竹を編んでついくったメイド・イン・ジャパン製品である。




約2万円弱と高価ではあったが、すべて職人による手作りのハンドメイドなので、ある意味では当然といえよう。

製造販売しているのは、京都嵐山いしかわ竹乃店。製造販売元自身による商品説明を紹介しておこう。

サイズ:直径約17cm、長さ約85cm※手作り品です。サイズは目安としてお考え下さい。 
夏用の涼しい抱き枕です。竹を抱きやすい大きさに円筒形に編んでいます。ほどよくしなり、丈夫です。 竹の抱き枕は、体と布団の間に隙間ができるため、熱がこもらないという利点が! さらに、中が空洞になっているため、かいた汗も素早く蒸発して、涼しい夜を過ごすことができます♪ 暑苦しい夜には是非抱っこしてお眠り下さい。布団が必要以上に体に密着して暑苦しくならならない、冷房にたよらない先人の知恵。エコロジーですね。 [国産] 京都の竹を使用し、京都で作業しております。


「冷房にたよらない先人の知恵。エコロジー」である、と。まさにこの説明内容の通りであることは、実際にわたし自身が確認済みだ。その意味では、この買い物は成功であった。

実際、かなりの重量をかけても、竹がしなって壊れない。ただし、どこまで耐久性があるのかはわからない。ちなみに、わたしの体重は60kg+α(時期によって変動があるので)くらいだ。


■「ダッチワイフ」とは「竹夫人」のこと

さて、ここまで「竹夫人」について書いてきたが、「竹夫人」とは「ダッチワイフ」のことである!

高校時代には、父親から譲り受けた『岩波英和辞典 新版』(島村盛助/土居光知/田中菊雄編、岩波書店、1958)をつかっていたが、この辞書で Dutch wife を引くと、「竹夫人」という訳語がでてくる。

「ダッチワイフ」の説明があると思っていたら、はぐらかされたわけだ(笑) 

だが、そのおかげで「竹夫人」の存在を知った。「雑学知識」が増えたのである。高校生が使用する英和辞典には、Dutch wife はふつう掲載されていない。

Dutch で始まる成語は、17世紀の英蘭ライバル時代の名残りである。Dutch ではじまることばは、イングランド人の悪意に満ちたネガティブ表現である。

おなじく高校時代に go Dutch という慣用表現があることを知ったが、これは「割り勘」という意味だ。

(『岩波英和辞典 新版』(田中菊雄他、岩波書店、1958 に記載された Dutch wife)


割り勘が好きな日本人は、合理的な17世紀のオランダ人と似ているのかもしれない。ちなみに、アジアでも中国人や韓国人は割り勘をしないので、日本人はけちくさく奇異に見えるようだ。

さて、「竹夫人」の Dutch wife についてだが、オランダ植民地時代のインドネシア(=東インド)から来ているようだ。竹製品は、東南アジアでは一般的である。写真は、ラオスのルアンプラバーンにて撮影したよろずやの店頭風景である。




なぜ「竹夫人」が「ダッチワイフ」と表現されるようになったか、その理由は定かではないが、インドネシアを舞台に競争関係にあった17世紀のイングランド人がそう命名した可能性はある。

「アンボイナ事件」(1623年)でイングランドが敗退するまで、この海域では熾烈な競争が行われていた。オランダ側が起こしたこの事件では、日本人傭兵が巻き込まれてイングランド人とともに処刑されている。

「ダッチワイフ」を「セックスドール」を意味するとしているのは、どうやら日本だけのようだ。『南極一号伝説』(高月靖、バジリコ、2008)には、そんな話が書いてある。ちなみに「南極一号」というのは、日本の南極越冬隊が持参したとされているが・・。

英語の 「Dutch wife」 は「抱き枕」のことである。和製英語というわけではないが、おなじ英語表現でも日本独自の異なる意味が発生したのである。

「竹夫人」は、写真をみるとわかるとおり、セクシャルな要素は希薄である。





PS. 『岩波英和辞典 新版』(田中菊雄他、岩波書店、1958) に記載された Dutch wife のページのコピー画像をあらたに添付した。(2022年9月12日 記す)


<ブログ内関連記事>




■オランダ領東インドと日本

・・インドネシアの話しが満載


・・日本占領時代のジャワ捕虜収容所が舞台

書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
・・『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』の2年後に日本で翻訳出版された。ともに健忘症の日本人への警鐘と受け取りたい。重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず



(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2021年5月5日水曜日

書評『アジア血風録』(吉村剛史、MdN新書、2021)― いまどき珍しいくらいに熱いこの一冊で知るアジアの現在と濃密にからみあった過去

 

『アジア血風録』(吉村剛史、MdN新書、2021)が面白かった。 関西を中心に活動し、数々のスクープを飛ばしてきた元産経新聞記者でフリージャーナリストの手になる、日本とアジア各国の濃厚にからみあった過去と現在。 

カバーには「拘束・拷問体験記」とあるが、それは著者自身の体験談ではなく、体験談をスクープした記事の内容である。ただ、それが在日二世で親中華僑の体験談であるだけにショッキングなものかもしれない。中国共産党はどうやら「親中派」こそ裏切る可能性のある危険な存在とみているようなのだ。

興味深いのは、拷問のなかで日本駐在時代の外交官時代の王毅外相にかんして執拗に尋問されていることである。「知日派」の王毅外相がことさら日本に対して居丈高な態度をとるのは、日本在任時代の秘密を握られているからだという可能性が示唆されている。

この本の 1/3 は台湾がらみの話だが、日本人は台湾を知らなすぎると著者は言い切る。北京大学と台湾大学に留学し、産経新聞の台湾支局長を4年間務めた人だけに説得力がある。 

その原因の一端は、いわゆる「保守層」が強調してきた「親日的な台湾」イメージが一人歩きしているために、表面には現れてきにくい台湾と台湾の「機微」がわからないためだとする。元産経新聞記者があえてそう言い切るのである。正論というべきであろう。 

なによりも台湾人の「対日意識」の変化に注意を促している。新型コロナウイルス感染症(COVID-19の対応をめぐって、意識が急速に変化しているのだ。台湾人の卓球選手と結婚していた福山愛の不倫&離婚問題への冷たい視線もその流れのなかにあるといっていいだろう。

日本人は、もっと台湾(=中華民国)のことを「複眼的」に見なくてはならない。民進党であろうと国民党であろうと、「中華民国憲法」のもとにある政党であることに違いはないのだ。LGBTも含めて価値観の多様性が許容される台湾社会であるだけに、台湾人がみな「親日」であるはずがないではないか。

このほか、大東亜戦争後にベトナムに残留し、ベトミン(のちのベトコン)を指導しながら、9年間にわたってともに戦った中野学校卒業の日本人元少尉(故人)の秘話や、バブル時代の最大の経済事件のイトマン事件の当事者であった許永中氏への単独インタビューなどなど、思白い話が満載であった。 

大陸中国、台湾、ベトナム、韓国(朝鮮)。いずれも「戦前」の大日本帝国が濃厚にかかわってきたアジアの国々である。人的関係が深かったがゆえにバイアスがかかっていたが濃厚だった関係も、関係が薄れていくとあうんの意思疎通が難しくなっていくアジアの国々。 

どうしても日本人の目は米国や中国の動向に向かいがちだが、もっともっとアジアの小国に目を向けるべきなのだ。そのためにも、いまどき珍しいくらいに熱いこの一冊を読むべきであろう。 


(画像をクリック!)



目 次
はじめに 
序章 国家安全維持法施行に震撼した香港と世界
第1章 中国-『拘束・拷問体験記』
第2章 台湾-親台から知台への脱皮
第3章 ベトナム-残留日本兵の手記
第4章 朝鮮半島-許永中独白録
第5章 WHOと中国、台湾
おわりに-アジアで懸念される軍事衝突
 
著者プロフィール
吉村剛史(よしむら・たけし) 
ジャーナリスト。日本記者クラブ会員。1965年、兵庫県明石市出身。日本大学法学部在学中の1988~89年に北京大学留学。日大卒後、1990年、産経新聞社に入社。阪神支局を初任地に、大阪、東京両本社社会部で司法、行政、皇室報道などを担当。夕刊フジ関西総局担当時の2006~07年、台湾大学に社費留学。2011年、東京本社外信部を経て同年6月から、2014年5月まで台北支局長。帰任後、日本大学大学院総合社会情報研究科博士前期課程修了。修士(国際情報)。岡山支局長、広島総局長などを経て2019年末に退職。以後フリーに転身。主に在日外国人社会や中国、台湾問題などをテーマに取材。共著に『命の重さ取材して―神戸・児童連続殺傷事件』(産経新聞ニュースサービス)『教育再興』(同)、『ブランドはなぜ墜ちたか―雪印、そごう、三菱自動車事件の深層』(角川書店)、学術論文に『新聞報道から読み解く馬英九政権の対日、両岸政策-日台民間漁協取り決めを中心に』などがある。Hyper J Channel・文化人放送局YouTube番組でMCを担当。東海大学海洋学部講師。韓国通のライター、吉村剛史(トム・ハングル)とは別人。


(台湾はいまや「地球上でもっとも危険な場所」だとする The Economist 2021年4月30日号のカバーストーリー) 



<ブログ内関連記事>






(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2021年2月12日金曜日

書評『バンコクドリーム 「Gダイアリー」編集部青春記』(室橋裕和、イーストプレス、2019)-あの頃は熱かった

 
ミャンマーで2021年2月1日にクーデターが発生してから、ふたたび目が東南アジアが向かっている私だが、そんんなか自分自身の東南アジア体験を振り返ることのできる本に読みふけった。 


1974年生まれで就職氷河期にぶつかった著者が、せっかくつかんだ文春記者というポジションを捨て、タイのバンコクで伝説の雑誌「Gダイアリー」の編集者として過ごした、異様にまで熱くて濃厚な日々の回想録。回想録といっても、遠い昔の話ではない。10年から10数年間の過去である。だが、それでも遠い話と感じるのだ。 

著者が「Gダイアリー」(略してGダイ)の編集部にいた2006年から2011年は、ちょうど私自身がバンコクで暮らしていた時期と重なるものがあるので、なつかしく思い出しながら読みふけった。

現地にいなくては体感できない空気と土地勘、そして同時代感覚。こうしたものを共有しているので、固有名詞だけでなく細部にわたるまでだいたいわかるからね。わかる人には、わかる世界。よく働き、よく遊んだ日々、いろいろありました。ここには書かないけどね(笑) 

「Gダイアリー」といってピンときたら、あなたは真の「アジア通」です(笑) 私もこの雑誌を毎月楽しみにしている愛読者でした。実用的でかつ、雑多な分野に及んだ豊富なコンテンツ。バンコクを中心にした東南アジア世界。まさに「エロからテロまで」(笑) 


この2006年から2010年にかけては、ちょうどバンコクが絶頂期から混乱期へとシフトしていった時期であり、「Gダイアリー」にとっても絶頂期から曲がり角の時期にあたっていたようだ。 

クーデターから始まってスワンナプーム国際際空港閉鎖などなど、ほんとえらい目にあったものだ。私の場合は、幸か不幸か2009年の前半にはバンコクを引き払って日本に帰国していたので、赤組と黄色組が全面衝突した市街戦には巻き込まれなかったのが。 

あとから振り返ると、あんな日々だったのだなあ、と思うのである。そういう本を読むと、なつかしい思いとともに、二度と繰り返されるはずのない、すでに過ぎ去った時代のことなのだな、という気持ちにもさせられる。ある意味では墓碑銘(エピタフ)のようなものだ。 

おそらく著者にとっても、さらに次に進むための気持ちの整理という意味もあったのだろう。貴重な内容の回想録をありがとう。 


(画像をクリック!)
 

 

目 次
はじめに-夢と冒険の書Gダイ 
第1章 GダイのGは「ジェントルマン」のG!? 
第2章 僕のドリームはバンコクにある、はず 
第3章 Gダイはエロ本か旅雑誌か 
第4章 タイの政変に翻弄される 
第5章 Gダイに集う奇人たち 
第6章 Gダイ絶頂! アジアの伝説となる 
第7章 バンコクのいちばん長い日 
第8章 さらばGダイ、さらばバンコク 
あとがき-Gダイアリーは死なず 
タイとGダイアリーの歴史 
Gダイアリー 特集とおもな連載

著者プロフィール
室橋裕和(むろはし・ひろかず)
1974年生まれ。「週刊文春」記者を経てタイ・バンコクに移住。タイ発アジア情報誌「Gダイアリー」、「アジアの雑誌」デスクを務め、タイを中心にアジア諸国を取材して10年間を過ごす。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。


<ブログ内関連記事>





(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end