(UCバークレーのゲストハウスパンフレット 1990年)
早いもので、M.B.A.取得のため米国留学に旅立ってからもう20年になる。1990年7月のことである。そのとき私は27歳だった。
正確な渡航日を覚えていないのだが、アメリカ独立記念日(Independence Day)が本日7月4日だから、その少し前に米国入りしたのだと思う。語学留学で滞在していたカリフォルニア州のバークレーのキャンパスで、独立記念日の新聞を売っているのを見た記憶があるからだ。
私にとっては、アメリカが憧れの地だった、というわけではない。とにかく外国の大学に留学できるチャンスに跳びついたというのが真相だ。大学時代はヨーロッパに行きたいと思っていたのだが、企業派遣生の選択としては経営管理学(Business Administration)を学ぶビジネススクール(Business School)への留学が現実的な話であり、どうせいくならやはり米国だろう、と思ったからだ。
その当時もフランスには INSEAD というビジネススクールがあって有名だったが(・・現在ではシンガポールに分校あり)、なんといってもビジネスの本家本元は米国だし、それは現在も変わりはないと思っている。
INSEAD は欧州ビジネスのための教育機関なので、欧州の二カ国語(フランス語とドイツ語)必修というのもハードルが高く感じられたのも、回避した理由の一つである。
■バブル時代後期の1990年前後は、ビジネススクール留学の最盛期だった
当時はビジネススクール留学の最盛期で、『欧米ビジネススクールへの道日本人-MBAが誕生するまで-』(三菱商事株式会社編、ダイヤモンド社、1985)などの体験記本があって、何度も繰り返し読み込んでは、イメージトレーニングを行っていた。自分が米国にいってビジネススクール留学を乗り切るためのイメージを心のなかで描き、絶対にやり抜けるという気持ちを自分のうちにつくるための訓練である。
なんせ私は昔の商科大学を卒業していながら、経営関連の科目などまったくとらず、歴史学で卒業していたので、ほぼすべてを一から勉強しなくてはならず、しかも外国留学などしたことがなかったので、憧れ半分、恐れ半分の混じり合った境地だった。
もっとも繰り返し読んでいたのは、『女の出発-ハーバード・ビジネススクール留学記-』(斎藤聖美、東洋経済新報社、1984)である。この本もほんとうに何度も何度も繰り返し読み込んで、いまでも内容を覚えているくらいである。
こうやって受験勉強と平行しながらイメージトレーニングも行っていたのだが、なんせ仕事を抱えながらの受験準備だったので、死ぬような思いをしていたのだった。胃にポリープができていたのもこの頃であった。現在でも生きているので、ポリープは完治したのだろうと思っている。再検査してないのでわからずじまいだが。
■サンフランシスコから、本当の意味で私の人生が始まった!?
私にとって外国留学は初めての経験で、しかも米国にいくこと自体がまったくはじめての経験だった。それまでの私の海外経験といえば、観光旅行で行った香港と広州、出張でいったオーストラリア、シンガポール、マレーシアがあるだけだった。
米国には、観光旅行はおろか、出張でもいったことがなかったのである。しかも、それまで海外は一人旅すらしたこともなかったので、なんだか心細い気持ちだったのも正直なところである。
一番最初に足を記したのは、サンフランシスコだった。咸臨丸で往復航海をやってのけた勝海舟や福澤諭吉ではないが、なんとなく歴史に自分を重ね合わせるうえで気持ちがいい。
先にも記したが、東海岸にあるビジネススクールに正式留学するのが9月からなので、それまでの約1ヶ月半を語学留学期間にあてることができたためでる。
その当時は、多くの企業派遣生はコロラドの学校にいったようだが、そもそもが天の邪鬼な私は、サンフランシスコ近郊のバークレーを選んだ。バークレーという名前に憧れもあったのは事実である。
カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)は UC Berkeley と通常いうが、UCの本校である。ここで夏期期間中に開催されている Business English という夏期講座(Summer Extension)に参加することにして、日本で手続きをしておいたのである。
運勢というのは面白いもので、サンフランシスコ行きの飛行機はすいていたが、隣り合わせたのはアジア人の老人で、それとなく英語で会話をしていたら韓国人だという。さらに話していると、なんとバークレーで化学を教えているというのだ!
これはなんという偶然か、「私もバークレーにいくのです」ということで空港から一緒にバークレーまでタクシーでいくことになった。はじめての一人旅で助けてもらった韓国人には、いまでも思い出しては心の中で感謝している。
サンフランシスコ空港に降り立ったときの、きらきらした陽光、ふだん霧がかかっていることの多いサンフランシスコだが、その日は晴れて天気のいい日だった。
バークレーについてからは、空いているはずの寮がまだしまっていたり・・・などなどトラブルつづきだったが、そこから先はすべて一人でトラブルシューティングしていかなければならない日々が始まった。
こういう苦労もあったが、授業は午前中だけで午後はフリーという環境は実に快適で、しょっちゅう遊びにいっていたし、なんせバークレーのキャンパスはリベラルの総本山のようなところなので、本当に面白かった。
授業でもスペイン人やイタリア人たちとチームを組んだが、これも得難い経験になった。異文化を越えて人間どうしのぶつかり合いを経て、お互いを理解し合うことができる。
ここで出会った友人たちのなかでは、いまでもつきあいが続いている者も少なくないのは、本格的にビジネススクールの授業が始まる前の、つかの間の休日の日々であったからかもしれない。
バークレーで過ごした一ヶ月半は本当に素晴らしい、人生最高の日々だった。
東海岸に移ってからは、なぜか米国国内の移動なのにカルチャーショッック(!)に見舞われたものである。日本からカリフォルニアに渡航したときは感じなかったカルチャーショッックを感じるなんて。
カリフォルニアは米国であるが、米国のメインストリームではないのである。そのことに、カラダ全体で気づくことができたのも、実際にそこで暮らしてみるという体験をしたからだろう。
■バークレーに滞在していた8月2日、イラクがクウェートに侵攻した!
バークレーに滞在していた8月2日、サッダーム・フセインのイラクがクウェートに侵攻するという事件が発生した。
その後、半年近く膠着状態を続けていたが、米国による最後通牒の切れた翌年1月には戦争に突入することになる。米国では Gulf War とよんでいたこの戦争、日本に帰国してから日本では「湾岸戦争」というのだということを知ったが、湾岸戦争と口に出せるまで、慣れるのに時間がかかった。米国滞在中の2年間の日本の状況が、まったく私のなかでは空洞になっていたことに気がついたのであった。
なんせ、インターネットはあったが、まだ米国内では大学の研究者は使用していたが、一般には普及しておらず、日本の状況はテレビ情報や Wall Street Journal の記事くらいでしか知らなかったのだ。
「戦争を知らない子どもたち」世代の少しあとの世代に属する私にとって、戦争当事国に滞在する経験は何者にもかえがたい経験となったが、それはビジネススクール時代の話である。
親からは神戸大空襲の話はさんざん聞かされていたというものの、朝鮮戦争も知らず、ベトナム戦争末期の記憶が多少あるというくらいだから、戦時下の米国を体験できたのは貴重な経験である。1980年代後期は「日米半導体戦争」でむしろ日本と一触即発!?という感じだった。
カリフォルニアの陽光の下、お気楽な日々を過ごしていた頃には、まさかあれだけ大規模な戦争になるなどとは夢想すらしていなかったのだが・・・
米国で体験した Gulf War(=湾岸戦争)については、また後日書くこととしたいと考えている。
PS 読みやすくするために改行を増やした。またあらたにバークレーの写真を挿入し、<ブログ内関連記事>を新設した。なお、「米国で体験した Gulf War(=湾岸戦争)については、また後日書くこととしたい」と書いているが、いまだその約束を果たしていないことに気がついた。いつ書かなくてはならないのだが・・・ (2014年5月12日 記す)
<ブログ内関連記事>
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(2014年5月12日 項目新設 2014年8月4日 情報追加)
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