■比叡山の「千日回峰行」とはいったい何か、そのディテールを知りたい人は必読■
1996年に「十二年籠山行満行」を迎える前の著者にインタビュー形式で聞き書きした、「千日回峰行」を含む「十二年籠山行満行」のすべてが一冊になっている。本書『千日回峰行<増補新装>』(光永覚道、春秋社、2004)はその8年後に出版された増補新装版である。
千日回峰行にいたるまでの著者の半生は、あくまでも個人史といった側面が強いが、自利行としての700日の回峰行を終えて入る「明王堂参籠」の断食・断水・不眠・不臥という超人的な九日間の修行は、語っている本人はきわめて冷静で、あたかも何でもないかのような口調でなのだが、その内容は凄まじいの一言に尽きる。
工学系のバックグラウンドをもつ大阿闍梨だけに、自らの身体の変化をあたかも実験の観察記録のように再現してみせるのだが、これは実に貴重な記録といってよいだろう。
「明王堂参籠」の断食行という折り返しのあとは、300日の利他行としての回峰行は、800日台の赤山苦行、900日台の京都大廻り・・と続くのであるが、その詳細については、著者とともにたどることとなる。
私はこの本を読むまで、千日回峰行は、一年に100日づつ行うものだとは知らなかった。とにかく何があろうが100日間ぶっつづけで行うことだけでもすごいのだが、歩くことは目的ではなく、あくまでも利他行としての仏道修行の手段に過ぎない。
もちろん、一般読者であるわれわれは、著者の語るところを、活字を目で追いながら追体験するのみではあるが、しかし凄まじい体験をひょうひょうと語る大阿闍梨には感歎するばかりである。
「千日回峰行」とはいったい何か、そのもののディテールを知りたい人は必読である。
<初出情報>
■bk1書評「比叡山の「千日回峰行」とはいったい何か、そのディテールを知りたい人は必読」投稿掲載(2010年7月7日)
■amazon書評「比叡山の「千日回峰行」とはいったい何か、そのディテールを知りたい人は必読」投稿掲載(2010年7月7日)
目 次
第1章 比叡の四季
第2章 出家-生い立ちから回峰行入行まで
第3章 回峰行とは
第4章 菩提を求めて-千日回峰行1
第5章 人々の祈願とともに-千日回峰行2
第6章 回峰行を生きる
著者プロフィール
光永覚道(みつなが・かくどう)
1954年山形に生まれる。1975年鶴岡工業高等専門学校卒業。得度受戒。1981年延暦寺一山・大乗院住職。1989年明王堂輪番拝命。1990年千日回峰行満行。北嶺大行満大阿闍梨。1996年3月1日十二年篭山行満行。2000年4月1日延暦寺一山・南山坊転住職。2000年12月1日明王堂輪番交替。現在、南山坊住職(比叡山麓南善坊に住す)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<書評への付記>
たまたまダンボールに詰めた本を整理したら、まだ読んでなかった本書がでてきた。
ふとした気持ちで読み始めたら、「明王堂参籠」の断食・断水・不眠・不臥という超人的な九日間の修行の記述に釘付けになってしまった。ほとんど超人的といってもいい過ぎではない荒行である。
この本に触発されて、私は成田山新勝寺(真言宗)の断食参籠修行3泊4日に急遽申し込んで参加してきたが、水は毎日2リットル飲むことが義務づけられていた。食べなくても死にはしないが、水を飲まないと脱水状態になってしまい生命の危険に直面するからだ。あらためてこの事実を自らの肉体をつうじて理解した次第。
光永覚道大阿闍梨(天台宗)は9日間、飲まず、食わず、眠らず、横にならずの荒行を続けたが、その凄まじいまでの姿は、本書では他人事のように語られているが、壮絶の一語に尽きる。
ぜひこの「明王堂参籠」の記述だけでも読んで欲しいと思う。
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(2013年12月21日 情報追加)
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