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2024年5月3日金曜日

『インド・アメリカ思索行 ― 近代合理主義克服への道』(立川武蔵、山と渓谷社、1978)を読むと、1970年前後のカウンターカルチャー全盛期の米国、それも東海岸におけるインド文明受容の状況がよくわかる

 


仏教やインド哲学に関心のある人なら、その名を知らないはずのない碩学・立川武蔵教授の若き日の米国滞在記とインド滞在記1970年前後の米国、しかも東海岸の状況がよくわかる私的ドキュメントである。
 
すでに絶版になっていたので、20年近く前に古書で入手していたものだが、ようやく読むことにした次第だ。

なぜ入手したいと思ったかというと、著者の場合、もともと仏教学とインド学研究者であったとはいえ、アメリカ体験がインド体験に先行しているからだ。順番だけをとってみれば、わたしとおなじである。わたしの場合は米国滞在中に初めて「アジア人としての意識」が目覚めたのであった。

個人的な話であるが、まず帰国後に毎年1カ国訪問することにしたのだ。近隣の韓国に行き、つぎにタイ、そしてインド・ネパール・チベットを回り、カンボジア、ミャンマー、スリランカと回った。米国体験の前は、香港・中国とシンガポール・マレーシアである。

インドは、日本人がふだん考えている「東洋」とは違って、むしろ梅棹忠夫のいう「中洋」ともいうべき存在である。だがそれでも、「西洋」とは異なる存在だ。岡倉天心の「Asia is One」の意味は、「一にして多、多にして一」であることを念頭に置くべきであろう。

2024年の現時点では、出版からすでに55年を経過し、書かれている内容は60年も前のことだ。しかも、舞台は西海岸(ウェスト・コースト)のカリフォルニアではなく、東海岸(イースト・コースト)のハーバード大学のあるボストンである。

この1970年前後こそ米国では「カウンター・カルチャー」の全盛期であったが、西海岸に限定された現象ではなかったのだ。

著者が米国体験として語っているのは、ハリ・クリシュナ教団チベット仏教研究者のロバート・サーマン(・・息子のガンデン、娘のウマ(=ユマ)*についても)、そしてチベット仏教僧のチョギャム・トゥルンパである。

*1970年のこの時点では、もちろんウマ(ユマ)・サーマンがハリウッド女優になるなど、誰も考えもしなかったことであろう。


米国体験ののちのインド体験では、サンスクリット研究のために滞在したプーナ(=プネ)にてラージーニシ・アシュラム(=道場)について語られている。ラージニシーは後年みずからのことを OSHO(=和尚)と名乗るようになった。

アメリカとインドの関係は、政治や経済の前に、まず1970年代前後の「カウンターカルチャー」時代があったことをアタマのなかに入れておかなくてはならないのだ。その世代の人たちはすでにリタイアの年代に入っているが、影響は現在に及んでいる。

もちろん、それ以前のエマソンやソローの時代の東海岸における東洋文明受容という素地があったことは言うまでもない。エマソンもソローも、ともに東部の名門ハーバード大学の卒業生であったことを想起すべきであろう。


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<ブログ内関連記事>

・・異色の宗教学者・町田宗鳳(まちだ・そうほう)氏もハーヴァード・ディヴィニティ・スクールを卒業している。『文明の衝突を生きる-グローバリズムへの警鐘』(町田宗鳳、法蔵館、2000)のなかで








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2024年1月24日水曜日

『世界の禅者 ― 鈴木大拙の生涯』(秋月龍珉、岩波同時代ライブラリー、1992)を必要があって再読。じつに32年ぶりのことになる。

 

『世界の禅者 ー 鈴木大拙の生涯』(秋月龍珉、岩波同時代ライブラリー、1992)を必要があって再読。じつに32年ぶりのことになる。  

鈴木大拙に関心を抱くようになったのは、アメリカにMBA留学していたときのことだ。D.T. Suzuki による ZEN の本は、米国では一般書店でもペーパーバックで簡単に手に入る。それほどポピュラーな存在なのだ。 

そんな D.T. Suzuki こと鈴木大拙に多大な関心を抱くようになっていたので、日本に帰国後にこの本を入手して、すぐに一読したのであった。 

32年前に線を引いている箇所も踏まえながら、あらためて読み直してみると、あらたな発見も多い。 

この本は副題が「鈴木大拙の生涯」となっているが、鈴木大拙が「世界の禅者」になるまでの前半生とくに出生から米国時代に至るまでと、27歳から38歳までの11年間に及んだ米国時代の鈴木大拙を重点的に取り上げているのがいい。著者は鈴木大拙の弟子で仏教学者。 

鈴木大拙については、英文著作を行った D.T. Suzuki という側面に注目すべきではないかと思っている。ちなみに D.T. Suzuki は、大拙=貞太郎=鈴木の英語表記。本名は鈴木貞太郎。大拙は居士号。 

岩波書店の「同時代ライブラリー」のシリーズがストップしたあとも、なぜか「岩波現代文庫」で再刊もされていない。思ったほど売れなかったのだろうか? 復刊リクエストがないのだろうか?

不思議というか、意外なことに類書がない。ぜひ再刊すべきであろう。 





<ブログ内関連記事>



・・「吉福自身は、米国人の東洋理解の表層性について苦々しく思っていたらしい。バークレー時代には、日本から送ってもらった鈴木大拙全集を読み込んでいたらしい。」

・・レナード・コーエンも禅師について禅仏教の修行を行っていた

・・タイソンは鈴木大拙(D.T.Suzuki)による序文のついた英語版の『弓と禅』(オイゲン・ヘリゲル)の影響を受けている



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2023年9月26日火曜日

書評『米国とイランはなぜ戦うのか? ― 繰り返される40年の対立』(菅原出、並木書房、2020)― 1979年の「イラン・イスラーム革命」からはじまる相互不信。お互いに被害者意識をもつ両国の敵対関係はいまだに解消の見通しがない


 
この本が「緊急出版」されたとき、マジで一触即発の危機が迫っていたのだ。

2020年1月13日、米国による革命防衛隊のコッズ部隊のソレイマニ司令官殺害。それに対するイラン国民の怒りはピークに達する。だが、かろうじてイランは軍事衝突を回避した。イランだけでなく、米国のトランプ大統領もそれを欲していなかったのだ。

『米国とイランはなぜ戦うのか? ー 繰り返される40年の対立』(菅原出、並木書房、2020)という本の存在を知ったのは、米国とイランの軍事衝突が回避されてから3年後の最近のことだ。

だが、2023年9月の現時点でも読む価値はある。なぜなら対立関係が解消されていなからだけではない。実際に通読してみてそう思った。

そもそも、意外なことに類書があまりないという状態であること。2019年末から始まった「新型コロナ感染症」(COVID-19)の世界的蔓延で、およそありとあらゆる国際紛争そのものが凍結状態になっていたことがある。均衡を破ったのは、ロシアによるウクライナ侵攻である。

なによりも、1979年の「イラン・イスラーム革命」に端を発した「米国とイランの敵対関係」を時系列でよく整理していることに本書の特徴がある。

そもそもをたどれば、イランのモサデク政権が産業ナショナリズムの観点から石油産業を国有化し、それに反発する米英の石油資本をバックにした米英政府が、情報機関のCIAを中心にモサデク政権を転覆した1953年にさかのぼる。

クーデタ成功後、米国は親米のパーレヴィ国王を全面的にバックアップする体制を四半世紀にわたって継続してきたのである。

その親米政権が革命によって転覆され、学生たちによってテヘランの米国大使館が444日間にわたって占拠されるという、前代未聞の事態とつながっていく。

長年にわたるパーレヴィ国王のよる政府は反対派を弾圧、貧富の差が拡大して民衆の不満が増大と、イラン人の被害者意識が高まっていっただけでなく、米国サイドも大使館占拠と救出作戦が失敗とい屈辱による被害者意識が増大し、お互いに被害者意識をもつ両国の関係は相互不信と憎悪以外のなにものでもなくなっていった。

米国とイランは1980年に外交関係を断交して以来、40年以上にわたって敵対関係がつづいているのである。米国による経済制裁によってイラン経済は疲弊しながらも、イラン国民は耐えがたきを耐え、現在にいたる。

米国とイランの対立関係は、いまだに解決の見通しもない。イスラエルとイランの対立関係がそれにからんでおり、状況はきわめて複雑なのだ。

1979年移行のイランと米国の関係について、時系列で記述された本書は、あたまの整理になるだけでなく、随所に挿入された明解な地図とともに、参考資料としての有用性を失っていない。

 
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目 次
プロローグ
米国とイラン対立の経緯
第1章 米・イラン相互不信の歴史 
第2章 オバマ「核合意」の失敗 
第3章 トランプ政権の対イラン戦略 
第4章 限界近づくイランの「戦略的忍耐」 
第5章 イランを締め上げるトランプ 
第6章 イランの「最大限の抵抗」戦略 
第7章 軍事衝突に向かう米国とイラン 
エピローグ
主要参考文献

著者プロフィール
菅原出(すがわら・いずる)
国際政治アナリスト・危機管理コンサルタント。1969年生まれ、東京都出身。中央大学法学部政治学科卒業後、オランダ・アムステルダム大学に留学、国際関係学修士課程卒。東京財団リサーチフェロー、英危機管理会社役員などを経て現職。合同会社グローバルリスク・アドバイザリー代表、NPO法人「海外安全・危機管理の会(OSCMA)代表理事」も務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>






■菅原出氏の著書



・・『秘密戦争の司令官オバマ』(菅原出、並木書房、2013)を紹介

(2023年12月3日 情報追加)


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2023年9月19日火曜日

映画『アルゴ(ARGO)』(2012年、米国)とドキュメンタリー映画『Desert One 人質救出作戦』(2019年、米国)をつづけて視聴。1979年の「イラン・イスラーム革命」後のイランと米国の不幸な関係の始まりを「人質救出作戦」をつうじて振り返る

 

公開された時点で、これはぜひ見たいと思いながらも、その機会を逸して11年。ようやく映画『アルゴ(ARGO)』(2012年、米国)を amazon prime video で視聴した(2023年9月18日)。

このところ、イラン関係のドキュメンタリー映画を見たり、イラン関係の本を読んでいて、1979年のことをあらためて思い起こしたこともあって、この映画のことを忘れていたことに気がついたのだ。

石油産業という観点から、そしてカスピ海をはさんで北に隣接するソ連の監視という安全保障の観点から、CIAによってモサデク政権を倒して以降、王政を全面的にバックアップしてきた米国の歴代政権

しかし、原油輸出による経済好況にありながら、ペルシア帝国の再来をうたいあげる王政のもと、貧富の格差は拡大し、一般民衆の不満は限界まで膨らんでいた。反体制派はSAVAKという秘密警察によって拷問され、弾圧されていた。

現場のペルシア語情報を十分に吸い上げていなかった米国政府は、そこを見誤っていたのだ。日本政府も米国情報に依存していたので、革命への機運を見抜けなかったことは言うまでもない。

1979年2月の「イラン・イスラーム革命」は、イランと米国の不幸な関係の始まりだった。現在まで四半世紀にわたってつづく敵対関係である。

シャー(Shah of Iran)と呼ばれていたパーレヴィ国王はガンの治療のため米国へ。ホメイニ師を頂点にしたイスラーム指導者の先導のもと、学生や民衆の激しい怒りは米国に向けられることになる。

そして発生したのが、テヘランの米国大使館が学生によって占拠され、館員が444日にわたって人質になって拘束されるという、米国にとっては前代未聞の事件であった。1979年11月14日のことである。その翌年4月に米国はイランと断交した。




ところが、占拠された大使館からからくも脱出に成功した職員6名がいたのだ。カナダ大使の私邸にかくまわれ、潜伏生活を送ることになった。

この事実を知った米国政府は、CIAによるそれこそ前代未聞の奇想天外な作戦で救助に乗り出すことになった。ハリウッドでフェイク映画を撮影するという設定で、その撮影クルーのロケハンのスタッフと偽装させてテヘラン空港から脱出させるという作戦だ。


(作戦のために製作されたポスター Wikipediaより)


この映画は、その作戦を立案し、単身でイランに入国して作戦を遂行した元CIA職員によるノンフィクションである。映画の冒頭に Based on a true story とある。セリフの一部には修正や変更があるとはいえ、実話にもとづいた手に汗握るスパイ・サスペンスもの120分であった。緊張感の連続のこの映画は、2時間が限界であろう。

別居した妻と暮らす息子との電話での会話のなか、息子が見ていた『猿の惑星』がヒントになるとは! 追い詰められていると、なにがヒントになるかわからないものだな、と。

6人の職員を救出する作戦は成功に終わったが、クリントン政権になるまで情報は封印されいたらしい。この救出作戦そのもについて、リアルタイムでは知らなかったのもムリはないかもしれない。

情報開示のおかげで、こうして30年後に製作されたエンターテインメントとして楽しみ、事件そのものについて深く知ることができるわけだが、占拠された大使館の人質は救出されないままであった。


■失敗に終わった特殊部隊による米国大使館の人質救出作戦


失敗に終わった特殊部隊による米国大使館の「人質救出作戦」について、事件の約40年後に製作されたものだ。米国側とイラン側の双方の関係者たちにインタビュー取材を行った、公平で良心的なドキュメンタリー映画である。





作戦の実行を担ったのは、米陸軍の対テロ特殊部隊デルタフォース内陸部のテヘランに兵員輸送機で特殊部隊を送り込み、中継地点でヘリコプターに乗り換えてテヘランに向かい、大使館を急襲して人質を奪還、そのままヘリコプターで連れて帰るというのが作戦の骨子であった。


(計画された飛行ルートと実際のルート Wikipediaより)


作戦のために選抜され、訓練に訓練を重ねた選りすぐりのパイロットにとっても、暗視ゴーグルを着用しての夜間飛行はハードタスクである。

しかも、なにごともやってみないとわからないのである。実際の作戦においては、「想定外」の砂嵐(デザート・ストーム)に巻き込まれて航行に支障をきたしたのだ。

作戦が中止と決まったのち、脱出するヘリコプターが輸送機C-130に衝突、炎上し米兵が8人死亡という事故を引き起こしてしまう。最悪の結末となってしまった。


(炎上した輸送機の残骸 Wikipediaより)


作戦は大失敗に終わり、ゴーサインを出したカーター政権にとっては、痛恨の事態となった。結局、人質救出ができなかった民主党のカーターは再選されず、その事態を批判してきた共和党のレーガンが登場することになる。

米国政府に凍結された資産と引き替えに、イランの革命政権が人質を解放したのは、レーガンが大統領に就任したその日のことであった。カーターにとっては屈辱以外のなにものでもなかったのである。




この救出作戦が準備されていたことで、カナダ大使にかくまわれた6名救出作戦が中止になる可能性もあったことは、映画『アルゴ』のシーンにある。

「アルゴ作戦」は、実行前日に上部から中止せよ(abort)との命令がでたのである。他国の主権を侵犯し、カナダ政府もからんだ国際的な案件であり、大統領のサインがなければ秘密作戦は実行できないのである。

現場で作戦を遂行したCIA職員は悩みに悩み、最後のギリギリの時点で実行を決断し、見切り発車的に踏み切ったのである。CIA職員の使命感と勇気、そのことを知って大統領のサインを得るべく奔走したCIAの上司、そして人質の6名のチームワークが成功を導いたのである。




「イーグル・クロー作戦」が失敗に終わった4月25日は、逆にイランでは米国を撃退した日として祝われているという。事の是非は別にして、このドキュメンタリー映画は、複眼的に見ることが必要なことを教えてくれる。あくまでも米国視線の『アルゴ』とは真逆の姿勢である。

作戦が大失敗に終わってから40年後の回想であるが、このような良質なドキュメンタリー映画を作製し、過去をきちんと検証しようという姿勢は、大いに評価されるべきである。

失敗から学ぶことほど、重要なことはない。


  


<ブログ内関連記事>

・・1993年のモガディシュの市街戦では攻撃用ヘリコプターが撃墜され、米兵の遺体が狼藉行為にあった。2012年のベンガジでは米国公使館が占拠される直前に、かろうじて脱出に成功

・・・陸軍特殊部隊のデルタフォースではなく、海軍特殊部隊のネイビーシールズがウサーマ・ビン・ラディーン殺害計画を実行。しかしながら、2011年のこの作戦においても、ヘリコプターが1機故障し現場で放棄し破壊している

・・・2009年のソマリア沖人質事件


・・ワシントン支局長を務める前にイランのテヘラン支局長を歴任した共同通信の記者によるもの


■イラン関係




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