映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』を見てきた。英国史上初の女性首相で、11年間の在任中に、衰退する英国に荒療治を施して再生させた政治家を扱った映画だ。
原題:The Iron Lady Never Compromise(鉄の女に妥協なし)
製作: 2011年、英国。
上映時間: 105分
主演:メリル・ストリープ
監督:フィリダ・ロイド
公式サイト: http://ironlady.gaga.ne.jp/
さすが、名女優メリル・ストリープ。完全にマーガレット・サッチャーになりきっている。当時は一般的にサッチャー夫人ないしはサッチャー女史と呼んでいたので、以下サッチャー夫人と書くことにする。
姿形だけでなく、クイーンズイングリッシュによるしゃべりもまた、役作りにかける情熱、プロ意識にはまったく脱帽である。エンターテインメント作品として、大いに楽しませてもらっただけでなく、1980年代そのものであったサッチャー時代を思い出しながら最後まで観た。
夫のデニスがすでに亡くなったこともわからないほどの認知症になった晩年のサッチャー夫人に、さまざまなキッカケで過去の記憶が想起され、いい思い出も悪い思い出も、ともによみがえってくるという形式で、サッチャー夫人そのものを描いた内容である。主人公の存命中にこういう映画をつくってしまうというのも、ある意味では驚くべきことだ。
この映画は、音楽のチョイスがひじょうによい。
ユル・ブリンナー主演のブロードウェイのミュージカル『王様と私』から、オスカー・ハマーシュタイン作曲の「Shall We Dance ?」 (シャル・ウィ・ダンス?) は、若き日のサッチャー夫妻のロマンティックな日々の回想シーンとあわせて、なんども流される。
そして政治の場面では、ベッリーニのオペラ『ノルマ』から、マリア・カラスの独唱で「Casta Diva」(清らかな女神よ)。オペラ音楽はよく映画に使用されるが、この点においてもこの映画は特筆に値するといっていいだろう。これから観る人はぜひ、なぜ政治の場面でこの曲が流れるのかアタマに入れておくといいと思う。
以下は、映画の内容そのものではなく、サッチャー夫人について、より理解を深めるために書いたものである。
■1980年代そのものであったサッチャー時代
サッチャー夫人が、英国史上初の女性首相に選出された1979年から退任した1990年までの11年間は、わたしにとっては、高校から大学、そして社会人にかけての時期とピッタリ重なる。だから、わたし(の世代の人間)にとっては、マーガレット・サッチャーはけっして過去の人ではない。
日本では1980年代の後半は「バブル時代」というレッテルを張られて総括されてしまっているが、まさに冷戦時代末期で、サッチャー首相とレーガン大統領(当時)のタッグが、冷戦終結をもたらしたことは忘れるわけにはいかないのである。
この映画の原題である「鉄の女」(The Iron Lady)の毅然とした態度、断固たる態度には、わたしはすばらしいと賞賛の気持ちを抱き続けていた。まさにその「妥協」しないという態度を尊敬していたのであった。
サッチャー以前の英国は、先進国特有の「英国病」と言われ続けてきたのである。映画にもでてくるが、労働党の下で停滞し、衰退に拍車のかかっていた英国にカツをいれたわけである。「鉄の女」という異名をとったのは、度重なるIRA(北アイルランド解放闘争)による爆弾テロ、炭鉱ストとの全面対決、フォークランド紛争での一歩も引かない態度などがあずかっているのである。
フォークランド紛争で見せた不退転の決意と結果によって、ふたたび支持率が上昇したわけだが、それは英国人がなによりも忌み嫌う appeasement を回避したところに求めることができよう。映画では、戦争回避を説得する米国大使(?)に対して、パールハーバー(真珠湾)を引き合いに出していたが、ここは英国人向けなら appeasement(宥和)によってヒトラーに譲歩したチェンバレン首相(当時)の轍は踏まないというという発言になったことであろう。
そう、その「妥協」しないという点が、まさにサッチャー夫人そのものであり、英語の原題にあるように The Iron Lady Never Compromise(鉄の女に妥協なし)なのである。これがあえてタイトルになるということは、un-British(非英国的)であったからである。
サッチャー夫人は、自分の信念に忠実に徹し切れたわけだが、世の中というものは「押してダメなら引いてみな」というものである。英国では「妥協」というものが重んじられるとは、むかしからなんども聞かされてきたことである。英国人は日本人とは違って「大人」だから、だという理由づけで。
その意味では、この映画を観ていて思うのは、確固たる信念に基づいて毅然とした態度で臨むサッチャー首相のリーダーシップスタイルは、見習うべき点があると同時に、妥協を行わなかった点は反面教師にしなくてはならないと思うのである。
「妥協」しない政治家サッチャー首相。しかし、その「妥協」を欠いた姿勢が最後には・・・
■「非英国的」であったサッチャー夫人
サッチャー夫人が非英国的であったという話に戻るが、映画のなかでもなんども強調されているが、男社会の閉鎖的クラブ社会であった英国政治(・・しかも保守党だ)のなかで孤軍奮闘してきただけでなく、オックスフォード大学卒業とはいえ、伝統的にオックス・ブリッジに進学していたエリート層ではない。庶民階級の出身であった点がまず、それまでの英国とはまったく違う。
ファミリービジネスの食料品店に生まれた娘である。奨学金制度の開始によって、一般庶民にもオックス・ブリッジに進学する道が開かれたのである。また、映画には出てこないが、オックスフォード大学で専攻したのは化学(ケミストリー)である。理系なのである。しばらく専攻を活かした職についていたが、政治家への道を選んだのは、出身地で市長を務めていた父親の影響だろう。
『サッチャー時代のイギリス-その政治、経済、教育-』(森嶋通夫、岩波新書、1988)は、まだサッチャー夫人が在任中に書かれたものだが、著者の森嶋教授は、「サッチャーは、イギリスの悪い所も、善い所も、数多くすっかりぶち壊してしまいました」と書いている。まさにそのとおりだろう。2012年現在でも、サッチャー夫人は毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする存在だ。
しかし、あの時点で荒療治を行わなかったら、英国の衰退はさらに加速していたことは間違いない。著者の森嶋通夫氏は独創的な経済学者で、日本を飛び出して社会科学系では名門のLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)で長く教鞭をとっていた人である。森嶋教授(故人)の政治的立場にはあまり賛同はできないが分析としては面白いと思って読んだ本である。
サッチャー夫人の父親は職人の家に生まれた人で、主流の英国国教会ではなく、熱心なメソジスト派であり、まさに刻苦勉励によって自分自身を鍛え上げた人であったようだ。サッッチャー夫人の首相になるまでの回顧録『サッチャー 私の半生』(The Path to Power、1995)には、「両親ともに熱心なメソジストで、父親は牧師のようだった」とある。この記述から考えると、一般的にイメージされる英国人よりも、かなり米国人に近いメンタリティーの持ち主であったのかもしれない。こういう特性が、そっくりそのまま娘に受け継がれたようだ。サッチャー夫人は、自分自身のことを、プラクティカルでまじめで、宗教的だと書いている。
『サッチャー回顧録』(The Downing Street Years、1993)は、この映画でも冒頭にサッチャー夫人みずからがサインするシーンがでてくるが、日本経済新聞で「私の履歴書」として、翻訳連載されていた抜粋だけは読んでいるが・・・。この正編だけで900ページを越える大著は、ハードカバーの原著を所有しているのだが、いまだに読んでいない。いつかは読む日もあろうかと思って、手放していないのだが・・・。「ダウニング街10番」とは英国首相公邸のことである。
■サッチャー夫人の夫デニスと「鉄の女」の涙
サッチャー夫人が引退を決めたのは、「マギー、もうそろそろいいのではないかな?」と夫のデニスが語りかけたからだという記憶がわたしのなかにあった。
この映画でも最終的に引退を決意させたのが、夫の一言であったことが明らかにされる。おかげで権力者にとって困難な課題である引き際を誤ることはなかったのである。
「在任中の政策が、ただしかったかどうかは、歴史が審判を下す」というサッチャー夫人のセリフに対し、「いや、ゴミ箱行きかもしれないな」と、夫が茶々を入れるのは、さすが英国人である。こういう肩すかしの発言が、サッチャー夫人のストレスリリーフになっていたのだろう。
しかし、11年間にわたるギリギリの意志決定の日々で消耗してしまったのかもしれない。いわゆるバーンアウト(=燃え尽き)症候群というやつか。認知症を患って、現在では自分が首相をやっていたこともわからなくなっているらしい。痛ましい話ではあるが、一国の命運を担う首相としては当然として受け止めるべきことかもしれない。
英国は、女王陛下の夫君というロールモデルが、同時代のエリザベス女王だけでなく、絶頂期のヴィクトリア女王にもあったことは、英国人男性であるデニス・サッチャーにはあらじめ心構えとしてあったのだろうか?
この映画のもう一人の主人公は、実業家のデニス・サッチャーである。男性であるわたしは、どうしてもデニスの存在が気になるものだ。
日本語版の副題が「鉄の女の涙」となているのは、またまた日本人観客向けの情に訴える作戦かといぶかしく思って見始めたが、原題の「鉄の女に妥協なし」よりは、日本語版のほうがいいかもしれないと思った。ちなみに Lady は Sir の女性版。サッチャー夫人は一代爵位で女男爵になっているので、Lady Thatcher が正式名称なのである。
衰退する英国で衰退をなんとか食い止めたサッチャー夫人。同じような地政学ポジションにある日本に住む日本人にとっては、どうしても他人事には思えないものがある。
まあ、ここまで書いてきたようなむずかしい話は別にして、エンターテインメント作品としてよくできているので、ぜひ観ることを薦めたい映画である。
P.S. 麹町ワールドスタジオ 「原麻里子のグローバルビレッジ」(Ustream 生放送) に出演して、映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』についてさまざまな観点から語り合いました(2012年4月18日 21時から放送)。いろいろな裏話もふくめた内容の濃い番組になっていると「思います。当日の放送は、下記のサイトでから録画を視聴できますので、ぜひご試聴ください(2012年4月20日 記す)。 http://www.ustream.tv/recorded/21938422
P.S. レディー・サッチャーがお亡くなりになったという情報が入ってきた。享年87年。まさに「巨星落つ」という感である。賛否両輪はあるものの偉大なリーダーであったことは間違いない。冷戦を終わらせた偉大な功績は後世に長く語り伝えられることだろう。レーガン大統領はすでに世を去り、残るはゴルビー(=ゴルバチョフ)と中曽根元首相である。ご冥福をお祈りしたい。合掌。(2013年4月8日 記す)
<関連サイト>
映画 『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』 (日本版公式サイト)
The Iron Lady Trailer Official 2011 [HD] (英国版トレーラー)
・・イギリス英語は発音さえ聞き取れれば、むしろ受験英語に慣れてきた日本人には理解しやすいかもしれない
Casta Diva - Maria Callas (Best)
・・オペラ『ノルマ』から、マリア・カラスの独唱で「Casta Diva」(清らかな女神よ)
<補足解説>
映画のなかで、サッチャー首相の就任式で「アッシジのフランチェスコの祈り」を朗読するシーンがある。全文は以下のとおり。
<関連サイト>
「鉄の女」サッチャーの最大の強みは、最大の弱みでもあった (ロバート・B・カイザー,バート、E・カプラン、『ダイヤモンド・ハーバード・レビュー』、2014年3月3日)
・・わたしがこのブログ記事で書いたことをリーダーシップ論の観点から補強してくれる記事
(2014年3月3日 項目新設)
<ブログ内関連記事>
なぜいま2013年4月というこの時期に 『オズの魔法使い』 が話題になるのか?
・・「先日お亡くなりになったサッチャー元首相は、在職中に発揮したリーダーシップによって「英国病」を完治し、衰退する英国に活を入れた日本ではもっぱら称賛する人が多いが、当事者である英国人のあいだには、その強引なやり方のために中流階級が弱体化したと批判している人も存在します。 サッチャーの批判勢力が「祭り」(?)を引き起こしているとTVで報道されていました。批判勢力の呼びかけで、『オズの魔法使い』の「鐘を鳴らせ 魔女が死んだ」という歌が、猛烈な勢いでダウンロードされ、英国のヒットチャートでナンバーワンになっているいうのです」
映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)
書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?
・・同書の第二章でサッチャー夫妻が取り上げられている
アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
(2016年6月25日 情報追加)
この映画は、音楽のチョイスがひじょうによい。
ユル・ブリンナー主演のブロードウェイのミュージカル『王様と私』から、オスカー・ハマーシュタイン作曲の「Shall We Dance ?」 (シャル・ウィ・ダンス?) は、若き日のサッチャー夫妻のロマンティックな日々の回想シーンとあわせて、なんども流される。
そして政治の場面では、ベッリーニのオペラ『ノルマ』から、マリア・カラスの独唱で「Casta Diva」(清らかな女神よ)。オペラ音楽はよく映画に使用されるが、この点においてもこの映画は特筆に値するといっていいだろう。これから観る人はぜひ、なぜ政治の場面でこの曲が流れるのかアタマに入れておくといいと思う。
以下は、映画の内容そのものではなく、サッチャー夫人について、より理解を深めるために書いたものである。
■1980年代そのものであったサッチャー時代
サッチャー夫人が、英国史上初の女性首相に選出された1979年から退任した1990年までの11年間は、わたしにとっては、高校から大学、そして社会人にかけての時期とピッタリ重なる。だから、わたし(の世代の人間)にとっては、マーガレット・サッチャーはけっして過去の人ではない。
日本では1980年代の後半は「バブル時代」というレッテルを張られて総括されてしまっているが、まさに冷戦時代末期で、サッチャー首相とレーガン大統領(当時)のタッグが、冷戦終結をもたらしたことは忘れるわけにはいかないのである。
この映画の原題である「鉄の女」(The Iron Lady)の毅然とした態度、断固たる態度には、わたしはすばらしいと賞賛の気持ちを抱き続けていた。まさにその「妥協」しないという態度を尊敬していたのであった。
サッチャー以前の英国は、先進国特有の「英国病」と言われ続けてきたのである。映画にもでてくるが、労働党の下で停滞し、衰退に拍車のかかっていた英国にカツをいれたわけである。「鉄の女」という異名をとったのは、度重なるIRA(北アイルランド解放闘争)による爆弾テロ、炭鉱ストとの全面対決、フォークランド紛争での一歩も引かない態度などがあずかっているのである。
フォークランド紛争で見せた不退転の決意と結果によって、ふたたび支持率が上昇したわけだが、それは英国人がなによりも忌み嫌う appeasement を回避したところに求めることができよう。映画では、戦争回避を説得する米国大使(?)に対して、パールハーバー(真珠湾)を引き合いに出していたが、ここは英国人向けなら appeasement(宥和)によってヒトラーに譲歩したチェンバレン首相(当時)の轍は踏まないというという発言になったことであろう。
そう、その「妥協」しないという点が、まさにサッチャー夫人そのものであり、英語の原題にあるように The Iron Lady Never Compromise(鉄の女に妥協なし)なのである。これがあえてタイトルになるということは、un-British(非英国的)であったからである。
サッチャー夫人は、自分の信念に忠実に徹し切れたわけだが、世の中というものは「押してダメなら引いてみな」というものである。英国では「妥協」というものが重んじられるとは、むかしからなんども聞かされてきたことである。英国人は日本人とは違って「大人」だから、だという理由づけで。
その意味では、この映画を観ていて思うのは、確固たる信念に基づいて毅然とした態度で臨むサッチャー首相のリーダーシップスタイルは、見習うべき点があると同時に、妥協を行わなかった点は反面教師にしなくてはならないと思うのである。
「妥協」しない政治家サッチャー首相。しかし、その「妥協」を欠いた姿勢が最後には・・・
■「非英国的」であったサッチャー夫人
サッチャー夫人が非英国的であったという話に戻るが、映画のなかでもなんども強調されているが、男社会の閉鎖的クラブ社会であった英国政治(・・しかも保守党だ)のなかで孤軍奮闘してきただけでなく、オックスフォード大学卒業とはいえ、伝統的にオックス・ブリッジに進学していたエリート層ではない。庶民階級の出身であった点がまず、それまでの英国とはまったく違う。
ファミリービジネスの食料品店に生まれた娘である。奨学金制度の開始によって、一般庶民にもオックス・ブリッジに進学する道が開かれたのである。また、映画には出てこないが、オックスフォード大学で専攻したのは化学(ケミストリー)である。理系なのである。しばらく専攻を活かした職についていたが、政治家への道を選んだのは、出身地で市長を務めていた父親の影響だろう。
『サッチャー時代のイギリス-その政治、経済、教育-』(森嶋通夫、岩波新書、1988)は、まだサッチャー夫人が在任中に書かれたものだが、著者の森嶋教授は、「サッチャーは、イギリスの悪い所も、善い所も、数多くすっかりぶち壊してしまいました」と書いている。まさにそのとおりだろう。2012年現在でも、サッチャー夫人は毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする存在だ。
しかし、あの時点で荒療治を行わなかったら、英国の衰退はさらに加速していたことは間違いない。著者の森嶋通夫氏は独創的な経済学者で、日本を飛び出して社会科学系では名門のLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)で長く教鞭をとっていた人である。森嶋教授(故人)の政治的立場にはあまり賛同はできないが分析としては面白いと思って読んだ本である。
サッチャー夫人の父親は職人の家に生まれた人で、主流の英国国教会ではなく、熱心なメソジスト派であり、まさに刻苦勉励によって自分自身を鍛え上げた人であったようだ。サッッチャー夫人の首相になるまでの回顧録『サッチャー 私の半生』(The Path to Power、1995)には、「両親ともに熱心なメソジストで、父親は牧師のようだった」とある。この記述から考えると、一般的にイメージされる英国人よりも、かなり米国人に近いメンタリティーの持ち主であったのかもしれない。こういう特性が、そっくりそのまま娘に受け継がれたようだ。サッチャー夫人は、自分自身のことを、プラクティカルでまじめで、宗教的だと書いている。
『サッチャー回顧録』(The Downing Street Years、1993)は、この映画でも冒頭にサッチャー夫人みずからがサインするシーンがでてくるが、日本経済新聞で「私の履歴書」として、翻訳連載されていた抜粋だけは読んでいるが・・・。この正編だけで900ページを越える大著は、ハードカバーの原著を所有しているのだが、いまだに読んでいない。いつかは読む日もあろうかと思って、手放していないのだが・・・。「ダウニング街10番」とは英国首相公邸のことである。
■サッチャー夫人の夫デニスと「鉄の女」の涙
サッチャー夫人が引退を決めたのは、「マギー、もうそろそろいいのではないかな?」と夫のデニスが語りかけたからだという記憶がわたしのなかにあった。
この映画でも最終的に引退を決意させたのが、夫の一言であったことが明らかにされる。おかげで権力者にとって困難な課題である引き際を誤ることはなかったのである。
「在任中の政策が、ただしかったかどうかは、歴史が審判を下す」というサッチャー夫人のセリフに対し、「いや、ゴミ箱行きかもしれないな」と、夫が茶々を入れるのは、さすが英国人である。こういう肩すかしの発言が、サッチャー夫人のストレスリリーフになっていたのだろう。
しかし、11年間にわたるギリギリの意志決定の日々で消耗してしまったのかもしれない。いわゆるバーンアウト(=燃え尽き)症候群というやつか。認知症を患って、現在では自分が首相をやっていたこともわからなくなっているらしい。痛ましい話ではあるが、一国の命運を担う首相としては当然として受け止めるべきことかもしれない。
英国は、女王陛下の夫君というロールモデルが、同時代のエリザベス女王だけでなく、絶頂期のヴィクトリア女王にもあったことは、英国人男性であるデニス・サッチャーにはあらじめ心構えとしてあったのだろうか?
この映画のもう一人の主人公は、実業家のデニス・サッチャーである。男性であるわたしは、どうしてもデニスの存在が気になるものだ。
日本語版の副題が「鉄の女の涙」となているのは、またまた日本人観客向けの情に訴える作戦かといぶかしく思って見始めたが、原題の「鉄の女に妥協なし」よりは、日本語版のほうがいいかもしれないと思った。ちなみに Lady は Sir の女性版。サッチャー夫人は一代爵位で女男爵になっているので、Lady Thatcher が正式名称なのである。
衰退する英国で衰退をなんとか食い止めたサッチャー夫人。同じような地政学ポジションにある日本に住む日本人にとっては、どうしても他人事には思えないものがある。
まあ、ここまで書いてきたようなむずかしい話は別にして、エンターテインメント作品としてよくできているので、ぜひ観ることを薦めたい映画である。
P.S. 麹町ワールドスタジオ 「原麻里子のグローバルビレッジ」(Ustream 生放送) に出演して、映画 『マーガレット・サッチャー-鉄の女の涙-』についてさまざまな観点から語り合いました(2012年4月18日 21時から放送)。いろいろな裏話もふくめた内容の濃い番組になっていると「思います。当日の放送は、下記のサイトでから録画を視聴できますので、ぜひご試聴ください(2012年4月20日 記す)。 http://www.ustream.tv/recorded/21938422
P.S. レディー・サッチャーがお亡くなりになったという情報が入ってきた。享年87年。まさに「巨星落つ」という感である。賛否両輪はあるものの偉大なリーダーであったことは間違いない。冷戦を終わらせた偉大な功績は後世に長く語り伝えられることだろう。レーガン大統領はすでに世を去り、残るはゴルビー(=ゴルバチョフ)と中曽根元首相である。ご冥福をお祈りしたい。合掌。(2013年4月8日 記す)
<関連サイト>
映画 『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』 (日本版公式サイト)
The Iron Lady Trailer Official 2011 [HD] (英国版トレーラー)
・・イギリス英語は発音さえ聞き取れれば、むしろ受験英語に慣れてきた日本人には理解しやすいかもしれない
Casta Diva - Maria Callas (Best)
・・オペラ『ノルマ』から、マリア・カラスの独唱で「Casta Diva」(清らかな女神よ)
<補足解説>
映画のなかで、サッチャー首相の就任式で「アッシジのフランチェスコの祈り」を朗読するシーンがある。全文は以下のとおり。
平和の祈り
主よ、わたしを平和の道具とさせてください。
わたしに もたらさせてください……
憎しみのあるところに愛を、
罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、
誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、わたしに求めさせてください……
慰められるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、
自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
『フランシスコの祈り』(女子パウロ会)より
(出典: wikipedia アッシジのフランチェスコ )
<関連サイト>
「鉄の女」サッチャーの最大の強みは、最大の弱みでもあった (ロバート・B・カイザー,バート、E・カプラン、『ダイヤモンド・ハーバード・レビュー』、2014年3月3日)
・・わたしがこのブログ記事で書いたことをリーダーシップ論の観点から補強してくれる記事
(2014年3月3日 項目新設)
<ブログ内関連記事>
なぜいま2013年4月というこの時期に 『オズの魔法使い』 が話題になるのか?
・・「先日お亡くなりになったサッチャー元首相は、在職中に発揮したリーダーシップによって「英国病」を完治し、衰退する英国に活を入れた日本ではもっぱら称賛する人が多いが、当事者である英国人のあいだには、その強引なやり方のために中流階級が弱体化したと批判している人も存在します。 サッチャーの批判勢力が「祭り」(?)を引き起こしているとTVで報道されていました。批判勢力の呼びかけで、『オズの魔法使い』の「鐘を鳴らせ 魔女が死んだ」という歌が、猛烈な勢いでダウンロードされ、英国のヒットチャートでナンバーワンになっているいうのです」
映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)
書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?
・・同書の第二章でサッチャー夫妻が取り上げられている
アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
(2016年6月25日 情報追加)
(2020年12月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
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