先日、ほぼ30年ぶりに『歎異抄』を通読する機会をえたが、読んでいて異論や違和感を覚えた。これは正直な感想だ。自分にウソはつかないほうがいい。
違和感を感じたのは、「悪人正機」と「絶対他力」。この2点については、おそらく高校の倫理社会の授業でも取り上げられるテーマではないかと思う。
前者の「悪人正機」にかんしては、1995年の「サリン事件」の際にも大いに論じられたはずだが、みなすっかり忘れてしまっているのだろうか。麻原彰晃のような大悪人も救済されるのか? そんな問いである。
後者の「絶対他力」については、ある意味では「『歎異抄』原理主義」」といった印象をつよく感じる。
信心としての発言ならわからなくはないが、日常生活に応用するにはムリがあるのではないか。「自力」で努力することの意味がわからなくなってしまうからだ。
■清沢満之という知られざる哲学者
なぜこうのように思うかというと、清沢満之(きよざわ・まんし)という、浄土真宗の大谷派(東本願寺)が生んだ僧侶で、知られざる哲学者の文章を以前から読んでいたからだ。
わたしが読んでいたのは、『清沢文集』(岩波文庫、1928)である。清沢満之は、夏目漱石や西田幾多郎にも影響をあたえている。フランス現代思想を専門にしていた今村仁司氏が、晩年にほれこんで『現代語訳 清沢満之語録』(岩波現代文庫、2001)も出しているほどの存在だ。
昭和2年(1927年)に創刊された岩波文庫だが、その翌年に出版されたのが『清沢文集』である。参考のために岩波書店のウェブサイトから内容を再録しておこう。
清沢満之(1863‐1903)は16歳で僧門に入り,東大哲学科を卒業,一高の教授となり,のち,東本願寺関係の教職についた.当時,本願寺が財を追うに汲々とし,既に親鸞の精神が失われ去られているのを見るに堪えず,筆と舌をもってその革新を叫んだ.すなわち明治精神主義の警鐘となった人である.
一向宗(=浄土真宗)中興の祖である蓮如によって400年にわたって封印されてきた『歎異抄』。これを再発見し、その意味を明らかにし積極的に評価したのが清沢満之である。
ただし、清沢は『歎異抄』だけでなく、初期仏典である『阿含経』とあわせてエピクテートスの『語録』を「予の三部経」として愛読していた。
エピクテートスは、『自省録』のマルクス・アウレリウスに先行する古代ローマのストア派の哲学者。清沢満之はエピクテートと書いているが、英語版で愛読していたようだ。東大でフェノロサから直接ヘーゲルなど学んでいた清沢は、通訳ができるほと英語には堪能だった。
エピクテートスがその最たる存在だが、ストア派哲学においては、「自分でコントロールできるもの」と「自分ではコントロールできないもの」を分けて考えよと説いている。
これをさして、清沢満之は「如意」と「不如意」と書いている。「如意」とは「意のままになる」なので、「不如意」は「意のままにならない」を意味している。カネがないという俗語的用法のもともとの意味は、そういうことになる。
エピクテートスを愛読していたということは、清沢満之は『歎異抄』でいう「絶対他力」には限定づけを行っていることになる。『歎異抄』絶対主義者ではないのである。精進や積善など「自力」の要素を否定していないのである。
自己啓発哲学にからめていえば、ある意味ではスピリチュアル系の「他力」を前提としながらも、セルフヘルプ的な修養、つまり「自力」を否定はしていないことになる。重要なことは、「自力」には限界があるということだ。
宗門に属していた「中の人」であったが、幕末に生まれた没落士族出身の清沢満之は、明治時代前期の「成功時代」の空気を吸っていた人物であり、哲学志向の持ち主ならでは、というべきではないだろうか。
■『歎異抄』に感じる違和感をたしかめる
内発的動機ではなく外的要因からではあったが、『歎異抄』をひさびさに読むことになったのも、これまたなにかの「仏縁」である、そう感じて購入したまま長らく積ん読のままにしてきた関連書を、つぎからつぎへと読んでみた。『歎異抄』をひさびさに通読して抱いた違和感の正体を確かめたかったからだ。
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仏教をベースにした宗教学者の山折哲雄氏は、岩手県の浄土真宗の末寺の出身で、父親の布教先であるサンフランシスコで生まれた人。多作のこの人の本は、10代後半の大学学部時代以来これまで何冊も読んでいる。
『悪と往生』の原本は2000年の出版で、1995年のサリン事件がキッカケになったのだという。 弟子の唯円の聞き書きで構成された『歎異抄』と、親鸞自身の手になる主著『教行信証(きょう・ぎょう・しん・しょう)』との内容のズレを指摘し、「弟子というものは師を裏切るもの」だと書く。
山折氏は、このテーマだけで『教えるえること、裏切られること ー 師弟関係の本質』(講談社現代新書、2003)という本を書いているが、あらためてその意味をかみしめている。
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同時並行的に『地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし 小説 暁烏敏(あけがらす・はや)』(石和鷹、新潮文庫、2005)を読む。暁烏敏という名前は時々耳にするものの、どういう人か知らなかったので。
タイトルの「地獄は一定すみかぞかし」は『歎異抄』にでてくる有名なフレーズ。「地獄に落ちることはわかっているが、いまここの自分がいるところが地獄なのだ」という自己認識をを意味している。
暁烏敏は、門徒地帯である北陸の、金沢にも近い貧乏寺に生まれ、先に名前をだした清沢満之の弟子で、『歎異抄』を前面に打ち出した「破格の念仏僧」。 生きていた当時は、カリスマ的な人気をほこっていたが、スキャンダルまみれで毀誉褒貶あいなかばする人物であったようだ。
たしかに文学作品の素材としては面白いが、「悪人正機」をそのまま生きた人物であったといえるのかもしれない。 その意味では説得力のある説教者だったわけだ。
だが、この暁烏敏もまた、「弟子というものは師を裏切るものだ」という山折哲雄のテーゼそのままを地で生きた人物といえる。というのも、師である清沢満之の哲学的な側面を黙殺して、『歎異抄』を絶対化した人だからだ。自分の都合にあわせて、師の名前を利用したと言われても否定しようがない。
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『清沢満之と日本近代思想 ー 自力の呪縛から他力思想へ』(山本伸裕、明石書店、2014)は、知られざる哲学者であった清沢満之について詳しく知ることのできる良書。一読してみて、清沢満之を知るには、まずこの本から始めるといいと思った。
先にも触れたが、意外なことに清沢満之はお寺の出身ではない。勉強はできたが没落士族であったため、東本願寺の奨学金を得て、帝大になる前の東大で哲学を学んでいる。宗教哲学の開拓者たらんと意気込んでいたのである。
そのまま大学に残っていたら、西田幾多郎の前に「日本初の哲学者」になっていただろうという評価もある。
「目次」は以下のようになっている。
序章 清沢満之ー「神話」の形成とその解体第1章 人物と思想第2章 東京大学哲学科第3章 清沢満之のインパクト第4章 『歎異抄』の再発見
清沢満之には、もっと注目があっていい。どうも「宗門の人」という固定観念ができあがってしまって、敬遠されてしまったままなのだろう。残念なことである。
(清沢満之 Wikipediaより)
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『仏教の大東亜戦争』(鵜飼秀徳、文春新書、2022)は、京都にある浄土宗寺院の住職でジャーナリストの著者によるノンフィクション作品。
明治維新にともなう「廃仏毀釈」で壊滅的な打撃を受けた仏教界が、いかに近代日本において国策を支える存在として機能してきたかをつぶさに検証している。
なかでも大きな役割を演じてきたのが、豊富な資金力と閨閥によって明治維新体制の支配層とも密接な関係をもってきた、東西両本願寺の浄土真宗であることが明らかにされる。物心両面にわたって支配体制を支える一翼であったことは紛れもない事実なのだ。
戦国時代末期に一向一揆が壊滅的打撃を受けて以降は、その時代の支配層とたくみに折り合いをつけて生き抜いてきた教団である。
禅仏教と戦争協力の件については、禅宗各派が戦後ほっかむりしてきたことに対して、だいぶ前から糾弾されてきたが、戦争協力にあたって浄土真宗のはたした役割については、あまり知られていない。功罪両面にわたって冷静に受け止める必要がある。
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このテーマとも関係があるのが、『親鸞と日本主義』(中島岳志、新潮選書、2017)。 この本の存在は出版当時から知っていたが、じつはつい最近まで黙殺していた。タイトルにあるこの組み合わせにあまり関心がなかったからだ。
思想史家の中島氏は、近代日本とインドの関係についてのノンフィクション的研究書を何冊も出しているが、バーク以来の本来の意味としての「保守主義」の立ち位置から近現代の日本思想について積極的な言論活動を行っている人。
特定の宗派には属していないが『歎異抄』を座右の書とし、自分は「門徒」である自覚している中島氏は、このテーマは他人事ではないとしている。
わたしもそうだが、一般的に「日本主義」というと、どうしても「日蓮主義」のイメージが固定観念として濃厚にある。
田中智学の「国柱会」の影響下にあった軍人の石原莞爾などを想起するからだ。浄土宗の僧侶で作家の寺内大吉氏の『仮城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』(中公文庫、1996)などの印象が大きい。だから、中島氏のこの本は黙殺していたのだ。
ところが、激しいアカデミズム攻撃をおこなったことで悪名高い蓑田胸喜(みのだ・ むねき)など『原理日本』の関係者は、いずれも親鸞主義者であり、「絶対他力」のロジックを国家神道体制のもとにおける「惟神(かんながら)」に援用している。このことは初めて知って驚いている。
『歎異抄』を戯曲化した『出家とその弟子』の著者である倉田百三が、後年は国家主義者に転じていること。
また、徹底的に弾圧された獄中のマルクス主義の運動家たちが、浄土真宗がその中心であった「教誨師」によって「転向」していること。
先にも名前を出した暁烏敏が、浄土真宗の門徒たちを殺生をおこなう戦場に送り出すためのロジックを編み出して、ある種のイデオローグ(・・いやデマゴーグというべきか?)として煽りに煽った存在であったこと。(・・ただし、なぜか中島氏は、暁烏敏の手のひらを返したようなご都合主義的な敗戦後の「転向」については触れていない)。
そんな事実がつぎつぎと明らかにされ、「日蓮主義」だけでなく、「親鸞主義」もまた「日本主義」や「超国家主義」を支えていたことを知った。
日本最大の宗派である浄土真宗の存在の大きさについては、日本近現代史を考えるうえで、無視できない重要な要素である。 今後は、「積極哲学」ともいうべき日蓮主義と、「消極哲学」ともいうべき親鸞主義の違い、近現代の日本におけるその意味について、考えていきたい。
■「『歎異抄』絶対主義」はきわめて危険
話がだいぶ拡散してしまったようだが、結論としては「『歎異抄』絶対主義」あるいは「『歎異抄』原理主義」は、きわめて危険だということだ。400年前に蓮如が封印したのもわかる気がする。『歎異抄』は古典であるが、依然として取扱注意の危険な本なのだ。
「絶対他力」は信心の世界では可能かもしれないが、現実の日常として生活をおくるうえでは不可能である。精進や積善というと古くさいニュアンスがあるが、すこしでも自分を向上させるための修養は必要である。
「自力」あっての「他力」、そして「自力」の限界を悟ることの意味を体感することは必要だ。そのキッカケとして『歎異抄』を読むことには意味がある。だが、古典だからといって、無批判に賞賛したり、自分に都合よく読むのもまた禁物である。けっして軽々しく取り扱うべき内容ではない。
もちろん、そう書いているわたしは「門徒」ではないものの、「凡夫」(ぼんぷ)だという自覚はもっており、知らず知らずのうちに悪を犯している「悪人」であることは否定しない。『歎異抄』のそんな要素にかんしては共感する。
だからこそ、浄土真宗の「中の人」でありながら、ストア派のエピクテートスを愛読していた哲学者・清沢満之の存在を意識しておきたいのだ。
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