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2015年4月5日日曜日

書評 『極限の特攻機 桜花』(内藤初穂、中公文庫、1999)-人間爆弾の開発にかかわった海軍技術者たちと散っていった搭乗者たち、そして送り出した人たち


ことしもまた日本全国は桜の季節である。現在の日本で主流となっているソメイヨシノの花は、あっという間に満開になり、そしてその瞬間から散ってゆく。「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛の辞世の句を想起する人も少なくないだろう。

特攻作戦に出撃する者、そしてそれを見送る者。ともに、「散る桜 残る桜も 散る桜」の感懐を抱いて死んでいった。死ぬ順番に違いがあるだけで、死ぬことには違いはない。これが大東亜戦争の末期の日本であった。軍人だけでなく、非戦闘員である多くの国民も無差別殺戮の犠牲となった。

特攻作戦、なんという非人間的な作戦であったことか! 太平洋の島々では、日本陸軍がつぎつぎと「玉砕」していったが、「特攻」は「玉砕」とは性格が異なる。あくまでも「死中に活」を見いだそうとした悲壮な突撃であった。玉砕はあくまでも結果である。奇跡的に生き残って捕虜となった将兵もいる。

特攻作戦は、死ぬことを覚悟した作戦であっても、死の意味が違う。そのことを気づかせてくれたのが、本書 『極限の特攻機 桜花』(内藤初穂、中公文庫、1999)だ。決死と必死の違いである。

決死と必死。よく似たコトバだが意味合いは大いに異なる。決死は覚悟しても、その本人は生き残る可能性はゼロではない。可能であれば敵を倒して自分も生き残るという気持ちがある。

「必死」とは必ず死ぬという意味だ。死ぬ以外の可能性はゼロなのである。「必死になる」という表現はあくまでも比喩的なものである。特攻作戦においては、「必死」は文字通りの意味しかもっていなかった。必ず死ぬ、という意味において。

「桜花」(おうか)とは、大日本帝国海軍が開発し、戦争末期にじっさいに使用されたロケット推進式小型高速機による人間爆弾のことである。操縦士が操縦して突っ込む戦闘機による特攻とは異なり、自走式ではない「桜花」は、母機から切り離されたらひたすら落下していくしかない。母機から切り離されたら生還の可能性はゼロなのである。これが「必死」ということの意味なのだ。

人間爆弾のアイデアが生まれたのは、ロケットの誘導技術が1944年当時の日本では未完成であったためであったことが、『極限の特攻機 桜花』を読むとわかる。無線や熱線での誘導は実験室では成功していても、実用化はまだまだだったのだ。だから、爆弾に人間が搭乗して誘導するというアイデアが生まれたのである。

このアイデアが海軍内部で提案されたとき、技術将校たちは最初は大いに拒否反応を示したという。それは当然といえば当然だ。本文から会話部分だけ抜き出してみよう。会話内容は事実に基づいたものを構成したと著者は書いている。

「それで誘導装置は?」
「人間が乗ります」
「なんだって?」
・・(中略)・・
「なにが一発必中だ。そんなものが造れるか。冗談じゃない」
「このままでは、日本はじり貧です。今や航空機の主導権は敵ににぎられ、まともな戦法では、敵機動部隊の侵攻を抑えきれません。この体当たり機で敵空母を粉砕して、戦局を挽回するのです。どうか力を貸してください」

誘導に無線が使用できないのであれば人力に頼る。ある意味では合理的な発想である。だが、それは人の道をはずれたものだ。まさに外道(げどう)としかいいようがない。

(母機から切り離された人間爆弾「桜花」 wikipediaより)

だが、悲しいかな、一度はじまった戦争は自動機械のように自ら止めることがでず、「持たざる国」日本にとっては、たとえ外道の作戦であれ局面打開しかないという発想に軍指導部が陥っていたのであった。有利な条件で停戦に持ち込むという考えに、最後の最期まで囚われていたのである。

海軍技術将校たちは、技術者ではあっても軍に所属している以上、上からの命令を拒否することはできない。設計者やエンジニアたちは、猛スピードで設計し、試作機を完成し、テスト飛行もそこそこに突貫作業で量産化に入ってゆく。秘密兵器である以上、生産を民間にゆだねるのは限界があった。

「桜花」の搭乗員も最初は「志願制」であった。自発的な意志を利用したわけだが、その後は「志願」ではなくなってゆく。「桜花」がじっさいに使用されるにあたっては、送り出される側の「桜花」の搭乗員だけでなく、送り出す側にも心理的な葛藤がついてまわった。覚悟を決めても作戦が実施されないと搭乗員の気持ちは弛緩する。自分は特攻せずに送り出す側には、後ろめたい気持ちがぬぐいきれない。そもそも「決死」ではなく、「必死」の命令を下すことは人の道に反しているのである。

本書の著者は元海軍技術将校。「桜花」の開発に携わったわけではないが、海軍という組織と、海軍における技術開発については肌感覚でわかっている人である。しかも、『星の王子さま』の翻訳で名高いフランス文学者・内藤濯(ないとう・あろう)のご子息だけあって、全編が読ませる文章である。

特攻というと、最近は若い人たちのあいだでも鹿児島南端の知覧(ちらん)の特攻祈念会館までいってくる人が増えているのは、たいへんすばらしい。展示品の特攻隊員たちの遺書や遺品をみて涙が流れるのを止めることができなかったという素直な感想を聞くのも、日本人としてはうれしい。

だが、特攻作戦には知覧基地から自走式で飛び立っていった戦闘機によるものだけでなく、鹿屋(かのや)基地から出発した「桜花」(おうか)のような、母機に連結された人間爆弾として使用された、非人間性の極限としかいいようのない特攻もあったことを忘れるべきではない。

自走式ではないがゆえに敵国の米軍からは BAKA(バカ)と呼ばれ、日本人の記憶から消えがちな人間爆弾「桜花」。かつての日本と日本人が、道を外してしまったという大きな反省とともに、「桜花」とともに散っていった死者の尊厳さにも思いを馳せなければならないのである。

著者は、文庫版の「あとがき」の文章を以下のように始めている。

特攻そのものについては、救いがたい愚挙だった、と、私は思う。かかる愚挙を組織的な作戦とした用兵首脳や、それに用いる専用兵器を開発した軍事技術者、永久に呪詛されても致しかたない、と、私は思う。しかし、特攻にすすんで身を託した死者たちは、本質的に違う次元にいる。

同感である。特攻作戦を立案し推進した者たちと、特攻作戦で死んでいった搭乗者たちは異なる次元の存在だ。前者に批判は絶対に必要だが、後者には崇高の念さえ感じるのである。

特攻の死者たちの存在なくして、いまの日本も日本人もない。尊い死者たちの冥福を祈る。





目 次


第1章 試作番号MXY7
第2章 神雷(じんらい)誕生
第3章 この槍、使い難し
第4章 非理法権天
第5章 沖縄決戦
第6章 死なばや死なん
第7章 本土決戦
第8章 とよはたぐもに いりひさし
あとがき
解説 (ジョン・ブリーン ロンドン大学助教授)


著者プロフィール

内藤初穂(ないとう・はつほ)
1921年(大正10年)東京生まれ。1942年、東京帝国大学工学部船舶工学科卒、海軍技術科士官として海軍航空技術廠科学部勤務。敗戦時、海軍技術大尉。戦後、岩波書店編集部、PR会社自営を経て、1975年より著述業。2005年、「優れたノンフィクション作品を通じ、海や船についての歴史的史実を一般国民に知らしめた功績」により第9回海洋文学大賞特別賞を受賞。また、2006年には、父・内藤濯の生涯を描いた『星の王子の影とかたちと』により、第14回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(本データは2008年に出版された著書に掲載されていたもの)。


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