映画 『スポットライト』(2015年、米国)を TOHOシネマズで見てきた。東海岸の地方都市ボストンを舞台にした、ローカルコミュニティに根ざした地方紙の取材をめぐる葛藤を描いた力作だ。
「スポットライト」というのは、地方紙ボストングローブの特集ページのこと。ローカルコミュニティで起こっている問題を取り上げて調査報道を行う記者たちのチームが担当している。
新聞の読者層の半数以上を占めるのがカトリック教徒。そのカトリック教会そのものにかかわるのが、司祭(・・すべて男性)による児童(・・基本的に男児が大多数)の性的虐待スキャンダルだ。長年にわたって隠蔽されつづけてきた問題である。多数におよぶ被害者たちやその家族たちは、「見えない圧力」によって黙秘を余儀なくされつづけてきたのである。寝た子を起こすな、と。
この問題を積極的に取り上げるべきだと主張したのが、この地方紙を買収したメディア企業から送られてきた新任の編集長。意外なことに、新聞本来の役割を果たすことで部数増加を図るべきだというまっとうな主張を行う。だからこそ、カトリック教会のスキャンダルを追求すべきだ、と。
だが、新聞経営の基盤である読者層と、彼らが属するローカルコミュニティの大多数の意に反して真相にかんする取材を行い、記事にすることはジャーナリズムの精神の根幹にかかわる難題だが、言うは安く行うは難し。この課題を、新任の編集長のもと、地元出身者が大半の記者たちのチームが乗り越えたのがこの映画であり、物語のあらましである。
映画の冒頭に Based on actual events. と表示されるので限りなく実話に近いのであろう。舞台設定は2001年から翌年にかけて。ちょうどニューヨークの「9.11」が発生した時期の前後にあたる。
わたしがこの映画を見たいと思っていたのは、「ジャーナリズム魂」のドラマもさることながら、日本のメディアではあまり報道されることのない、カトリック司祭による児童の性的虐待がもうひとつの重要なテーマだからだ。
生涯独身と禁欲が義務であるカトリック司祭の本質そのものにかかわるものであるが、児童の性的虐待にかんする告発は、現在でも全世界であとをたたない。明治時代になってから、さっさと妻帯禁止を放棄した日本仏教でとの大きな違いである。ただし、ここで日本仏教がすぐれていると主張するつもりはない。
現代スペインを代表する映画監督のペドロ・アドモドバルの自伝的作品に『バッド・エデュケーション』(2004年)という作品があるが、カトリック国スペインの神学校におけるカトリック司祭による自動の性的虐待がモチーフとなっている。
このように、この問題はアメリカにとどまらず、全世界的な問題なのだが、カトリック人口の少ない日本では、なぜかあまり明るみになることはきわめて少ない。例外は、少年時代をカトリック系の孤児院で過ごした、小説家の花村萬月氏による自伝的作品くらいだろうか。これまた小さなコミュニティゆえの問題であろう。
そもそも保守的な傾向のあるカトリックだが、ボストンのような都市でも、「見えない圧力」が存在するということだ。「見えない圧力」や「見えない縛り」は、日本の「世間」のようなものだといってもいいのではなかろうか。
(原作の『スポットライト 世紀のスクープ-カトリック教会の大罪-』日本語版)
映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)は、舞台がデンマークの地方の小都市だが、似たようなテーマを描いている。
地方においては共同体はキリスト教(・・デンマークはカトリックではなくプロテスタント国)の教会を中心に形成されており、教会に参列する人はほとんどみなが顔見知りである。狭い共同体のなかでは、いやがおうでも顔を合わせざるを得ない。映画 『偽りなき者』の主人公は、「幼児の性的虐待者」という濡れ衣を着せられるが、狭いローカル・コミュニティの「世間」のなか辛酸をなめることになる。
保守的な地方のコミュニティに存在する「世間」の「空気」を変えるのは、俗に「若者、ばか者、よそ者」だといわれることがあるが、とくに「よそ者」の存在が大きな意味をもつ。
映画 『スポットライト』では、新任の編集長がユダヤ系で、偏屈者の弁護士がアルメニア系だという設定に注目するべきだ。彼らは偶然だろうがともに独身で(・・家族重視のカトリックの価値観に反する)、アメリカ社会におけるエスニック・マイノリティである。 地方都市からみたアメリカを理解するひとつのカギにもなる。
「ジャーナリズム魂」や「児童の性的虐待」といったテーマにとどまらず、いろんな角度から見ることのできる興味深い映画だ。よくできた重厚な映画である。見る価値はおおいにある。
■世界最大の組織カトリック教会の総本山バチカンが抱える闇
書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
■カトリック関連
「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?
600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である
・・「清濁併せ呑む」という姿勢がなければ、とても巨大組織の運営などできまい
「説教と笑い」について
・・日本のカトリック司祭叙任式に出席した際のリポートも
クレド(Credo)とは
・・「信徒信経」について
■「世間」的なるものは日本以外にも存在
映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」
・・「地方においては共同体はキリスト教の教会を中心に形成されており、教会に参列する人はほとんどみなが顔見知りである。狭い共同体のなかでは、いやがおうでも顔を合わせざるを得ない。」 このなかに存在するのが「見えない世間」。この映画の主人公は「幼児の性的虐待者」という濡れ衣を着せらるが、勇気を持って逃げずに踏みとどまる
書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
■ジャーナリズムのあり方
書評 『官報複合体-権力と一体化する新聞の大罪-』(牧野 洋、講談社、2012)-「官報複合体」とは読んで字の如く「官報」そのものだ!
■アルメニア民族
ブランデーで有名なアルメニアはコーカサスのキリスト教国-「2014年ソチ冬季オリンピック」を機会に知っておこう!
映画 『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年、独仏伊露・カナダ・ポーランド・トルコ)をみてきた(2015年12月27日)-トルコ人監督が100年前のアルメニア人虐殺をテーマに描いたこの映画は、形を変えていまなお発生し続ける悲劇へと目を向けさせる ・・世界中に離散したアルメニア民族の運命
■アメリカ社会とエスニシティ
エスニシティからアメリカ社会を読み解く-フェイスブック創業者ザッカーバーグというユダヤ系米国人と中国系米国人のカップルが写った一枚の結婚写真から
■ボストンという都市
書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流
「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた
・・幕末から明治にかけての日本との縁の深いボストンは、当時は国際貿易で栄えた都市であった。だから世界の名品が収集され、資産として保有されているのである
岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・岡倉天心はボストン美術館に招聘され東洋美術部門の主任を務めていた
シリコンバレーだけが創造性のゆりかごではない!-月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2012年1月号の創刊6周年記念特集 「未来はMITで創られる」 が面白い
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