「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2024 禁無断転載!



2020年10月13日火曜日

「鎖国」はすでに時代遅れか?-『「鎖国」を見直す』(荒野泰典、岩波現代文庫、2019)と『家光はなぜ「鎖国」をしたのか』(山本博文、河出文庫、2017)をあわせて読む


「鎖国」はすでに時代遅れなのだろうか? 

「鎖国」とカッコ書きで書くのは、「鎖国」が歴史の教科書から消え去る瀬戸際にあるからだ。かろうじて踏みとどまった結果、カッコ書きの「鎖国」という形で生き残ったものの、江戸時代の日本はほんとうは「鎖国」ではなかったという主張が年々根強くなっているようだ。

その急先鋒とでもいうべき立場にあるのが、日本近世史の荒野泰典氏である。荒野氏の主張は、江戸時代の日本は「鎖国」ではなく「4つの口(長崎・対馬・蝦夷・琉球)」で世界につながっていたというものだ。いわゆる「(日本型の)海禁・華夷秩序論」である。江戸時代は一度も完全に閉ざされていたことはないのである、と。

荒野氏の研究エッセンスをを一般向けに簡潔に解説したものが文庫本として昨年2019年末に出版された。『「鎖国」を見直す』(荒野泰典、岩波現代文庫、2019)である。川崎市民講座の内容がブックレット化されたものの文庫化である。

「鎖国」はカッコ書きであっても歴史用語として使用すべきだというのが、おなじく日本近世史の山本博文氏である。3年前に文庫化された家光はなぜ「鎖国」をしたのか』(山本博文、河出文庫、2017)である。初版の単行本の際のタイトルは『寛永時代(日本歴史叢書)』(吉川弘文館、1996)という味も素っ気もないものだった。おそらくこのタイトルではあまり売れなかったのではないかな。

その点、文庫版のタイトルは内容そのものに即している。将軍家光の時代に、東アジアにおける複雑で緊迫する対外関係のなかで、国内体制がいかに固められていったかを描いたものだ。それが元号でいう寛永年間のことだった。それは江戸幕府が採用した「鎖国」というべき政策であったのだ、と。

つまり、山本氏は軍事と安全保障に重点をおいた論を立てているのである。管理貿易と外交という側面だけでモノを見る危険を示している。江戸幕府はあくまでも武家政権であり、現代風にいえば軍事政権であったのだ。

「平時」が長く続いたので防衛戦争も含めて武力発動はなかったが、つねに「有事」への備えを持ち続けていたのである。私なら江戸幕府は「軽武装の専守防衛体制」をとっていたといいたいところだ。問題は「平時」が長く続き過ぎたため、18世紀末まで西欧との武力格差が開いていたことになかなか気がつかなかったことにあった。

荒野氏の議論は、スタティック(静的)な印象を受ける。この説明では江戸幕府が明清と朝貢関係を結ぶことがなかったために、結果として中国の「華夷秩序」から「離脱」したことが幕末から明治期にかけて大きな意味をもった歴史のダイナミズムが理解されにくい。朝貢国とならなかった日本と、朝貢国でありつづけた朝鮮との違いである。

とはいえ、荒野氏だけでなく山本氏も前提としているように、「鎖国」というコトバ自体は「鎖国」体制が確立した時点では存在しなかったものだ。これから「鎖国」するといって、御触書がでたわけではない。江戸時代初期にだされた、関連する複数の法令をまとめて「鎖国令」といっているに過ぎないのである。

「鎖国」という表現は18世紀末に誕生し、幕末から明治維新以降に普及していったたものであることは教科書レベルの「常識」である。だが。そのために「開国」論が生まれたのである。「鎖国・開国」は対表現である。

この2冊はいずれもすぐれた本である。2冊一緒に読むことで、江戸時代初期に東アジアの国際関係がいかにして成立したか、立体的に把握することが可能になる。



 



目 次

第1部 「鎖国」を見直す
 はじめに
 1. 見直される「鎖国」-現状と問題点
  1. 高校教科書の記述の変化から 
    2. 高校教科書の記述の問題点
 2.「鎖国」という言葉の経歴-誕生・流布・定着の歴史的意味
  1. 「鎖国」という言葉の誕生  
  2. 「鎖国」の評価の変遷 
  3. 鎖国観定着の意味 
 3. 近世日本の国際関係の実態
  1. 近世日本の「4つの口」
  2. 長崎口
  3. 対馬口
  4. 薩摩・琉球口-朝鮮と「通信」の関係
  5. 松前口-蝦夷地のアイヌ等との「撫育」の関係
 4. 東アジアのなかで息づく近世日本-「鎖国」論から「国際関係」論へ
  1. 近世日本と東アジアの国際関係-「海禁」と「華夷秩序」を通して見る
  2. 近世日本と東アジア国際市場-貿易に見る日本と東アジア
 5. 鎖国を見直す意味-なぜ歴史は見直されるのか
第2部 明治維新と「鎖国・開国」言説-なぜ近世日本が「鎖国」と考えられるようになったのか
 1. 前口上 
 2. はじめに-「鎖国・開国」言説ということ
 3. 近世日本の国際関係の実態
  1. 「鎖国」から「4つの口」へ
  2. 「鎖国」論から「海禁・華夷秩序」論へ
  3. 「小帝国」近世日本と「海禁」
  4. 「海禁・華夷秩序」論から「鎖国・開国」言説へ
 4. 終わりに-「鎖国・開国」言説の成立と定着
あとがき

著者プロフィール
荒野泰典(あらの・やすのり)
1946年広島県生まれ。1970年東京商船大学卒業。1975年東京大学文学部国史学科卒業。1977年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂所、立教大学文学部を経て、立教大学名誉教授。近世日本対外関係史。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


『家光はなぜ「鎖国」をしたのか』(山本博文、河出文庫、2017)

目 次

はじめに
原本はしがき

第1 16・17世紀の東アジア
第2 家光の政治と対外関係 
 1. 家光親政の開始
 2. 幕府機構 の再編
 3. 御代始めの御法度
 4. 外交・貿易政策
 5. 閉塞状況に向かう幕政
第3 島原の乱とその影響 
 1. 島原の乱と九州諸藩
 2. 寛永15年の幕府機構改革
 3. ポルトガル人の追放
 4. 沿岸防備体制の構築
 5. 「鎖国」と「海禁」
第4 幕府・藩・朝廷
 1. 全国支配の構造
 2. 家光を支えた人びと
 3. 初期御家騒動の特徴
 4. 藩政確立への努力
 5. 大名留守居制の成立
 6. 幕府と朝廷
第5 都市と農村
 1. 江戸の建設と都市民の生活
 2. 寛永期の市場構造
 3. 奢侈禁令と寛永恐慌
 4. 大飢饉と幕府の対応
第6 外からの脅威と幕政
 1. ポルトガル使節の来航
 2. オランダの貿易戦略と鄭芝龍
 3. 明清交替とその影響
 4. 正保・慶安期の幕政
まとめ
関係年表
参考・引用文献


著者プロフィール
山本博文(やまもと・ひろふみ)
1957年岡山県生まれ。東京大学文学部卒業。現在、東京大学史料編纂所教授。文学博士。『江戸お留守居役の日記』で第40回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。専門は日本近世史で、一次史料を丹念に掘り起こし、深い考察と親しみやすい文章で人気を博す。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>








(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)


   
(2012年7月3日発売の拙著です)

 





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end