■国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論■
2010年以降の「日本の立ち位置」はいったいどこにあるのか、これを真剣に考える人にとっては、いまこそ議論の出発点として振り返るべき論文集である。中公クラシックスという形で、古典として出版された意義は大いにある。
本書は、いまから45年前の1965年、著者31歳のときの処女作である。
単行本タイトルともなった「海洋国家日本の構想」と巻頭におかれた「現実主義者の平和論」だけでなく、「外交政策の不在と外交論議の不毛」、「二十世紀の平和の条件」、「二十世紀の権力政治」、「中国問題とは何か」、「核の挑戦と日本」の全7編、いずれも読み応えのある論文である。
大半が雑誌論文として発表されたものであり、1964年当時の一般の知的読者向けに平明な文章で書かれているが中身の濃い、読み応えのある内容となっている。
今回、初めて全編とおして読んでみて思うのは、時代の制約があるのは当然としても、本質においてはまったく古びていないことだ。たとえば日米安保条約について、現在の迷走する状況をあたかも予言しているかのような記述を目にしたとき、その透徹した「現実主義者」のまなざしには思わず恐れ入った。
著者の論点が本質においてけっして古びていないのは理由がある。
それは、日本をめぐる国際政治的 "状況" は大きく変化しても、日本がおかれている地理的条件に基づいた国際政治的 "条件" が変化することはないからだ。日本は地理的には「極東」でありながら東洋ではなく、開国以来の政策によって西洋世界の「極西」となったが西洋ではない。アイデンティティがはっきりしない宙ぶらりんの存在なのである。
島国として大陸から距離があることを、著者は「東洋の離れ座敷」と表現しているが、この地理的条件のおかげで、中国文明、西洋文明、アメリカ文明の圧倒的影響を受けながらも、日本人による取捨選択を容易にしただけでなく、直接国土を蹂躙(じゅうりん)されることもなく今日までやってこれたのである。
しかしながら、地理的条件からいえば欧州に対する英国に近いのにかかわらず、英国とは異なり「海洋国」としての意識が弱く、「島国」のままではないか、というのが著者の懸念である。
海洋によって世界とつながっている日本がとるべき道は、太平洋を圧倒的に支配する米国海軍による通商保護体制のもと、必要な軍備を備えた通商国家として、知的能力でもって世界に貢献することではないか、と。
あくまでも政治を権力の観点から捉え、イデオロギーでみることを排した高坂正堯は、現実追随主義ではない現実主義者であった。解説者の中西寛・京大教授のコトバを借りれば、それは「理念を実現するための手段を選択する上での現実主義」である。
京都人特有の柔らかな語り口に潜む、現実認識と強靱な論理によって貫かれた本書は、政治の本質、国際政治の本質を考えるうえで、日本人に残された大いなる知的遺産であるといえよう。
アクチュアルな問題を論じて本質について語った本書の諸論文は、今後も振りかえるべき古典として残っていくであろう。
<初出情報>
■bk1書評「国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論」投稿掲載(2010年2月14日)
■国際政治学者・高坂正堯が原論活動を行った時代とは
高坂正堯(こうさか・まさたか)は国際政治学者(1934~1996)。長く京都大学法学部教授を務めた。
生前は、日曜朝の田原総一郎が司会する番組にレギュラー出演し、コメンテーターとして柔らかい京都弁で活躍していた姿を覚えている人も多いだろう。62歳の若さで亡くなったことは、実に惜しまれてならない。
「海洋国家日本の構想」(1963)は著者の論壇デビュー作で、この論文を収めた本書『海洋国家日本の構想』(1965)は、同じく京都出身で京大教授であった梅棹忠夫(1920-)の代表作『文明の生態史観』(中公文庫、1974 原著1967)と並んで、戦後日本が生んだ重要な古典といっていいだろう。現在では、当たり前の考え方になっているので、出版当時のインパクトは想像しようもないのだが。
弟子の一人である中西寛・京大教授の本書解説によれば、いわゆる左派の"進歩思想"が幅をきかせていた時代には、とくに「現実主義者の平和論」は、かなりのインパクトがあったらしい。
現時点から読むと、本書で展開されているような考えは、至極まっとうではないかという気もするが、私が大学生だった25年前でも、まだまだ抵抗感をもつ者も多かっだろうとは思われる。念仏のような平和論を唱える者がまだまだ多数派だったし、「非武装中立」なんてナンセンスな戯れ言を平気で党是にする政党があったくらいだからね。「産学協同」なんてまったくありえないとされた時代でもあった。
最近、『総括せよ!さらば革命的世代-40年前、キャンパスで何があったか』(産経新聞社取材班、2009)という本を読んでいたら、たまたま高坂正堯にかかわるエピソードを見つけたので紹介しておきたい。「全共闘」時代の1969年、京大応援部長(当時)の回想である。
ゼミの指導教官だった国際政治学者の高坂正堯教授(故人の研究室が破壊されたときのことだ。
学生たちは当時、沖縄国際海洋博のブレーンを務めていた高坂教授に「資本主義、大企業を喜ばせるにすぎない」などと主張して公開討論を要求、応じた教授は、時計台広場でマイクを持って討論に臨み、堂々と彼らを論破した。
ところが、その翌日、学生らはゲバ棒を手に研究室を襲撃、使い物にならなくなった部屋を見て、高坂教授は「卑怯千万」と悔しそうにつぶやいたという。(P.96)
こんな時代もあったのだ。
「全共闘世代」を扱ったこの本は、なんと産経新聞社によるもので、しかもともに1973年生まれの記者二人が取材を担当したという。全体的にバランスのとれた内容になっている。また、この本の副題にある「革命的」世代というのがミソだ。「革命」世代ではない「革命的」世代。
しかしなんといおうが、「全共闘」世代の次の(次の?)世代にあたり、「新人類」などと一方的にレッテルを貼られた私の世代からみれば、破壊だけして何も残さなかった、理解不能な世代としかいいようがないので、まったく何の共感も感じない。もちろんなかにはまともな人もいないではないが、小学生の頃、大学というのはゲバ棒をふるう場所だと思っていたのは、私だけではないはずだ。
ただし注意しておかねばならないのは、『総括せよ!』でも指摘されているが、当時の大学進学率は15%と、2009年時点では50%という「大学全入時代」からは考えられない数字であり、「団塊世代」=「全共闘世代」ではないことだ。ここらへんはよく気をつけておかねばないといけない。つまり、「総括」が必要なのは「全共闘世代」であって、「団塊世代」全体ではない、ということだ。
ずいぶん昔だが、私がとくに何の考えもなく「総括」というコトバを使ったら、その世代の上司から「総括」というと連合赤軍の「浅間山荘事件」を思い出すので使って欲しくないんだよねー、といわれたことを強烈に覚えている。そのときはじめて「総括」というコトバの隠された意味を知ったのであった。
私は、浅間山荘事件をリアルタイムでテレビ中継を見ていた世代である。
誰がなんといおうと、「全共闘時代」に比べれば、いまの世の中のほうがはるかにマシだ。世の中は「右傾化」したのではなく「正常化」したのである。
いまのような時代だからこそまた、高坂正堯の言説がまともに見えるのである。しかし、「正常化」はしたものの「流動化」し迷走を続ける現在の日本。最後に書評のなかでも触れた「日米安保条約」についての発言を引用しておこう。
国際社会の現実と遊離した条約は意味を持たない。しかし、そうかといって、すべての条約が無意味であるわけではない。条約は現実を法的なものにし、強めるのである。
ついでながら、日米安保条約についても同じことがいえる。日本には日米安保条約さえ結んでいればよいかのようにいう人がいるが、日本の安全は極東の情勢にかかっているし、日米関係は友好関係の有無にかかっている。日米両国の全般的な友好関係が崩れた場合、仮に日米安保条約があっても、それは意味がないのである。(P.30)
「現実主義者の平和論」(注(2)より
45年前の発言(雑誌発表はその2年前)である。2010年の現在、この発言の意味をかみしめるる必要があるのではないだろうか。
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