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2010年1月17日日曜日

鎮魂-「阪神大震災」から15年目に思い出したこと(2010年1月17日)


             
 15年前の本日1月17日早朝、神戸で大震災が発生したことを知ったのは、出勤前に見たNHKのニュース速報だった。「阪神・淡路大震災」という名称が付けられたのは、地震が発生してからしばらくたってからのことである。
 この正式名称は面倒なので、淡路島の方には申し訳ないが、以後も「阪神大震災」という通称で語ることとする。

 関西出身で、親戚も神戸にいる私にとっては、阪神大震災は決して他人事ではなかった。幸いにも(・・これは希有なことであろう)、肉親や親戚からは死傷者は一人も出なかったが、自宅が一部倒壊するなどの被害が発生している。
 この阪神大震災をきっかけに日本でも災害ボランティアが本格化したことはよく知られている。私もなんらかの形でボランティアとして参加したいと思ったが、勤務地は東京だし、すでに30歳を越していた私には不可能なことだった。
 職場放棄してボランティアに参加することは、できない相談だったからだ。自分の持ち場でキチンと仕事をすることが社会的責任を果たすことだと、自らを納得させることとしたのであった。すぐにでも行動したくなる、はやる気持ちを抑えて、ある種の心理的な「合理化規制」を行ったことになる。
 
 昨日ふと以下に書くようなことを思い出した。これを考えるだけで、ふたたび怒りがこみ上げてくるのを感じる。そのときの記憶が画像イメージとして、ありありと甦ってくるのを感じる。

 当時勤務していたコンサルティング会社は、金融機関系のものだったのだが、機構改革があって銀行の調査部門と合体してシンクタンク機能をもつこととなった。
 そのためだろう、積極的に情報発信して、シンクタンク業界のなかで目立つ存在になろうとしたためではないかと思うのだが、「震災後の復興需要」と題して(・・タイトルは正確には覚えてません)、阪神大震災の復興のために必要になる建築資材や復興にともなう労働力などを試算して、復興需要の規模が数10億円(・・もっと大きかったかもしれない)、景気にはコンマ何%かの上昇につながる、というレポートをいち早く出そうとしていたのだ。

 対外プレス発表の前に、コンサルタントも含めた全社員が集められて説明プレゼンが行われたのだが、その説明を聞いていながら、内臓から激しい怒りがわき上がってくるのを感じた。「人の死を食い物にするのか!」、と。
 質疑応答の時間があったので、よっぽど発言しようかと思ったのだが、とても内心の怒りを抑えることが出来ないので、理性的な発言や議論はできないだろうと思って、発言するのは我慢したのだった。
 若かったこともあるだろうが、個人的なこと以外で、これほど激しい怒りを感じたことは数えるほどしかないと思う。肉親や親戚に死傷者がでたわけでもないが、他人事とは思えなかったのだ。
 「震災後の復興需要」のレポートだが、結局対外発表されることはなかった。おそらく"良識ある"経営陣の誰かが、差し止めたのだと憶測している。
 当然な話であろう。

 1995年当時は、バブルが崩壊して不況のどん底にいたから、苦境の建築業界を中心にした「復興需要」で、なんとかして景気にプラス効果があればいい、と思う気持ちがあったことまでは否定しない。阪神・淡路という非常に限定された地域で発生した直下型の大震災は、局地的な大災害であり、日本国民全体が苦しんだわけではない。
 しかし、人間にはしていいことと、悪いことがある。こんなものは対外発表せずに、経営者の指示で経営企画スタッフが黙って作成し、内部資料としてとどめておけばいいだけの話なのだ。
 レポートの発表が対外的に認められ、組織内での業績評価につながると思っていたのだとしたら、とんでもない話である。執筆担当者も指示を出した上司も、ともに倫理を逸脱していたとしかいわざるをえない。
 もちろん、レポート執筆担当者に対して個人的な恨みがあるわけではないし、そもそも誰だったのか名前も覚えていない。

 こんなことを書いた私だが、それでも阪神大震災の被災者の心を理解できているかと問われれば、わかっていないと正直に答えなければならない、と感じる。
 昨夜、NHKの報道番組「追跡AtoZ」で、「見過ごされた15年-復興曲線が語る新事実-」という番組を見た。番組によれば、30歳台、40歳台の働き盛りの男性ほど、震災体験後に「二番底」を体験しているという。
 明かな「弱者」である子供やお年寄り、また障害者とは違って、「自力復興」を果たした働き盛りの男性は、周辺から「強者」とみなされるようだ。しかしながら、緊張の糸がプッツリときれてしまったとき、激しい鬱(うつ)状態に陥っていた人が多いらしいのだ。これは震災後3年目くらいが多いらしい。
 震災の被害にあった神戸ですら、こういう状況なのである。

 人の気持ちに寄り添って考えるということがいかに困難なことであるか、あらためて身にしみて感じている。






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(2014年10月31日 情報追加)




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