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2010年1月12日火曜日

ネット空間における「世間」について(再び)


        
 日経ビジネス ON LINE に、「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」-世間に転がる意味不明」、という連載コラムがある。本人いわく「ひきこもり系コラムニス」とのこと。

 最新のタイトルは、「伝書鳩がつぶやくのは、誰のメッセージなのだろう」。鳩山首相がいま話題のトゥイッター(Twitter)に参入したという話題について書かれたものだ。

 トゥイッター(Twitter)とは、140文字以内の「つぶやき」を投稿することで、ゆるいつながりが発生するコミュニケーション・サービス、のこと。2006年7月にObvious社(現Twitter社)がサービスを開始した。Wikipedia にはそういう記載がある。
 プロ野球の元楽天監督の野村さんの「ぼやき」もその類として考えて良かろう。「つぶやき」や「ぼやき」をネット上で行うのである。

 さて、「伝書鳩がつぶやくのは、誰のメッセージなのだろう」を読んでいくと、3ページ目にこういう記述がある。SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)のミクシィについてである。

(前略) そこまで言わなくても、ミクシィのようなSNSは意外に窮屈だ。
 SNS(=ソーシャル・ネットワーク・サービス)は、ネットワーク上に架空の「社会」を形成するタイプの情報空間だ、と説明されることが多い。

 が、実際に出来上がるのは、教科書的にイメージするような「社会」 ではない。
 そこにできるのは「世間」である。これは、善意悪意の問題ではなく、当然そうなる。

 2006年に亡くなった阿部謹也という歴史学者が、

「日本には世間はあっても社会はない」

 という意味のことを言っている。(後略)


 この先は直接サイトにあたってよんでみてほしい。

 私も感じている「うっとおしさ」について、小田島氏は語って余すところがない。SNSもブログもみな同じ状況だから、トゥイッターも同じ宿命は避けられまい、と。
 
 結局のところ、いろんなサービスが米国発で日本にも上陸してくるが、米国での姿とは大きく変貌していることが多いのだ。有形のモノですらそうなのだから、ましてや無形のサービスやとくに人間関係といったソーシャル・キャピタルがらみの話になると、日本語人がかかわる以上、避けられない事態なのである。

 日本語人の間には「世間」あるのみ。「社会」は形成されない。
 正確にいうと、「空気」ができても落ち着けば「世間」となって安定するし、「空気」が暴風雨となって荒らしまくると、「世間」形成どころか、関係破綻、関係消滅、となるといったほうがいいのだろうが・・・

 やっかいで、うっとおしいのは、リアル・ワールドだけではないのである。
 日本語人はその宿命から逃れることはできないようだ。
 ああ、うっとおしい。