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2011年8月23日火曜日

書評 『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)-「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった


「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった

 松井石根と書いて、まつい・いわね、と読む。「B級戦犯」として極東軍事裁判(東京裁判)で死刑を宣告され絞首刑となった 7人の一人だ。現在では知っているひとはそう多くはないのではかもしれない。

 本書は、心ならずも「南京事件」における「虐殺」の責任者とされた「悲劇の将軍」を正面きってとりあげた評伝である。そしてまた、「南京事件」を中心に、松井石根という一人の中国通の情報将校の目をとおして描いた日中関係史でもある。

 ではなぜ松井中将が「悲劇の将軍」となったのか? 松井将軍が心の底から中国を愛し、日中友好こそがアジア安定の要であるという固い信念をもっていたにもかかわらず、日中関係が悪化の一方をたどった時代に生きた職業軍人であったことが、その原因の一つである。松井将軍は、59歳で予備役から戻されて、上海攻略戦の総司令官となったのであった。

 しかも、1937年(昭和12年)の「南京事件」は、松井将軍の意に反して行われたものであった。「上海事変」で中国側の激しい抵抗にあった日本軍は、からくも勝利を収めたあと、一部の司令官がなしくずしで開始した南京攻略戦を追認せざるをえなくなる。軍隊にあっては絶対にあってはいけないはずの「指揮命令系統の混乱」が生じたのは、そもそも戦争目的があいまいであったこと、戦争の「出口戦略」が見失われたことも大きい。

 捕虜の虐待や民間人に被害を与えないよう、上海と南京の攻略戦をつうじて、松井将軍が何度も「戦時国際法」に基づいて軍紀を守るよう、くどいほど念を押していることが本書を読むと確認できる。

 とはいえ、軍紀に厳しい理想肌の松井将軍の下にいたのは、内心ではそんな松井将軍をせせら笑っていた下克上的風潮のつよい将校たちであった。

 南京事件は、「カリスマなき誠実な理想主義者」がリーダーとして現場でトップに立ったときに引き起こされた悲劇というべきかもしれない。そして、その後の松井将軍の生涯は、この南京攻略戦が原因となった東京裁判での死刑判決と絞首刑によって完結することになる。

 終生、親中国の姿勢を変えることのなかった松井将軍。みずから意図したものとは正反対の結果を生み出し、死後もなお誤解が解けることがない「悲劇」の人生。日本側がみて良かれと思ったことが、けっして現地住民が心から歓迎するものではないことに思い至らなかったイマジネーションの欠如、認識ギャップが存在したことが否定できないのもまた事実である。この点もまた、軍人としては優秀であっても、政治への洞察力に欠けるものがあったというべきだろうか。

 松井将軍にまつわる中国側の誤解が解ける日は、残念ながら半永久的に来ることはないだろう。だが、せめて日本側においての評価が「正常化」し、「名誉回復」がなされることを望みたい。そのためにも、本書には一読の価値がある。



<初出情報>

■bk1書評「「B戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「「B級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは陸軍きっての中国通で日中友好論者だった」投稿掲載(2011年8月21日)




目 次

序章
第1章 日中友好論者への道
第2章 大亜細亜協会の台頭
第3章 上海戦
第4章 南京戦
第5章 占領後の南京
第6章 興亜観音
第7章 東京裁判
最終章 歿後
あとがき
主要参考文献


著者プロフィール

早坂 隆(はやさか・たかし)


1973年、愛知県出身。ルポライター。『昭和十七年の夏 幻の甲子園-戦時下の球児たち-』(文藝春秋)で「第21回ミズノスポーツライター賞最優秀賞」及び「第2回サムライジャパン野球文学賞ベストナイン賞」を受賞。日本文藝家協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 むかし『東京裁判』というドキュメンタリー映画を見たが、そのなかに陥落後の南京に入城する馬上の松井石根(まつい・いわね)将軍のシーンがでてくたような記憶がある。

 けっして偉丈夫というのではない、枯れた感じの風貌。かの「南京事件」の司令官にしては意外な感じがしたのが印象に残っている。このときの写真は、本書第5章の扉に掲載されている。

 松井石根がそもそも陸軍士官学校では、その当時の多数派であったドイツ語でもロシア語でもなく中国語で通した人であり、陸軍大学では成績優秀のため恩賜の軍刀を賜り、参謀本部第二部長として中国通の情報将校としての輝かしいキャリアをつんだ人であったことは記憶しておきたい。

 早坂隆氏は、昨年は樋口季一郎をとりあげている。書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)。 彼もまた、ドイツ語畑でロシア語を独習で完璧に身につけた情報将校であった。意図的に取り上げているのかどうかわからないが、どうも昭和期の陸軍軍人では、作戦参謀よりも情報参謀のほうが、緻密で冷静な印象を受ける。

 これは「情報」(インテリジェンス)というものがもつ性格からくるのだろうか。ここでいう「情報」には、「諜報」も「謀略」も含まれる。「戦術」重視の作戦参謀の問題は、すでにさんざん指摘されてきたことではあるが、さらに検討を加える必要があろう。日本の軍人は、「情報」を軽視した「作戦」(!)という、部外者からみたらナンセンスとしか思えないことを平気でやっていたのだ。

 孫文の「中国革命」成就までは、ほぼ完全に一致していた日中双方の中国感が、かくも乖離していったのはなぜか。日本近現代史の「不幸」は、まさに「日中関係悪化」が止められなかった歴史にあるといっても過言ではない。

 松井石根が推進した「大亜細亜協会」に端的にあらわれているのだが、日本側が良かれと思ったことは、けっして現地住民が心から歓迎するものではないことに思い至らないのは、イマジネーションの欠如と言わねばなるまい。やはり、ある種の固定観念や予断がつきまとっていることに無自覚であったということだろう。善意にもとづく日中友好論であっただけに、この認識ギャップが致命的な過ちを招いたのではないかと思われる。軍人としてのイマジネーションの限界だろうか。

 上海事変の戦死者が日本側でも一万人!以上に及んだこと。この戦いはいったい何であったのか。問い直すのであれば、南京事件だけでなく、上海事変も見直さねばならないだろう。

 とにかく国民党の蒋介石を排除すべしという、松井将軍の信念は、もしうかすると愛憎関係が逆転したものか。当時の近衛文麿首相の「蒋介石を相手にせず」と同じ認識をもっていた松井将軍の認識についても、正直なところ、あまりにも軍人的な発想であるように思うのだが・・・。

 まだまだ、簡単に評価を下しがたいのが松井石根という一軍人の生涯である。


<関連サイト>

東京裁判名場面(YouTube 映像)


<ブログ内関連記事>

書評 『指揮官の決断-満州とアッツの将軍 樋口季一郎-』(早坂 隆、文春新書、2010)
・・同じ著者による帝国陸軍の情報将校の評伝

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・
・・「A級戦犯」で死刑宣告され絞首刑となった7人のリストを掲載してある

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・大本営「情報」参謀が書いた「失敗から学ぶ」回想録。必読書!


<読書ガイド>

 本文で触れた、大東亜戦争(太平洋戦争)の将軍たちの伝記を、絶版も含めて紹介する。現在もっとも入手しやすいエディションを掲載しておく。

『山下奉文-昭和の悲劇-』(福田和也、文春文庫、2008)
・・文芸評論家・福田和也による山下奉文大将

『責任-ラバウルの将軍 今村均-』(角田房子、ちくま文庫、2006)
『一死、大罪を謝す-陸軍大臣阿南惟幾-』(角田房子、PHP文庫、2004)
『いっさい夢にござ候-本間雅晴中将伝-』(角田房子、中公文庫、1975)
・・ノンフィクション作家・角田房子による今村均大将、阿南惟幾大将、本間雅晴中将の伝記

『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道-』(梯久美子、新潮文庫、2008)
・・梯(かけはし)久美子による栗林忠道中将、




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