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2011年8月21日日曜日

『報道災害【原発編】-事実を伝えないメディアの大罪-』 (上杉 隆/ 烏賀陽弘道、幻冬舎新書、2011)-「メディア幻想」は一日も早く捨てることだ!


「報道災害」とは?

 「報道災害」とは、対論者の一人であるフリージャーナリスト烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏の造語である。

 「3-11」における原発事故という巨大な「人災」を、これほど的確に表現したコトバもないだろう。

 東電や経産省から流される情報を検証することもなく、「記者クラブ情報」を、ただたんに垂れ流しにした「広報」の役目しか果たしていないのが、新聞社とその系列にある大手マスコミの現実である。

 これが「3-11」以後に迷走をつづける状況のなか、すべてが露わになってしまった。この国は、66年前の大東亜戦争の敗戦という失敗から、なにも「学習」していないではないかという疑問がわきあがりつつある。

 「報道災害」とは、まさにこの状況の真因がどこにあるかを的確に表現したキャッチフレーズである。

 烏賀陽氏は「人災」を分類して、「報道災害」、「官僚災害」、「情報災害」の三つに区分している。

 「報道災害」とは、「報道がその機能を果たさないことによって多数の身体や財産が損害を受ける災害のこと」。
 「官僚災害」とは、「規制や法律、官僚組織の欠陥によって身体や財産が毀損(きそん)される災害のこと」。
 「情報災害」とは、「デマが広まる、避難所や放射線の情報が届かないことなど、情報伝達の錯誤によって身体や財産が毀損(きそん)される災害のこと」。

 本書で主に扱われるのは「報道災害」である。「もう日本の新聞やテレビは脳死状態」という烏賀陽氏の発言には全面的に同意する。まったく異議なしである。カール・マルクスではないが「すべてを疑え!」というマインドセットが不可欠となった。

 われわれができるのは、いや、いままで以上にしなければならないのは、個々の記事というマイクロコンテンツを精査し、一次情報や海外情報も含めたダブルチェック、トリプルチェックといったクロスチェックを徹底することだ。情報参謀なみに。

 しかしながら、「記者クラブ経由」の情報にかんしては、ほぼすべての新聞で「情報共有」(笑)がなされている実態が、本書のなかで上杉氏によって暴露されている。新聞を読み比べるなんてことじたいが、悲しいかなナンセンスでしかないことなのだ。日本の大新聞にかんしては。

 たしかに、Google News をみていると、どの新聞社もおなじ内容の記事ばかり書いていることが手に取るようにわかるハズだ。



現在の日本の状況は、米国の1980年代の状況と酷似しているようだ

 この本はじつに」面白い。ネット世界での超有名ジャーナリスト二人が、はじめて徹底的に対論した3回の記録を編集して一冊にまとめられたものだからだ。対論が行われたのは、2011年4月27日、28日、5月27日の3回である。

 上杉隆氏、烏賀陽弘道氏それぞれの議論は、ネットでは前者は「ダイヤモンドオンライン」で「週刊・上杉隆」、後者は「JB Press」で「ウオッチング・メディア」 という連載をもっている。これらは無料で読める記事であり、多くの読者に読まれている。

 ネットの世界では当たり前の議論だが、書籍という印刷物として流通することの意味はきわめて大きい。多くの人に読まれてほしいと思う。

 なぜなら、ネットなどみない人間が、まだまだ日本人では大多数だからだ。

 情報源を、印刷版の新聞とテレビにのみ依存している人が国民の大多数を占める現状では、かれら二人の議論は極端でかつ「頭の愉快な人」(笑)たちの戯れ言にしか聞こえないかもしれない。

 上杉隆も烏賀陽弘道も、そんな名前は聞いたこともないという人こそ、一度この本を読んでみるとよい。異論反論だけでなく、オチョクリ精神には強い不快感を感じるかもしれないが、わたしはかれらのいうことは概ね正しいと感じている。この思いは、「3-11」を経たことでさらに強まった。

 とくにわたしが興味深く読んだのは、「第3章 アメリカジャーナリズム報告2011」だ。

 烏賀陽氏のリポートによれば、大震災が起こるまえの 2011年2月に米国ジャーナリズム界の長老にインタビューしたそうだが、日本の状況を説明したら、その長老はこう言ったという。「それは1980年代のアメリカのケーブルテレビが起こした変化と同じだな」、と。

 1980年代の米国では、いままで見えなかったものが見えた途端、メインストリームメディアに騙された、裏切られたという気持ちを一般人が強くもったらしい。

 日本ではケーブルテレビはそれほど普及しなかったが、いまインターネット時代になって、米国と同じ状況になってきているということだ。つまりは、米国には 30年遅れで、巨大な地殻変動が起こり始めたということだ。われわれは、まだその始まりにいるにすぎないということなわけだ。

 米国の1980年代の状況が示唆するものは大きい。


「組織の内部にどっぷりと浸かっていると外が見えなくなる」-そのこと自体にすら気が付かなくなる(!)というホラーストーリー

 記者クラブ制度に一貫して反対してきた上杉氏の強みは、情報を取る側だけではなく、情報を出す側の議員秘書を実務担当者として経験し、複眼的にものを見ることができる点にあるのだろう。

 烏賀陽氏の強みは、朝日新聞という大企業組織の内部に20年弱在籍した経験をもち、記者クラブ制度についても熟知していることだろう。

 人間というものは、悲しいかな、ずっと内部にいると外部の常識がわからなくなってくるのだが、恐ろしいことは、内部にいるとそのこと自体がわからなくなっていることに気が付かないことだ。

 これはかつて「ゆでガエル症候群」とよばれたものだ。ぬるま湯に浸かっているカエルは、徐々に温度を上げていっても気が付かず、ついには茹で上がってしまうという笑い話である。

 まさに、高給取りの大新聞社やその系列のテレビ局は「ぬるま湯」そのもの。沸騰していることに気が付かないのだろうか? まだ最終段階までいってないだけか?

 たとえ志の高い記者であっても、最前線の現場を離れて管理職になると、組織の論理にからめとられてしまうようだ。これは新聞社やテレビ局だけでなく、官僚組織もそうである。銀行組織もまた同じであることは、ごく身近で観察してきたわたしにはよくわかる。


「情報」そのものはあくまでも「情報」に過ぎない。それが「事実」であるかどうかは別物だ

 その「情報」が「事実」であるかどうかには、徹底的にこだわらなければならない。その「情報」にもとづく「判断」および「意志決定」がいかなるカタストロフィーをもたらすかは、70年前の「大本営発表」でいやという味あわされているはずである。

 この件については、『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる という記事を参照していただきたい。「失敗からの貴重な学習」という意味で。

 「思考停止状態」で、垂れ流し情報をそのまま鵜呑みにすることほど、気楽でかつ危険なことはない。 新聞情報については、かなり以前のことだが、ある石油会社の重役からこういう話を聞いたことがある。「日経新聞の一面は、政府発表の垂れ流し記事なので真に受けないことだ。とくに月曜日の一面の記事はほとんど意味がない。なぜなら、これといった大ニュースがないときでも紙面を埋めないとならないからだ」、と。

 つねに原油や為替動向をみずからチェックしている最前線のビジネスマンならではの貴重な教えとして、わたしのなかに刻まれている。日経にかぎらず、どの大新聞も同様だろう。下世話な表現をつかえば、新聞一面は大本営発表と変わらないということだ。

 本書にかんしても、著者が好き嫌いだとかそういった次元の話ではなく、是々非々で事実究明に専念すべきではないだろうか?本書に展開されている議論ですら、100%正しいかどうかわからないという立場にたつべきだろう。

 いまこそ、自分のアタマで考え、自分で行動することが求められる状況となったのだ。日々の自覚が重要だ。 





<初出情報>

 ブログのオリジナル記事です。


目 次

巻頭によせて 畠山理仁
最悪の形で 上杉隆
負の記念碑 烏賀陽弘道

第1章 繰り返された悪夢-70年目の大本営
 第1節 日本の報道は何のためにあるのか
 第2節 3-11で露呈したこと
第2章 日本に民主主義はなかった
 第1節 海外メディア戦いの歴史
 第2節 自由報道協会の意味
 第3節 ソーシャルメディアを可能にするもの、不可能にするもの
第3章 アメリカジャーナリズム報告2011
 第1節 アメリカのジャーナリズムは劣化したか
 第2節 日米メディアリテラシー比較)
第4章 死に至る病 記者クラブシンドローム
 第1節 信じられない!シリーズ
 第2節 王様は裸だ
第5章 報道災害からいかにして身を守るか
 第1節 今こそ変わらなければ次はない
 第2節 多様性こそすべて

最後の希望 烏賀陽弘道
日本人が背負った課題 上杉隆


著者プロフィール

上杉 隆(うえすぎ・たかし)

1968年福岡県生まれ。NHK報道局、鳩山邦夫公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者を経て、2002年よりフリージャーナリスト。ゴルフジャーナリストとしても活躍。2011年いっぱいでのジャーナリスト無期限休業を宣言している。自由報道協会暫定代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)

1963年京都市生まれ。京都大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部、「AERA」編集部などを経て、2003年に早期定年退社。1992年にコロンビア大学国際関係大学院に自費留学、国際安全保障論で修士号(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<ブログ内関連記事>

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる 
・・大本営でも作戦参謀ではなく、情報参謀であった著者による必読書

書評 『ウィキリークスの衝撃-世界を揺るがす機密漏洩の正体-』(菅原 出、日経BP社、2011)





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