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2011年8月16日火曜日

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!


シミュレーション(=机上演習)で対米戦争が「敗戦」に終わることがわかっていながら・・

 今年(2011年)は、日本が大東亜戦争に突入してから70年目にあたる。

 70年前の昭和16年(1941年)8月16日、それは奇しくも敗戦からちょうど4年前であったが、じつはシミュレーション(机上演習)によって、敗戦が必至であることが明らかになっていたのだった。

 本書は、このシミュレーションが行われた「総力戦研究所」と、そこに集められた若手官僚たちの体験をノンフィクションとして描いた作品である。

 英国をモデルにして内閣府直属の機関として1940年(昭和15年)に設立された「総力戦研究所」。このコンセプトは英米派の情報将校・辰巳栄一が徹底的に調査したという。省庁事がバラバラな意志決定主体のままでは、第一次大戦以降に主流となった「総力戦」を戦い抜けないという危機感のもとに設立されたのがこの「研究所」だ。

 翌年4月に集められたのは、キャリア10年程度の軍民の中堅官僚たちと民間人であった。官僚からは、陸軍、海軍、大蔵省、内務省、外務省など、まさに国家を背負っているエリート中のエリート。民間人からは通信社や日本郵船など財閥の中核企業から集められた。同じ釜のメシを食い、同じ授業を受け、同じ体育の授業を受け濃密なコミュニケーションが図られた。派遣元の官庁に戻った際に、連携プレイをとることが期待されていたからだ。官庁組織の縦割りの弊害は、当時から問題視されていたからだ。

 理想主義に走りがちな20歳台の学生でもなく、経験知にみちた40歳台の中年でもない、まさに現役バリバリの年齢の30歳台前半のエリートにとって座学は面白いものではない。このため、あらたに導入されたのが、「模擬内閣」による「総力戦シミュレーション」であった。これは参加者たちにとっては面白かっただろう。ある意味ではロールプレイングですらあるからだ。

 軍事の戦術研究ではあたりまえの図上演習が、「総力戦」という国策の研究に応用されたのは画期的な試みであったらしい。そしてあらゆる予断を排して、客観的な数字に基づいてシミュレーションを行った結果が、なんと「日本敗戦」だったのだ。

 しかしながら、シミュレーション結果は、政策の意志決定に活かされることはなく、「つくられた数字」を根拠にして開戦に踏み切った日本は、シミュレーション結果とほぼ同じ軌跡を描いて最終的に破綻してしまう。 さまざまな証言と資料によって復元されたその内容は直接本文を読んでいただきたいが、このくだりを読んでいくと、まさに何ともいえない気分になる。それが1941年(昭和16年)8月16日のことだったのだ。

 本書が単行本として出版されたのは1983年。その当時の日本の統治機構の問題点についてもきちんと言及しており、いま読んでも古さをまったく感じさせない。しかも、昭和16年当時の東條英機首相について、一方的に断罪するような姿勢をいっさい見せない著者の公平な視点にも感服する。

 本書の主人公たちと同年齢の30歳台の人間には、とくに読んでじっくり考えてもらいたい作品である。この本を書いたときの著者も36歳だったのだ。かならず問題意識は共有できるはずだろう。



<初出情報>

■bk1書評「シミュレーション(=机上演習)で対米戦争が「敗戦」に終わることがわかっていながら・・」投稿掲載(2011年8月16日)
■amazon書評「シミュレーション(=机上演習)で対米戦争が「敗戦」に終わることがわかっていながら・・」投稿掲載(2011年8月16日)



目 次

プロローグ
第1章 三月の旅
第2章 イカロスたちの夏
第3章 暮色の空
エピローグ
あとがき
巻末特別対談


著者プロフィール

猪瀬直樹(いのせ・なおき)

1946年長野県生まれ。1983年に『天皇の影法師』、『昭和16年夏の敗戦』『日本凡人伝』を上梓し、1987年『ミカドの肖像』で第十八回大宅壮一ノンフィクション賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞。2002年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。その戦いの軌跡は『道路の権力』、『道路の決着』に詳しい。2006年に東京工業大学特任教授、2007年に東京都副知事に任命される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 猪瀬直樹の作品は、天皇家のイメージを最大限に活用しようとした西武鉄道グループにかんする一連の作品『ミカドの肖像』や、天皇崩御の際の先行事例として大正天皇の崩御と葬儀を描いた『天皇の影法師』などを読んできた。

 だが、これらの作品とほぼ同じ時期に、今回とりあげた『昭和16年夏の敗戦』が書かれていたとはまったく知らなかった。

 じつは読むのは今回がはじめてである。いまから10年以上前、自分がまだ30歳台のときに読んでおけばさらによかったと切に思う。本にも読む時期というものがある。

 この本の主要テーマは、逆サイドからみれば、いわゆる「希望的観測」(wishful thinking)になりがちな日本型エリート(・・もちろん、エリートだけでなく一般の日本人も同様だ)の問題点を描いたところにもある。

 「総力戦研究所」に集められた若きエリートたちによる「模擬内閣」が出したシミュレーション結果は「日本敗戦」。しかし、この結果をプレゼンテーションした東條内閣は、いわば「黙殺」したという。東條英機自身は、克明にメモを取りながらプレゼンを聴いていたらしい。シミュレーションそのものにも多大な関心をもっていたようだ。

 だが、最後に感想を述べる際、東條英機は狼狽していたという。しかも、「口外するな」とクチにしたという。この回想から考えると、数字でみたシミュレーション結論の意味は、じつは政府首脳部はわかっていたのではないかと思われる。

 近衛内閣が崩壊し、昭和天皇の強い意向によって組閣命令を受けた東條英機が、天皇の意思には忠実に従い、ギリギリの最後の最後まで、対米戦を回避すべく、2ヶ月のあいだ苦労に苦労と重ねたことは本書だけでなく、『陸軍省軍務局と日米開戦』(保阪正康、中公文庫、1989)にも詳細に描かれている。

 この事実からも、「東條英機は独裁者であった」などというのが、いかに「妄言」でしかないかがわかるというものだ。内閣総理大臣としての東條英機は、立憲君主制のもとでの役割を演じたに過ぎない。しかも、プロパーの政治家ではなく、陸軍大臣も兼ねていた現役の陸軍大将という「軍事官僚」であったのだ。

 情緒的な感想や直観だけでなく、数字でただしく判断すれば「総力戦研究所」で行われたシミュレーション結果を尊重せざるをえない。数字だけの判断であれば、間違いなく100%の人間が反対したはずなのだ。それは政策決定者とても同じこと。

 すくなくとも国家指導者が、数字の意味がわからなかったとは考えにくい。自分が数字をいじらなくても、説明用にわかりやすくまとめられた数字をみれば、対米戦争の無謀さは十分に理解できただろう。ある意味では、常識的な判断力があれば十分なのであり、しかも日米で国力に大きな差があることは、国民もひろく知っていたからだ。

 しかし、世の中には「結果先にありき」の案件はすくなからずある。そのために「数字をつくる」ことは、現在でも行われていないとは、さすがにわたしも、ないとは断言はできない。

 だから、経済合理性だけで物事が進むと思ったら、それもまた間違いなのである。「つくられた数字」も、それが数字であるという理由だけで通ってしまうことが多々ある。これもまた経済合理性のワナというべきだろう。

 ところで、わたしが大学卒業後の1985年、いちばん最初にはいった会社は銀行系のコンサル会社だったこともあり、20歳台のはじめから、ほぼ毎日のようにシミュレーションをやっていた。その頃、すでにパソコンが導入されていたが、若年層以外では使いこなせる者はなく、年配者は電卓、あるいはソロバンで計算していたものだ。
 
 とはいえ、Excel のような簡易表計算ソフトなど存在しなかったので、パソコンでプログラムを組んでいたのであった。MS の いまはなき Mutiplan の存在を知ったとき、天からの贈り物のように思えたものだ。

 昭和16年当時は、現在のようにパソコンで簡単にシミュレーションできた時代ではない。電卓すらなく(!)、計算はすべて手計算でソロバンで行っていた時代のことだ。それこそエンピツをなめなめ数字を積算していったのである。

 本書にはこの点にかんする言及はないが、ぜひ念頭において読むと、さらに当時の苦労がしのばれることだろう。

 もちろん、30歳代以上の人間も、ぜひよむべき一冊である。



<関連サイト>

総力戦研究所(wikipedia 日本版)
・・なお、「総力戦」(total war)は、第一次世界大戦以降の概念。たんなる軍事力だけでなく、銃後の人間までふくめて国民すべてを巻き込ん取り組まざるをえないという、経済力も人的資源も総動員する戦争形態のこと。「全面戦争」とはまったく異なる概念である


<ブログ内関連記事>

「敗戦記念日」のきょう永野護による 『敗戦真相記』(1945年9月)を読み返し「第三の敗戦」について考える
・・まさに陸海軍を筆頭に各官庁でバラバラの意志決定が行われた結果もたらされたものは?

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる

「希望的観測」-「希望」 より 「勇気」 が重要な理由



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