「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2024 禁無断転載!



2011年8月30日火曜日

民主党による政権交代からちょうど二年-三人目の首相となった第95代内閣総理大臣の野田佳彦氏は千葉県立船橋高等学校の出身である


 昨日(2011年8月29日)におこなわれた民主党の代表選において、決選投票で代表の座を獲得した野田佳彦氏は、本日30日、第95代内閣総理大臣として国会での首相指名選挙におおいて指名された。

 前首相の菅直人氏の退陣が事実上確定した段階で名乗りをあげた野田佳彦氏が、一時期は泡沫候補扱いされたにもかかわらず代表に選出されたのは、民主党内部の勢力争いが反映している。

 ちょうど2年前、このブログでは時事ネタとして、Be a Good Loser ! と題して「政権交代」を取り上げたが、わずか二年間で三人目の首相が誕生することになってしまった。敗れた自民党に向けたコトバが、いまでは民主党にも向けねばならない状況だ。

 すでに多くの国民と同様、民主党への失望感にあふれているわたしであるが、以下の3点において野田佳彦氏を歓迎したいと考えている。

 まず第一に、若いということである。

 1957年(昭和32年)生まれの現在54歳という年齢は、企業社会ではけっして若いとはいえないが政界では若い部類に入る。自民党の安倍晋三が50歳台で首相になったとき、「戦後生まれでは初の首相」と話題になったが、健康上の理由で政権を放り出してからは再び老人政治に逆戻りしてしまっていた。

 民主党に政権交代がされてからも、鳩山由紀夫に菅直人と、「♫ 昔の名前ででています」という類の超老政治家が続いていたのは、民主党員にすら不本意なことであったろう。ましてや、民主党員でも民主党支持でもないわたしからみればウンザリの一語に尽きるものであった。

 その意味では、54歳の野田佳彦氏は戦後生まれであっても、いわゆる「団塊の世代」ではない若い首相といえるだろう。大の日本酒好きで酒量が多いとのウワサだが、健康には留意していただきたいものだ。

 第二に、野田佳彦氏は陸上自衛隊の空挺隊員の長男(*)として生まれて育ってきた人だ。

 千葉県習志野市にある陸上自衛隊第一空挺団といえば、陸上自衛隊ではエリート中のエリートの精鋭部隊である。空挺団はパラシュート降下によって敵の最前線に突入する戦略部隊だ。

 第一空挺団に勤務する父親のもと育った野田氏が、いかなる子ども生活と思考の持ち主であるかは容易に想像できるだろう。家庭環境というものを考えてみればいい。地盤・看板・カバンの三つがない一般庶民の家庭に育ったということだ。

 しかも、ひと言で要約すれば、国防と安全保障問題については現実主義、この国のマスコミ用語をつかえばいわゆる「保守」ということになろう。

 先日も「A級戦犯は戦争犯罪人にはあたらない」という答弁をしてマスゴミによって批判めいた取り上げかたをされた。強い信念の持ち主である野田氏からは、今後も物議をかもす発言が飛び出すかもしれないが、近隣の大国におもねることなく、日本人として堂々と主張していただきたいものだ。


(*) これは事実とは違うらしい。陸上自衛隊習志野駐屯地に勤務していた自衛隊員ではあるが、「空挺団」ではなく「業務隊」に所属していたという (2014年1月21日 記す)



 第三に、これは私的なことだが、野田佳彦氏はわが母校の千葉県立船橋高等学校の先輩にあたる人である。

 野田氏は1976年(昭和49年)の卒業で、わたしの5年先輩にあたるので、直接の接点はないのだが、この事実を知って以来、政策の中身はさておいて親近感を感じてきた。これは人間として自然な感情であろう。

 わたし自身は、野田氏とは違って船橋市の出身ではないが、小学校5年のときに千葉県に移ってから、かなり長い年月を千葉県で過ごしてきた。高校は先にも書いたように船校(ふなこう)だが、八千代市から毎日通っていたので船橋市民となったのは、じつは2年前に現在地に引っ越してきたのがはじめてだ。

 ちなみに船校(ふなこう)は、地元では略して県船(けんふな)ともいう。スポーツで有名な市船(いちふな:市立船橋高等学校の略)と区別するためである。県船と市船は、JR総武線の東船橋駅をはさんで南北に位置している。

 船校(・・以下、すべて千葉県立船橋高等学校をさす)は、現在では三番目になってしまっているのが残念だが、わたしが在学していた当時は千葉県では二番目の進学校であった。

 進学校はどこでも似たようなものだろうが、かなり自由な校風であった。しかも、神奈川県の進学校とは異なり、受験勉強を強制されることもないので一浪して大学に進学する者が多かった。野田氏の頃もおそらくそうだったのだろう。きょう(8月30日)のお昼の情報番組で当時の同級生が話していたが、18歳の野田氏は、髪の毛も長くてアイドル風(!)の顔立ちであった。

 大学は早稲田大学政治経済学部政治学科卒業ということで、この点は同じく船校ではわたしの先輩にあたるジャーナリストの江川紹子さん(1958年生まれ)と同じ学部である。野田氏の紹介では松下政経塾第一期生ということがよくでてくるが、大学進学以降の軌跡はわたしとはまったく異なる。

 だからというわけではないが、あえてここでは出身高校を強調しておきたいと思う。今後もマスコミでは船校の名前が出てくることはあまりないと思うが、大学や社会人になってからよりも、人間形成のもっとも重要な20歳までの時期にふれないのは適切とはいいがたい。

 そういう理由もあって、出身大学よりも出身高校が注目されるようになってきているともいう。たしかに、大学はわたしが進学した一橋大学のような比較的小規模な大学はいまでも個性が強いと思うが、野田氏の出身大学である早稲田大学は規模も大きく、かつてのようなバンカライメージではもはや捉えきれないほど、個々の学生は多様化しているだろう。

 6年前にでた本だが、『名門高校人脈』(鈴木隆祐、光文社新書、2006)という本では、当然のことながら(?)船校も取り上げられている。ただし、千葉高(=千葉県立船橋高等学校)が 35行あるのに対して、船校はたったの12行。千葉高は、政治家も共産党委員長の志位さんのような有名人を輩出していたが、ここにきて船校は首相を輩出して大逆転したわけだ。

 と思って、千葉県立船橋高等学校の公式サイトをみたら、なんだこれは見にくいったらありゃしない。せっかく総理大臣を輩出したのだから、早急に作り替えるべきだろう。この機会を捉えて、学校の広報しないでどうするのだ!

 母校出身者ならではの発言だと受け止めてほしいものである。昨日(8月29日)から急にTVでも船橋市がクローズアップされるようになっている。この機会を逃してはいけない!




野田佳彦氏に期待するものと懸念するもの

 というわけで、じつは三番目の理由を書きたいがために今回の記事を書いたのだが、期待するものが大きい一方では、同時に懸念材料も多い。

 日本の財政問題が危機的状況にあることは、わたしも数字でものを考えるビジネスマンである以上、問題の深刻さは野田氏と同様に重々承知している、しかし、いまこの現在で増税を強行するのは政策としてはいかがなものかと思う。

 消費税はとりあえず据え置きでいいのではないかと思うのだ。いずれ消費税も税率アップは不可避だが、同時に所得税の減税をするとか、セットで示すことが必要だろう。消費税のほうが、原理的には公平な税であることは、アタマではわかっているが、消費税導入を強行しようとして敗れ去り、志半ばにして命も落とした大平正芳元首相や、財政均衡を強行して、政権もみずからの命を縮めた橋本龍太郎元首相を想起してしまうのである。

 昨日(8月29日)の代表戦の演説で、子どもの頃TVでみた、浅沼社会党委員長が白昼の演説中に右翼少年に刺殺された事件に触れて、政治に「命を賭けている」と、その容貌にも似た西郷隆盛のような覚悟をしめした野田新首相であるが、信念を貫くためには妥協するところは妥協し、解散がなければ次の総選挙まで長くてあと二年、短くみれば代表の任期が一年とはいえ、在職中に命を落とすようなことはしてもらいたくない。

 未曾有の国家的危機のさなかである現時点で首相に選出されたということは、ある意味では天命であろう。国民の期待を裏切ることなく、天命は果たしていただきたいものである。

 高校の後輩からのエールだと受け止めていただければ幸いである。



PS 野田前首相は、みずから解散総選挙を実行したことで、結果として「民主党をぶっ壊した」人になったが、自民党へのふたたびの「政権交代」への道を開いた人として、自民党は大いに感謝すべきであろう。今後の再起を期したいものである。 (2014年1月21日 記す)



<読書案内>

『名門高校人脈』(鈴木隆祐、光文社新書、2006)

目 次

都道府県別高校の索引
プロローグ
1章 名門公立高校人脈(全国都道府県別)
2章 名門私立高校人脈(男子校、女子校、共学校)
3章 名門国立高校人脈
あとがき
主要参考文献

著者プロフィール

鈴木隆祐(すずき・りゅうすけ)


1966年、長野県軽井沢町生まれ。明治学院東村山高校卒。法政大学文学部日本文学科在学中より、月刊誌、週刊誌、ムック、CD-ROM の編集、制作、著述を手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<関連サイト>

いよいよ税率引き上げ、野田前首相が語る消費税-8%は初めの一歩、政局の年「2015年」を懸念 (日経ビジネスオンライン、2014年3月31日)
・・「穏健保守の再生を目指す」という野田元首相。その使命にむけて、政界再編の主役となることを期待

野田 Who? 新首相はこんな人-代表選の発言を追う (日経ビジネスオンライン、2011年9月1日)
・・これまでの発言へのリンクつき

『民主の敵-政権交代に大義あり-』(野田佳彦、新潮新書、2009)  
・・「はじめに」と「目次」が立ち読みできます。 

怠ることなく続ける駅頭演説、「10年続けることは偉大なり…」
・・「日常的に街宣活動を継続してきたお陰で、衆院本会議においても原稿なしで質疑に立てるようになりました・・」・・なるほど、これが野田氏の秘密だったのか。菅直人とは大違い。



千葉県立船橋高等学校 公式サイト
・・現在は千葉県の指定で現役合格を目標とする「進学指導重点校」となっているので校風に変化が現れているかもしれない

千葉県立船橋高等学校同窓会だより

千葉県立船橋高等学校(wikipedia 日本版)
・・船校は全国各地の名門校のように、儒学を中心とする教育機関であった「藩校」に起源をもつ高校ではない。大正時代に船橋大神宮の神官がはじめた、神社の境内にあった「私立学校」がその原点だ!


野田佳彦(wikipedia 情報)略歴はこちらを参照

衆議院議員 野田よしひこ 公式サイト


<ブログ内関連記事>

船橋漁港の「水神祭」に行ってきた(2010年4月3日)
・・冒頭に掲げた写真は水神祭であいさつをする野田佳彦氏。このときはじめてスピーチをきいたが、いまでも「漁師町」でもある船橋出身の野田氏の海洋主権にかんする認識の高さには感心させられた

"昭和ノスタルジー"な一夜・・・船橋漁港直送 「いわし料理 ふなっ子」にて

船橋大神宮の奉納相撲(毎年恒例10月20日開催)を見に行ってきた

船橋大神宮で「酉の市」・・商売繁盛!を祈願

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)

南極観測船しらせ(現在は SHIRASE 5002 船橋港)に乗船-社会貢献としてのただしいカネの使い方とは?

「東北関東大震災」(2011年3月11日)直後とその後-千葉県船橋市から

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた
・・ここに陸上自衛隊最強の第一空挺団が駐屯している

Be a Good Loser !
・・2009年8月30日、歴史的な「政権交代」実現の日に麻生元首相にむけたコトバ

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲) 


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end