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2011年9月5日月曜日

「学を為すには、人の之れを強うるを俟たず。必ずや感興する所有って之を為す」 (佐藤一斎) -外発的なキッカケを自発性と内発的動機でかならずモノにする!


(渡辺崋山による佐藤一斎の肖像画 wikipediaより)

学を為(な)すには、人の之れ強(し)うるをま俟(ま)たず。必ずや心に感興する所有って之を為し、躬(み)に持循(じじゅん)する所有って之れを執り、心に和楽する所有って之を成す

 江戸時代の儒者・佐藤一斎(1772~1859)のコトバである。佐藤一斎は、学問所昌平黌(しょうへいこう)の儒官(=総長)を命じられ、広く崇められた大学者であった。

 先のコトバを現代語に訳せば以下のようになるだろうか。

学問をなすには、他人から強制されてするものではない。必ずやみずからの心に興味や関心が湧き上がってくるものを感じたらするべきなのだ。そういった気持ちをすなおに持ち続けて、楽しめるようになってはじめて大成するものだ。

 儒者のコトバであるから、当然ここでは『論語』を始めとする『四書五経』の学習について言っているわけだが、この発言は儒学にとどまらず普遍的なものであるといっていいだろう。何ごとも、自発的で内発的な動機付け(モチベーション)がなければ長続きしない。

 これは、俗な表現をつかえば「好きこそものの上手なれ」ということであり、現代の幼児教育のメインストリームの一つであるモンテッソーリ教育にもつうじるものがある。

 佐藤一斎といえば、西郷南洲(隆盛)の終生の愛読書だった『言志四録』が有名だ。佐藤一斎が後半生の四十余年にわたり記した随想録で、指導者のための指針の書とされ現在もひろく読み継がれているという。

 『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋(てつ)録』の四書を総称して『言志四録』という。引用したコトバの出典は、『言志耋(てつ)録』第三七条である。

 そもそも儒教はあまり好きではなく、しかも儒教を修養の支えとしている時代に生きていないわたしは、もちろん一部にしか目を通していないが、佐藤一斎という名前と『言志四録』の存在くらいは知っている。ただし、わたしは佐藤一斎の縁者ではない(笑)。

 佐藤一斎の門下生は三千人といわれるほど多い。これは「白髪三千丈」に代表される漢文特有のレトリックではないようだ。

 なかでも著名人としては、財政家で陽明学者であった山田方谷(やまだ・ほうこく)、洋学者で開国派であった佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠など、幕末に大活躍した人材たちが佐藤一斎のもとから育っている。なお、上掲の肖像画は渡辺崋山によるものである。

 佐藤一斎のコトバでもっとも有名なものといえば、『言志晩録』に収められた漢詩であろう。

少而學 則壮而有為
壮而學 則老而不衰
老而學 則死而不朽

少にして学べば 則ち壮にして 為すことあり
壮にして学べば 則ち老いて 衰えず
老にして学べば 則ち死して 朽ちず

 あえて現代語訳はつける必要はなかろう。学び始めるのに遅いということはまったくない(!)という、晩学者への暖かいエールにもなっているとともに、死ぬまで勉強(!)という叱咤激励のコトバでもある。

 「少年老い易く学成り難し」と似たような内容の漢詩である。国学者の本居宣長の『うひやまふみ』とともに、かつてはよく知られていたものだが、現在ではいかがだろうか?

 必要に迫られて学ぶということは、いっけん外発性のように見える。だが、必要な迫られたときにイヤイヤではなく、ぜひ取り組んでみようという強い意志がうまれるとき、必ずやモノにすることができるはずである。

 自らの意思で取り組むことによって真に自分のものとなすことができるのだ。その意味では、モノを言うのは取り組み姿勢そのものだ。

 おそらく多くの人が高校大学の受験勉強や各種試験勉強をイヤイヤながら取り組んだことだろう。受験勉強など実社会では役にたたない時間のムダだとうそぶく大人も多い。しかし、わたしに言わせれば、そんなのはイヌの遠吠えに過ぎない。

 そうじゃなくても受験に時間を取られるのだから、受験目的だけに時間を使うのはあまりにももったいないではないか! だから何ごともツーインワン、オールインワンで時間を2倍、3倍にしてフル活用するのだ。これは外発的なキッカケを内発的な動機によって転換させる方法である。

 外発性の出来事をありがたいチャンスと捉え、内発性を大いに発揮して全力で取り組む。社会人の学びとはこういった性格を多分にもったものであろう。何ごともポジティブに捉えることの重要性がそこにある。

 佐藤一斎のコトバを思い出せば、これはむかしから変わらぬ真理であることが理解されるだろう。

 「学を為すには、人の之れを強うるを俟たず。必ずや感興する所有って之を為す」。そう、気持ちの持ち方次第なのだ。






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(2012年7月3日発売の拙著です)








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