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2015年7月13日月曜日

書評 『IB教育がやってくる!-「国際バカロレア」が変える教育と日本の未来』(江里口歡人、松柏社、2014)-「国際バカロレア」は生徒一人一人の自発性と内発的動機を重視した「総合的な学習」である


「IB教育」(アイビー教育)について耳にする機会も増えてきたのではないだろうか。文部科学省が「グローバル人材育成」の観点から本腰を入れるようになってからは、注目度も上がってきているようだ。

 IB(アイビー)とは International Baccalaureate の略、日本語では「国際バカロレア」と訳されている。1968年に創設されたスイスのジュネーブに本部をおく財団法人のことで、この民間団体が提供する教育プログラムとディプローマ(=証明書)のことも指している。

大学などでフランス語を学んだことのある人なら、バカロレアについては耳にしたことがあるだろう。バカロレア(Baccalaureate)とは、フランスの入試制度において、大学入学資格とその試験のことをさしたフランス語だ。リセ(lycee)などの中等教育の最終学年に受ける国家試験のことである。これがないと大学には入学できない。ナポレオンによる教育改革の一環として18世紀初頭に制度化された。

ところが、「国際バカロレア」は、フランスのバカロレアとは関係ない。国家試験でもない。文部科学省のウェブサイトによれば、「チャレンジに満ちた総合的な教育プログラムとして、世界の複雑さを理解して、そのことに対処できる生徒を育成し、生徒に対し、未来へ責任ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせるとともに、国際的に通用する大学入学資格(国際バカロレア資格)を与え、大学進学へのルートを確保することを目的として設置」、とある。定義としては、こんなところだろう。付け加えれば、英語(あるいはフランス語、スペイン語)によって授業が行われる。

だが、これだけでは、日本の現状を国際標準に合わせるという意味合い以上のものは感じられない。国際バカロレア(IB)を実践している学校では、じっさいにどのようなことが行われているのか知るのは、『IB教育がやってくる!-「国際バカロレア」が変える教育と日本の未来』(江里口歡人、松柏社、2014)など読んでみる必要があるだろう。

この本は、この国際バカロレア(IB)に、日本ではきわめて早い段階から取り組んでいる玉川学園の関係者が執筆したものである。玉川学園は「全人教育」というコンセプトを実践してきた「最後の私塾」といわれる。著者によれば、IB教育の理念と実際は、玉川学園が実践してきた「全人教育」と親和性が高いという。だから、IB教育に取り組むことにしたのだ、と。

「自分のアタマで考えて、自分で行動する」人材は、現在の日本の教育では、なかなか育成できない。なぜなら、日本の従来型の教育は、カリキュラムをこなすことが目的となっており、生徒(あるいは学生)の興味や自主性をうまく引き出すタイプの教育ではないからだ。

IB教育が重視する、生徒一人一人の内発的動機を重視する授業は、教師から生徒への一方通行のブロードキャスティング型授業ではまったくない。教師はあくまでもファシリテーターとして、生徒一人一人とのインタラクションを重視する。しかも、教室での学びであるから、「気づき」をつじた、生徒どうしのインタラクションも活性化されるわけである。

授業の進め方は教師に一任され、「総合的な学習」が実現している。きわめて個性的な一回限りの授業が実現するわけだ。すべての授業が英語で行われるわけではなく、日本語による授業も行われるので、英語漬けを目的とした、いわゆるイマージョン教育とは異なる。

日本での取り組みはまだ始まったばかりであり、実績が出だしたばかりという段階のため、どうしても「期待先行」というきらいがなくもない。IB教育実施のためには、クリアすべき問題が多いが、なによりも教員養成の問題は避けて通れないだ。ファシリテーター型の教師像は、日本ではまだまだ主流とは言い難い。「ハーバード白熱教室」で有名になったサンデル教授のようなスタイルが、実行するに当たってはいかにむずかしいか、一度でもじっさいに試みた人なら理解できることだろう。

読んでいて思うのは、IB教育の内容が、拙著『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』と大きく重なるという点だ。身近なものに「なぜ?」という疑問をもち、自分で調べるという姿勢。観察を重視し、仮説検証を繰り返していく姿勢。アウトプット重視でインプットを行うという姿勢が共通しているからだ。

著者も強調しているが、IB教育は、けっしてエリート養成の教育プログラムではない(!)ことに注意しておきたい。結果として真のエリート育成につながるかもしれないが、「全人教育」がそうであるように、エリート教育は「目的」ではないのである。あくまでも「結果」である。

「グローバル人材」というはやりコトバから注目されている国際バカロレア(IB)だが、「全人教育」という観点から注目すべきなのではないかと思うのだ。





目 次 

序章 「IB教育がやってきた」
第1章 「もう、詰め込み教育は終わりにしよう」
 1. 教育が行き詰まってきた
 2. 完璧すぎる指導要領
 3. 個性とは何か
 4. 世界市民という考え方
 5. 教育ということばの意味
第2章 「IBの現場」
 1. 先生は授業の司会進行役
 2. 生徒の発言はすべて Good Job !
  3. 日本の英語教育のおかしさ
 4. 答えを出さない授業
 5. 山頂への道はひとつではない
 6. 知識は詰め込むものではなく、使いこなすもの
 7. 日本の学校で優秀な子
第3章 「IBと社会と企業」
 1. 英語コンプレッックスをなくせ
 2. 阿吽の呼吸を説明できますか
 3. 企業が求める新しいタイプの人材
 4. 授業の出席率がいい最近の大学生
 5. クリエイティブが意味するところ
第4章 「生きる力」
 1. 国が示した定義
 2. 学校教育ありきではない
 3. 受験のトラウマ
 4. コミュニケーション英語って何
 5. 学校は生き方を教える場であってほしい
 6. IBの理想的クラスサイズ
 7. 総合的な学習が目指したもの 
第5章 「IBのカリキュラムと実践」
 1. IBへの期待と不安
 2. 大学入試制度を問う
 3. IB導入の認定
 4. 教員養成の問題
 5. 自由に授業を進めても構わない
第6章 「さらば受験の時代」
 1. 我が受験生時代
 2. 東京大学という場
 3. 東大を評価しない人たち
 4. 受験勉強でセルフエスティームは育たない
 5. クオリティ・オブ・ライフ
参考文献


著者プロフィール

江里口歡人(えりぐち・かんど)
1956年、愛媛県松山市に生まれる。1982年東京大学農学部卒業、1985年東京大学教育学部卒業。88年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教育学大学院に入学、90年教育修士課程、93年同博士課程修了、95年同大学院より教育学博士号を取得(Ph.D.)。1994年4月より玉川大学学術研究所講師。玉川学園国際教育センター副センター、同学園研修センター副センター長を経て、玉川大学教育学部教育学科准教授。玉川学園での国際バカロレア・プログラム導入に携わり、本年度玉川大学大学院教育学研究科にIB教員養成コースを立ち上げる。文部科学省「国際バカロレアTOKに関する調査研究会議」有識者メンバーなどを歴任。 共著書に『子供の心を強くする本ーセルフ・エスティームの子育て論』(PHP研究所)、『学校教育制度概論』(玉川大学出版部)、 『親から子への幸せの贈りもの』(共訳、玉川大学出版部)がある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連記事>

 「優秀な学生を2倍にする」国際バカロレア、日本への導入は進むのか? (ライフハッカー編集部、2016年2月18日)

(2016年2月19日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

書評 『伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力』(橋本 武、日本実業出版社、2012)-「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」!
・・これぞ本来の意味の「総合的学習」だ!

書評 『エリートの条件-世界の学校・教育最新事情-』(河添恵子、学研新書、2009)-世界の「エリート教育」について考えてみよう!
 ・・ほんとうのエリート教育は詰め込みではない!

『モチベーション3.0』(ダニエル・ピンク、大前研一訳、講談社、2010) は、「やる気=ドライブ」に着目した、「内発的動機付け」に基づく、21世紀の先進国型モチベーションのあり方を探求する本
・・「内発的動機」こそが人間を成長させるドライブだ

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる
・・世界のエリートでモンテッソーリ教育体験者は多い

ヨーロッパの大学改革-標準化を武器に頭脳争奪戦に
・・IB教育もヨーロッパ発の「標準化」のひとつといえる

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
・・教師はファシリテーター

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある

NHK・Eテレ 「スタンフォード白熱教室」(ティナ・シーリグ教授) 第8回放送(最終回)-最終課題のプレゼンテーションと全体のまとめ
・・創造性を養うための授業は、いっけんすると小学校の授業のようだ



(2012年7月3日発売の拙著です)










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2014年7月30日水曜日

書評『牛を屠る』(佐川光晴、双葉文庫、2014 単行本初版 2009)―「知られざる」世界を内側から描いて、働くということの意味を語った自分史的体験記



『牛を屠(ほふ)る』という本は、単行本が出版されたときに話題になっていたと記憶している。文庫化されたと知ってさっそく読んでみた。

一気に読んでしまうだけの迫力と魅力に満ちた本であった。

「牛を屠る」とは、食肉解体の世界で働いた10年半の日々を回想してつづった体験記だ。家畜の息の根を止め、皮を剥(む)き、解体して食肉に加工するためのプロセスと、職場で働く同僚たちとの日々が描かれている。

食肉解体の世界という「知られざる世界」。自分が食べるものがどう処理されているのか知るのはきわめて重要なことだ。この本は「知られざる世界」を外部のノンフィクション作家が描いた作品ではなく、その内部でじっさいに働いていた人が書いた本だ。そこが最大のポイントである。

いわば参与観察法によるフィールドワークの記録といってもいいいのだが、だが著者自身は作品を書くために食肉加工の世界の世界に飛び込んだのではないことを再三にわたって強調している。

「おめえみたいなヤツの来るところじゃねえ!」、という先輩職人のキツイ一発からはじまった日々。大学の法学部を卒業して中小出版社に就職しながらも一年で辞めた著者は、職人の世界にあっては最初はインテリ以外の何者でもなかったということだろう。

ひょんな偶然でこの世界に入ることになったのだが、カラダをつかった仕事で生(せい)を実感したいという思いが無意識のうちにあったようだ。だから内発的な動機に促されたのだといえよう。

最近の若者にも農業や林業などへの志向が見られるが、人間というものは生きているという実感を感じたいのである。働く意味をしっかりと自分で確認したいのである。そうでないと人間は安心できないのだ。

文庫版の帯にあるように、「ここで認められる人間になりたい」という承認欲求。これが満たされることは、カネよりも重要なことだ。人間とはそういう存在なのである。




食にかんするエッセイストの平松洋子氏との文庫版オリジナル対談が収録されているが、この本は知られざる世界を描きながら、働くということの意味を具体的に語っている。そのことを平松氏は著者からうまく引き出している。

著者は、わたしと同世代のようだ。「社会史」がブームとなっていた頃、阿部謹也や網野善彦をよく読んでいたと書いている。

「社会史研究者の中で、私は良知力(らち・ちから)が大好きだった」と著者は書いている。ああ、だから「向う岸からの世界史」なわけか。単行本は、「向う岸からの世界史」といいうシリーズの一冊として解放出版社から出版されている。

「こちら側」の人が知らない「向う岸」にある世界。その「個別具体的」な世界を体験者が内側から描くことで、働くことの意味という「普遍的」なものを知らず知らずに語っている。そんな本である。

ぜひ読むことをすすめたい。そして若者に薦めてあげてほしい。仕事で成長するとはどういうことかを語った本でもあるからだ。


(画像をクリック!)

 

目 次

<巻頭イラスト> 佐川光晴が2001年まで働いていた大宮市営と畜場(当時)の牛の作業場
はじめに
1. 働くまで
2. 屠殺場で働く
3. 作業課の一日
4. 作業課の面々
5. 大宮市営と畜場の歴史と現在
6. 様々な闘争
7. 牛との別れ
8. そして屠殺はつづく
単行本あとがき
文庫版オリジナル対談 佐川光晴×平松洋子 働くことの意味、そして輝かしさ
文庫版あとがき

著者プロフィール
佐川光晴(さがわ・みつはる)
1965年東京都生まれ。北海道大学法学部卒業。出版社、屠畜場勤務を経て、2000年「生活の設計」(『虹を追いかける男』所収)で新潮新人賞を受賞しデビューする。『縮んだ愛』で野間文芸新人賞、『おれのおばさん』で坪田譲治文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS この投稿でブログ記事は1414本目となった。いよいよ、である。(2014年7月30日 記す)。


<関連サイト>

クジラを食べ続けることはできるのか 千葉の捕鯨基地で見た日本人と鯨食の特別な関係(連載「食のニッポン探訪」)(樋口直哉、ダイヤモンドオンライン、2014年9月3日)
・・日本人は家畜の解体には違和感を感じても、マグロやクジラの解体には違和感を感じないのは「文化」によるものであり、「慣れ」の問題でもあろう。【動画】外房捕鯨株式会社 鯨の解体 は必見!

(2014年9月3日 情報追加)



■働くということの意味

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・・「なにも僕が仕事好きだというわけじゃない。・・(中略)・・ただ僕にはね、仕事のなかにあるもの--つまり、自分というものを発見するチャンスだな、それが好きなんだよ。ほんとうの自分、--他人のためじゃなくて、自分のための自分、--いいかえれば、他人にはついにわかりっこないほんとうの自分だね。世間が見るのは外面(うわべ)だけ、しかもそれさえ本当の意味は、決してわかりゃしないのだ (中野好夫訳、岩波文庫、1958 引用は P.58-59)

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「労働はわたしたちから三つの大きな不幸、つまり退屈と不品行と貧乏を遠ざけてくれますからね」「「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」
■社会史

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)
・・ゲルマン世界とスラブ世界の接点であるハプスブルク帝国の首都ウィーンを舞台に「挫折した1848年革命」を描いた社会史の記念碑的名著

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
・・わたしがもっとも推奨したい一冊。「自分史」を「人類史」に位置づける

(2015年7月1日、7月7日 情報追加)


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2013年12月17日火曜日

書評『新島襄 ― 良心之全身ニ充満シタル丈夫(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) ―「教育事業家」としての新島襄



同時代のキリスト教伝道者で牧師であった植村正久は、新島襄のことを「洗礼を受けた企業家豪傑」(P.365)と評していたという。本書『新島襄 ー 良心之全身ニ充満シタル丈夫(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005)は、後者の「企業家」のほうに力点を置いた評価である。

植村正久はやや批判的に語ったのではないかと思うが、新島襄を同時代人として知っているわけではないわたしからすれば、これはけっして悪評とは思われない。本書の著者による「洗礼を受けた士族的愛国者」(P.366)よりもはるかに的確に表現しているのではないかと思う。

のちに同志社大学と同志社女子大学となる教育機関を立ちあげ、日本の教育界に定着させた「教育事業家」として新島襄は記憶されてきたことがその証拠である。

内村鑑三が『後世への最大遺物』(1894年)のなかでつかっている「事業家」という表現にふさわしい。「金(かね)を持っていない者が人の金(かね)を使うて事業をする」(内村鑑三)のが「事業家」であるならば、新島襄はまさに「事業家」であった。


■伝道という「事業」を教育機関設立をつうじて行った新島襄

本書を読んでいてわたしが思ったのは、新島襄は現代風にいえばアメリカの外資系企業の日本支社を立ち上げたビジネスマンのような印象があるということだ。

宣教団体であるアメリカン・ボードのカネを引っ張ってきた手腕、巧みに有力者から寄付金を引き出した手腕は、まさにたぐいまれなる資金調達能力を示しているといえる。自分のカネではなく他人のカネを最大限に活用する能力である。

資金調達にあたっては、平気で演技のできた人のようだ。「泣ける人」という評判があったようだ。柳田國男の『涕泣(ていきゅう)史談』によれば、あの時代の日本人は感情表現としてよく泣いていたようだが、新島襄もそういう文脈でとらえる必要もあるだろう。あるいは、"the great pretender"  (The Platters の曲のタイトル)であったのか。

キリスト教を伝道し、大学をつくるというミッション(=使命)に対しては頑固なまでに忠実でありながら、現実対応においてはみずからも変化させることのできるフレクシビリティ。原理原則には忠実に、しかし対応は現実的にできる人は成功するタイプの人である。


■「成功者」としての新島襄

本書を通読して思ったのは、新島襄は概してラッキーな人であった、ツイていたといっていい人であることだ。事業半ばに47歳で斃れたといえ、その名は長く残ることとなった成功者である。

幕末に外国貿易が解禁された時代、すでに大量に流入していた漢訳聖書を読んでキリスト教に親近感を感じ、自分を変えるためには環境を変えなくてはならないと決心し、意志のチカラで自分が所属する藩だけではなく日本からも脱出したのは、まさに自分の内面から発した「内発的な動機」であるといえよう。

アメリカ船の船長や篤志家など心ある人たちのとの偶然で幸運な出会いがその後の人生を決める。その出会いに感謝し、その道を己の使命として邁進した人生である。ある意味、変わり身の早い日本人の典型のような印象もあるが、人生というものは案外とこういう形で決まることが多い。

日本を脱出して以後の人生航路は、自分が求められている「期待役割」を忠実に果たした人生である。ここから先はかならずしも内発的な動機ではないかもしれないが、人生行路を決めたらその道に邁進するという生き方は迷いがない。

アメリカ東部のプロテスタンティズムが濃厚な上流階級という狭い世界のあいだに受け入れられたラッキーボーイであった新島襄は、「アメリカの宣教師」として帰国したのである。この点が重要だ。

帰国後の新島襄は、日本を低くみなした「欧化主義者」そのものであったようだ。この点においては森有礼(もり・ありのり)などと同様の人物であったようだ。ある種の近代啓蒙主義者であり、しかもアメリカのプロテスタントのもつ、きわめて偏狭な思想の体現者であった。


■なぜアメリカのプロテスタンティズムだったのか?

なぜプロテスタンティズムが重要であったのか? 同じキリスト教ではあっても、なぜカトリックや正教ではなくプロテスタンティズムであったのか?

これは新島襄にとっては大きな意味があったことが本書に詳述されている。上昇志向の下級武士はアメリカのプロテスタンティズムを主体的に選択したのである。この点を見逃しては新島襄も近代化前夜の明治時代前半も見誤ることになる。

明治時代は「立身出世時代」とも言われる。その時代のベストセラーとなった『西国立志篇』を翻訳出版したのはもともと儒者であった中村正直であるが、かれもまた英国に留学しプロテスタントの洗礼を受けたキリスト教徒であった。

当時の先進国であった英国、そして急伸する新興国であった米国、ともにプロテスタンティズムがその成功の根底にあった。日本の世界史の教科書がカトリックを旧教、プロテスタントを新教と表記することがあるのはそういう価値観の反映だろう。

同時代人のなかには新島襄を「策略家」という悪評をもって見ていた者も少なからずいたという。現在でも日本では儒教的な意味で「教育者=聖職者」という偶像的イメージが完全に破壊されていない。下級武士が権力を握り、儒教化が進んでいた明治時代にあってはなおさらであろう。

わたしからみれば、新島襄は策略家というよりも戦略家というべきではないかと思う。目的実現のためには手段を徹底的に考え抜くのは、そのミッション(=使命)がきわめて明確でかつ実現が困難であったためだ。

新島襄がアメリカと日本で異なる発言をしていたということは、悪く言えば「二枚舌」ということになるが、戦術面で「二枚舌、三枚舌」をとるのは方便というべきで、多くの人が無意識にやっていることではないだろか。

ただ、それを無意識でやっているのか、戦術として意識的にやるかの違いはある。新島襄の場合は、かなり意識的に行っていたことが濃厚だ。現在でも意外と英語での発言内容はダイレクトに日本語環境に反映されない(・・逆もまたしかり)ので、こういうケースは少なくない。まあ、程度問題といっていいかもしれないが、微妙なところではある。

内村鑑三は本書のなかでは新島襄の批判者として登場するが、『後世への最大遺物』と題した講演のなかで、慈善活動の資金つくりとしてのカネ儲けと事業の重要性を説いたあとに教育の重要性について語っている。

実際に「見える形」として教育機関をつくった新島襄は教育事業家として、内村鑑三以上に大きな影響を与えた人であると言えるのではなかろうか。


■終わりに

NHK大河ドラマ『八重の桜』も終わりを迎え、この時期を逃したら同志社の関係者ではないわたしが新島襄について読むことは、もはやあるまいと考え、購入してから8年たっていた本書を一気に読むことにした。

著者の太田雄三氏の作品は、新渡戸稲造やラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、チェンバレンといった西洋との架け橋となた明治の先人たちの評伝を多く読んできた。いずれも「欧化時代の」明治時代に日本と西洋という二つの世界にかかわった人たちだ。

本書は、結果として「偶像破壊」の書になっているかもしれないが、同志社関係者ではないわたしにとっては、人間・新島襄を知ることのできるよい読書経験となった。

新島襄と彼が残した「事業」について知る上で、内容の充実した評伝である。関心のある人は読むことを薦めたい。


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 目 次


はじめに
関係地図
第一部 日本時代
 第1章 時代、家庭環境、教育
 第2章 新島の脱国の動機
 第3章 海上の一年
第二部 アメリカ時代
 第4章 ボストン到着後の危機的時期
 第5章 アメリカでの学生生活
 第6章 岩倉使節団との出会いと新しい使命感のめばえ
第三部 帰国後の新島
 第7章 同志社「創立」とその存続・発展のための奮闘
 第8章 ジェーンズと熊本バンドと同志社
 第9章 欧化主義の時代と同志社の発展
 第10章 晩年の新島
 終章 新島の人と事業はどのように評価できるか
参考文献
あとがき
新島襄略年譜
人名・事項索引

著者プロフィール

太田雄三(おおた・ゆうぞう)
1943年生まれ。東京大学助手を経て、1974年からカナダのマッギル(McGill)大学で日本史を教える。マッギル大学史学科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

建学の精神と新島襄 (同志社大学)

The Platters - The Great Pretender - Lyrics (YouTube)



<ブログ内関連記事>

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い
・・「日本の耶蘇教信者は殴られても泣笑いをしてペコペコしている。まるで宿引きか男めかけのような奴ばっかりじゃ」という奈良原翁の発言は新島襄を指しているのだろうか?


書評 『マザー・テレサCEO-驚くべきリーダーシップの原則-』(ルーマ・ボース & ルー・ファウスト、近藤邦雄訳、集英社、2012)-ミッション・ビジョン・バリューが重要だ!
・・あたらしい修道会を立ち上げて軌道に乗せたマザーテレサの手腕に注目!

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー

書評 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)-「全人格」ではなく「分割可能な人格」(=分人)で考えればラクになる 

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・キリスト教伝道のため来日し日本に帰化したヴォーリズ

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう ・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となる


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2011年9月5日月曜日

「学を為すには、人の之れを強うるを俟たず。必ずや感興する所有って之を為す」 (佐藤一斎)ー 外発的なキッカケを自発性と内発的動機でかならずモノにする!

(渡辺崋山による佐藤一斎の肖像画 wikipediaより)

学を為(な)すには、人の之れ強(し)うるをま俟(ま)たず。必ずや心に感興する所有って之を為し、躬(み)に持循(じじゅん)する所有って之れを執り、心に和楽する所有って之を成す

 江戸時代の儒者・佐藤一斎(1772~1859)のコトバである。佐藤一斎は、学問所昌平黌(しょうへいこう)の儒官(=総長)を命じられ、広く崇められた大学者であった。

 先のコトバを現代語に訳せば以下のようになるだろうか。

学問をなすには、他人から強制されてするものではない。必ずやみずからの心に興味や関心が湧き上がってくるものを感じたらするべきなのだ。そういった気持ちをすなおに持ち続けて、楽しめるようになってはじめて大成するものだ。

 儒者のコトバであるから、当然ここでは『論語』を始めとする『四書五経』の学習について言っているわけだが、この発言は儒学にとどまらず普遍的なものであるといっていいだろう。何ごとも、自発的で内発的な動機付け(モチベーション)がなければ長続きしない。

 これは、俗な表現をつかえば「好きこそものの上手なれ」ということであり、現代の幼児教育のメインストリームの一つであるモンテッソーリ教育にもつうじるものがある。

 佐藤一斎といえば、西郷南洲(隆盛)の終生の愛読書だった『言志四録』が有名だ。佐藤一斎が後半生の四十余年にわたり記した随想録で、指導者のための指針の書とされ現在もひろく読み継がれているという。

 『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋(てつ)録』の四書を総称して『言志四録』という。引用したコトバの出典は、『言志耋(てつ)録』第三七条である。

 そもそも儒教はあまり好きではなく、しかも儒教を修養の支えとしている時代に生きていないわたしは、もちろん一部にしか目を通していないが、佐藤一斎という名前と『言志四録』の存在くらいは知っている。ただし、わたしは佐藤一斎の縁者ではない(笑)。

 佐藤一斎の門下生は三千人といわれるほど多い。これは「白髪三千丈」に代表される漢文特有のレトリックではないようだ。

 なかでも著名人としては、財政家で陽明学者であった山田方谷(やまだ・ほうこく)、洋学者で開国派であった佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠など、幕末に大活躍した人材たちが佐藤一斎のもとから育っている。なお、上掲の肖像画は渡辺崋山によるものである。

 佐藤一斎のコトバでもっとも有名なものといえば、『言志晩録』に収められたものであろう。

少而學 則壮而有為
壮而學 則老而不衰
老而學 則死而不朽

少にして学べば 則ち壮にして 為すことあり
壮にして学べば 則ち老いて 衰えず
老にして学べば 則ち死して 朽ちず

 あえて現代語訳はつける必要はなかろう。学び始めるのに遅いということはまったくない(!)という、晩学者への暖かいエールにもなっているとともに、死ぬまで勉強(!)という叱咤激励のコトバでもある。

 「少年老い易く学成り難し」と似たような内容の漢詩である。国学者の本居宣長の『うひやまふみ』とともに、かつてはよく知られていたものだが、現在ではいかがだろうか?

 必要に迫られて学ぶということは、いっけん外発性のように見える。だが、必要な迫られたときにイヤイヤではなく、ぜひ取り組んでみようという強い意志がうまれるとき、必ずやモノにすることができるはずである。

 自らの意思で取り組むことによって真に自分のものとなすことができるのだ。その意味では、モノを言うのは取り組み姿勢そのものだ。

 おそらく多くの人が高校大学の受験勉強や各種試験勉強をイヤイヤながら取り組んだことだろう。受験勉強など実社会では役にたたない時間のムダだとうそぶく大人も多い。しかし、わたしに言わせれば、そんなのはイヌの遠吠えに過ぎない。

 そうじゃなくても受験に時間を取られるのだから、受験目的だけに時間を使うのはあまりにももったいないではないか! だから何ごともツーインワン、オールインワンで時間を2倍、3倍にしてフル活用するのだ。これは外発的なキッカケを内発的な動機によって転換させる方法である。

 外発性の出来事をありがたいチャンスと捉え、内発性を大いに発揮して全力で取り組む。社会人の学びとはこういった性格を多分にもったものであろう。何ごともポジティブに捉えることの重要性がそこにある。

 佐藤一斎のコトバを思い出せば、これはむかしから変わらぬ真理であることが理解されるだろう。

 「学を為すには、人の之れを強うるを俟たず。必ずや感興する所有って之を為す」。そう、気持ちの持ち方次第なのだ。

  
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2010年7月3日土曜日

『モチベーション3.0』(ダニエル・ピンク、大前研一訳、講談社、2010) は、「やる気=ドライブ」に着目した、「内発的動機付け」に基づく、21世紀の先進国型モチベーションのあり方を探求する本



    
2010年7月7日発売予定の『モチベーション3.0-持続する「やる気!」をいかに引き出すか-』(ダニエル・ピンク、大前研一訳、講談社、2010) の前半を読む機会に恵まれたので紹介しておきたい。

 なお、R+(レビュープラス)様のご厚意として、出版直前の最終校了済みのゲラの段階で読ませていただいたことを記しておく。

 ビジネスパーソンであれば「モチベーション」に関心のない者はいないだろう。もちろんビジネスパーソン以外でも、教育関係者や、スポーツ関係者でもモチベーションほど重要なものはない。

 日本の読者にとっては、何よりも大前研一が訳者として名前を出し、著者のダニエル・ピンクと同じ大きさの活字で並んでいる。しかも、解説を書いているので、安心して手にとってよいだろう。

 本書は、日本語では「動機付け」と訳している「モチベーション」への新しいアプローチである。


■「モチベーション3.0」とは?

 「モチベーション3.0」とは? 一言でいって何が新しいのか?

 「モチベーションが高い」、「モチベーションが低い」、といった表現を日本語ですることも多いが、モチベーション(motivation)とは、「人をやる気にさせる」という意味の動詞 motivate の名詞形である。

 著者のダニエル・ピンクが本のタイトルにもしている「モチベーション3.0」というコンセプトとは、人間の生存本能に基づく「1.0」はいうまでもなく、アメとムチの「2.0」のさらに先にあるものだ、ということである。

 「2.0」でいうアメとムチとは、信賞必罰に基づく「与えられた動機づけ」のこと、ルーチンワーク中心の時代には有効だった。

 日本でも大規模に導入された、いわゆる「成果主義」のことを指しているが、米国ではテイラーシステムに象徴される合理主義マネジメントに立脚した考えで、100年以上の歴史をもつ。

 成果に対して報酬を与える成果主義は、仕事と金銭による報酬の関係が、きわめて明確に一対一に対応するはずであるという前提をもとに設計されており、メリットは大きい反面、問題解決に際しての視野が狭くなり、発想の自由度もなくなってしまうという弊害がある。

 米国で主流の成果主義は、職務(=ジョブ)ベースの報酬体系を意味していることに留意する必要はある。日本のように広く職能(・・職業能力の略)ベースで処遇を行ってきた風土には、そもそも違和感はあった。

 「3.0」では、人間の「やる気=ドライブ」、つまり「内発的動機づけ」に基づいた働き方に、意識をシフトしていかねばならないことを説いている。

 英語の drive には、推進力とか駆動力といった意味があり、精神のチカラや方向性を示す表現である。「ドライブがかかる」という表現は日本語でも熟してきている。外的な要因によるよりも、内的な動機に基づく方が推進力(=ドライブ)が強いことは、誰でも自分について考えてみれば理解できるはずだ。

 このように考えると、「3.0」が21世紀の先進国型モチベーションのあり方であることは、当然といえば当然だろう。付加価値の高い仕事にシフトしていかないと生きて行く道のない先進国においては「2.0」の考えでは対応しきれない。

 米国だけでなく、日本でもそうなることは当然といえば当然だ。



■日本企業の人事管理の観点から-組織における個人のモチベーション

 私自身、もともと企業の人事管理の仕事からキャリアを始めた人間なので、モチベーションについては、人一倍研究してきたつもりではある。本書で解説されている「内発的動機付け」についても、当然のことながら熟知している。

 個人的には「内発的動機付け」に勝るものはないと考えてきたし、自分自身についてみれば「内発的動機付け」を何よりも重視して生きてきた。

 問題は、組織内の個人のモチベーションをどう高めるか、ということであろう。

 日本企業の人事管理の実務においては、ここ10年「成果主義」もやむなし、という考えに傾いていたのは否定しない。なぜなら、企業組織内の「フリーライダー」(=ただ乗り従業員)問題がある限り、ちゃんと働いている従業員が抱いている不公平感をなくすためには成果主義導入はやむを得ない選択であり、ある程度の効果があったのではないだろうか。もちろん弊害は大きいのではあるが。

 米国の先進企業のように、中国やインドに付加価値の低い仕事をすべてオフショアしてしまう、といった大胆な施策がいまだとれていない日本企業においては、アメとムチに基づいた「2.0」による人事管理と、視野の広い問題解決型の考える従業員を処遇する「3.0」型の人事管理が混在しているのは仕方がないのではないだろう。

 もともと「2.0」以前の日本企業では、やる気という内発的動機付けを重視した、評価基準はハッキリしないが、それなりに有効に働いていたモチベーションが主流だったが、「成果主義」の導入によって、メリットだけでなく、デメリットも目立つようになっている。

 日本企業の人事管理の現状は、しかし「成果主義」を導入してはじめて、そのメリットとデメリットに気がついたわけであり、今後は「3.0」の考えに基づいた人事管理に移行していくことが望ましいことはいうまでもない。

 とはいえ、日本企業の実情は「2.0」から「3.0」への移行期間にあり、いきなり「3.0」に飛ぶのは難しい。

 「3.0」が人事制度変革の起爆剤として働くのは、まだまだクリエイティブな個人に限定されるのではないと思われるが、日本企業の今後の人事制度改革のヒントにはなるのではないかと思う。 

 個人としての内発的動機付けと、評価としての人事制度をどう折り合わせか、という課題は、日本企業の人事管理にとってはきわめて大きい。



■「モチベーション3.0」は、起業家やクリエイティブ系の仕事だけでなく、今後日本でも大幅に増えることが予想されるフリーエージェントには間違いなく当てはまるはず

 以上のような感想をもちながらも、「内的動機付け」に基づくモチベーションを説いた本が米国でベストセラーになっているということ自体が面白いと思うのである。

 米国社会は、あらたな時代に入って、著者の考えを広く受け入れるようになってきている(・・末尾で紹介しておいた、著者の独演会の YouTune 映像をぜひご覧いただきたい)。

 本書の考え方に基づいて働く個人が米国で増えていけば、その結果、米国社会を後追いする日本でも「モチベーション3.0」に基づく個人が増えていくことになろう。日本でもそういう個人が増えていけば、企業内でも個人と組織の関係が変化していくことも期待されるし、ひいては日本企業の人事制度も変わっていくことにもなるだろう。

 「モチベーション3.0」という、新しいだけでなく、正しいモチベーション理論に基づいた個人と組織の関係が望まれる。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は原著はみていないが、日本語の訳文もたいへんこなれて読みやすく、基本用語には適切な解説もつけられているので、使い勝手のいい本になっている。何よりも豊富な事例と読ませる文章が飽きさせない。ただし、私が目を通したのはゲラでいただいた前半のみである。

 本格的にモチベーションについて考えてみたい個人だけでなく、組織内の個人にかかわる立場にある人事事管理担当者といったビジネス関係者だけでなく、ぜひ教育関係者にも読んでもらいたいと思う。

 私自身も、単行本で本書の後半を読むのを楽しみにしている。



<参考サイト>

Daniel Pink on the surprising science of motivation(YouTube にアップされた動画 本書の著者ダニエル・ピンクの独演会 字幕なし)
http://www.youtube.com/watch?v=rrkrvAUbU9Y

やる気は「お金」では買えない-「上手くなりたい」が「やる気」を生む(大野和基によるインタビュー記事) (2010年7月27日追加)





P.S.
 この書評が、編集者自ら選定した優良レビューに選定されました。
 R+(レビュープラス)の特設ページ 『モチベーション3.0』先行レビュー の上部にも掲載されています。http://ca.reviewplus.jp/motivation3/
 ぜひご覧下さいませ。(2010年7月13日)


PS2 2015年11月に講談社+α文庫より文庫化された。(2015年12月17日 記す)。







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2010年2月27日土曜日

コトバのチカラ-『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える-』(木村元彦、集英社インターナショナル、2005)より




いまさらあえて私が付け加えることはないと思いながらも、あえてこの『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える-』(木村元彦、集英社インターナショナル、2005)の紹介を書くのは、この本の内容がノンフィクションとして素晴らしいことはいうまでもないが、なんといってもイビツァ・オシム(1941-)という一人の男の人生からにじみでるコトバ、人生哲学が凝縮したコトバ、コトバというものに対するオシムの考え方について、深く感じ入ることが多いためだ。

 オシムが日本代表監督に就任した際に購入したこの単行本、買ってからすでに4年以上たっている。その間、脳梗塞で倒れて生死の境をさまよったのち、奇跡的に生還するということもあった。この監督のもとで日本代表チームがワールドカップにいくものだと思っていたのに・・・

 オシムがコトバについて敏感な理由は、ユーゴスラビア代表監督時代の1992年、ユーゴ解体時の悲惨な内戦を経験しているからである。

 多民族国家ユーゴスラビアから実力本意で代表選手を選出したオシムには、各民族のナショナリストからの圧力が凄まじかったらしい。この経験から次のようなコトバがクチにされることになる。

言葉はきわめて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しいのか。ジェフを応援しているのか。そうではないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図をもてば世の中を危険な方向に導くことができるのだから。ユーゴ戦争だってそこから始まった部分がある(P.38)。

実は発言に気をつけていることがある。いまの世の中、真実そのものをいうことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体真実であろうことをいうようにしているのだ(P.38)


 大学で数学を専攻し、論理的思考能力にたけていたイビツァ・オシムは、親の希望で大学教授か医学の道に進むことを期待されていた。しかし彼は、親の思いを振り切って、あえてプロサッカー選手という、きわめてリスクに満ちた人生を選んだ男だ。

 サッカーにおいても、あえてリスクを取って攻めるサッカーを選択し、世界的に名の通ったクラブチームからオファーがあっても断り、日本のJリーグの、しかも弱小チームであったジェフ千葉を選んだ男でもある。

 「本当に他人の評価や、メディアの賞賛に興味がない、反俗的な本質追究の人」と著者の木村氏が単行本あとがきで評しているが、私はこれに付け加えて、オシムの人生哲学は、「リスクを取ること」こそが、もっとも「リスキーではない」人生であることを示している、といっておきたい。


 日本人選手に対する苦言をまず読んで欲しい。私も含めて、大いに反省したい内容だ。

日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。野心に欠ける。これは危険なメンタリティーだ。受け身過ぎる。(精神的に)周囲に左右されることが多い。フットボールの世界ではもっと批判に強くならなければ(P.37)


 モチベーションの上げ方についての姿勢とコトバもまた傾聴に値する。オシムは心理学者でもある。内発的動機を何よりも重視している。

特定の法則があるわけではないから、どういう方法とは一概にいえない。常に考えているのは、選手たちの「勝ちたい」、「克ちたい」という強い気持ちを、目覚めさせることなんだ(P.126)

モチベーションを高める方法なんて何千通りもある。それぞれ違うのだ。・・(中略)・・試合の前とかにはほとんんど戦術の話はしない。モチベーションを上げるのに大事だと思っているのは、選手が自分たちで物事を考えようとするのを助けてやることだ。自分たちが何をやるのか、どう戦うのかを考えやすくしてやる。・・(中略)・・まずは自分たちのために、自分のやれることをやり切るということが大事だという話をする。次に、対戦相手が自分たちと試合するに当たって何を考えて臨んでいるかということを思考させる、そういう話をする(P.182-183)


 とにかく「自分で考えること」が重要だ。

同時にサッカーにおいて最も大切なものもアイデアだ。アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。でもアイデアは練習だけでは身につかない。鍛えられない。バルカン半島からテクニックに優れた選手が多く出たのは、生活の中でアイデアを見つける、答えを出していくという環境に鍛えこまれたからだろう。さらにいえば、ある選手が、そういったアイデアを身につけているかどうかは、サッカーのプレーを見なくても、普段の言動をみていれば予想できる(P.43)


 そして考えたことを着実に実行するために、つねに準備を怠らないこと、そのために身体技術の基礎である走り込みを選手に求めている。これは有名な語録だが、あえて再録しておこう。

ライオンに追われたウサギが逃げ出すときに、肉離れをしますか? 要は、準備が足りないのです(P.28)

 
 戦術については知り尽くしていながら、けっして戦術に頼らない采配。

サッカーとは戦術が一番だと思っている監督がいるかもしれない。しかし私はムービングこそが、最も重要だと思っている」(P.122)

トレーニング方法でいえば、教師がこういうメニューがある、と黒板に書いた段階ですでに過去のものになっている。練習メニューというものはそれだけ毎日進化し、変化するものだと私は思っている」(P.48)


 カネにまかせて最強選手をスカウトして集めたところで、最強のチームになるわけではない。

 これはサッカーでも、企業組織でも同じことだ。経営学のコトバを使えば、「リソース(資源)ベースの戦略」というやつだ。人的資源、すなわちいまいる選手のチカラをいかに引き出して最強のチームを作り出すかが重要なのだ。オシムはそれをジェフユナイテッド市原(・・現在のジェフ千葉)でやってのけた。

ジダンやベッカムやロナウドやいろんな人間を集めても、じゃあ彼らのために誰が走るんだ?(P.120)

システムはもっとできる選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でもできる選手がいない。じゃあ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを選手自身が探していくべきだ(P.121)

年俸の差にかかわらず、選手は全員同じ選手なのだから、皆、対等に平等に接するのが普通だろう。大体、選手の中で自然とランクやキャラクター分けがされるものだ。・・(中略)・・平等に見るということは自分をフラットにするということでもある。もちろん監督だって完璧じゃない。そのことを自覚した上で選手を見ている(P.206)



 そして選手に対しては、何よりも自分で考えることを求める。そのためには失敗を恐れず、リスクをとって果敢にチャレンジしていくことだ。

懲罰ではなく考えさせること(P.207)

ミスをした選手を使わないと、彼らは怖がってリスクを冒さないようになってしまう(P.208)


 このほかにも、この本のなかで紹介されたコトバは多い。いくつか抜き書きしておこう。

日常生活の中で、平坦な道のりはない。上に上がっていくには何らかの危険を冒し、何かを犠牲にしなければんらないのだ(P.148)

「父は哲学があって、どこでも結果よりもビジョンを重視してチームを作るんだ」(P.156) これは、同じくサッカー選手となった息子のコトバ。

夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう(P.185)

大事なのは言葉ではなく、自分でその意味を感じているか。前にも話したが、時として何も言わないほうが、100万言を費やすよりも伝わる場合がある(P.207)


 学び続けること、現状に満足せず常に進化していくこと、それこそがオシムのサッカー哲学であり、人生哲学なのである。

 けっしてコトバを惜しむ(オシム)ことなく・・・



<参考サイト>

◆『オシム監督語録』 (ジェフ千葉)


P.S. 文庫化について

 2008年には文庫版が出版されているようだ。文庫版にあたってあらたに一章が書き加えられているらしい。文庫版はみていないのでなんともいえないのだが・・





PS2 文春文庫から「増補改訂版」が出版

文春文庫から『オシムの言葉 増補改訂版』として刊行。

文藝春秋社の書籍サイトから「立ち読み」できる。

(2014年1月4日 記す)





<ブログ内関連記事>

『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年3月10日号 特集:名将の言葉学。-2011年のリーダー論-』

書評 『采配』(落合博満、ダイヤモンド社、2011)-ビジネス書の域を超えた「人生の書」になっている

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)-「論理力」と「言語力」こそ、いま最も日本人に必要なスキル

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ

「サッカー日本代表チーム」を「プロジェクト・チーム」として考えてみる




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